目次
- <本文理解>
- 〈設問解説〉問1 (ア)「倶」・(イ)「寡」のここでこ読み方として最も適当なものをそれぞれ選べ。
- 問2「由 来 事 不 同、不 同 非 一 事」(線部A)について、(a)返り点の付け方と、(b)書き下し文との組合せとして最も適当なものを選べ。
- 問3「卜 室 倚 北 阜、啓 扉 面 南 江、 激 澗 代 汲 井、挿 槿 当 列 墉」(傍線部B)を模式的に示したとき、住居の設備と周辺の景物の配置として最も適当なものを選べ。
- 問4 空欄Cに入る文字として最も適当なものを選べ。
- 問5「賞 心 不 可 忘、妙 善 冀 能 同」(傍線部D)の表現に関する説明として適当でないものを選べ。
- 問6「賞 心 不 可 忘、妙 善 冀 能 同」(傍線部E)とあるが、作者がこの詩の結びに込めた心情はどのようなものか。その説明として最も適当なものを選べ。
〈本文理解〉
出典は『文選』(蕭統 撰)。六朝時代の詩人 謝霊運による五言古詩からの出題である。
漢文は、中国文語を日本語の古語で訓読したものである。古代以来、わが国のエリート層に広く親しまれ、大陸的な世界観や合理的なものの見方は、日本人の思想形成に大きな影響を与えてきた。そうした観点から、現在の国語教育においても、漢文は「古典」の一つとして、語学的に、かつ思想内容的に学ばれている。
漢文解釈においては、以下の三つのレベルに着目し、「小から大」「大から小」と見て総合的に判断する。
①語句のレベル(頻出語、推測語)
②一文のレベル(基本構文、句法・語法)
③文章のレベル(対句・比喩などのレトリック、論理展開)
〈本文理解〉
前書きに「(作者 謝霊運は)名門貴族の出身でありながら、都で志を果たせなかった彼は、疲れた心身を癒すために故郷に帰り、自分が暮らす住居を建てた。これはその住居の様子を詠んだ詩である」とある。
樵 隠 倶(ア) 在 山 「由 来 事 不 同
(樵も隠者も同じく山に暮らすが、その理由は同じではない)
不 同 非 一 事(A)」 養 痾 亦 園 中
(同じでないのは何も樵と隠者ばかりではない。疲れた心身を癒すのも庭のある棲家なのだ)
園 中 屏 氛 雑 清 曠 招 遠 風
(庭にいると俗世の煩わしさも忘れ、清らかで広々とした住まいに遠くから風が吹き込む)
「卜 室 倚 北 阜 啓 扉 面 南 江
(土地を占い丘を北に住み、扉を開くと南に川が流れる)
激 澗 代 汲 井 挿 槿 当 列 墉(B)」
(渓流を堰き止め井戸に代え、槿を植え込み垣根とみなす)
群 木 既 羅 戸 衆 山 亦 対 C
(木々はいつしか戸口に連なり、山々もすでに窓から広がる)
「靡 迤 趨 下 田 迢 逓 瞰 高 峰(D)」
(うねうね下って田んぼに向かい、はるか遠くの高峰を仰ぐ)
寡(イ) 欲 不 期 労 即 事 罕 人 功
(欲を抑えて徒労を望まず、自然に即して人手をかけず)
唯 開 蔣 生 径 永 懐 求 羊 蹤
(ただ蔣生が小径を開き求・羊を待った、そのことをいつも思うのだ)
「賞 心 不 可 忘 妙 善 冀 能 同(E)」
(自然を愛でる心を忘れはしない。願わくは至福を友と過ごすことを)
〈設問解説〉問1 (ア)「倶」・(イ)「寡」のここでこ読み方として最も適当なものをそれぞれ選べ。
(ア)(イ)ともに基本的な読みなので即答できなければならないが、仮に知らない読みだとした場合のアプローチの仕方を示してみよう。
(ア)については、それを含む一句の構造をとると、「樵(木こり)」と「隠者」の二者が主語(S)となり「在山(山に在る)(VC)」が述部となる。「倶」は、漢文の基本的な語順(修飾-被修飾)を踏まえると、「在(V)」を修飾する副詞(m)として機能する。つまり一句の構造は「S1,S2+m+V+C」となるが、二者の主語を一つの述語につなげる副詞として、選択肢を検討すると「S1もS2も、ともに、 V」が相応しいであろう。正解は⑤。他の選択肢の副詞の読みも重要なので、漢字を当てると、①偶(たまたま/偶然)、②具に(つぶさに/具体)、③既に(すでに/既出)、④漫ろに(そぞろに/漫然)となる。
