目次
- 〈本文理解〉
- 問一「形而上的な経験さえ暗喩している」(傍線部A)とあるが、具体的にはどういうことか、説明せよ。(三行)
- 問二「表面だけ円くおさめて辻つまをあわせてしまう」(傍線部B)とあるが、具体的にはどういうことか、説明せよ。(三行)
- 問三「意外に遠くまでひっぱっていかれた」(傍線部C)とあるが、それはどういうことか、説明せよ。(三行)
- 問四「裸体を露わにした作品」(傍線部D)とあるが、具体的にはどういう作品か、説明せよ。(三行)
- 問五「もっと醒めた気持ちの動き」(傍線部E)とあるが、具体的にはどのような「気持ちの動き」か、説明せよ。(四行)
- 問六「言葉にもかたちにもなかなかこの「別れ路」はいいあらわせない」(傍線部F)とあるが、それはなぜか、その理由について説明せよ。(四行)
- 問七「この空想のなかには、国語教科書の宿命もまた含まれている気がする」(傍線部G)とあるが、「国語教科書の宿命」とは、具体的にはどういうことか、説明せよ。(五行)
〈本文理解〉
出典は吉本隆明の随想『国語の教科書』。筆者は在野の思想家であり、戦後日本を代表する知の巨人。
①段落。激しい夏がおわって、秋が立ちはじめる気配が、ビルとビルの間の空の高さや町筋の透明度で、身近になってくると、きっと記憶にのぼってくる歌がある。
何ゆゑに遠く来つると悔ゆる日の 出できもやせんあきに入りなば (尾上柴舟)
②段落。これは旧制中学校(わたしのばあい工業学校)の教科書の、空欄みたいなところに載っていたものだ。国文学者としての柴舟のことも、歌人としての柴舟のことも、書家としての柴舟のことも、何も知らなかった。だが、十七、八歳のとき教科書にあったこの歌は、照れくさいが、現在でも毎年のように思いだし、その情感はいまもわたし個人にとっては新鮮なものだ。この歌には、音韻と韻律と季節の情感のリアリティが、稀な幸運さで結びついていて、記憶の持続をたすけているとおもう。そして深読みすれば「何ゆゑに遠く来つる」というのが、柴舟の脚絆、草鞋ばき姿の旅ばかりでなく、「形而上的な旅の経験さえ暗喩している」(傍線部A)。高校生くらいの年齢と国語力でも、その辺のところは読めていた。柴舟からの恩恵は、それ以上拡がらなかった。だがおなじように、いまでも口の端に二、三行くらいとびとびになら浮かんでくる藤村の「千曲川旅情の歌」などは詩へ深入りしてゆくきっかけになった。…この詩では「しろがねの衾の岡辺」という詩句の「衾」の意味がよくわからず、また表現として奇異に感じられた。
③段落。後年になってからかんがえてみると「しろがねの衾」という雪に覆われた岡のあたりの光景の表現は、藤村らしさが滲みでたもので、藤村がああでもない、こうでもないと苦心したところだとおもった。そして結局は「しろがねの衾」のような、苦心しながらも「表面だけ円くおさめて辻つまをあわせてしまう」(傍線部B)ような藤村詩の特徴がよくあらわれている。教科書にのったこの藤村の詩からは、刺戟は拡がっていった。そして自分でも七五調の詩をつくって手習いをはじめるまで深入りしていった。七五調の詩は、韻律がよく滑走して気分がいいのだが、いつも事態とそれを感受したところを、円く表面的におさめてしまう気がして、自分の手習いの詩は、だんだん自由な言葉で、いいたいことをいうスタイルに移っていった。
④段落。だが教科書の藤村詩は、しだいに明治の新体詩を漁って読む方向に、わたしを誘導していった。もうひとつ国語の教科書にあった文芸作品から、「意外に遠くまでひっぱっていかれた」(傍線部C)ものがある。それは芥川龍之介の短篇「沼地」だった。中身はつぎのようなものだった。
⑤段落。「私」はある展覧会場の一つの作品にいい難い衝撃をうける。作品を凝視していると、顔見知りの嫌な美術記者が、この絵はこの展覧会に出品したがっていたが、それが出来ないうちに死んでしまった無名の画家の作品で、遺族の頼みでやっと隅に置かれたものだと語る。「私」は、「私」の鑑賞力の見当違いを、からかいたいのだと感ずる。だが、「私」はこの「沼地」という題の油絵に、鋭く自然を掴もうとした、いたましい芸術家の姿を感じ、その記者に「傑作です」と昂然としていいかえす。
