〈本文理解〉

出典は飯田隆『分析哲学 これからとこれまで』。本文冒頭で話題となる『日本語が滅びるとき──英語の世紀の中で』は2019年の大阪大学で出題されている。
 
①段落。しばらく前のことになるが、『日本語が滅びるとき』という本が話題をよんだことがある。その副題に「英語の世紀の中で」とあるように、この本は「グローバル化」していく世界のなかで、日本語に生き残る余地はあるのかという問いを提起したものである。著者の水村美苗は小説家であり、それゆえ、そこでの考察の中心は、日本語で書かれた文学作品の運命ということにある。日本語で書かれている限り、そうした作品の読者は国際的には少数にとどまり、世界の文学全体のなかではたして意義をもちうるのだろうかというのが、著者の心配である。
 
②段落。こうした心配に根拠がないわけでないことは、自然科学における状況を見るだけでよくわかる。いまや自然科学のほぼすべての分野において、新しい研究は英語で発表されなければ、発表されなかったと同じことになってしまう。この傾向は自然科学にとどまらず、社会科学や人文科学の分野においても、同様の「英語の支配」は進みつつある。
 
③段落。こうした事態は、日本の近代文学が辿った道に照らすとき、きわめて皮肉なものとなる。日本の近代文学の開拓者たちは、西洋の影響を受けて急速に変貌して行く社会が生み出す新しい主題に取り組むだけでなく、そうした主題に適した日本語を作り出す必要があった。同じことは自然科学についてもいえる。西洋の科学が日本に根付き始めたのは、近代文学の成立とちょうど同じ時期のことであるが、科学に携わったに日本人が最初にしなければならなかったのは、大量の専門用語を始めとする科学のための言語を作り出すことであった。
 
④段落。しかしながら、19世紀後半において、自然科学はすでに国際的な営みとなっていたのに対して、ルネサンス以後の西洋において、文学とは、特定の国民文化の一部であり、その国民の言語と結び付いたものとみなされていた。19世紀末にそうした文学の観念に初めて触れた日本人が、日本語で書かれた国民文学を作り出そうと考えたことに不思議はない。問題は、当時の日本人が使おうとしていた主題を表現できるような日本語がまだ存在しなかったことである。多くの試行錯誤の末、こうした日本語が作り出され、比較的実際に使うことのできる文学言語を所有するまでになった。
 
⑤段落。ごく最近まで、日本の近代文学は、きわめて閉ざされた世界を形作っていて、作家も読者もこの状況に満足していたように思われる。だが、グローバリゼーションの進行と、日本国内での読者の減少は、日本語でこれから書かれる作品にどれだけの将来性があるかを危惧させるまでになっている。…
 
⑥段落。明治のはじまりの頃に、当時の西洋の小説や戯曲を知るようになった若者たちは、それが自分たちが親しんできた江戸時代の物語や芝居とまったく異なることを痛感したに違いない。同様に、同時代の西洋の哲学に触れる機会のあった日本人は、そこに、儒教や仏教とはまったく異なる新しい観念の世界が広がっていることに気付いただろう。
 
⑦段落。西洋の哲学が日本の近代社会に足場をもつようになるには、文学の場合と比べものにならないほどの困難があった。…西洋の哲学が近代日本で経験したこうした困難にはいくつかの理由があるが、「哲学のための十分な言語を作り出すことのむずかしさ」(傍線部(ア))が、そのひとつであったことは疑いない。
 
⑧段落。哲学はある程度一般的で抽象的な概念を必要とする。西洋哲学がもたらされるまで日本語にそうした概念を表す言葉がなかったわけではない。儒教および仏教の伝統には、そうした言葉と概念が存在した。これは主として、漢字の組み合わせによって表される、中国から渡ってきた言語と概念であり、それゆえ、普通の人々の話す日常の言葉とは区別される特殊な語彙を形作っていた。明治維新の直前に西洋の哲学が日本に入ってきたとき、儒教や仏教の伝統に属する語彙は別の、しかし、同様に特殊な語彙が、ごく短期間のあいだに作られた。しかも、その際、儒教や仏教に由来する語が転用されることもしばしば生じた。
 
⑨段落。哲学のための新しい用語をもつことで、われわれは自身の言語で、西洋に由来する哲学的問題や主張を議論できるようになった。…しかしながら、近代の先人たちから受け継いだ、こうした哲学の言葉は多くの弊害ももたらした。
 
