〈本文理解〉

要約問題は、形式に則った客観的な読み取りと、そこから得られる内容と本文の構造に即した表現力を問うものです。その点で、現代文における学力がストレートに試されているといえます。よって、一橋大学の受験生でなくとも、100字~200字程度の要約をして的確な添削指導を受けることは、学力養成の良い機会となるでしょう。

要約作成の基本的手順は、以下の通りです。
1️⃣ 本文の表現に着目して重要箇所を抽出する(ミクロ読み)。
2️⃣ 本文をいくつかの意味ブロックに分けて、その論理構成を考察する(マクロ読み)。
3️⃣ 本文の論理構成に基づき、要約文の論理構成の骨格を決める(例えば、本文が2つのパートに分かれていれば、要約文も原則2文で構成するとよい)。
4️⃣ 骨格からもれた付加要素を、構文を崩さない程度に盛り込んで仕上げとする。

出典は藤田省三「或る歴史的変質の時代」。条件なしで200字以内の要約が求められている。

1️⃣ ①段落。いわゆる「明治時代」は、一つの共通の精神と行動形式とを持った歴史的構造体という意味で、一つの時代であった(a)。そうしてしかも、一つの共通の目標と精神が諸局面を貫いて生きていた時代であった(b)。
②段落。その「明治時代」は、歴史的構造体という意味では、維新に始まり日露戦争をもって終わる(c)。そこに「明治」という名称を用いるのは、便宜上の習慣以上の積極的理由がある(d)。
③段落。「明治」の称号は、維新の社会変動の結実として発生したものであった(e)。そうして又、社会の内側から出現した自生的な社会的力の自主的な社会活動の成果として、選び取られたものであった(f)。その点で「明治」という元号は、その成立の事情に関する限り、元号の世界では異例で特別なものであった(g)。
④段落。こうした事情の上に更に、「明治時代」は先に述べたように歴史的構造体としての性格を持っていた(h)。「明治時代」と呼んで不都合でない所以は以上の二点である(i)。そしてその時代の又の名を「立国の時代」と呼びたいと思うのである(j)。
⑤段落。(むろん「明治時代」を通して変化がなかったわけではない)。けれども「明治時代」には一つの大きな目標が社会全体を貫いて生きた存在として働き続けていて、その「柱」によって諸局面は歴史的構造体へと統合されていたのである(k)。
⑥段落。その目標とは、国際列強に対する日本の「独立」の追求のことであった(l)。その目標に関してだけは、どのように対立する立場にも一貫していた(m)。「民権」と「国権」の交錯、「国民主義的独立」と「国家主義的独立」の混ゆうは、(「国家からの自由」などの不完全さを物語っているが)他面では、列強に対する「独立国家」を作るという目標が如何に社会全体に行き渡っていたかを示してもいた(n)。

2️⃣ ④段落、(h)の記述に着目すれば、本文の論理構成を見渡すことができる。つまり、「こうした事情」に②③段落で述べたこと(「明治」を用いる積極的理由A)を集約した上で、「先に述べたように」として①段落で述べた論点(歴史的構造体としての「明治時代」B)に戻る。次文(i)でその二点を「明治時代」の性格として、以降Bの論点を最後まで展開し、①段落の(a)(b)が具体化される。

3️⃣ ここから、①段落の要素を④段落以降に繰り込み、②③段落の論点Aと①④~⑥段落の論点Bの2パートに本文を分離でき、明治時代の時代的性格を2文に分けて、Bに力点を置く形でまとめればよいだろう。
A「「明治時代」は/(e)(f)の点で/「明治」という元号を用いるに値する特異な時代であった(g)」。
B「「明治時代」は/国際列強に対する「独立」の追求を目標とした(l)/歴史的構造体としての(k)/「立国」の時代であった(j)」。

4️⃣ 筆者によるカッコつきの「明治時代」の規定は、年表などによる一般的規定と異なるものだから、②段落(c)の要素をAの初めに足しておく。
Bの(l)の部分に⑥段落(n)を代入して肉付けする。(n)の「民権」と「国権」、「国民主義」と「国権主義」は単なる具体例ではなく、明治の「独立」運動に必然的に現れる両極だから、「独立」という目標が広く行き渡っていたことを示す上で、書き込まなければならない要素だといえる。

<GV解答例>
維新に始まり日露戦争をもって終わる「明治時代」は、維新という社会の内側から出現した自生的な社会的力の自主的な社会活動の成果として、選び取られたものであるという点で、「明治」という元号を名称として用うるに足る特異な時代であった。そして「民権」と「国権」、「国民主義」と「国権主義」の交錯が示すように、列強に対する「独立国家」を作るという目標が社会全体を貫いた歴史的構造体としての「立国の時代」であった。(200字)

<参考 S台解答例>
「明治時代」は、昭和・大正など単に天皇家の世継ぎを意味した便宜的習慣に従う元号とは異なり、共通の精神と行動様式を持った歴史的構造体としての内実をそなえた一つの「時代」であった。そう判断する根拠は、第一に、「明治」は社会の内側からの自主的活動の結果として生まれたという点にあり、第二に、一つの歴史的構造体として、列強に対する日本の独立の追求という大目標が政治的立場を越えて社会全体を貫いていた点にある。(119字)

<参考 K塾解答例>
維新から日露戦争までを指す「明治時代」は、一つの共通の精神と行動様式をもった歴史的構造体だった。私が「明治」という名称を使うのは、それが自生的な社会的力の自主的活動の成果であるだけでなく、その時代が歴史的構造体だという認識ゆえである。そして私はこの時代を「立国の時代」と呼びたい。むろん「明治」にも流動性や多様性はあったが、そこには列強に対する日本の「独立」の追求という一貫した精神があったのである。(200字)

<参考 Yゼミ解答例>
明治時代は、一つの共通の精神と行動形式を持つ歴史的構造体という意味で紛れもなく一つの時代であった。「明治」が典型的時代の名称たり得るのは、その称号が社会の内側から生まれた自主的な社会運動の結実として選び取られたものであり、また一つの歴史的構造体としての性格を明確に有していたからである。そこでは国際列強に対して日本という独立国家を打ち立てるという国家目標が、社会の全要素の中にまで深く浸透していた。(119字)

<参考 T進解答例>
時代とは共通の精神と行動形式をもつ歴史的構造体だとすれば、維新から日露戦争までを「明治時代」と呼びうる。「明治」は元号とはいえ、宮廷の都合によらず内発的な社会変動の成果として選び取られたものだから、時代の呼称に相応しい。立場の違いはあれ、列強に対する独立という目標が「明治時代」の社会全体を貫いていた。国民主義的独立と国家主義的独立の両立場が対立しつつも親近性をもち、混ゆうしていたことはその証左だ。(119字)