出典
<本文理解>
①段落。フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか(話題の提示)。
②段落。(確かに…)。しかし、妖怪が明らかにフィクションの世界に属する存在としてとらえられ、そのことによっておひただしい数の妖怪を題材とした文芸作品、大衆芸能が創作されていくのは、近世も中期に入ってからのことなのである。つまり、フィクションとしての妖怪という領域自体が歴史性を帯びたものなのである。(近世=Y)
③段落。妖怪はそもそも、日常的理解を超えた不可思議な現象に意味を与えようとする民俗的な心意から生まれたものであった。(人間はつねに…)。ところが、時たま、そうした日常的な因果了解では説明のつかない現象に遭遇する。…このような言わば意味論的な危機に対して、それをなんとか意味の体系のなかに回収するために生み出された文化的装置が「妖怪」だった。それは人間が秩序ある世界のなかで生きていくうえでの必要性から生まれたものであり、それゆえに切実なリアリティをともなっていた。「民間伝承としての妖怪」(傍線部A)とは、そうした存在だったのである。(近世以前=X)
④段落。妖怪が意味論的な危機から生み出されたリアリティを帯びた存在であるかぎり、それをフィクションとして楽しもうという感性は生まれえない。フィクションとしての妖怪という領域が成立するには、妖怪に対する認識が根本的に変容することが必要なのである(X→Y)。
⑤段落。妖怪に対する認識がどのように変容したのか。そしてそれは、いかなる歴史的背景から生じたのか。本書ではそのような問いに対する答えを、「妖怪娯楽」の具体的な事例を通して探っていこうと思う。(「本書」の主題と方法論。「本文」は「本書」の一部で、その前書きに当たる)。
⑥段落。妖怪に対する認識の変容を記述し分析するうえで、本書ではフランスの哲学者ミシェル・フーコーの「アルケオロジー」の手法を援用することにしたい。
⑦段落。(通常…)、フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組み(「エピステーメー」)の変容として歴史を描き出す試みのことである。(以下⑧段落までフーコーに基づくアルケオロジーとエピステーメーの説明)。
⑨段落。本書では、このアルケオロジーという方法を踏まえて、日本の妖怪観の変容について記述することにしたい(X→Y)。それは妖怪観の変容を「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述する試みである。…
⑩段落。では、ここで本書の議論を先取りして「アルケオロジー的方法」(傍線部B)によって再編成した日本の妖怪観の変容について簡単に述べておこう(X→Y)。
⑪段落。中世において、妖怪の出現は多くの場合「凶兆」として解釈された。…すなわち、妖怪は神霊からの「言葉」を伝えるものという意味で、一種の「記号」だったのである。(所与の記号→読み取り)…(X)
⑫段落。「物」が同時に「言葉」を伝える「記号」である世界。こうした認識は、しかし近世において大きく変容する(以下Yの説明)。「物」にまとわりついていた「言葉」や「記号」としての性質が剥ぎ取られ、はじめて「物」そのものとして人間の目の前にあらわれるようになるのである。…妖怪もまた博物学的な思考、あるいは嗜好の対象となっていくのである。
⑬段落。この結果「記号」の位置づけも変わってくる。(かつて…X)。しかし、近世においては「記号」は人間が約束事のなかで作り出すことができるものとなった。これは「記号」が神霊の支配を逃れて、人間の完全なコントロール下に入ったことを意味する。こうした「記号」を、本書では「表象」と呼んでいる。…
⑭段落。「表象」は、(意味を伝えるものであるよりも、むしろ)その形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」である。妖怪は、(「言葉」や意味の世界から切り離され)名前や視覚的形象によって弁別される「表象」となっていった。それはまさに、現代でいうところの「キャラクター」であった。そしてキャラクターとなった妖怪は(完全にリアリティを喪失し)フィクショナルな存在として人間の娯楽の題材へと化していった。…こうした「妖怪の「表象」化」(傍線部C)は、人間の支配力があらゆる局面、あらゆる「物」に及ぶようになったことの帰結である。…(以上⑫〜⑭段落はYの説明)