⑩段落。最大の問題は、こうした哲学用語が、日本語の一部として確立してから出てきた。まがりなりにも日本語の一部となったということは、ひとが、その正確な意味を思いわずらわなくとも使うことができるということである。…ひとは、正確な意味どころか、漠然とした意味の了解も伴わずに、哲学用語を使うようになる。その結果は、理解の錯覚の蔓延である。しかも、こうした錯覚にもっとも陥りがちなのは、哲学を「専門とする」教師や学生である。
 
⑪段落。この錯覚は、たとえば次のような仕方で生じる。カントを真剣に研究したいという学生ならば、カントのテキストをもとのドイツ語で読むだろう。しかし、よほどドイツ語に堪能でない限り、カントの文章の理解には日本語の助けが必要になる。それはいったん日本語に「翻訳」されて理解されることになる。カントが用いているドイツ語の言葉が、その訳語とされる日本語の言葉で置き換えられることによって、カントが言っていることを理解したような錯覚が容易に生まれる。こうした置き換えによって生じた文は日本語の文のようにみえる。しかし、実際のところそれは、ドイツ語のいくつかの語を、日本語の「てにをは」で結び付けたものにすぎない。「こうした文を生み出したひとが、その意味を説明できない」(傍線部(イ))ことに何の不思議もない。
 
⑫段落。現在から振り返るならば、日本で哲学言語がいちおうの成熟をみたのは1960年代のことだったと言える。…この時期、日本の哲学者の大多数はまだ、以前通りの仕方で哲学について語ったり、書いたりしていたが、何人かの哲学者は、これまでとは異なるやり方で、哲学用語に向き合おうとし出していた。
 
⑬段落。先に述べたように、哲学用語の大部分はヨーロッパの言葉の訳語として始まった。…しかし、もとの言葉が何を意味するのかは、ごくぼんやりとしかわかっていないということは、十分にありうる。…その結果頻繁に起こることは、ひとが、哲学的主題について流暢に語ったり書いたりするにもかかわらず、自分が何について語り書いているのかわかっていないということである。…
 
⑭段落。こうした状況に対抗して、自分の責任で哲学用語を使おうとする若い世代の哲学者が出てきた。こうした哲学者たちは、自分が哲学の言葉をどのように使うつもりかを、翻訳語のもとになった西洋の言葉に訴えることなく、意識的に特徴づけようと努めた。それと同時に、日常の言葉からそれほどかけ離れていない言葉で哲学の議論を行おうともした。こうすることで、西田幾多郎を中心とする京都学派に代表されるような秘教的な哲学のスタイルを追放しようとした。
 
⑮段落。哲学では抽象的な概念を表す言葉を使わないで済ますことができないが、若い世代のこうした哲学者たちは、具体的な例を通じてそうした表現に説明を与えようとした。同様に重要なのは、仏教や儒教を借りて西洋の抽象名詞の訳語として作られた日本語の抽象名詞を使わずに、自分が何を言いたいのかを表現することである。抽象名詞の使用を避ける良い方法は議論の主題と関係する領域に対して使われる動詞や形容詞に注目することである。…
 
⑯段落。これはちゃんとした研究が必要だが、1960年代に書かれた日本語の哲学の文章を眺めるならば、相変わらず、もっぱら漢字で表された抽象名詞でページが黒くみえるようなものに混じって、それほど漢字で埋め尽くされていないために白っぽくみえるものがあることに気付く。こうした文体の変化の背景にあるのは、哲学用語に対する態度の変化であり、さらに、「その底には、哲学観の変化がある」(傍線部(ウ))。
 
⑰段落。前の世代から受け継いだ哲学言語を、日本の哲学者が意識的に作り直そうとし始めてから、だいたい半世紀経った。…一般に、哲学にかかわる人々の間で、表現が明瞭であることは、すぐれた哲学の文章であるために必要だと認められている。そして、現在われわれは、自分たちの用途に十分であるような哲学の言語を所有している。
 
⑱段落。こうした展開が生じたのが、哲学の国際化と国際共通語としての英語の独占的優位の確立と、ほぼ時期を同じくしたということは、大きな皮肉である。
 
⑲段落。最近生じた哲学の国際化は、哲学がより広範囲の地域のより多くの人々にとって重要となったから生じたということでは決してない。…その反対に、哲学が高度に専門化したことがむしろ哲学の国際化を推進してきたのである。…
 
