〈本文理解〉

出典は今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡智』

①段落。プラトンやアリストテレスにはじまる古代ギリシャ哲学の議論以来、「模倣」(ミメーシス)と呼ばれる能力は、人間文化における創造性の根源にあるものとして捉えられてきました。…
 
②段落。思想家ヴォルター・ベンヤミンは、人間の「類似」を認知する感性的能力を論じた重要な論考「模倣の能力について」(1933)のなかで、模倣の発生の能力について論じています。そこでベンヤミンは、文字以前の人間の文化が、「内臓」を読み、「星」を読み、「「舞踏」を読む」(傍線部A)ことから書いています。「内臓」を読むとは、「人類がみずからの内臓感覚を、生命記憶の源泉として意識すること」(傍線部B)を指します。古い人類は洞窟のような暗闇の空間に入り込むことによってこの内臓感覚を外化し、そこでさまざまな呪術的儀礼を行なっていました。旧石器時代の人類が世界のさまざまな場所にのこした洞窟壁画とは、当時の動物の形態を洞窟の壁面に模写することを通じて野生の世界へと浸透し、自然の一部として自己を確認し、この外化された内臓(=洞窟)のなかにみずからの生命体としての記憶を刻印してゆく行為だったのです。まさにここでは、洞窟壁画という「模倣」の能力の発露が、人類最古の芸術的形象を生み出していったのでした。
 
③段落。あるいは、マーシャル諸島などミクロネシアの群島民のあいだで古くから行われている、星座をもとにした独特の航海術をとりあげてもいいでしょう。彼らは海の民として、全身体的な感覚を動員して天体の「星」の配置を読みとり、それを船を操縦しながら航海する自らの方向感覚へと投影するという、繊細な模倣的身体技法を自らのものとしていました。西欧の占星術もまた、天体を読むことを通じてそれをみずからの身体や世界イメージへと類似の原理によって結びつけてゆく感覚的思考法でした。こうした例から見たとき、「「星を読む」」(傍線部C)という行為も、ミメーシスの能力の基本にある繊細な身体技法であることがわかります。
 
④段落。そしてベンヤミンが第三に挙げた「舞踏」こそ、ミメーシスの技法がもっとも深く探究された領域でした。原初の人間が野生の自然を受けとめながらそこに文化を創造してゆこうとするとき、かならず野生動物の所作を模倣するような舞踏が生み出されてきたことはとても興味深い事実です。(メキシコ北部ソノーラ州に住むヤキ族の「鹿の踊り」の例)。そこで鹿の踊り手は、まさに野生動物としての鹿へと変身し、彼らにとって神でもある鹿の身振りを模倣しながら、精霊たちのすむ領域へと入り込んでゆきます。神や精霊と交流し、世界を蘇らせるための究極の模倣の所作です。ヤキ族のインディオたちは、この模倣の身体的儀礼を通じて、自然のなかにみなぎる力を文化の側に組み込もうとしたのでした。
 
⑤段落。こうした舞踏的な身体としてはたらくミメーシスの技法を見事に描き出した物語が、宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」であることは疑いないでしょう。…ミメーシスを通じて自然(=野生動物の世界)を文化(=舞踏の世界)の側へと架橋することで、人間は野生の土地に定住し、文化的な創造行為の第一歩を踏み出すことができました。「鹿踊りのはじまり」はこの経緯を暗示する物語であると見ることができます。
 
⑥段落。いまでも、子供たちの素朴な遊びを観察すれば、「こうした模倣の能力の系統発生的歴史が、人間の個体発生的な道筋において反復されていること」(傍線部D)が了解されるでしょう。私たちの幼少時の遊びが、いたるところで模倣的な行動様式によってつくられてきたことを思いだしてください。子供たちの模倣的想像力には限界がなく(模倣遊戯の例)。子供時代に行われるこれらの自在な模倣遊戯のなかで、人間文化は「創造」という実践へと踏み出す準備をしてきたのでした。
 