⑮段落。だが、近代になるとこうした近世の妖怪観はふたたび編成しなおされることになる。「表象」として、リアリティの領域から切り離されてあった妖怪が、以前とは異なる形でリアリティのなかに回帰するのである。…(Y→Z(近代))
⑯段落。(「表象」を成立させていたのは人間の力の絶対性であった)。ところが近代になると、この「人間」そのものに根本的な懐疑が突きつけられるようになる。人間は「神経」の作用、「催眠術」の効果、「心霊」の感応によって容易に妖怪を「見てしまう」不安定な存在、「内面」というコントロール不可能な部分を抱えた存在として認識されるようになったのだ。(かつて…)妖怪たちは、今度は「人間」そのものの内部に棲みつくようになったのである。
⑰段落。そして、こうした認識とともに生み出されたのが、「私」という近代に特有の思想であった。謎めいた「内面」を抱え込んでしまったことで、「私」は私にとって「不気味なもの」となり、いっぽうで未知なる可能性を秘めた神秘的存在となった。妖怪は、まさにこのような「私」を投影した存在としてあらわれるようになるのである。(以上⑮〜⑰段落はZの説明)
⑱段落。以上がアルケオロジー的方法によって描き出した、妖怪観の変容のストーリーである(X→Y→Z)。
問1(漢字の書き取り)
(ア)民俗 (イ)喚起 (ウ)援用 (エ)隔てる (オ)投影
問2 傍線部A「民間伝承としての妖怪」とは、どのような存在か。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。問2から問4までは、従来通りの傍線部を引いた内容説明問題である。ただし、いずれも傍線部が短く、半ばマニュアル化している傍線部を要素に分けて言い換えるといった方式は通用しないタイプの問題である。センター晩年から2度の共通テスト試行問題にかけて、短い傍線部問題あるいは傍線部を引かない問題が顕著に見られた。この場合、傍線部あるいは設問条件で話題になっている該当箇所を特定し、その部分の要旨を適切に説明したものが正解となる。形式段落や意味段落の要旨を把握しながら読み進めるという至極真っ当な姿勢が求められていると言える。
傍線部「民間伝承としての妖怪」(X)は③段落の締めにあり、「Xとは、そうした存在だったのである」と続くので、③段落の要旨を踏まえて正解を導けばよい。また、前②段落の近世中期以降に顕著になった「フィクションとしての妖怪」(Y)との対比も意識する。これより、Xは近世以前の「日常的な因果了解では説明のつかない現象(a)」を「意味の体系のなかに回収するために生み出された文化的装置(b)」としての妖怪ということになる。「人間の理解を超えた不思議な現象に(a)/意味を与え日常世界のなかに導き入れる存在(b)」としている①が正解。②「フィクションの領域」、③「未来への不安」、④「意味の体系のリアリティを…気づかせる」が明らかにダメ。⑤はb要素が欠けている。〈正解①〉
問3 傍線部B「アルケオロジー的方法」とは、どのような方法か。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。傍線部は⑨段落冒頭にあるが、指示語「この」に導かれるので、筆者が援用しているフーコーに基づくアルケオロジーの定義(⑦⑧)に戻る。特に「フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組み…の変容として歴史を描き出す試みのことである(a)」という記述が端的にそれを説明している。加えて、傍線部の直後の指示語以下、「それ(←B)は妖怪観の変容を「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述する試みである」も(a)を具体的に言い換えたものとして踏まえておく。