⑳段落。こうした専門化は、その必要性が容易に予想できる分野…だけにとどまるものではない。存在論、認識論、倫理学といった、哲学の中核的分野までが、専門家のものになっている。こうした分野どれについても、その分野の研究者になりたいと思う者は、専門用語に満ち、しばしばテクニカルでもある、膨大な先行研究をマスターしなければならない。
 
㉑段落。哲学における専門化は、専門家どうしの国際的な意見交換のための共通言語として英語を採用することを伴っている。…
 
㉒段落。現在見られるような専門化にまったく何の利点もないわけではない。…
 
㉓段落。しかしながら…哲学はいつも専門家だけのものであったわけではない。ある重要な意味で、それは、すべての人のためのものである。哲学のなかのもっとも重要な問題は同時に、何世紀にもわたって満足な解決を見出せないでいる、もっともむずかしい問題でもあるが、それは、世界のなかでの自分の位置について考えようとするひとならば必ず関心をもつような問題でもある。
何かを選択したり、行うとき、われわれは自由にそうしているのか。
時間は実在するか。
すべてがそのうちになくなるのならば、人生に意味はあるのか。
 
㉔段落。こうした問いは、哲学の教育を何ら受けていない人であっても、ときには気になる問いである。…こうした問いに真剣に取り組み、それがどんな内容をもち、誰をも満足させるような答えを与えるのがむずかしいのはなぜかを、普通の人にわかるような言葉で説明するのは、哲学者の仕事である。
 
㉕段落。現在の日本には、哲学を専門とする教師や学生といった範囲を超えた広い読者をもつ何人かの哲学者がいる。かれらの書くものは…現在の日本の文学のなかで、小さくはあるが、決して無視できない部分を占めている。日本の文学の将来についての水村の憂いが、もしも正しければ、こうした哲学の文章もまた、日本語で書かれた文学一般と同じ運命をたどることになろう。そうすると、「またしても皮肉なことに、一般の読者のための優れた哲学書を生み出せるほどに日本の哲学言語が成熟したまさにその時に、この言語に未来はないと言うことになる」(傍線部(エ))。
 
㉖段落。だが、本当だろうか。将来においては、専門家のためであれ、一般読者のためであれ、哲学はすべて英語でなされるようになるのだろうか。
 
 

問一「哲学のための十分な言語を作り出すことのむずかしさ」(傍線部(ア))とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題。傍線部(⑦)を含む一文で確認すると、西洋の哲学が近代日本で経験した困難の理由の一つとして「哲学のための十分な言語を作り出すことのむずかしさ」を挙げているわけだから、具体的な文脈の中でそれを説明することになる。まず、この「むずかしさ」は「明治のはじまりの頃(a)」(⑥)のものであった。その「むずかしさ」は、「文学の場合とは比べものにならないほど(b)」(⑦)のものであった。そして、哲学のための新しい用語をもつことで、日本人は「西洋に由来する哲学的問題や主張を議論できるようになった(c)」(⑨)、という帰結(外形)を確認する。
 
その上で、⑧段落からどういう「むずかしさ」があったのかという内実にあたるものを抽出すると、「哲学は、ある程度一般的で抽象的な概念を必要とする(d)/(その概念に相当する)特殊な語彙が、ごく短期間に作られた(e)/その際、(中国から渡ってきた)儒教や仏教に由来する語が転用されることもしばしば生じた(f)」となる。以上の要素をまとめ、「明治初期に(a)/西洋に由来する哲学的主題を議論する上で(c)/儒仏に由来する漢語を転用しつつ(f)/他の文学より(b)/一般的で抽象的な概念を表す(d)/言葉を生み出す困難に迫られたこと(e)」と解答する。
 
 
〈GV解答例〉
明治初期に西洋に由来する哲学的主題を議論する上で、儒仏に由来する漢語を転用しつつ、他の文学より一般的で抽象的な概念を表す言葉を生み出すという困難に迫られたこと。(80)
 
〈参考 S台解答例〉
伝統的な儒教や仏教とまったく異なる新しい観念の世界が広がっている西洋哲学の受容には、従来の一般的で抽象的な言葉と概念とは異なる特殊な語彙が求められたということ。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
西洋哲学という新たな観念世界を近代の日本に定着させるには、その主題や問題を表現しうる非日常的な抽象概念を表す語彙を、短期間で作るという困難が伴ったということ。(79)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
哲学は日常語とは異なる抽象的で特殊な言葉を必要とするために、西洋哲学の概念を日本に移入する際に、儒教や仏教とは異なる語彙を短期間につくる必要があったということ。(80)
 
