〈本文理解〉

出典は鵜飼哲「ナショナリズム、その〈彼方〉への隘路」(大澤真幸・姜尚中 編『ナショナリズム論・入門』より)。

 

①段落。五年ほど前の夏のことだ。カイロの考古学博物館で私はある小さな経験をした。一人で見学をしていたとき、ふと見ると日本のツアー団体客がガイドの説明に耳を傾けていた。私は足を止め、団体の後で何とはなしにその解説を聞いていた。…ところが、日本人のガイドはぴたりと説明を止め、私を指差してこう言ったのだ。「あなたこのグループの人じゃないでしょ。説明を聞く資格はありません!」
 
②段落。要するに、あっちに行けと言うことである。エジプトの博物館で、日本人が日本人に、お前はそこにいる権利はないと言われたのである。…
 
③段落。この状況は、ちょっと考えてみるとなかなか奇妙なものだ。というのも、私がこんな目に遭う危険は、日本以外の国のツアー客に「パラサイト」しているときにはまずありえないからだ。…
 
④段落。しかし、その日ガイドの「排外神経」の正確な標的になったのは私だった。…私は自分の油断を反省した。日本人がこのような状況でこのように振る舞いうることをうっかり忘れていたのである。…日本のなかでは日本人同士種々の集団に分かれてたがいに壁を築く。しかし、ひとたび国外に出れば…。だがそれは、菊の紋章付きの旅券を持つ者の、無意識の、甘い想定だったようだ。「その『甘さ』において私は紛れもなく『日本人』だった」(傍線部(ア))。「日本人」だったからこそ日本人にパラサイトの現場を押さえられ、追い払われ、そして、逆説的にも、その排除を通じてある種の帰属を確認することを余儀なくされたのである。
 
⑤段落。この些細で滑稽な場面が、このところ「ナショラルな空間」というものの縮図のように思えることがある。このときの私とガイドを較べた場合、どちらがより「ナショナリスト」と言えるだろう。「同じ日本人なんだからちょっと説明を聞くくらい…」と、「甘えの構造」の「日本人」よろしくどうやら思っていたらしい私の方だろうか。それとも、たとえ日本人でも「よそ者」は目ざとく見つけ容赦なく切り捨てるガイドの方だろうか。確かだと思えるのは、私のような「日本人」ばかりではナショナリズムを「立ち上げる」のは容易ではないだろうということ、日本のナショナリズムは、かつても現在も、このガイドのようにきちんと振る舞える人々を欠かせない人材として要請し、養成してきたに違いないということである。少なくとも可能的に、「国民」の一部を「非国民」として、「獅子身中の虫」として、摘発し、切断し、除去する能力、それなくしてナショナリズムは「外国人」を排除する「力」をわがものにできない。それはどんなナショナリズムにも共通する一般的な構造だが、日本ナショナリズムはこの点で特異な道を歩んでもきた。この数十年のあいだ中流幻想に浸っていた日本人の社会は、いまふたたび、急速に階級に分断されつつある。それにつれてナショナリズムも、ふたたび「その残忍な顔を、〈外〉と〈内〉とに同時に見せ始めている」(傍線部(イ))。
 
⑥段落。もちろん私は、この出来事の後、外国で日本人の団体ツアーにはけっして近づかないようにしている。…しかし、外国では贅沢にも、私は日本人の団体に近づかない「自由」がある。でも、日本ではどうだろう。日本人の団体の近くにいない「自由」があるだろうか。この「自由」がないかきわめて乏しいことこそは、近代的な意味で「ナショナルな空間」と呼ばれるものの本質ではないだろうか。
 
⑦段落。子供も、大人も、日本にいる人はみな、たとえ日本で生まれても、日本人の親から生まれても、ただひとり日本人に取り囲まれている。…「ただひとり」なのは、生地も血統も、その人の「生まれ」にまつわるどんな「自然」も、自然にその人を日本人にはしてくれないからだ。
 
⑧段落。ナショナリズム nationalism というヨーロッパ起源の現象を理解しようとするなら、nation という言葉の語源だけ知っておきたい。それはラテン語で「生まれる」という意味の nasci という動詞である。この動詞から派生した名詞はまず「出生」「誕生」を意味するが、ラテン語のなかですでに「人種」「種族」「国民」へと意味の移動が生じていた。一方、自然を意味するラテン語、英語やフランス語の nature のもとになった natura も、実は同じ動詞から派生したもう一つの名詞なのだ。この言葉もまずは「出生」を意味する。…
 
⑨段落。「生まれ」が「同じ」者の間で、「自然」だからこそ「当然」として主張される平等性。そして、それと表裏一体の、「生まれ」が「違う」者に対する排他性。歴史的状況や文化的文脈によってナショナリズムにもさまざまな異型があるが、この性格はこの政治現象の不変の核と言っていいだろう。だからいまも、世界のほとんどの国で、国籍は生地か血統にもとづいて付与されている。
 