以上より、②「…秩序を認識し思考することを可能にしている知の枠組みをとらえ、その枠組みが時代とともに変容するさまを記述する方法」がaと一致しており正解。①「考古学に倣い」、③「要素ごとに分類して整理」、④「ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析」、⑤「歴史的事象を「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性に即して接合し」が明らかにダメ。〈正解②〉
問4 傍線部C「妖怪の『表象』化」とは、どういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。「〜化」は、ある事態から別の事態への変化を表す。傍線部を導く「こうした」も合わせて捉え直すと「こうした妖怪の『表象』化」は、⑩段落「日本の妖怪観の変容」と対応していることが見えてくる。その間、⑪段落が「中世の妖怪観(X)」を説明しているのに対して、⑫段落の2文目「しかし」以降、⑭段落「こうした」の直前までが「近世の妖怪観(Y)」の説明となる。そして、Xが「記号」と対応するのに対し、Yが「記号」と分離したときの「表象」と対応するのである。
こうした着眼の上に立って、「記号=X」と「表象=Y」を整理すると、X「神霊からの「言葉」/所与性/リアリティ」に対し、Y「人間によるコントロール/人工性(約束事)/フィクション/キャラクター/娯楽の題材」となる。解答は「XからYへ…」という形が望ましい。また、傍線部の述部となる「人間の支配力が世界のあらゆる局面に及ぶことになった帰結である」(a)も踏まえておく。
積極的に選択肢を選ぶと、「XからYへ」を前半に繰り込んだ②と⑤のうち、後半を「架空の存在として楽しむ対象になった」としている②が内容として妥当。⑤は「人間の性質を戯画的に」が明らかにダメ。ほか①は「人間が人間を戒めるための道具になった」、③「人間世界に実在するかのように感じられるようになった」が対比を混同した誤り。④は「人間のちからが世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになった」がaより、因果を混同していてダメ。〈正解②〉
問5 この文章を授業で読んだNさんは、内容をよく理解するために【ノート1】〜【ノート3】を作成した。本文の内容とNさんの学習の過程を踏まえて、(ⅰ)〜(ⅲ)の問いに答えよ。
(ⅰ) Nさんは、本文を【ノート1】のように見出しをつけて整理した。空欄[Ⅰ][Ⅱ]に入る語句の組み合わせとして最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。
空撮補充問題。問5は読後ノートに空欄が設けられており、それを補充する問題。形式的には、共通テストへの移行に伴う新傾向の問題と言える。(ⅰ)については、意味段落に小見出しをつける問題。形式的には新しいが、従来のセンター試験でも最後の小問で本文の構成と展開について問うのは頻出パターンであった。その意味で、本文構成や意味段落(意味のまとまり)を意識して読むことの重要性は変わらないし、むしろ本問の場合、初めから意味段落に分けてあるので易しめだと言える。
【ノート1】では、本文をまず「問題の設定(①〜⑤段落)」「方法論(⑥〜⑨段落)」「日本の妖怪観の変容(⑩〜⑱段落」と分け、各々をさらに細かい意味段落に分けた上で、それらに小見出しをつけている。そのうち、②〜③段落と④〜⑤段落の小見出しが空欄[Ⅰ][Ⅱ]なっており、そこに当てはまる適切な小見出しの組み合わせを選ぶ形式となっている。
分かりやすい方から。⑤段落の全3文が「妖怪に対する認識がどのように変容したのか。そしてそれは、いかなる歴史的背景から生じたのか。…そのような問いに対する答えを…探っていこうと思う」とあるから、II を「いかなる歴史的背景のもとで、どのように妖怪認識が変容したのかという問い」としている、選択肢③と④にしぼることができる。その上で、②段落は「フィクションとしての妖怪(Y)」は近世中期以降に成立した捉え方であること、それを受けた③段落は近世以前の「民間伝承としての妖怪(X)」についての指摘であること、を考え合わせると、I を「妖怪に対する認識の歴史性」としている④が正解。③の I 「娯楽の対象となった妖怪の説明」はYしかカバーしておらず不十分。〈正解④〉