⑦段落。すでにみてきたように、身体的なミメーシスは森羅万象と自己とのあいだに、呪術的・霊的な照応=交感の関係を打ち立てることによって達成されます。そして感性的・身体的な模倣のくりかえしの蓄積によって成立した人類文化の最終的な創造物こそが、私たちの「言語」なのです。文字化され、抽象化された音声記号になってしまうと、「言語のミメーシス的な根っこ」(傍線部E)はあまり意識されませんが、賢治が独創的に多用した擬声語や擬態語が、いまだに模倣的な肉体性・物質性を色濃く残していることはいうまでもありません。そして文字もまた、その象形性だけでなく、それが身体(おもに手)を介して表現される日常の技芸にかかわっているという点で、身体的ミメーシスとしての内実を深いところで維持しているのです。手で書かれた文字はそのような肉体性の帰結であり、それじたい、人類の模倣の能力を結晶化させた小宇宙にほかならないといってもいいでしょう。…
 
⑧段落。現代のディジタル化した社会では、文字とは情報伝達のための符牒にすぎません。「文字を身体的ミメーシスの帰結として捉えるような感性は、いま急速に失われようとしています」(傍線部F)。宮沢賢治を読み、彼が創造しようとする世界に触れることは、彼の想像力だけでなく、彼のことばそのもの、彼の書きつけた文字そのものの「模倣性」を、私たちがなぞり、身体的なミメーシスの感覚によってたどりなおす行為でもあるのです。…
 
 

問一「「舞踏」を読む」(傍線部A)とあるが、それは具体的にどういうことか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。本文では「「内臓」を読み、「星」を読み、「舞踏」を読む」と並ぶのに、最後の「舞踏」から聞くという九大らしい行儀の悪い問題。「内臓」は問2で②段落、「星」は問3で③段落を根拠とするのに対し、「舞踏」は④段落が根拠となる。当然、3つの「読む」の類比関係を視野に入れて、問1〜3を答える必要がある。もしそれを示唆するために最後の「舞踏」から聞いているのなら、出題者の優しい気配りである。3つの「読む」に共通しているのは、それが「模倣的身体技法(ミメーシス)」を通して得られることである。
 
④段落はヤキ族の鹿踊りに即して「舞踏を読む」ことが説明されているから、それを一般化した形で解答に示すとよい。まず「舞踏」における模倣的身体技法とは、「野生動物になりきり/所作を模倣すること」(X)である。その結果、何を「読む」のか? ④段落ではXすることで「精霊たちのすむ領域へと入り込んで…神や精霊と交流し」とある。これを踏まえるならば、Xすることで「そこに潜む神的な存在」(Y)を読みとろうとしているのである。
以上より「Xすることで/Yを読む」というのが解答のベースだが、九大の広い解答欄を考慮し、④段落「世界を蘇らせるための究極の模倣の所作/(この模倣の身体的儀礼を通じて)自然のなかにみなぎる力を文化の側に組み込もうとした」(Z)を踏まえ、これを「読む」ことの目的として解答に組み込む。「自然の中にみなぎる力を文化の側に組み込み活性化するために(Z)/Xすることを通して/Yを理解しようとする」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
自然の中にみなぎる力を文化の側に組み込み活性化させるために、野生動物になりきり所作を模倣することを通して、そこに潜む神的な存在を理解しようとすること。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
文字以前の人間の文化の創造において、原初の人間が野生の自然を自らの身体に写し取って再現する模倣の所作を通じて、自然との精神的な交流を打ち立てようとすること。(78)
 
〈参考 K塾解答例〉
原初の人間にとって神でもある野生動物としての鹿の身振りなどを模倣しながら、精霊たちの住む領域へと入り込み、神や精霊と交流し、世界を蘇らせる所作のこと。(75)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
人間が野生動物に擬態し、その所作を踊りとして模倣するという儀礼や芸能によって、人間が自然の世界に入り込み、自然に内在する力を文化の世界に組み込んでいこうとすること。(82)
 
 

