目次
- 〈本文理解〉
- 〈設問解説〉設問(一)「このこころを凍らせるような孤独」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(二)「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(三)「ひとまとまりの「私」というある種の錯覚」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(四)「精神分析家の仕事も実は分裂に彩られている」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(五)「生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいる」(傍線部オ)とあるが、なぜそういえるのか、落語家との共通性にふれながら百字以上百二十字以内で説明せよ。
- 設問(六)
それでは、早速解説を始めます。受験生や時間のある方は、一度本文をお読みになり、それぞれのレベルで設問を考えた上で、以下の解説を参考にして頂ければありがたいです。受験に関わらず、東大の問題は読みごたえがあり、設問に挑むことで理解が深まる仕掛けになっています。
出典は藤山直樹『落語の国の精神分析』。前書きに「精神分析家が自身の仕事と落語を比較して述べたもの」とあります。
適切な解答は、適切な読解に即して得ることができます。読解においては、表現に着目して重要箇所を抽出すること(ミクロ読み)、形式段落間の関係に着目して文章構造を捉えること(マクロ読み)、が大切になります。
〈本文理解〉
構成が見やすい文章なので、解説の都合上、始めに意味段落と小見出しを示しておくが、当然これらは表現に着目した読解(ミクロ読み)の結果、得られるものである。
【落語家と分析家の圧倒的な孤独(共通性1)】①②③④段落
上の小見出しが冒頭に示され、以下①段落で落語家(X)の孤独、②段落で分析家(Y)の孤独が具体的に説明される。それらを③段落で、多くの人の期待(x)か、一人の重い期待(y)かの違いはあれど、「いずれにせよ、彼らは自分をゆすぶるほどの大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されている」と集約する。
それを④段落の冒頭で「このこころを凍らせるような孤独(傍線部ア)」と承け、その中で仕事をするためには文化(=集合知)を内在化することが必要だが、その表面的な運用は「観客と患者という他者」の個別性の前では無効になる。
【落語家の分裂性(共通性2-X)】⑤⑥⑦段落
⑤段落で、落語家は同時に「今日の観客」になって、つまり「完全に異質な自分」として「演じる自分」を見る必要がある、とする。⑥段落で「しかも」とつなげ、ひとり芝居である落語において、演者は「おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者として」の登場人物たちに「瞬間瞬間に同一化」せねばならない。ここまでを承け、「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する(傍線部イ)」と述べる。
⑦段落で「そうした分裂を楽しんで演じている落語家を見る楽しみが、落語というものを観る喜びの中核にある」とし、それを「そして」で承け「人間が本質的に分裂していることこそ、精神分析の基本的想定」だとする、分析家としての筆者の根本理解が提示される。それに従うと「ひとまとまりの「私」というある種の錯覚(傍線部ウ)」は、自己の中の自律的な複数の自己の対話と交流のなかで生成されるものである。そうした理解を踏まえ、観客は「分裂しながらも、ひとりの落語家として生きている人間を見ることで、何か希望のようなものを体験する」のである。
【分析家の分裂性(共通性2-Y)】⑧⑨段落
⑧段落冒頭「精神分析家の仕事も実は分裂に彩られている(傍線部エ)」。その後具体的説明を挟み、段落末尾で「こうして患者のこころの世界が精神分析状況のなかに具体的に姿を現し、分析家は患者の自己の複数の部分に同時になってしまい、その自己は分裂する」と述べる。
⑨段落、その上で分析家は「分析家自身の視点から事態を眺め」患者を理解しなければならない。当然その理解の結果を分析家は患者に伝えるのだが、その言葉以上に、分裂から立ち直って自分を別の視点から見ることができる「生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいる(傍線部オ)」。分裂する自己にふりまわされず、ひとりの人間、自律的な存在でありうるのかもしれないのだから。
〈設問解説〉設問(一)「このこころを凍らせるような孤独」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「この…孤独」の具体化と「こころを凍らせる」のニュアンスを表現することが直接的には求められる。その上で、ここでは落語家(X)と分析家(Y)の共通する孤独の内実について聞かれていることに注意する。共通性(類比)を説明する問題は、対比と同様、[一括型]「XもYも、Aである」で述べるか、[分離型]「Xは(x1,x2,x3…)であり、Yは(y1,y2,y3…)である」で述べる。