 

問二「こうした文を生み出したひとが、その意味を説明できない」(傍線部(イ))とあるが、それはなぜか。80字以内で説明しなさい。

 
理由説明問題。傍線部は、カントの文章を理解するには「翻訳」に頼らざるをえないことについて述べた具体例に続く、⑪段落の末文にある。「こうした文」というのは、ドイツ語のいくつかの語(概念)を日本語の「てにをは」で結び付けたような文のことを指している。なぜ「こうした文を生み出したひとが、その意味を説明できない」のか。その根拠は、直前の具体例をさらに遡り、⑩段落の内容(抽象部)に求めなくてはならない。
 
そこで⑩段落の内容によると、「こうした哲学用語(→西洋由来の哲学的概念を漢語を転用しつつ翻訳した哲学用語(←問一))が日本語の一部として確立(a)」→「正確な意味どころか、漠然とした意味の了解も伴わずに、哲学用語を使うようになる(b)」→「理解の錯覚の蔓延(c)」(→「その意味を説明できない」)という論理が見出せる。解答は、特にbの表現を工夫して、「元来、西洋由来の哲学的概念を漢語を転用しつつ翻訳した哲学用語が、日本語の一部として定着することで(a)/元の概念との意味対応が意識されないまま(b)/流通するようになるから(c)」となる。
 
 
〈GV解答例〉
元来、西洋由来の哲学的概念を漢語を借用しつつ翻訳した哲学用語が、日本語の一部として定着することで、元の概念との意味対応が意識されないまま流通するようになるから。(80)
 
〈参考 S台解答例〉
西洋哲学の用語が日本語の一部として確立し、意味を正確に理解せずとも使えるために、人はその用語で西洋哲学の原語を置き換えるだけで理解したと錯覚しているだけだから。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
哲学を専門とする者が、西洋の哲学用語を性急に日本語に置き換えて作りだした哲学的文章を、たんにそれも日本語だという理由で理解したような錯覚に陥っているだけだから。(80)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
西洋哲学の用語を一つ一つ日本語に翻訳した文は、言葉を機械的に置き換えただけで、実は翻訳者自身も原語の概念の正確な意味を十分了解していないまま書かれたものだから。(80)
 
 

問三「その底には、哲学観の変化がある」(傍線部(ウ))とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題。「その底」の「その」が指す内容は、直接的には「文体の変化」の背景にある「哲学用語に対する態度の変化」である。そして、「その底」に「哲学観の変化」がある、というのが傍線部(⑯)である。つまり、本文の叙述の順に従えば、「文体の変化」(現象A)→「哲学用語に対する態度の変化」(本質/現象B)→「哲学観の変化」(本質C)ということだが、解答としてはそれを逆転させて「Cが、AとするBを促した」(本質→現象)とするのが座りが良いだろう。
 
まず「AとするB(態度)」については、「自分の責任で哲学用語を使おうとする(a)/日常の言葉からそれほどかけ離れていない言葉で哲学の議論を行おうともした(b)」(⑭)、「西洋の抽象名詞の訳語として作られた日本語の抽象名詞を使わずに(c)/議論の主題と関係する領域に関して使われる動詞や形容詞に注目する(d)」(⑮)が要素として抽出できる。ここから先に後半をまとめると、「Cが、抽象名詞に頼らずに(c)/その動的用法に注目し(d)/自分の責任で(a)/日常に適う(b)/哲学用語を使おうとする(a)/哲学者の態度を促したということ」となる。
 
その上で、「用語に対する態度の変化」を促した「哲学観の変化」(C)だが、これについては傍線部より前に明確に示された記述は見当たらない。ただ、上記の態度変化の帰結として、「京都学派に代表されるような秘教的な哲学のスタイルを追放しようとした」という、⑭段落の記述は手がかりになるだろう。つまり「変化後」に相当する哲学観は、従来型の「秘教的な哲学のスタイル」と対極のものになるはずだ。そして、その「変化後」は⑰段落以降の記述で繰り返し示唆されている。「一般に、哲学にかかわる人々のあいだで、表現が明瞭であることは、すぐれた哲学の文章であるために必要だと認められている(⑰)/(何かを選択したり、行うとき、われわれは自由にそうしているのか…)こうした問いは、哲学の教育を何ら受けない人であっても、ときには気になる問いである。…こうした問いに真剣に取り組み、それがどんな内容を持ち…普通の人にわかるような平易な言葉で説明するのは、哲学者の仕事である(24)」。以上を踏まえ、Cを「秘教的だった哲学を/日常の問いに開こうとする動き」とし、先述のものに接続させて解答とする。
 
