〈本文理解〉

出典は松島健「ケアと共同性ーー個人主義を超えて」

 

①段落。「近代化」は、それがどの範囲の人びとを包摂するかによって異なる様相を示す。「第一の近代」と呼ばれるフェーズでは、市民権をもつのは一定以上ほ財産をもつ人にかぎられている。…市民権の拡大とともに今度は、社会的所有という考えにもとづき財を再分配する社会保障制度によって「第一の近代」から排除されていた人びとが包摂され、市民としての権利を享受できるようになる。…それでも、理念的には国民全体を包摂するはずの福祉国家の対象から排除される人びとはつねに存在する。
 
 
②段落。人類学者が調査してきたなかには、すでに国民国家という枠組みに包摂されたなかで生きる人たちもいる。ただそこには、なんらかの理由で国家の論理とは別の仕方で生きている人たちがいて、そうした人たちから人類学は大きなインスピレーションを得てきた。ここでは、国家のなかにありながら福祉国家の対象から排除された人びとを形づくる生にまつわる事例を二つ紹介しておこう。
 
 
③段落。第一の例は、田辺繁治が調査したタイのHIV感染者とエイズを発症した患者による自助グループに関するものである。(1980年代末から90年代初頭の爆発的な感染)そのなかでタイ国家がとった対策は、感染していない国民の感染予防であり、その結果すでに感染していた者たちは逆に医療機関から排除され、さらには家族や地域社会からも差別され排除されることになった。孤立した感染者・患者たちは、生き延びるために…情報を交換し、徐々に自助グループを形成していった。
 
 
④段落。HIVをめぐるさまざまな苦しみや生活上の問題に耳を傾けたり、マッサージをしたりといった相互的なケアのなかで、感染者たちは自身の健康を保つことができたのだ。それは「新たな命の友」と呼ばれ、医学や疫学の知識とは異なる独自の知や実践を生み出していく。そこには非感染者も参加するようになり、「ケアをする者とされる者という一元的な関係とも家族とも異なったかたちでの、ケアをとおした親密性」(傍線部ア)にもとづく「ケアのコミュニティ」が形づくられていった。「近代医療全体は人間を徹底的に個人化することによって成立するものであるが、そこに出現したのはその対極としての生のもつ社会性」(田辺)だったのである。
 
 
⑤段落。こうした社会性は、福祉国家における公的医療のまっただなかにも出現しうる。たとえば筆者が調査したイタリアでは、精神障害者は20世紀後半にいたるまで精神病院に隔離され、市民権を剥奪され、実質的に福祉国家の対象の埒外に置かれていた。なぜなら精神障害者は社会的に危険であるとみなされていて、彼らから市民や社会を防衛しなければならないと考えられていたからである。…
 
 
⑥段落。しかしこうした状況は、精神科医をはじめとする医療スタッフと精神障害をもつ人びとによる改革によって変わっていく。60年代に始まった反精神病院の動きは…最終的にイタリア全土の精神病院が閉鎖されるまでに至る。病院での精神医療に取って代わったのは地域での精神保健サービスだった。これは医療の名のもとで病院に収容する代わりに、苦しみを抱える人びとが地域で生きることを集合的に支えようとするものであり、「『社会』を中心におく論理から『人間』を中心におく論理への転換」(傍線部イ)であった。精神医療から精神保健へのこうした転換は…医療を介した管理と統治の論理とは異なる論理が出現したことを意味している。
 
 
⑦段落。その論理は、私的自由の論理というより共同的で公共的な論理であった。…
 
 
⑧段落。二つの人類学的研究から見えてくるのは、個人を基盤にしたものとも社会全体を基盤におくものとも異なる共同性の論理である。この論理を、明確に取り出したのがアネマリー・モルである。(糖尿病の外来診察室でフィールドワークを行った)彼女は、糖尿病をもつ人びとと医師や看護師の協働実践に見られる論理の特徴を「ケアの論理」として、「選択の論理」と対比して取り出してみせた。
 
 
⑨段落。「選択の論理は個人主義にもとづくものである」(傍線部ウ)が、その具体的な存在のかたちは市民であり顧客である。この論理の下で患者は顧客となる。顧客はみずからの欲望にしたがって商品やサービスを主体的に選択する。…これはよい考え方のように見える。ただこの選択の論理の下では、顧客は一人の個人であり、孤独に、しかも自分だけの責任で選択することを強いられる。しかも選択するには自分が何を欲しているかあらかじめ知っている必要があるが、それは本人にとってもそれほど自明ではない。
 
 
⑩段落。対してケアの論理の出発点は、人が何を欲しているかではなく、何を必要としているかである。それを知るには、当人がどういう生活をしていて、何に困っているか…などを理解しなければならない。重要なのは、選択することではなく、状況を適切に判断することである。
 