(ⅱ) Nさんは、本文で述べられている近世から近代への変化を【ノート2】のようにまとめた。空欄[Ⅲ][Ⅳ]に入る語句として最も適当なものを、後の各群の①〜④のうちから、それぞれ一つずつ選べ。
空欄補充問題。【ノート2】は「近世と近代の妖怪観の違いの背景」の説明となっている。【ノート1】の意味段落小見出しも参考にして、⑫〜⑭段落から近世の妖怪観(Y)、⑮〜⑰段落から近代の妖怪観(Z)を把握し、それから空欄[Ⅲ][Ⅳ]に相当する選択肢を選べばよい。
[Ⅲ]は③「視覚的なキャラクターとしての妖怪」が適当。①「恐怖を感じさせる」、②「神霊からの言葉を伝える記号」は中世の妖怪観(X)に相当する。④は「人を化かす」という限定が余計。
[Ⅳ]は④「不可解な内面」が適当。他の選択肢は論外で易しいが、空欄を含む一文の構文「近代に入ると[Ⅳ]が認識されるようになったことで(前提)→近代の妖怪は…リアリティを持った存在として現れるようになった(帰結)」にも注意を払い、帰結を導くのにふさわしい選択肢を選ぶという視点も持っておきたい。〈[Ⅲ]は③、[Ⅳ]は④〉
(ⅲ) 【ノート2】を作成したNさんは、近代の妖怪観の背景に興味をもった。そこで出典の『江戸の妖怪革命』を読み、【ノート3】を作成した。空欄[Ⅴ]に入る適当なものを、後の①〜⑤のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。はじめに【ノート3】をしっかり分析する。ノートでは、まず「本文⑰段落には近代において「私」が私にとって「不気味なもの」となったということが書かれていた」ことに着目する。次に、本文の出典の別箇所で「ドッペルゲンガーや自己分裂を主題とした小説」として芥川龍之介の「歯車」が引用されていたとし、ノートでもその一節を示している。最後に考察部で、ドッペルゲンガーの説明をまとめた後に空欄[Ⅴ]が置かれ、続けて「⑰段落に書かれていた「『私』という近代の特有の思想」とは、こうした自己意識を踏まえた指摘だったことがわかった」と締めている。
選択肢は全て3文構成になっていて、「『歯車』の僕は…。僕は…。これはPであることの例にあたる」と揃っていることに着目したい。最初の2文の判定には芥川の引用を吟味することが必須である(空欄前からアプローチ)。一方、3文目のPは「こうした自己意識=『私』という近代特有の思想(⑰)」と対応しているはずである(空欄後からアプローチ)。ここでは、まず「後からアプローチ」を採用したい。
「『私』という近代特有の思想」において、「私」は「謎めいた『内面』を抱え込んでしまったことで…私にとって「不気味なもの」となり、いっぽうで未知なる可能性を秘めた神秘的な存在となった」(⑰)。これと対応するPを持つ選択肢は、②「『私』が自分自身を統御できない不安定な存在」、⑤「『私』が自分で自分を制御できない部分を抱えた存在」となる。①「他人の認識のなかで生かされる」、④「『私』という分身にコントロールされてしまう」が明らかにダメ。④は近代の自己意識の一面(ポジサイド)を踏まえていると言えるが、ここでの文脈はネガサイドなので、やはり不適当。
次に、太宰の引用と空欄前の考察部からのつながりで(前からアプローチ)残った選択肢②⑤を判定する。②は1文目、2文目ともに妥当。2文目前半の「僕は自分でドッペルゲンガーを見たわけではないのでひとまずは安心しながらも」は、考察部「ドッペルゲンガーを見た者は死ぬと言い伝えられている」と引用部「第二の僕…僕自身には見えたことはなかった」に対応している。2文目後半部「(僕は)もう一人の自分に死が訪れるのではないかと考えていた」は、引用部「死はあるいは僕よりも第二の僕に来るかも知れなかった」と対応している。一方、⑤の2文目後半「(僕は)他人にうわさされることに困惑している」が明らかに誤り。「僕」は、K君の夫人に身に覚えのないことを言われたことで当惑したのである。〈正解②〉