この場合、③段落の「いずれにせよ」に着目し、[一括型]で処理する。ならば、「この…孤独」が指す内容として、「いずれにせよ」以下の「彼は自分をゆすぶるほどの前でたったひとりで事態に向き合い(a)/そこを生き残り(b)/何らかの成果を生み出すことが要求(c)」を一般的な表現に言い換え、「こころを凍らせる」のニュアンスを足せばよい(→解答例では「おののく」とした)。
以上で解答の核はできるが、同一意味段落にある④段落の傍線部ア以後の記述も検討する必要がある。まず「文化の内在化」については、「孤独」に対する構えだから、傍線自体の説明には必要ない。ただ、その後の「観客と患者という他者」という要素は繰り込みたい。「他者性」=「自己との異質性」(この説明は(二)の解答に譲る)は「孤独」を深める根本要素であるので。
<GV解答例>
落語家も分析家も、一人の存在からすると過剰な他者の期待を、その責任の重さにおののきながら、人生を賭けて背負うように強いられること。(65字)
<参考 S台解答例>
落語家も分析家も、文化を内在化し自己の存在を賭けて、相手の期待に応えようとただ一人で他者と対峙するしかないということ。(59字)
<参考 K塾解答例>
反応の予想できない他者の目にさらされ、その期待にこたえる責任をただ一人で引き受けることが自己の存在理由となっているということ。(63字)
設問(二)「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「落語家の自己は/たがいに他者性を帯びた(a)/何人もの他者たちによって占められ(b)/分裂する」に分けて言い換える。まずb要素「何人もの他者」とは?⑤段落より、「演者(自身)」と「観客」、それも一人ひとりが個別の「観客」に分裂し(分裂1)、「観客」の視点で「演者(自身)」を見る。この「観客」は「完全に異質な(もう一人の)自分」という意味で「他者性」を帯びる(要素a)。
それを前提とした上で(⑥段落頭の「しかも」と「さらに異なった次元の分裂のケイキ」に着目)、⑥段落より、演者は「根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化」する(分裂2)。それら登場人物たちは「おたがいの意図を知らない」という意味で「他者性」を帯びている(要素a)。以上をまとめる。
<GV解答例>
落語家は、自己と異質な個々の観客の視点に立った上で、互いに意図を知らない登場人物らに入れ替わりながら演じる必要があるということ。(64字)
<参考 S台解答例>
落語家は演じる自分を観客という他者の視点から対象化した上で、互いに自律した複数の他者の生きた対話を演じるということ。(58字)
<参考 K塾解答例>
臨場感をもって根多を演じる落語家は、語り手としての自己を消去し、互いに意図を知らない登場人物の各々にそのつど成りきって生きるということ。(68字)
設問(三)「ひとまとまりの「私」というある種の錯覚」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。(一)~(四)までの中で最も難度が高い。「錯覚」という名詞を「動きのある表現」に直して説明するとよい。「錯覚」とは、一般に「事実に沿わないものの見方をすること」だから、基準となる事実性を指摘する。その事実性とは「人間が本質的に分裂していること」である。これを傍線部ウの直前で「自己のなかに自律的に作動する複数の自己があって」と言い換え、「それらの対話と交流のなかに(傍線部ウ)が生成される」と続く。
この理解から「本質的に分裂している複数の自己が、自律的に対話と交流を行った結果、ひとまとまりの「私」という虚構が生まれる」となるが、まだ浅い。「…対話と交流を行った結果、…生まれる」このメカニズムを説明しないといけないのではいか?
そもそも、傍線部ウを含むパート(⑦段落「そして」以降の3文)は「落語の楽しみは、演者の「分裂」を見ること」という内容に続くものだった。 そして「人間の本質的な分裂性」について指摘した後で、再び落語の話に戻り、「落語を観る観客はそうした自分自身の本来的な分裂を、…外から眺め…何か希望のようなものを体験する」 と述べる。
こうたどると「本質的分裂」→「外から眺める=対象化」→「統合の可能性=希望」というつながりが見つかるのではないか。もちろんここでは、この「落語の統合メカニズム」と「分裂する自己の統合メカニズム」との相似性が意識されているはずだ。
それで先ほどのメカニズムを「…対話と交流を行う事態を対象化する存在として、統合的な私という仮構が現象する」と説明した。なお、「錯覚」のニュアンスを「仮構」「現象」という言葉で表現したが、特に「本質」の対義語として「現象」という言葉を使えるようにしておいたら良いだろう。
<GV解答例>
本質的に分裂している複数の自己が、自律的に対話と交流を行う事態を対象化する存在として、統合的な私という仮構が現象するということ。(64字)
<参考 S台解答例>
人間は、本質的に分裂した異質な自己の関わり合う自らの存在を、個としての統合性をもつ主体と見なして生きているということ。(59字)
<参考 K塾解答例>
人間は自律的に作動する複数の自己に分裂した存在だが、それらの関わり合いの総体を、統一性をもつ人格として感じることができるということ。(66字)
設問(四)「精神分析家の仕事も実は分裂に彩られている」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「分析家の分裂性」についての説明が求められる。⑧段落の「患者の分裂を自己の内面に写し、分析家自身も分裂する」という理解はもちろん、⑨段落の「その自己の分裂状況を分析家として対象化する」という側面も、分裂の一側面として加えなければならない。というのも、本問の「分析家の分裂性」は、設問(二)における「落語家の分裂性」つまり「対象化→分裂」を逆にたどる(「分裂→対象化」)ものであり、(二)で「対象化」の側面も分裂の一側面として加えたからである。