(イ)については、それを含む一句の構造をとると、「寡」は「欲を」から返るので「寡欲」には「V+O」の関係があり、同じく「不期労(労を期せず)」にも「V+O」の関係がある。ここから「寡欲」と「不期労」は意味的に呼応していると考え、後者が「労を望まない(労力を使いたくない)」の意味だから、選択肢より前者は「欲をすくなくして」なら良さそうだ。つまり、欲を持てばその分労力を使うから、「欲を抑えて無駄な労力を使うのを望まない」ということだろう。もちろん「寡」には「寡占(少数の企業による市場の支配)」という述語があることも想起したい。正解は③。
問2「由 来 事 不 同、不 同 非 一 事」(線部A)について、(a)返り点の付け方と、(b)書き下し文との組合せとして最も適当なものを選べ。
白文訓読問題。白文訓読は、形式性(句法・語法・構文)と意味内容の吟味を往復しながら正解に迫る。まず形式性で見ると、二句目は「由来(=理由)」を「事」という形式名詞が承け、これが主語となり、「不同」が述部となる(ここまでは選択肢から分かる)。「不同」の「同じからず」(①②)と「同じうせず」(③④⑤)に選択肢が分かれるが、ここは形式的にはどちらも可能なので判断を保留。三句目は、否定語に着目すると「不同」と「非一事」に分かれ、前者が主部、後者が述部となる。「不同」の読みは二句目と同じく保留。「非一事」は「…に非ず」の読みに着目すれば、「一事に非ず」となり、ここで一気に②と決まる。
意味の確認もしておこう。二句目は、一句目「樵と隠者はともに山にいるが」を承け、「その理由は同じではない(つまり、前者は木を伐るため、後者は心を澄ますため、ということだろう)」。二句を対で意味をとるのが基本である。それを承ける三句を直訳すると「(その理由が同じでないことは、一つの事ではない」となるが、少し捉えづらい。そこで四句とのつながりで考えると、四句は(注)を参考にして「都で疲れた心身を癒すのも「亦た」、庭園のある住居である」となる。つまり、樵にも樵なりの隠者にも隠者なりの山(自然)の中で暮らす理由があるのと同様に、私にも私なりの理由がある、ということだろう。そう考えれば三句目の訳は、「理由が同じではないのは、樵と隠者ばかりのことではない」となる。正解は②。
問3「卜 室 倚 北 阜、啓 扉 面 南 江、 激 澗 代 汲 井、挿 槿 当 列 墉」(傍線部B)を模式的に示したとき、住居の設備と周辺の景物の配置として最も適当なものを選べ。
イラスト選択問題。この目新しい作問の意図を好意的に解すれば、われわれがストーリー性をもった文章を読む場合、その言葉から適切な図像を立ち上げなければならない。いや、これは物語の読解に限らず、言葉を操る動物である人間にとって、抽象と具体の往還にこそ、そのコミュニケーションや思考の本質があるともいえる。その意味で、この作問はその片側(抽象→具体)の重要性を気づかせてくれるものだ。ただし、国語における、また抽象と具体の往復をそれ自体課題とする学問における問いの本来は、一度イメージしたものをそれに留めずに、再び言葉により精密に表現することを求めるものだろう。
七句から十句までの住居の設備と周辺の景物の配置の説明を踏まえ、その模式図として適切なものを選ぶ問いである。一句ごとにポイントが1つずつある。まず七句から住居が「北の皐(をか)に倚(よ)り」とあるから、選択肢を確認すると、全ての選択肢が縦長の図の真ん中にある屋敷の上に山が位置している。ここで上が北であることを確認して、八句を見ると「扉を啓きて南の江に面す」とあるから、南(下)の川に向けて門の扉が開いている②③にしぼる。九句「澗(たにがわ)を激(せきと)めて井に汲むに代へ」を踏まえ図を見ると、②は図の左(西)の谷川かは水を引いて井戸の代わりにしているが、③は井戸そのものがあるだけなので誤り。ここで②に決まるが、十句を見ると「槿(むくげ)を挿ゑて墉(かき)に列なるに当つ」となっており、樹々で家を囲っている②は妥当。②が正解。