 
⑪段落。そのためには感覚や情動が大切で…身体に深く棲みこむことが不可欠である。脆弱であり予測不可能で苦しみのもとになる身体は、同時に生を享受するための基体でもある。この薬を使うとたとえ痛みが軽減するとしても不快だが、別のやり方だと痛みがあっても気にならず心地よいといった感覚が、ケアの方向性を決める羅針盤になりうる。それゆえケアの論理では、身体を管理するのではなく、身体の世話をし整えることに主眼がおかれる。そこではさらに、身体の養生にかかわる道具や機械、他の人との関係性など、かかわるすべてのものについて絶え間なく調整しつづけることも必要となる。つまりケアとは、「ケアをする人」「ケアをされる人」の二者間の行為ではなく、家族、関係のある人びと、同じ病気をもつ人びと、薬、食べ物、道具、機械、場所、環境などすべてからなる共同的で協働的な作業なのである。「それは、人間だけが行為主体と見る世界像ではなく、関係するあらゆるものに行為の力能を見出す生きた世界像につながっている」(傍線部エ)。

問一「ケアをする者とされる者という一元的な関係とも家族とも異なった形での、ケアをとおした親密性」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(2行)

内容説明問題。抽象化の水準について考えてみたい。具体例を何の配慮もなく使うのは一般性を欠いた説明となり不適切なのは言うまでもないとして、過度に抽象化した説明も対象がぼやけてしまい同じく適切とは言えない。本問の傍線部は「国家のなかにありながら福祉国家の対象から排除された人びとが形づくる生にまつわる事例」(②段落)2つのうち、1つ目の事例「タイのHIV感染者とエイズを発症した患者による自助グループに関するもの」の概要(③)を承け、それをまとめる(抽象化する)箇所(④)にある。これが仮に2つの事例の双方を承けたものならば、2つの事例を包括する一般性を示さなければならないが、本問の場合は1つ目の事例の条件に拘束されることになる。
 
 
もう一つ。傍線部の要素をもれなく説明するとして、どの要素に説明の重点をおくべきか。傍線部には指示語や本文で特別に規定された用語なども見当たらないようだ。例えば、「ケア」という語を換言しようと必死になるのは馬鹿げたことだ。ここでの「ケア」など一般的な使用の範囲での「ケア」に過ぎないし、無理な換言は傍線部の意味に接近するどころか、そこから遠ざけることになる。ここで具体化べきは「ケアをとおした親密性」、つまり「ケア」と「親密性」をつなぐ論理(因果関係)である。
 
 
以上の考察を踏まえ、③④段落を参照しながら傍線部を適切な論理として説明する。まず「ケアをとおした親密性」の主体は「孤立した感染者・患者(たち)」である。それは「医療機関から排除され(a)/家族や地域社会からも…排除され(b)」た存在である。この要素を盛り込むことで、傍線前半の要素「ケアをする者とされる者という一元的な関係とも(a)/家族とも異なった(b)」をカバーできる。「ケアをとおした親密性」については「生き延びるために/相互的なケアのなかで/徐々に自助グループを形成していった」を拾う。その上で「ケア→親密性」の論理を強調し、後半を「…感染者・患者が、生存をかけて相互にケアを施した結果、強固な絆(←親密性)が生じた」とまとめた。

 

〈GV解答例〉
医療機関に加え、家族や地域からも排除され、孤立した感染者・患者が、生存をかけて相互にケアを施した結果、強固な絆が生じたということ。(65)

 

〈参考 S台解答例〉
見知らぬ間柄だが同じ問題を共有する人たちが、互いを支え合うことでこれまでにない社会的なつながりを作りあげたということ。(59)

 

〈参考 K塾解答例〉
感染者が医療従事者や家族から世話を受けるのではなく、非感染者を含めて助け合いながら独自の知や実践を培うなかで絆を深めていくこと。(64)

 

〈参考 Yゼミ解答例〉
病者と治療者、病者と家族という一方的な結びつきではなく、病の中で生き抜くための情報を共有し、互いに生を支え合う相互的な関係性。(63)

 

〈参考 T進解答例〉
医療における主客の明確な関係とも、血縁関係とも異なる、福祉国家の対象から排除された人々の生の保持のための、相互的な協働実践のなかで生じた共同性。(72)

問二「『社会』を中心におく論理から『人間』を中心におく論理への転換」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(2行)