⑥段落。(この作品を)暗誦するというわけにはいかず、記憶には最後の「傑作です」という「私」の言葉と、その場面のニュアンスをとどめただけだった。でもこの最後の「傑作です」という言葉のところにきて、なぜか涙ぐむような感じをうけとった当時の自分の感情の状態も、同時に長く記憶にとどまった。
⑦段落。その後、わたしは何回か芥川の作品を、いわば意図的に読む機会があった。意図的に読むと「沼地」は、芸術家気質(と芥川が信じているもの)のイメージを強調するために、やや通俗的な誇張のメーク・アップが施されていて、その分だけ作品を駄目にしている。それとともに、あらゆる軽薄さや自嘲や皮肉や、ダンディな装いの仮面のしたに、芥川が生真面目にもっていた「芸術」や「芸術家」の姿にたいする、古典的な思いいれがとてもよく出ている作品だといえる。
⑧段落。わたしたちはこの作品で、事実にちかい素材を、事実みたいに描写したフィクションに当面している。晩年の芥川はこの誇張されたメーク・アップを解体して「裸体を露わにした作品」(傍線部D)に転じるとともに、「玄鶴山房」のような本格的なフィクションを描いた。
⑨段落。ところで、わたしはここで何をいいたいのだろうと、かんがえてみる。…そんな旧懐の情念や、教科書への思いいれが、まったく無いといったら嘘のような気がするが、どうもわたしのなかには「もっと醒めた気持ちの動き」(傍線部E)があるようだ。わたしはたまたま十七、八歳の多感な時期に、国語教科書をそんな風に読み、そんな風に関心をうごかし、ある意味ではそこから深いりして、詩や批評文を書くようになった。だが、国語教科書などにあまり関心をしめさず、文学などに深いりもせず、まったく別の工業技術の世界にはいっていった生徒が、クラスのほとんどすべてであった。わたしの国語教科書への思いいれや、恩恵の記憶などに、何ら普遍性がないことは、わたし自身がいちばんよく心得ている。こんな醒めたいい方ができるのは、この文章の主題が依頼されたもので、その主題にできるだけそいながら、依頼のせめを果たそうとするモチーフが濃厚だからだともいえる。だが、とかんがえをすこし集中させてみる。するとこの文章にもかすかだが、モチーフらしいものが潜在している気がしてくる。なにかといえば「別れ路」をわたしが語りたがっていることだ。
⑩段落。すくなくともわたしの旧制中学(工業学校)時代には、国語の教科書は、古典詩歌、物語と近代詩歌、小説とから温和な抄録をつくって、それを内容としていた。これは語句の解釈や、漢字の書きとり用に読み、練習することもできたが、情感や意味をひらくための素材として鑑賞し、そこから感覚や情念の野をひろげて、教科書以外の本の世界を漁ってゆく手だてにすることもできた。現代でもたぶんおなじことで、その方法ははるかに高度になっているかもしれない。
⑪段落。ただ国語の教科書を教科書として読むことと、教科書の外の世界にもすぐにむすびついている文学作品の抄録として読むことのあいだには、かすかな「別れ路」があるとおもえる。「言葉にもかたちにもなかなかこの「別れ路」はいいあらわせない」(傍線部F)。だがこの「別れ路」の道祖神に具えられた供物に盛ってある「有益な毒」みたいなものを、誰が飢えて盗み食いして去っていったのか、誰が食べずに通りすぎていったのか、あるいは「別れ路」があることさえ気づかすに、あかるく教科書を征服して、愉快に歩いていったのか、またおよそ国語の教科書などまともに開いたことがなくても、何不自由なく自在に話し言葉をあやつって、実生活を開拓する道をいったのか、そのときのクラスの餓鬼どもの風貌ひとつひとつと照らしあわせて、たどってみられたらどんなに興味深いか、そんな空想をしてみたくなる。そして「この空想のなかには、国語教科書の宿命もまた含まれている気がする」(傍線部G)。
問一「形而上的な経験さえ暗喩している」(傍線部A)とあるが、具体的にはどういうことか、説明せよ。(三行)
内容説明問題。傍線部を一文に延ばし、「…「何ゆゑに遠く来つる」というのが(a)/柴舟の脚絆、草鞋ばき姿の旅ばかりでなく(b)/形而上的な旅の経験(c)/さえ暗喩している(d)」と分けて適切に言い換える。(a)は、「柴舟の歌の一節「何ゆゑに遠く来つる」」である。(b)は一般化して、「作者自身の旅と情感にとどまらず」とする。(c)がポイントだが、本文に言い換え表現が見当たらないので難しい。