⑩段落。しかし、生地にしても血統にしても、「生まれ」が「同じ」とはどういう意味だろう。ある土地の広がりが「フランス」とか「日本」という名で呼ばれるかどうかは少しも「自然」ではない。「文字通りの『自然』のなかには、もともとどんな名も存在しない」(傍線部(ウ))からだ。また両親が「同じ」でも、たとえ一卵性双生児でも、人は「ただひとり」生まれることにかわりない。私たちは知らないうちに名を与えられ、ある家族の一員にされる。それがどのようになされたか、言葉を身につけたのち、人づてに聞くことができるだけだ。親が本当に「生みの親」かどうか、自然に、感覚的確信に即して知っている人は誰もいない。苗字が同じであることも、母の言葉が母語になったことも、顔が似ていることも、何も私の血統を自然にはしない。
 
⑪段落。一言で言えば、あらゆるナショナリズムが主張する「生まれ」の「同一性」の自然的性格は仮構されたものなのだ。それは自然ではなく、ひとつの制度である。ただし、他のどんな制度よりも強力に自然化された制度である。日本語で「帰化」と呼ばれる外国人による国籍の取得は、フランス語や英語では naturalis(z)ation「自然化」と呼ばれる。この言葉は意味深長だ。なぜなら、外国人ばかりでなく、たとえば血統主義の国籍法を採用する日本で日本人の親から生まれた人でも、その人に国籍が付与されるとき、あるいはその人がなにがしかの国民的同一性を身につけるとき、それはいつでも、自然でないものを自然なものとする操作、つまり「自然化」によってなされるしかないからだ。
 
⑫段落。「自然化」とは、繰り返すが、自然でないものを自然なものとする操作のことである。言い換えれば、この操作はけっして完了することがない。そして、いつ逆流するか分からない。「非自然化」はいつでも起こりうる。昨日まで自然だったこと、自然だと信じていたことが、突然自然でなくなることがある。だから「日本人であることに、誰も安心はできない」(傍線部(エ))。
 
 

問一「その『甘さ』において私はまぎれもなく『日本人』だった」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。ポイントは二つ。一つは「その『甘さ』」の指す内容。直接的には前文「それは〜甘い想定」を承け、さらに「それ」がその前の二文「日本のなかでは〜しかし、ひとたび国外に出れば…」を承ける。「…」の部分は「しかし」の前を裏返して考えるならば「国内には集団ごとに区別されても/国外に出れば同じ日本人として受け入れられる」(A)という内容になるだろう。さらに、続く⑤段落で「私」とガイドのどちらがより「ナショナリスト」と言えるのかと問い、「私」については「「同じ日本人なんだからちょっと説明を聞くくらい…」と/「甘えの構造」の「日本人」よろしくどうやら思っていたらしい」(B)と分析する。これをAと合わせて考えるならば、「私」は「国内では他集団として排除されても/国内では同じ日本人として受け入れられる/ と自明視していた」(C)ということになる。以上が「その『甘さ』」の内容。
 
もう一つのポイントは傍線部後半「私はまぎれもなく『日本人』だった」の含みをどう表現するかである。これについては、先のB(甘えの構造=日本人)と傍線次文「〜排除を通じて/ある種の帰属を確認することを余儀なくされたのである」(「〜のである」は前文を後文から補強する形)を考え合わせるとよい。すなわち「(筆者は/ガイドによる排除を通じて/甘さに気づいた)/その甘さの点で/自身の日本人性を自覚した」ということになる。ここから「甘さ」という表現を使わず、Cに置き換え、最終解答とする。
 
 
〈GV解答例〉
国内では他集団として排除されても国外では同じ日本人として受容されるばずだと自明視していた点で、自身の日本人性を自覚したということ。(65)
 
〈参考 S台解答例〉
国内では集団ごとに排他的でも国外では同じ日本人としての仲間意識があると期待する、日本人的な心性が自分にあったということ。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
国内では緊張関係にあっても、国外では日本人同士なら許容されると思った点に、日本語を通じた身内意識に依存する感覚が働いていたこと。(64)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
国内では小集団に分断されていても、国外ではその分断は解消されるだろうという認識の甘さがまさに日本人の特質を示していたということ。(64)
 
〈参考 T進解答例〉
外国ならば、同じ日本人だから許されるだろうという油断が招いた排除を通じ、自身が、「甘え」を心的特徴とされる日本人であることを再確認したということ。(73)
 
 