問2「人類がみずからの内臓感覚を、生命記憶の源泉として意識すること」(傍線部B)とあるが、それは具体的にどういうことか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。問1の解説を参照。傍線部を含む一文「「内臓」を読むとは/人類がみずからの内臓感覚を(X)/生命記憶の源泉として意識すること(Y)/を指します」以下、②段落の終わりまでが解答根拠となる。ここでは「旧石器時代の人類が世界のさまざまな場所にのこした洞窟壁画」(Z)に即して「内臓を読む」が説明されている。注意したいのは、問1の「ヤキ族の鹿踊り」(「舞踏を読む」の事例)と違い、Zは事例の一つではなく十分に一般性を担保した「内臓を読む」の説明になっていることである。
 
そこでXYの換言を中心に根拠を整理すると「暗闇の空間に入り込むことによって内臓感覚を外化(X1)/この外化された内臓(=洞窟)に動物の形態を模写し野生の世界へと浸透(X2)/自然の一部としての自己を確認(Y)」となる。これにZの条件を加え、Yを傍線部に対応させて工夫し、「人類は原始/X1/X2/自然の一部としての自己の起源を確認した(Y)」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
人類は原始、暗闇に入り内臓感覚を外化し、外化された内蔵を示す壁に動物を模写することで野生へと浸透し、自然の一部としての自己の起源を確認したということ。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
自らの身体感覚を呪術的儀礼や壁画の形で外化することで、野生の世界へと浸透し、自然の一部としての自己を確認して、自らの生命体としての記憶を想起するということ。(78)
 
〈参考 K塾解答例〉
旧石器時代の人類は、内臓感覚を自らが入り込む洞窟へと外化し、その洞窟の壁面をみずからの生命体としての記憶を刻印していく場として了解したということ。(74)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
旧石器時代の人類は、洞窟に自分の内臓感覚を外化し、その壁面に野生動物を模写することで、自然の一部としての自己を確認し、自分が生命体であるという記憶を刻印したということ。(84)
 
 

問3「星を読む」(傍線部C)とあるが、それは具体的にどういうことか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。問1の解説を参照。ここで「模倣的身体技法(ミメーシス)」(X)を通して「星を読む」(Y)とはどういうことか。傍線部を含む一文は「こうした例から見たとき」に導かれるから、「こうした」の承ける③段落冒頭からの具体例を参照する。
具体例としては「ミクロネシアの群島民の星座をもとにした独特の航海術」(P)と「西欧の占星術」(Q)の2つが挙げられているが、両者をカバーする一般的な表現を抜き出すか、または自力で表現するかでXとYを具体化する必要がある。まずXについては、Pの記述から「全身体的な感覚を動員して」を使う。これはQの「感覚的な思考法」とも対応している。
 
この他、Pからは「「星」の配置を読み取り(a)/航海する自らの方向感覚へと投影する(b1)/模倣的身体技法(c)」、Qからは「天体を読むことを通じて(a)/みずからの身体や世界イメージへと結びつけていく(b2)/類似の原理によって(c)」という要素が取り出せる。ここからYは「(X→)星の配置や運行から/意味を見出そうとする」と抽象的にまとめた上で、細かい要素は問1と同じく「星を読む(Y)」の目的に置くとよい。以上より「類似性に基づいて(c)/天体の原理を(a)/自己の身体や世界像へと適用して(b2)/行動の指針とするために(b1)/Xを動員して/Y」と仕上げた。
 
 
〈GV解答例〉
類似性に基づいて天体の原理を自己の身体や世界像へと適用して行動の指針とするために、全身体的な感覚を動員して星の配置や運行から意味を見出そうとすること。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
全身体的な感覚を動員して天体の「星」の配置を読みとり、自らの感覚への投影を通じて、類似の原理に基づき、世界における自らの位置や運命を読み取ろうとすること。(77)
 
〈参考 K塾解答例〉
海の民が、全身的な感覚を通じて星の配置を読み取り、それを自らの方向感覚に投影したり、占星術師が、天体運動を自らの身体や世界像と結びつけたりすること。(74)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
海の民が星の配置を読んで船を操縦する自らの方向感覚に投影したり、西欧の人々が天体を読んで自らの身体や世界を類推したりしたように、星の配置や運行を人間の身体に写しとること。(85)
 