まず、(b)との対比で、それは「読み手を巻き込む一般的な旅の情感」である。ただし、「旅の情感」と言っても、実際の旅ではない。ここでの「形而上的な旅」は人生のメタファーである。人生を旅に喩えるのはごく一般的で、筆者と読者の共通了解のうちにあると言えるからである。歌は「〜と悔ゆる日の 出できもやせん秋に入りなば」と続く。秋は都市に住む(旅先の)現代人の郷愁(秋/心)を誘い、また人生も盛り(夏)を過ぎたとき、ふと寂しさを感じる、そうした思い(c)までも柴舟の歌は喚起する(d)というのである。
〈GV解答例〉
柴舟の歌の一節「何ゆゑに遠く来つる」は、作者自身の旅と情感にとどまらず、秋に感じる郷愁や人生の盛りを過ぎた後の寂寥感までも読む者に喚起するということ。(75)
〈参考 S台解答例〉
尾上柴舟の短歌の「何ゆゑに遠く来つる」という歌い出しが、柴舟の現実的な旅装だけではなく、精神的な人生の遍歴さえも想像させるということ。(67)
〈参考 K塾解答例〉
柴舟の歌の「何ゆゑに遠く来つる」という箇所が、彼の具体的な旅の姿ばかりか、人生の後悔さえもほのめかしているということ。(59)
〈参考 Yゼミ解答例〉
柴舟の歌の「何ゆゑに遠く来つる」は、現実に自分が経験した旅を表現しているだけでなく、これまでの自分の人生における様々な悔恨をも、たとえているということ。(76)
問二「表面だけ円くおさめて辻つまをあわせてしまう」(傍線部B)とあるが、具体的にはどういうことか、説明せよ。(三行)
内容説明問題。一文で把握すると、藤村詩には、「しろがねの衾」のように、「苦心しながらも(a)/表面だけ円くおさめて辻つまをあわせてしまう(b)」面がある、となる。(b)と対応する述語表現に着目して、傍線部の2文後「(藤村詩に見られる)七五調の詩は/韻律がよく滑走して気分がいいのだが(c)/いつも事態とそれを感受したところを(d)/円く表面的におさめてしまう気がして(b)」を参考にすればよい。つまり藤村は、「詩情をそそる事態と情感(d)」を「七五調の制限に繰り込もうとして苦心しながらも(a)」、結果として「美しい韻律に仕上げてしまう(bc)」のである。
これに加え、「しろがねの衾の岡辺」が学生の筆者に「表現として奇異に感じられた」(②)ということも踏まえる。つまり、(d)を七五調に収めようとして苦心した後が「表現上の奇異さを残しながら(e)」という要素を加えておく。解答は「藤村詩は(d→a→e→bc)の面がある」とまとめる。
〈GV解答例〉
藤村詩には、詩情をそそる事態と情感を七五調の制限に繰り込もうと苦心した後が表現上の奇異さを残しながらも、美しい韻律に仕上がっている面があるということ。(75)
〈参考 S台解答例〉
島崎藤村の詩では、対象と内面について、過不足なく満ち足りた言い回しを用いて、鑑賞者が詩の内容を理解できる表現をするということ。(65)
〈参考 K塾解答例〉
雪に覆われた岡のあたりの光景やそれを感受したところを、表現に苦心しながらも、結局心地よい韻律に乗せて「しろがねの衾の岡辺」と綺麗にまとめること。(72)
〈参考 Yゼミ解答例〉
藤村は、雪に覆われた岡のあたりの光景の状況という客観と、それを感受する作者の主観を融合させる困難を、七五調の言葉で詩に心地よい韻律を生むことでうまく解決してしまうということ。(87)
問三「意外に遠くまでひっぱっていかれた」(傍線部C)とあるが、それはどういうことか、説明せよ。(三行)
内容説明問題。一文で把握すると、「もうひとつ/国語の教科書にあった文芸作品から/意外に遠くまでひっぱっていかれた(傍線部)/ものがある(→芥川の短篇「沼地」)、となる。「沼地」と「もうひとつ」の「藤村詩」により若い頃の筆者は、「明治の新体詩を漁って読む方向に誘導」(a)された(傍線部前文)。構造的にはこうなるが、aをそのまま「ひっぱっていかれた」地点にするのは甘いだろう。短篇「沼地」から明治の新体詩へ、では対応としておかしいし、「意外に遠くまで」とも言えまい。「沼地」により「ひっぱっていかれた」地点を、aとの重なる範囲で指摘する必要がある。