問二「その残忍な顔を、〈外〉と〈内〉とに同時に見せ始めている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。傍線部は⑤段落の末文にあり、当然直前の内容を承ける(⑤の前半までは問一の解答範囲であった)。「その残忍な顔」とは「日本ナショナリズムの残忍な顔(側面)」であるのは自明。それは〈外〉=外国人に向くだけでなく、〈内〉=日本人にも向くというのである。注意すべきなのは、その両者が密接に絡み合っているということである。よって解答では、その両者を並列で示して良しとするのではなく、そのメカニズムを具体的に示す必要がある。根拠となるのは「「国民」の一部を「非国民」として〜摘発し、切断し、除去する能力、それなくしてナショナリズムは「外国人」を排除する「力」をわがものにできない」。すなわち「〈内〉国民の一部を「非国民」として切断・排除する(a)→〈外〉外国人を排除する力となる(b)」ということである。
ここで「a→b」の論理がまだ自明とは言えないことに気がつくだろう。しかし本文にはこれ以上の説明がない(つまり筆者は「自明」としている)。ならばaからbへとつなぐ、筆者が「自明」としているcを、妥当な推論により正しく言語化する必要があるわけだ。というのも傍線部とその根拠になる⑤後半の内容を見た場合、これ以上のポイントはないのだから(もしあるならば指摘してほしい)。国民の一部を「非国民」とすることは(a)、裏を返せば「あるべき国民/国民の標準像」を示すことである(c)。それはまた、日本国民と外国人の違いを際立たせることになる(b)。よって〈外〉と〈内〉の関係性は「(内)a/c→(外)b」と図式化できる。
 
それでは傍線部の他の部分。その「a/c→b」=「日本ナショナリズムの残忍な顔」を「見せ始めている」とはどういうことか。これについては「a/c→b」は戦後長く潜在化していたが、「この数十年のあいだ中流幻想に浸っていた日本人の社会は、いまふたたび、急速に階級に分断されつつある」(※失われた30年)中で、表面化してきたということだろう(すなわち「中流幻想」が「潜在化」の条件であった)。以上より「中流幻想の崩壊(階級の分断)に伴い/国民を絶えず分節することで(a)/標準的な日本人と(c)/外国人を峻別する(b)/日本社会に潜む機制(メカニズム)が/露わになりつつある」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
中流幻想の崩壊に伴い、国民を絶えず分節することで標準的な日本人と外国人を峻別する日本社会に潜む機制が露わになりつつあるということ。(65)
 
〈参考 S台解答例〉
階級の分断が進む日本ナショナリズムは、外国人の排斥と共に日本人の一部を非国民として摘出する動きも強めているということ。(59)
 
〈参考 K塾解答例〉
日本国籍をもたない者を排除するとともに、国民内部に異質な存在を見出し、容赦なく切り捨てることで、国民の統合を目指す動きが強まっていること。(69)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
異質な人間を目ざとく見つけ徹底的に排除しようとするナショナリズムの特質を、国内に向けても国外に向けても露わにしつつあるということ。(65)
 
〈参考 T進解答例〉
日本社会の階層分化につれ、外国人を排除し、日本でも国民の一部を排除する形で、ナショナリズムの厳しい排他性が見られつつあるということ。(66)
 
 

問三「文字通りの『自然』の中には、もともとどんな名も存在しない」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。本問については、以下どの予備校の解答例も「名づけ」を主題として説明しているわけだが、雁首揃えてよくもこんな誤答を作ったなと絶望的な気持ちにもなる。現代文の指導法そのものに何か根本的な誤りがあるのではないか。
 
「名づけ」はよく設問や課題文を通しての主題となるが(→22東大/四/一)、ここでそんなことを話題にしてないのは自明だろう。おそらく「「フランス」とか「日本」という名で呼ばれている〜」に引きずられたのだろうが、ここでの「フランス」「日本」は「生地(の名)」の具体例なのである。
論旨を辿りながら説明しよう。⑥段落は冒頭の例の説明を承けて「ナショナルな空間」の本質を抽象した箇所。⑦段落は「生地も血統も、その人の「生まれ」にまつわるどんな「自然」も、自然にその人を日本人にはしてくれない」と述べ、以下⑧〜⑩段落はそのことを具体的に説明した箇所となる(⑪⑫段落は以上の説明を承け、結論をまとめた箇所→問四)。⑧は、「ナショナリズム」と「自然」がともに「生まれる」という意味のラテン語を語源としていること。⑨は、ナショナリズムには「生まれ」が同じことからくる平等性と「生まれ」が違うことからくる排他性が含まれ、よって国籍はほとんどの国で生地や血統にもとづいて付与される、と述べる。
 
⑩段落は以上を承け、傍線は「また」を挟んだ前半に引かれている。後半の説明の方が詳しいのでこちらから見ると、段落を「苗字が同じであることも〜何も私の血統を自然にはしない」と結ぶように、要は「血統の非自然性/虚構性」を述べていることが分かる。ならば前半、傍線部の箇所は「生地の非自然性/虚構性」を述べている、とするのが妥当なのである。これを核に、⑧⑨段落の内容を盛り込み、傍線部をパラフレーズすると、「存在が生じる際の自然に遡れば(⑧)/血統と並び(⑨と⑩後半)/国籍の根拠として自明視され(⑨)/平等性と排他性を担保する(⑨)/生地の区別は虚構にすぎないということ(⑩前半)」となる。
 