内容説明問題。「『社会』を中心におく論理」(A)と「『人間』を中心におく論理」(B)を対比的に説明することがポイントであることは見やすい。本問も問一と同様、傍線部が具体例(「国家のなかにありながら福祉国家の対象から排除された人びとが形づくる生にまつわる事例」(②)の2つ目)を承け抽象化した箇所にある。よって抽象化の水準を適切にチューニングする必要がある。ここでも問一同様、構造上、直前の事例の条件に拘束されるが、ただ今回は問一よりも傍線部自体の抽象度が高いので、その分拘束の度合(具体化の度合)も弱いものになる。
 
 
Aは⑤段落、Bは傍線のある⑥段落を参照する。Aについては「精神障害者は社会的に危険であるとみなされ/彼らから市民や社会を防衛しなければならない/社会を守るための隔離と収容」を踏まえ、「社会を防衛するために/異質な分子を/排除する論理」とした。「異質な分子」とは、ここでの「精神障害者」を一般化したものである。
 
 
Bについては「精神病院を廃止する法律の制定//地域での保健サービス/苦しみを抱える人びとが地域で生きることを集合的に支える」を踏まえるが、具体的すぎて解答に乗せにくい。そこで、先に仕上げたAを対比的に裏返し「そこに住まう全ての人を/支えために/社会の方を変更する論理」とした。「精神障害者→苦しみを抱える人びと」に留めずに「そこに住まう全ての人びと」としたのは福祉国家の外延にある社会的弱者を支えることは、つまるところ全ての人を支えることになるという理解に基づく。そして、その方が傍線部の「『人間』を中心におく」という水準に合致すると言えるからである。「Aを改めBを採用した」と「転換」を表現し、仕上げとした。

 

〈GV解答例〉
社会を防衛するために異質な分子を排除する論理を改め、そこに住まう全ての人を支えるために社会の方を変更する論理を採用したということ。(65)

 

〈参考 S台解答例〉
市民社会を守るためにそこから逸脱する人々を排除し管理するのではなく、その人々の苦しみに寄り添い共に生きるようにすること。(60)

 

〈参考 K塾解答例〉
精神障害を持つ人々を社会に対する危険とみなして隔離するのではなく、苦しみを抱えた彼らの生を地域の人びとが支えるようになったこと。(64)

 

〈参考 Yゼミ解答例〉
精神障害者から社会を守ろうとする社会を軸に置いた論理から、障害者と共に生き、地域で集合的に支える共同的なケアの論理に移行すること。(65)

 

〈参考 T進解答例〉
公的サービスにおける、社会の安寧のための管理と統治の論理が、苦しむ人々に寄り添う、共同的で公共的な論理に変わったということ。(62)

 

問三「選択の論理は個人主義にもとづくものである」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(2行)

内容説明問題。「選択の論理」(A)と「個人主義」(B)の類比的関係を説明する。類比的と言っても、ABは別物なので、個別にかつ重なるように説明する必要がある。先処理として構文を変換する。因果の順に直せば「B→A」なので、「BこそがAを可能にした」とすると文が硬直化するのを防ぐことができる。
文構成から見ると、「ケアの論理」という主題(→問四)の外形を明確にするために、それと対比関係にある「選択の論理」を説明したのが傍線の引かれている⑨段落である。よって、「ケアの論理」の裏側を意識した上で、基本的には⑨段落から根拠を拾えばよい。まずAの「論理」(論の筋道)については「(市民=顧客は)みずからの欲望にしたがって商品やサービスを主体的に選択する」(欲望→主体的選択)を踏まえ、「欲望に従い商品やサービスを主体的に選択するあり方」とまとめる。
 
 
そのAを可能にするBについては「(選択の論理の下では)顧客は一人の個人であり、孤独に、しかも自分だけの責任で選択することを強いられる」(C)が参考になるが、正確に見るとこの部分はAの現れ(帰結)であり、Bについての直接的な言及ではないし、他にも見当たらない。「個人主義」とは半ば説明不要の自明の概念として扱われているのである。
 
 
そこでAを可能にする形でBを構成する。まずCからは「行為の責任を一身に背負う(個人)→A」という要素をキープする。次に「ケアの論理」との対比から(また語義からも)、その個人は「共同性(⑧⑪)」から分離された存在である。そして、個人主義とは近代のイデオロギーである(これも常識的理解だが、本文は冒頭で近代に射程を絞っているし、④段落末尾の田辺繁治の引用「近代医療全体は人間を徹底的に個人化することによって成立する」からも近代性を強調することには十分な必然性がある)。以上よりBを「共同性を離れ/行為の責任を一身に背負う/近代的な個人こそが(→A)」とまとめられる。

 

〈GV解答例〉
共同性を離れ、行為の責任を一身に背負う近代的な個人こそが、欲望に従い商品やサービスを主体的に選択するあり方を可能にしたということ。(65)

 