候補の一つは、⑦段落冒頭の「わたしは何回か芥川の作品を、いわば意図的に読む機会があった」。ただこれでは「意外に遠くまで」をカバーしない。もっと進もう。次の候補は、⑨段落「国語教科書をそんな風に読み…そこから深いりして、詩や批評文を書くようになった」。これなら「意外に遠くまで」と言えるし、aの延長ではあるが、aの作業も含むとも言える。これを採用。つまり、「国語教科書により/高校生の筆者は/詩作や批評の世界に「ひっぱっていかれた」」。
ここには、もう一つの意外性がある。筆者は、当時「工業学校」の学生で、クラスのほとんどが工業技術の世界に進んだのである(⑨)。それとまったく無縁の詩作や批評の世界に筆者は進んだ。そのきっかけは国語教科書の文芸作品であったのだ。なんとも「意外に遠く」にひっぱられたものである。
〈GV解答例〉
工業学校の国語教科書で学んだ文芸作品が筆者の記憶に残り続け、多くの生徒が進む工業技術の世界とは無縁の詩作と批評の世界に筆者が進むのを促したということ。(75)
〈参考 S台解答例〉
国語の教科書にあった文芸作品について、中身と感受した思いを記憶にとどめるだけでなく、読書の対象が広がり、さらに自分自身で創作するようになったということ。(76)
〈参考 K塾解答例〉
国語教科書に抄録された文芸作品によって、文芸とは関わりの薄い工業学校の生徒であった「わたし」が、文芸に興味を抱き、そこへと導かれていったということ。(74)
〈参考 Yゼミ解答例〉
筆者は、国語の教科書で読んだ「沼地」という作品に込められた、芸術家の姿にたいする芥川の思いいれに感銘を受け、教科書に載っている以外の文学作品を読み漁るようになったということ。(87)
問四「裸体を露わにした作品」(傍線部D)とあるが、具体的にはどういう作品か、説明せよ。(三行)
内容説明問題。芥川の作品について、「裸体を露わに」する前の作品(a)(「沼地」)との対比で「裸体を露わにした作品」(b)を具体化すればよい。傍線部の前に「メーク・アップを解体して(→D)」とあるが、この「メーク・アップ」をした状態がaと対応する。「メーク・アップ」というワードを手がかりに、前⑦段落から「芸術家気質(と芥川が信じているもの)のイメージを強調するために、やや通俗的な誇張のメーク・アップが施され」を拾う。加えて、傍線部の前文から「事実にちかい素材を、事実みたいに描写したフィクション(「沼地」)」をピックする。この2要素を合成して、aの説明を「事実に似せるために/芸術についての通俗的なイメージで/粉飾した作風」とする。
次にbについては、同じく前⑦段落より「装いの仮面のしたに、芥川が生真面目にもっていた「芸術」や「芸術家」の姿にたいする、古典的な思いいれがとてもよく出ている作品(「沼地」)」を参照して、「自らが生真面目にもつ/芸術への古典的な思い入れを/隠すことなく直接的に描写した作品」とする。その成功例が「玄鶴山房」というのである。「aを排してb」とまとめればよい。
〈GV解答例〉
事実に似せるために芸術についての通俗的なイメージで粉飾した作風を排し、自らが生真面目にもつ芸術への古典的な思い入れを隠すことなく直接的に表現した作品。(75)
〈参考 S台解答例〉
芸術家気質のイメージを強調するための誇張された表現的装飾を施さず、芥川が持つ対象や概念にたいする古典的な思い入れを率直に表現した作品。(67)
〈参考 K塾解答例〉
あるゆる軽薄さや自嘲や皮肉、ダンディな装いというやや通俗的な誇張が用いられず、芸術に対する芥川の生真面目な思いが露呈された作品のこと。(67)
〈参考 Yゼミ解答例〉
虚構を事実のように描写するために通俗的なイメージを用いて誇張するという手法を脱して、芸術や芸術家は本来こうあるべきだという芥川自身の思いいれを素直に表現した作品。(81)
問五「もっと醒めた気持ちの動き」(傍線部E)とあるが、具体的にはどのような「気持ちの動き」か、説明せよ。(四行)
内容説明問題。「もっと」というからには当然比較の対象が想定されている。解答は「aという気持ちよりも/bという気持ち/になった(変化)」というレイアウトになるだろう。aについては、傍線部の前から「ここ(本文)で何をいいたい」のかについて「旧懐の情念や、教科書への思いいれ」があった、ということである。