 

問4「こうした模倣の能力の系統発生的歴史が、人間の個別発生的な道筋において反復されていること」(傍線部D)とあるが、それはどういうことか、説明せよ。(4行)

内容説明問題。「こうした…系統発生的な歴史」と「人間の個別発生的な道筋」を具体的に説明するわけだが、傍線部の構文のまま名詞を置き換えると硬直した文になり十分な説明を加えられない。こうした場合は構文の変換を考えてみる。ここでのポイントは名詞を軽くすること。「Xという歴史的過程は/微視的に見ると/Yという個々人の成長過程に/対応する」。あとはXとYを類比関係とし、さらに文の形(S-V)で表現すればよい。ここまでの作業でほぼ勝負は決まる。
 
類比や対比は二項を比べながら要素を配したらよい。ここではYの方が、傍線部のある⑥段落に限られるので組み立てやすい。Y「子供が/模倣的想像力を発揮し(a)/自在に遊ぶことで/創造性を育んできた(b)」。一方Xは、「こうした」が直接的に承ける⑤段落より、Yと対応させて「人類が/自然の模倣を通じ(a)/自然を文化へと架橋して/文化的創造を生み出してきた(b)」とまとめる。類比関係といっても主語の「人類/子供」は対比で、述部の「a→b」が類比の核となる。このXYを先の解答構文に当てはめると完成である。
 
 
〈GV解答例〉
人類が自然の模倣を通じ自然を文化へと架橋して文化的創造を生み出してきた歴史的過程は、微視的に見ると、子供が模倣的想像力を発揮し自在に遊ぶことで創造性を育んできた、個々人の成長過程に対応するということ。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
模倣を通じて自然を文化の側へと関連づけることで、野生の土地に定住し、文化的な創造行為を作り出す人間集団的な営みが、模倣的な行動様式によって作られた、幼少時に行われる自在な模擬遊戯から繰り返されているということ。(105)
 
〈参考 K塾解答例〉
文字以前の人間が身体感覚によって自然界を模倣することで文化を創造してきたことが、人間の幼少時の模倣的想像力を用いた自在な模擬遊戯の中で繰り返されているということ。(81)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
原初の人類が野生動物の所作を模倣した舞踏を生んだように、模倣は人間文化における創造性の根源だが、これと同じことは人間個体の成長過程にも見られ、子供が人や動物やものを自在に模倣する遊戯が創造行為の準備段階になっているということ。(113)
 
 

問5「言語のミメーシス的な根っこ」(傍線部E)とあるが、それは具体的に何か、説明せよ。(3行)

内容説明問題。「何か」と問われる場合は、原則、名詞で答える。傍線部を含む一文の構造が「Xになってしまうと「言語のミメーシス的な根っこ」は…意識されないが/Yが…模倣的な肉体性・物質性を残している…」となっていることから、「根っこ」と肉体性・物質性が対応関係にあるので、解答の締めは「〜肉体性・物質性」となる。また「根っこ」から伸びていくのは「言語」であり、その伸びた先にY(擬声語・擬態語)などを経てX、すなわち「文字化され抽象化された音声記号」(a)があると分かる。これを踏まえて解答の締めを「抽象化され記号化された(a)/すべての言語の起点にある、肉体性・物質性」(P)と肉付けする。
 
次に、傍線部を含む一文の前部、⑦段落冒頭の2文より「身体的ミメーシスは森羅万象と自己とのあいだに呪術的・霊的な照応=交感の関係を打ち立てることによって達成されます/(そして)感性的・身体的な模倣のくりかえしの蓄積によって成立した…創造物こそ…「言語」なのです」を踏まえる。そして「森羅万象」のミメーシス、「照応=交感」とは「音」を通してなされるものと考え、Pの前に「森羅万象の音を感性的・身体的に模倣することをくりかえし蓄積していくうちに」(Q)と加えた。
 