〈参考 S台解答例〉
自らの欲望に従い選択することをよしとする考えの前提には、人を自由な個人と想定し責任を一身に負わせる発想があるということ。(60)

 

〈参考 K塾解答例〉
当人の主体的で自由な選択を尊重する思考は、人は自己の責任において、自覚的な欲望に基づいて生きるべきだという考えを前提としていること。(66)

 

〈参考 Yゼミ解答例〉
医療における選択の論理は、医師の提供する情報に基づき、自身の望む医療サービスを個人の責任で主体的に選ぶことを意味するということ。(64)

 

〈参考 T進解答例〉
自らの欲望に基づき情報を判断し、自己責任で主体的に選択するという論理は、自己の欲望に自覚的な個人の自由を重視する考えに支えられているということ。(72)

 

問四「それは、人間だけを行為主体と見る世界像ではなく、関係するあらゆるものに行為の力能を見出す生きた世界像につながっている」(傍線部エ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて、100字以上120字以内で説明せよ。

 

内容説明型要約問題。まずは一文の分析から。「それ」は前文の主語「ケア」つまりは「ケアの論理」((⑧)⑩段落以降の主題)。「力能」は一般的な用語ではないが「(行為が)できる力」くらいに捉えておこう。構文的には「それ(=ケアの論理)は/A(だけ)という世界像ではなく/Bという世界像につながる」と整理できるが、一般的に名詞を締めに持ってくると説明が硬直する。そこで「ケアの論理はC。それによって/世界はAだけではなく/Bに広がる」というように構文を変換しておく。
 
 
Bについては前文を利用して置き換えることができそうだが、前からの論理をたどり正確さを期そう。傍線部までの主題「ケアの論理」について、論の実質的な起点は⑩段落冒頭「ケアの論理の出発点は」以下である。そこから傍線部までの論理をたどると「(ケアの論理の出発点は)人が何を必要としているか(a)→それを知るには状況を適切に判断すること(b)→そのためには感覚や情動が重要(c)/生を享受する基体である身体に深く棲みこむことが不可欠(d)→それゆえケアの論理では身体(+かかわるすべて)を世話し調整しつづけることが必要(e)→ケアとはかかわるすべてから成る共同的で協働的な作業(f)→傍線部」となる。
 
 
以上より、Cは「人が必要とするものの探究を起点とするケアの論理では(a)/感覚や情動を働かせ(c)/状況を適切に判断(b)/調整する必要がある(e)」とした。Aについては直接の言及がないのでBとの対比を想定して「(世界は)人間主体と客体(からなる)」と置き換えた。そしてBは、元の傍線部の表現「関係するあらゆるものに(x)/行為の力能を見出す生きた世界像(y)」と合わせて、「(世界は)身体性を基盤とする(d)/人間と周囲の環境全ての(f,x)/共同的で協働的な作業連関(f,y)」とした。最終的に「Cなので、世界は単なるAではなく、Bに拡張される」として仕上げとした。

 

〈GV解答例〉
人が必要とするものの探究を起点とするケアの論理では、感覚や情動を働かせ状況を適切に判断、調整する必要があるので、世界は単なる人間主体と客体ではなく、身体性を基盤とする人間と周囲の環境全ての共同的で協働的な作業連関として拡張されるということ。(120)

 

〈参考 S台解答例〉
身体に関わるあらゆるものを調整し苦しむ人の身体感覚や情動に共感し共生しようとするケアの実践は、国家の枠組みの中で個人が自律的に生きることを前提とした近代社会を超えて、身の回りのあらゆるものと支え合いながら共に生きる世界を生み出すということ。(120)

 

〈参考 K塾解答例〉
苦しむ人をケアするには、単に個人の欲求に基づく選択に応えるのではなく、その人が生きる状況の中で必要とするものを見極めるべく、生を享受する基盤となる身体を感覚や情動に基づいて調整し、そこに関わるあらゆる存在の可能性を探り続ける必要があること。(120)

 

〈参考 Yゼミ解答例〉
病者とともに生き、適切に状況を判断しつつ、感覚や情動に基づいてその人の身体を整えようとするケアの論理は、近代の個人主義や社会中心主義の思想を超えて、病者とその周囲の人や物とを共同的で協同的な関係において捉える新たな世界認識を生むということ。(120)

 

〈参考 T進解答例〉
状況を適切に判断し、身体を整えようと関わる総体との調整を不断に図るケアの論理は、主体的に選択を行う個人や社会全体を基盤とする近代の世界観ではなく、生を享受する基体たる身体と関わりを持つ全ての存在とに共同性を認める世界観と親和するということ。(120)

 

問五 (漢字)

a.診察 b.諦 c.羅針