bについては、傍線部と同じ⑨段落の後半「わたしの国語教科書への思いいれや、恩恵の記憶などに、何ら普遍性がないことは、わたし自身がいちばんよく心得ている。こんな醒めたいい方ができるのは、この文章の主題が依頼されたもので、その主題にできるだけそいながら、依頼のせめを果たそうとするモチーフが濃厚だからだともいえる」(c)が参考になる。つまり「原稿依頼の責任を果たそうとする立場からすると/aには普遍性がないことが分かる」となる。ただし、これでは「醒めた立場の表明」にはなっても、「醒めた心の動き」の説明としては不十分だろう。
「aには普遍性がない」だから「どうなった」(変化)のか。そうたどれば、先ほどのcに続く「だが、とかんがえを集中させてみる」以降の部分「この文章にも…モチーフらしいものが潜在している/「別れ路」をわたしが語りたがっている」が浮かび上がってくる。以上より「個人的な思い(a)以上に/原稿依頼の責任を果たそうとしているうちに/「別れ路」について個人的な感慨を離れて述べたいという気持ち(b)/になった」とまとめられる。「別れ路」については「国語教科書がその後の人生を分けること」と具体化しておいた。
〈GV解答例〉
旧懐の情念や国語教科書への思いいれで論を進めているという以上に、原稿依頼の責任を果たそうとしているうちに、国語教科書がその後の人生を分けることについて、自身を離れて俯瞰的に記述したいと感じるに至った。(100)
〈参考 S台解答例〉
筆者は本稿を書くにあたり、依頼された主題にそって、せめを果たそうとする強い制作動機があるので、国語教科書への旧懐の情念、内容への思いいれや恩恵を認めながらも、それらには普遍性がないと心得るようになった。(101)
〈参考 K塾解答例〉
旧制中学時代に出会った国語教科書に対する懐かしい記憶や与えられた恩恵や教科書はかくあるべきだという思いがあるのは確かだが、そうした思いは「わたし」個人を超えて万人にはあてはまらないという自覚はある。(99)
〈参考 Yゼミ解答例〉
自分は国語教科書を契機として詩や批評文を書くようになったので、それを懐かしむ気持ちや、教科書は心に響く内容にすべきという思いもあるが、それは他の人に適用できない自分固有の思いや経験だとわかっているという気持ちの動き。(108)
問六「言葉にもかたちにもなかなかこの「別れ路」はいいあらわせない」(傍線部F)とあるが、それはなぜか、その理由について説明せよ。(四行)
理由説明問題。傍線部の前後を見渡しても包括的・客観的理由は記述されていないように思われる。ただし、ここで「「別れ路」はいいあらわせない」というのは筆者自身においての不可能性の言明であって、筆者の主観に基づく理由を指摘すればそれで足りる。
「別れ路」とは指示語「この」をたどって、「教科書を教科書として読むことと文学作品の抄録として読むこと」との「別れ路」である。なぜ、この「別れ路」を筆者にはいいあらわせないのか。2段落戻って⑨段落「わたしはたまたま十七、八歳の多感な時期に、国語教科書をそんな風に読み…詩や批評文を書くようになった。だが、国語教科書などにあまり関心をしめさず…まったく別の工業技術の世界にはいっていった生徒が、クラスのほとんどすべてであった。わたしの国語教科書への思いいれや、恩恵の記憶などに、何ら普遍性がないことは、わたし自身がいちばんよく心得ている」という記述が参考になる。つまり、「筆者自身、工業学校出身でありながら国語教科書の文学作品に惹かれ詩作と批評の世界に進んだ、その必然性が見出せない」→「教科書を教科書として読まず文学作品の抄録として読むことの契機が把握できない」→「「別れ路」はいいあらわせない」(傍線部)という論理になる。
〈GV解答例〉
筆者自身、工業学校出身でありながら国語教科書にある文学作品に惹かれ詩作と批評の世界に進んだことの必然性を見出せない以上、教科書を教科書として読まず文学作品の抄録として読むことの契機が把握できないから。(100)
〈参考 S台解答例〉
国語の教科書を、語句の解釈や漢字の書き取りの手段として読むのか、鑑賞を通して感覚や情念を育み、教科書以外の本の世界に繋がる文学作品の抄録として読むかは、生徒自身が何に興味や関心を持つかによって異なるから。(102)
〈参考 K塾解答例〉