最後に、「〜起点にある、肉体性・物質性」では「肉体性・物質性」自体の説明が不足している感じがする。そこで解答の前半にQを配したのと対応させて「〜起点にある、自然と即応する肉体性・物質性」と加え仕上げとした。
 
 
〈GV解答例〉
森羅万象の音を感性的・身体的に模倣することをくりかえし蓄積していくうちに抽象化され記号化されたすべての言語の起点にある、自然と即応する肉体性・物質性。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
森羅万象と自己とのあいだに、呪術的・霊的な照応=交感の関係を打ち立て、感性的・身体的な模倣の繰り返しの蓄積によって成立した言語に残る、身体的な肉体性・物質性。(79)
 
〈参考 K塾解答例〉
擬声語や擬態語の中に色濃く残されている模倣的な肉体性・物質性や、手で書かれた文字の中に潜在する身体的模倣の能力のこと。(59)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
人や動物の音声を真似る擬声語、人やものの動きを写す擬態語、あるいは主に手で書かれる文字のなかに残っている、模倣的な肉体性・物質性のこと。(68)
 
 

問六「文字を身体的ミメーシスの帰結として捉えるような感性は、いま急速に失われようとしています」(傍線部F)とあるが、それはなぜか、その理由について説明せよ。(4行)

理由説明問題。「文字を身体的ミメーシスの帰結として捉えるような感性」(S)が「いま急速に失われようとしてい」る(G)理由を答える。まずは前提としてのSを検討しよう。「文字」についての記述は、前⑧段落の後半「そして文字もまた…」以降より始まる。そこから続いて「(文字もまた)身体を介して表現される日常の技芸にかかわっているという点で、身体的ミメーシスとしての内実を深いところで維持している」とあることに着目しよう。すなわち「文字は本来、身体を介して表現される日常の技芸に関わる点で身体的ミメーシスとしての内実を持つ」(S)ものであった。それが急速に失われているというのである。
その理由の根拠は、傍線部の前文「現代のディジタル化した社会では、文字とは情報伝達のための記号的符牒にすぎません」であることは見やすい。つまり「本来、身体を介する技芸であった文字」(S)が「現代のディジタル化した社会ではただの情報伝達の媒体(←符牒)となった」(R)ため、文字をミメーシスの帰結として捉える感性が失われている(G)となる。ただ、これではSからRへのつながりがスムーズさを欠く。
 
そこでもう一段落検討を加える。つまり、「文字は本来、身体を介する技芸であった」(S)、それが「ディジタル化したことで身体を介して、すなわち手で書く機会が減った」(R1)、それに加えて「文字を情報伝達の媒体として捉える傾向が強まった」(R2)、よって文字をミメーシスの帰結と捉える感性が失われている(G)。このように、SとR2との間にR1を繰り込むことで、Sについての最初の検討が活かされ、スムーズに理由の起点(S)から終点(G)までつながることになる。以上より、S→R1→R2(→G)とまとめる。
 
 
〈GV解答例〉
文字は本来、身体を介して表現される日常の技芸に関わる点で身体的ミメーシスとしての内実を持つが、現代のディジタル化した社会では文字を書く機会が減った上、文字を情報伝達の媒体として捉える傾向が強まるから。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
現代のディジタル化した社会では、模倣の能力を通じて身体感覚、自然、それらとの交感の関係を読む経験と、日常生活で文字を手書きする経験が少なくなり、文字が情報伝達のための記号的符牒にすぎなくなったから。(99)
 
〈参考 K塾解答例〉
現代社会がディジタル化し、人類が自己の身体や天体の星や自然を模倣することで文化を創造してきた身体的な模倣の感覚が失われ、文字が情報伝達のための記号的符牒にすぎなくなっているから。(89)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
内臓や星や舞踏を読むことにはじまり、感性的・身体的な模倣を繰り返すことで創造されてきた人間文化の帰結の一つが文字だが、現代のディジタル化した社会では、文字を手で書くという模倣的な肉体性・物質性や感覚的悦びが失われつつあるから。(118)