10月になりましたが、9月の前半に一度収まりかけた新感染者が再び盛り返してきました。日本でのコロナの感染状況は、欧米諸国と比べると感染者、死亡者数とも格段に少ない状況にあります。ただ、PCR検査の拡充やロックダウンでコロナの封じ込めに成功した東アジアの隣国と比べると、感染者、死亡者数とも断続的に増加している状況を止めることができていません。ともあれ、日本政府は「withコロナ」で経済を回す政策を選択したので、ワクチンが流通するまでは今のような状況が続いていくと思われます。安全なワクチンの開発から流通までには、少なくとも一、二年は要するでしょう。
2019年の末、中国の武漢で発生した新型コロナウイルス(COVID-19)は、その潜伏力の強さから瞬く間にパンデミックをもたらしました。世界経済へのダメージも大きくOECD最新の試算で、今年の成長率、世界では−4.5%、日本では−5.8%と予測されています。日本でも3月から4月にかけての流行拡大は記憶に新しいところです。4月の半ばには全県での緊急事態宣言が出され、新学期開始が5月後半まで延び、飲食業などでは十分な補償を約束されないまま臨時の休業を余儀なくされました。マスクの供給も滞り、少し遅れてアベノマスクの支給などの珍政策もありましたね。多くの大学でも今年はオンライン授業で、キャンパスへの立ち入りも制限されています。
そして政府のGoToキャンペーンの前倒し実施と合わせるように、早くも7月後半にはコロナの第2波が到来しました。第2波については、第1波の経験で医療の体制が整備された面もあり死亡者数は低く抑えられていますが、日毎の感染者数は沖縄でも3桁を超えたこともあり、前回の3倍程度の感染規模です。しかし、今回は学校休校や事業者に対する休業の要請は抑制されたものでした。おそらく政府の方針と相まって、メディアなどでの注意喚起も弱まっている感じです。こうした中で、世の中にはコロナ疲れ、あるいはコロナへの慣れが強まっているように思えます。グレイトヴォヤージュでもマスクの持参と、対面で話す場合のマスク着用をお願いしています。多くは守られているようですが、目を離すとマスクを忘れて話しこんでいる生徒を見かけます。
先日、アメリカのトランプ大統領とその周囲の人たちのコロナ感染がニュースになりました。トランプ氏も年末の大統領選挙に向けて精力的に支持者向けの集会を行っていますが、その集会において十分な社会的距離がとられていない上、マスクの着用者が少ないことが指摘されていました。マスクの効用は、主にマスク着用者からの飛沫による感染を防ぐことにあると言われています。同時にそれは万全ではなく、特に換気の悪い空間では空気感染も起こることが指摘されています。コロナに対する科学的知見は、まだ十分でないにしろ、上のBBCのフィルムで示したように日々更新されています。
われわれは不確実な世界を生きています。どんな科学的仮説も確実に未来を予測するものではなく、蓋然性(確からしさ)の範疇にあります。また、どの立場をとるかにより、科学は正反対の事実を支持することもあります。しかし、このことは科学への不信、あるいは反知性主義(Anti-intellectualism)を正当化するものではありません。科学はそういうものとして過信することなく、それでもやはり不確実な状況に対しては科学的な知見を持つ専門家(このケースでは医師)の見解を尊重する必要があります。知識はあなたを守ってくれます。ただし、溢れる情報の中から、より蓋然性の高い情報を吟味・構成するスキルは必要になりますね。
もう一つ、マスクをしない人が至近で話すことを嫌う人がいて、これには科学的な合理性があります。「他人の嫌がることはしない」、これは自由の消極的な(最小限の)規定です。自由の擁護者であるJ.Sミル(英、主著『自由論』)に従うならば、「他人の嫌がることはしない」という機制(メカニズム)を個々人が内面化してこそ自由の領域が最大化される、ということです。
今は勢い盛んで自分のことは自分で責任持てると思っている人も、他人の支えがないと生きることができません。今の自分の力のほとんどは偶然性に支えられており、パスカルの言うように人間なぞは宇宙で最も弱い「一本の葦」にすぎない。ただし、人間は「考える」という美徳を持つことで、その広大な宇宙をも包む。あなたを守るものは、知識と、そして他者(猫も含む)です。他者を大切に扱うことは、あなた自身を大切にすることです。どうか、このことを心に留めておいてください。 (グレイトヴォヤージュ国語・社会科 大岩)
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