ここまでは標準的。差がつくだろうと考えられるのは、傍線部の「も実は」という表現に対する配慮だろう。この内「も」については、前段までの「落語家」と「分析家」を並列にしているのは明らかで、自明としておく。しかし「実は」は自明としてはならない、つまり正しい理解を解答に盛り込む必要がある。
「実は」という表現は、「常識などにより見えにくくなっている真実性」を明らかにするときに使うものだろう。ここでの「普通」は「自己分裂に悩む患者に対処する分析家」である。しかし「実は」その分析家も「分裂」するのである。こうした理解を表現に込めたい。
<GV解答例>
自己の統合に悩む患者に向き合う分析家も、患者の複数の人格に同一化し分裂をたどり、それを対象化することで患者理解を試みるということ。(65字)
<参考 S台解答例>
分析家が患者の世界を理解し助言するには、患者の分裂した複数の自己に同化し自らも分裂を体験するしかないということ。(56字)
<参考 K塾解答例>
分析家が患者を理解するさいには、患者の分裂した複数の部分に成りきりつつも、そうした事態を分析家自身の視点で把握しているということ。(65字)
設問(五)「生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいる」(傍線部オ)とあるが、なぜそういえるのか、落語家との共通性にふれながら百字以上百二十字以内で説明せよ。
前回、2015年第一問、設問(五)での解説で、始めに以下のように述べた。
「おなじみの「内容説明型」要約問題である。東大の場合、傍線は基本、本文の結論部に引いてあるので、「理由説明型」も含めて、結論までの論旨で傍線部につながる要素を加えて解答を作る。基本的な手順は、
(1)傍線部自体を簡単に言い換える。(解答の足場)
(2)「足場」につながる必要な論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
(3)必要な小要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)
となる。」
今回は、「理由説明型」要約問題である。この場合は、(1)の「足場」を少し修正して、
(1)´傍線部自体の端的な理由をまとめる。(解答の足場)
とし、後は基本上と同じ手順をとる。
(1)´「生きた人間としての分析家自身のあり方」をS(始点)、「患者に希望を与える」をG(帰着点)とし、それをつなぐ理由Rを探す。Sは傍線前の部分を加えて言い換える必要がある。そこで、(四)での理解を加えて「患者の分裂を引き受けた上で対象化してみせる分析家の姿勢」(S´)とする。
ここがどう「希望」につながるのか?最終行より「(分裂に悩む患者に)ひとりの自律した人間と思わせる」からである。え、何で?(三)の理解より、分析家の「対象化」の試みが「統合の可能性」を見せてくれるからである。
ここまでをまとめて「S´こそが、分裂に悩む患者に、分裂を統合する見方(視座)をもたらすから」としておく。
(2)アウトラインについては、出題者のヒントに従う。つまり「落語家(X)との共通性」にふれる。ならば、類比の問いとなり、(一)で検討した[分離型]の構文を使う。スペースに余裕があるならば、基本的に[分離型]の方が両者(X,Y)のニュアンスの違いも表現できて有利である。
「(x1)の観客に、(x2→x3)する落語家と同じく、(y1)の患者に、(y2→y3)する分析家こそが、分裂を統合する視座をもたらすから」という構文に定める。※(x2→x3),(y2→y3)は、(分裂→統合)というベクトルになる。
(3)まず①②③④段落から「観客、患者の過度の期待」(落語家、分析家の圧倒的孤独)という共通性を抽出。⑤⑥⑦段落からは「落語家の分裂」つまり落語家が「複数の登場人物に入れ替わりながら」演じること、それが観客に「一人の人間による、まとまった一つの世界」として示されることを指摘する。⑧⑨段落は既に考慮した。
最後に⑦段落の「人間存在の本質的(本来的)分裂性」を加える。だからこそ、落語家と分析家の「分裂を引き受け、それに統合をもたらす」あり方が、人々に「希望」をもたらすのである。
<GV解答例>
様々な期待をかける観衆に、複数の人格を行き来しながら一つの世界を示す落語家と同じく、人生の本質的な改善を期する患者に、その分裂した人格の重みを引き受けた上で対象化してみせる分析家の姿勢こそ、人間の本来的な分裂性を統合する視座をもたらすから。(120字)
<参考 S台解答例>
精神分析家は落語家と同様に、文化を内在化してただ一人で他者と対峙し、自己分裂する自分を他者の視点から対象化して語る存在であり、分裂した自己に苦しむ患者は、分裂してもなお分析家として仕事を行う姿に、自律的に生きる回復への可能性を感じとるから。(120字)
<参考 K塾解答例>
落語家が、一人の人が様々な人物に分裂しているさまを見せることで観客を楽しませるように、分析家は、分裂した自己に苦しむ患者に対して、患者の分裂を体現しつつそれを見渡す視点を持つ生き方を一人で引き受け、そのさまを患者自身の可能性として示すから。(120字)
設問(六)
a.稼 b.慰 c.脅 d.情緒 f.契機