 
〈GV解答例〉
存在が生じる際の自然に遡れば、血統と並び国籍の根拠として自明視され、平等性と排他性を担保する生地の区別は虚構にすぎないということ。(65)
 
〈参考 S台解答例〉
名とは、世界のありのままの姿の反映ではなく、それを人為的に意味づけ秩序化し、自然のものように見せかける制度だということ。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
名は人間が付与するものであって、自然そのものには、一定の領域を指し、個人の帰属先を規定する名が備わっているわけではないということ。(65)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
後の本来的な意味における「自然」には、人間が確定した国境やその区画内に与えられた国名などの人為的な要素は一切存在しないということ。(65)
 
〈参考 T進解答例〉
国名のような名辞は、人間の便宜のための恣意的な区切りに基づき与えられたもので、本来の自然はただそこに存在するだけで、全てが未分であるということ。(72)
 
 

問四「日本人であることに、誰も安心はできない」(傍線部エ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて100字以上120字以内で説明せよ。

内容説明型要約問題。傍線部に直接つながる論旨を見ると、直前に「だから」とあるから、その前部「「非自然化」はいつでも起こりうる。昨日まで自然だったこと、自然だと信じていたことが、突然自然でなくなることがある」の内容を理由として加え、傍線部をパラフレーズすると、「日本人の標準は恣意的に変更されるので(R1)/すべての成員が常に日本人から排除される危険性を孕むということ(A)」となる。これを解答の締めとする。
 
次に論旨を遡り、最終⑫段落とともに結論部を構成する⑪段落より「あらゆるナショナリズムが主張する「生まれ」の「同一性」の自然的性格は仮構されたものなのだ。それは自然ではなく、ひとつの制度である」を踏まえる。つまりAという判断を導く理由としてR1以前に、「日本という国籍の制度的性格=虚構性」(R2)が挙げられるのである。さらに、より根本的なところに戻ると、中間地点でのまとめにあたる⑦段落から「日本にいる人はみな、たとえ日本で生まれても、日本人の親から生まれても、ただひとり日本人に取り囲まれている」以下を踏まえる。すなわち、R2のさらに前提としてある「人の本質的個別性」(R3)、これもAに帰結する重要な要素になるのである。以上「R3→R2→R1→A」を軸に、論の重要な経由地として設けられた問二(→⑤)、問三(→⑨)での考察を踏まえ、以下のように解答した。
 
「人は本質的に個別的な存在であり(R3)/生地や血統に基づき自明なものとして享受され平等性と排他性を担保する(⑨)/国籍は制度にすぎない上(R2)/外部と峻別するため(⑤)/日本人の標準は恣意的に変更されるので(R1)/すべての成員が常に日本人から排除される危険性を孕むということ(A)」。昨今の過剰な「愛国」と排外主義的な傾向は、中間層の没落の進行に伴う神経症的な恐れが表出しているものだと言えよう。
 
 
〈GV解答例〉
人は本質的に個別的な存在であり、生地や血統に基づき自明なものとして享受され平等性と排他性を担保する国籍は制度にすぎない上、外部と峻別するため日本人の標準は恣意的に変更されるので、すべての成員が常に日本人から排除される危険性を孕むということ。(120)
 
〈参考 S台解答例〉
ナショナリズムが依拠する生まれの同一性は、実は制度的な仮構を自然であるかのように見せかけたものにすぎず、境界は恣意的で容易に変化しうる以上、日本人の排他性が「同じ日本人」であったはずの自分に突如として向けられる可能性は常にあるということ。(119)
 
〈参考 K塾解答例〉
日本人とは、個として誕生する人間に対し、血統に基づいて同一の国民であると思わせるべく仮構された制度であり、国民統合を維持すべく国内に絶えず非国民として排除する対象を生む制度であるため、日本人であれば誰もが排除される危険を免れないということ。(120)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
同質性を核とし異質な者の徹底的に排除によって成り立つナショナリズムは、同じ生まれの者が自然に身につけた当然の価値観を共有していると思わせる制度的な「自然化」によって可能になるため、その自然さが失われる恐れを消し去ることはできないということ。(120)
 
〈参考 T進解答例〉
独立した存在たる人が、自然にはなれない日本人になるのはナショナリズムが主張する「生まれ」の「同一性」という加工された制度を自然なものとするという操作によるもので、その逆の操作が起き得る以上、常に日本人から排除される危うさを決めるということ。(120)
 
 

問五 (漢字)

a. 緩んで b. 滑稽 c. 深長