教科書として読むことと、教科書の外の世界に直結する文学作品の抄録として読むこととの間に「別れ路」があるとかすかに感じていたが、それが明確になるのは「別れ路」を通り過ぎた後になってのことだから。(96)
〈参考 Yゼミ解答例〉
国語の教科書を、言葉の意味や漢字を学ぶだけのものとして読む人もいれば、文学作品の抄録として読んで心を動かされたり関心をもったりした経験から教科書の外の世界に進んでいく人もいるのだが、その分岐は人それぞれだとしか言いようがないから。(115)
問七「この空想のなかには、国語教科書の宿命もまた含まれている気がする」(傍線部G)とあるが、「国語教科書の宿命」とは、具体的にはどういうことか、説明せよ。(五行)
内容説明問題(主旨)。傍線部は本文最終文にある。最終の2段落の中で類型化された、国語の教科書の使われ方についての記述を参考にして、その性格上そうならざるをえない国語教科書の「宿命」をまとめる。⑩段落では2つの使われ方、「語句の解釈や、漢字の書きとり用に読み、練習する」パターン(a)と、文学作品の抄録として提示された内容から「情感や意味をひらくための素材として鑑賞し、そこから感覚や情念をひろげて、教科書以外の本の世界を漁ってゆく手だてにする」パターン(b)が挙げられている。
⑪段落には、「「別れ路」の道祖神に具えられた供物に盛ってある「有益な毒」みたいなもの」を盗み食いするパターン(c)と食べずに通りすぎるパターン(d)、あるいは「別れ路」にも気づかず「あかるく教科書を征服して、愉快に歩いてい」くパターン(e)、また「教科書などまともに開いたことがなくても、何不自由なく自在に話し言葉をあやつって、実生活を開拓する」パターン(f)が挙げられている。
以上の具体的で比喩的な表現を一般化しながら整理する。まず、bとcは同じ方向を指し、筆者がそうであったように特殊なケースである。この(b=c)「教科書に抄録された文学作品を通して感覚や情念の野をひろげていく」ケースと他(a,d,e,f)との間に「別れ路」があることに注意したい。それで一般的なケース(a,d,e,f)の方は「(教科書は)日本語の基本的な運用を伝え(a)/立身を支える手段となる(de)/または教科書に頼らずとも実生活を支障なく過ごす(f)」とまとめた。
その上で、「国語教科書の宿命」という言葉を吟味しよう。「別れ路」の片側、一般的なケース(a,d,e,f)では教科書の内容である「文学作品の温和な抄録」としての側面は十分に顧みられず通過される。あくまで実用的なものとしてしか価値を持たない。それに対して、もう片側の特殊なケース(b=c)においてこそ、「文学作品の温和な抄録」としての教科書の面目躍如と言えまいか。でもそれは「実用性」という意味では道を迷わせるものかもしれない(「有益な毒」)。以上より、「国語教科書は/(a,d,e,f)においては打ち捨てられていくものだが/ときに(b=c)において本来的使命を果たすものだ」とまとめた。
「実用国語」というものについて考えさせられる。
〈GV解答例〉
国語教科書は、日本語の基本的な運用を伝え立身を支える手段となり、また教科書に頼らずとも実生活にはさして支障はなく、打ち捨てられていくものだが、ときに抄録された文学作品を通して日本人の標準的な感覚や情念を開き、その本来的な使命を果たすものだということ。(125)
〈参考 S台解答例〉
教科書を実用的な国語学習の手段としてのみ用いる者もいれば、教科書を精読して記憶にとどめるのみならず、読書の幅を広げたり、さらに創作活動をしたりする者もいることからわかる通り、国語教科書をどう読むかは人によって異なり、一定ではないこと。(117)
〈参考 K塾解答例〉
国語教科書に抄録された文学作品によって生徒を文学世界に引き入れたり引き入れなかったり、単なる学習教材として国語教科書が生徒に読まれたり、生徒にまともに読まれることもなく実生活における言語使用になんら寄与しなかったりするという宿命。(115)
〈参考 Yゼミ解答例〉
国語教科書の内容は、教科書である以上、必然的に言葉や文章を学ぶのに適した文学作品の抄録になる。また、そこにある作品が契機となって教科書の外の世界に進んでいく人がいるとしても、それを目的としてつくるわけにもいかないし、影響は人によって違うので、そもそも不可能だということ。(136)