 
〈GV解答例〉
秘教的だった哲学を日常の問いに開こうとする動きが、抽象名詞に頼らずその動的用法に注目し、自分の責任で日常に適う哲学用語を使用する哲学者の態度を促したということ。(80)
 
〈参考 S台解答例〉
日本語の哲学の文章から抽象名詞が減ったのは、哲学用語の使用法を意識し、哲学は日常語に近い言葉で議論する、普通の人のためのものでもあるという認識によるということ。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
西洋の概念を翻訳した抽象名詞ではなく、日常的で具体的な言葉を用いる動きは、閉鎖的だった哲学を万人に理解可能なものにしようとする意識に支えられているということ。(79)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
日本の哲学の文章が漢語の多い難解なものから日常語を多用したものに変化した背景に、哲学は学者だけでなく一般の人も対象とするべきだとする考えの変化があるということ。(80)
 
 

問四「またしても皮肉なことに、一般の読者のための優れた哲学書を生み出せるほどに日本の哲学言語が成熟したまさにそのときに、この言語に未来はないということになる」(傍線部(エ))とあるが、どういうことか。本文全体の論旨をふまえたうえで、160字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題(主旨)。解答のアウトラインは見えやすい。「またしても」は、「文学言語の皮肉」と「哲学言語の皮肉」を並べる。「皮肉(アイロニー)」が「予期に反する結果をもたらすこと」(時間的パラドクス)であることも踏まえ、「A→R1→Bのように/C→R2→D」(AとB、CとDは対立関係/R1とR2は対立を導く原因/AとC、BとDは対応関係)という形でまとめるとよい。当然「哲学言語」が主題なので、後半の記述を厚めにする。
 
まず「A→R1→B」については、①〜⑤段落。「文学の分野で/多くの試行錯誤の末/日本語の文学言語が確立した(A)」(④)、しかし「グローバル化の進行により(R1)/その将来性が危惧される(B)」(①⑤)。次に「C→R2→D」については、⑰〜26段落。「哲学の分野でも/半世紀を経て/日本語の哲学言語が一般の読者にも届くようになった」(⑰)、しかし「同じく進行した/哲学の専門化に伴う/国際化により(R2)」(⑱⑲)、「その未来が危ぶまれる」(25)。以上を骨格に、適宜肉付けして分かりやすく示せばよい。解答は下の通り。
 
 
〈GV解答例〉
文学の分野で、多くの試行錯誤の末、日本語の文学言語が確立した今、グローバル化がその使用を無効化するように、半世紀を経て哲学言語が成熟し一般の読者に哲学が届くようになったこの時代に、同時に進行した哲学の専門化に伴う国際化の帰結として、文学の一分野である哲学でも、それを日本語で表現することの意味が失われつつあるということ。(160)
 
〈参考 S台解答例〉
日本の近代文学は、日本語で書かれた国民文学に適した文学言語を作り出せた現在、英語のグローバル化による独占的優位を背景に、将来の存在意義が危惧される。同様に、日本の哲学においても、普通の人にも通じる平易な日本語の哲学言語が熟した現在、共通言語として英語を採用する哲学の国際化を背景に、将来の存在意義が危惧されるということ。(160)
 
〈参考 K塾解答例〉
近代的主題を表現できる日本語が根付いた頃に、英語を中心とする世界文学において日本文学が意義を失いつつあるのと同様に、日常的な語彙で一般の人々に語りかけるというあるべき姿に近づいた哲学的な日本語が、専門化が進むことで英語を共通言語として用いるようになっている哲学の趨勢のなかで、将来性を見出しにくくなっているということ。(159)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
日本の近代文学は多くの試行錯誤の末に、比較的自在に使える文学言語を所有した時点で、グローバル化の中での少数読者の言語として将来性を失う皮肉な道を辿った。同様に、哲学言語は、平易な日本語で一般読者に哲学の本質を問えるようになったが、同時に哲学が国際化した結果、日本独自の哲学表現は使われなくなる運命になるだろうということ。(160)
 
 

問五(漢字の書き取り)

(a)変貌 (b)芝居 (c)漠然 (d)完璧 (e)膨大