問4 空欄Cに入る文字として最も適当なものを選べ。
空欄補充問題。五言古詩の十二句末が空欄になっている。五言の場合は偶数句末が韻を踏むので、二句末から始めて音読み(≒元の詩の読み)の母音を確かめる。二句末は「同」で「dou」、四句末は「中」は「chu」、六句末は「風」で「fu」、以下略して、この詩の韻は「u」であると決定できる。一方、選択肢で音読みの母音が「u」になるのは①窓(sou)、②空(ku)、③虹(kou)、⑤月(getsu)と4つ残る。
そこで、もう一つの漢詩の形式的特徴である対句に着目すると、該当句の十二句とそのベアである十一句が対句であることに気づくはずだ。つまり、主語の「群木」と「衆山」、副詞の「既に」と「亦た」、動詞の「羅なり」と「対す」、補語の「戸に」と「Cに」がそれぞれ対応する。これからCに当てはまる選択肢を検討すると、「戸」との対応から①「窓」が同じ家の備えとして良さそう。意味としても十一句から「木々は既に家の戸に連なっており、山々はまた窓に相対している」となり、家の南面と北面を表現していてきれいに収まる。正解は①。
問5「賞 心 不 可 忘、妙 善 冀 能 同」(傍線部D)の表現に関する説明として適当でないものを選べ。
表現説明問題。誤答選択なので、傍線部Dの形式と意味内容を把握し、選択肢を一つずつ照らし合わせ、表現法と表現意図・効果において矛盾するものは消していく。まず傍線部は十四句・十五句のセットであり、副詞の「靡迤として」と「迢逓として」、動詞の「趨き」と「瞰る」、名詞+助詞の「下田に」と「高峰を」がそれぞれ対応する対句である。意味は(注)を参考にし、「うねうねと下って田んぼに向かい、はるか遠い高い峰を仰ぎ見る」となる。
これを基準に選択肢を確認していく。①は十四句の表現のつながりについての指摘は妥当、「田園風景がどこまでも続いている」という表現効果も読み取れる。②十四・十五両句の副詞間の対句の指摘は妥当、「俗世を離れた清らかな場所」を表現という指摘も妥当。③は①の選択肢を十五句に当てはめたもので、両句の関係性(対句)からも妥当といえる。④十四・十五両句の名詞間の対句の指摘は妥当、水平方向・垂直方向への広がりも表現されている。⑤十四・十五両句の動詞間の対句の指摘は妥当だが、「田畑を耕作する世俗のいとなみが…遠いものとなった」との表現効果は、そもそも「下田に趨(おもむ)き」とあって近づいているのだから、認められない。正解は⑤。
問6「賞 心 不 可 忘、妙 善 冀 能 同」(傍線部E)とあるが、作者がこの詩の結びに込めた心情はどのようなものか。その説明として最も適当なものを選べ。
漢詩は最後の二句に主題が出やすい。その意味で最後の二句を解釈させ、主題の理解を問う問題である。傍線Eを(注)を参考に直訳すると「美しい風景をめでる心は忘れることはできない。この上ない幸福は一緒にすることができることを願うことだ」となるが、ここで誰と、何を一緒にするのかが分からない。そこで漢詩全体を見渡し、構成を把握する。前書きにあるように、この詩は失意を抱えて都から帰郷した作者が、山水に囲まれた住まいと生活を題材に詠んだものである。その風雅な様子を一頻り述べ、傍線の前の二句で蔣生の伝記を持ち出す。曰く「唯だ蔣生の径を開き、永く求羊の蹤(あと)を懐ふ」。(注)によれば「求羊」は蔣生の親友の求仲と羊仲である。それを蔣生は自宅の庭に道を作って招いたというのだ。
ここから再び最終二句である傍線部に向かうと、この美しい風景を作者の友と共に愛でたい、それを至福のものとして願うと解釈できる。選択肢は前半部「親しい仲間と一緒にながめると」でそろっているので、後半部に着目して選択肢を選ぶ。特に結論部①「どうか遠慮しないで何でも言って下さい」、②「どうか私のことはそっとしておいてください」、③「どうか我が家のことを皆に伝えてください」、④「どうか我が家においでください」、⑤「どうか我が家を時々思い出してください」を並べると④に見当がつき、中の記述も妥当である。正解は④。