〈本文理解〉

出典は清水幾太郎『流言蜚語』。
 
①段落。報道は人間の生理的な必要である。しかもこの必要は近代になってから日をおってその強度を増している。それには色々な理由が考えられる。第一に経済的にも政治的にも文化的にも世界の諸国が緊密に結び合わされ、そのために世界の片隅に起こった事件がやがて各個人の生活に影響を及ぼすようになって来たからであろう。…第二に社会の事情が甚だしく複雑性を加え来っていることが考えられる。…第三に社会の変化と運動とがその激しさを加えて来たことを指摘しよう。…資本主義社会は本質的に動く社会であり不断の変化を伴う社会である。…動く社会は報道を必要とする社会である。第四に近代社会においては各個人が自分で生きていかねばならぬということが注意されねばならぬ。…自ら生きようとするものは、自ら環境に適応せねばならず、自ら環境について知らねばならぬ。「現代の人間が報道を欲するのは、その当然の権利に基づいている」(傍線部(1))ことである。
 
②段落。現在のほど、交通、通信の機関は高度に発達した技術を基礎として立っている。…現代においては人間の生活に作用を及ぼすものが、およそ眼や耳の届かぬ遠隔後に住んでいる。…感覚器官は補足されねばならぬ。延長されねばならぬ。発達した技術的装置はあたかも新しい眼であり耳である。…既に今日では吾々の感覚器官そのものになっていると言えるかも知れない。…新聞が毎朝配達され、ラジオが朝から晩まで喋っているという状態は、今日の吾々にとって特にはっきりと意識する必要のない当たり前の生活である。…
 
③段落。ところで吾々の感覚器官の延長であるようなものが突然その機能を停止するか…吾々がそれから遮断されるというような場合を考えて見よう。…その時我々の心は何事でも自由に書き記すこともできる白紙になってしまう。しかし白紙という表現はあまり適切なものでないであろう。蓋しこの白紙は暗い底知れぬ不安によって一色に塗られているからである。それは眼や耳が急にその機能を果たせなくなったのと同じであろう。「そうではない」(傍線部(2))。それよりももっと不安なものである。…感覚器官の補足乃至は延長がその機能を営まなくなった時、その原因は勿論自分の身体の内部などにあるのではない。自分の外に、しかも今となっては容易に知ることもできない所にあるのである。…吾々が目隠しをして往来を歩かせられた場合、「水溜まりがある!」と言われると、もう一ヶ月も好天気が続いているということを考える暇もなく、いやたとえ考えたとしても思わず足をとどめるであろう。これと同じように報道、通信、交通がその機能を果たさなくなった時、社会の大衆は後になっては荒唐無稽として容易に片づけることも出来るような言葉もそのまま受け容れるのであって、「どんな暗示にも容易にひっかかってしまうものである」(傍線部(3))。
 
 

〈設問解説〉 問一「現代の人間が報道を欲するのは、その当然の権利に基づいている」(傍線部(1))のように筆者が考えるのはなぜか、説明せよ。(4行)

理由説明問題。傍線部は長い①段落の末文。段落冒頭も「報道は人間の生理的な必要である。しかもこの必要は近代になってから日をおってその強度を増している」とあり、続けて四つの理由が説明される。傍線部の理由もそれに当たる。ただし、単に報道が「必要」な理由を問うているのではなく、報道が現代人にとって「当然の権利」だとする理由について問うているのだから、解答もその要求に合わせてチューニングしなければならない。
 
解答は、前三つを現代における外部環境の変化としてまとめ、それに対して近代社会はその性格上、各個人に環境への適応を課すから、と締めた。加えて②段落の内容から、そうした環境が眼や耳のような感覚器官では対処不能であることを指摘し、その代替としての「報道」の必然性を示した。
→「至高の現代文/解法探究29」「18. 着地点からの遡及」参照
 
 
〈GV解答例〉
経済・政治・文化面における世界の一体化が進み社会が複雑性を増し、資本主義の下でその変化と運動が激しさを加える現代において、近代社会は感覚器官では捕捉できない環境に適応して生きることを各個人に課すから。(100)
 
〈参考 S台N師解答例〉
近代以降、世界の諸国が緊密に結合して各個人の生活に影響を及ぼし、社会の事情は複雑化し、変化と運動が激化した。現代の人間が報道を欲するのは、その社会で自ら生きるため、適応すべき環境について知る生理的な必要であるから。(107)
 
〈参考 T進解答例〉
世界の諸国が緊密に結び合い、社会の事情が複雑性を伴って、変化と運動が激しさを増す現代社会において、主体的に生きることが求められる個人には、環境に適応するための知識の媒介として、報道が必要不可欠であるから。(102)
 
 

問二「そうではない」(傍線部(2))はどういうことを言っているのか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。「そう(X)」を具体化した上で、「そうではない」というネガ規定に対応する「Yである」というポジ規定を指摘するとよい(ないある変換)。Xについては傍線直前より「外部環境に対して/報道、交通、通信の機関が機能しないことは/感覚器官が機能しないのと同じく/人間に底知れぬ不安を与える」とまとめられる。一方、Yについては傍線直後から「報道、交通、通信の機関が機能しないことは/感覚器官が機能しないことよりも/底知れぬ不安を与える」とまとめられる。
 
上記の内容に加えて、「報道、交通、通信の機関(情報メディア)」の機能不全が「底知れぬ不安」を与える理由について、近代(現代)を生きる上で外部情報の取得は必須の条件であること(←①の「第四」)、感覚器官の内在性に対する情報メディアの外在性と不可知性(←傍線後部の内容)、を導き、Yの合間に配して解答とした。
→「至高の現代文/解法探究29」「20. ないある変換」参照
 
 
〈GV解答例〉
現代を生きる上で必須の外部情報を伝える媒体が機能しない場合、その外在性と不可知性ゆえに、感覚器官の機能不全以上に底知れぬ不安を各人に与えるということ。(75)
 
〈参考 S台N師解答例〉
感覚器官の補足・延長である報道・通信の急な機能不全は、原因が体内にあり、治癒可能な眼や耳とは異なり、原因が自己外部にあって容易に知りえず、より不安であるということ。(82)
 
〈参考 T進解答例〉
眼や耳の機能不全が自分の身体に起因するのに対し、報道、通信、交通の機能不全は、自己解決できない外部に起因する点で、より強い不安を生じさせるということ。(75)
 
 

問三「どんな暗示にも容易にひっかかってしまうものである」(傍線部(3))のような事態が起こるのはなぜか、本文に即して答えよ。(5行)

理由説明問題。傍線部が前問のそれと近いところにあり、解答範囲の住み分けに戸惑う生徒もいるだろう。それに対する出題者の配慮として「本文に即して」という断りが加えてある、と見ることもできる。
 
まず傍線部は「これと同じように報道、通信、交通がその機能を果たさなくなった時、社会の大衆は後になって荒唐無稽として容易に片づけることも出来るような言葉もそのまま受け容れるのであって」に続くので、この直前部自体が直接理由の根拠となる。「これ」が指すのは感覚器官の機能不全のケース、目隠しをされている時、一ヶ月好天気が続いていても「水溜りがある」と言われて足をとどめてしまうのは、理性的(合理的)な判断ができないからである。これは情報メディアの不全についても同じ。さらに本文を遡れば、合理性を妨げるのは、これも感覚器官の不全と同じ、「底知れぬ不安」なのである。ここでは感覚器官の不全との共通性について考えるのであり、情報メディア特有の条件(外在性と不可知性)は考慮から外す。以上より、傍線部の直接理由は「情報メディアが機能不全に陥った場合に生じる底知れぬ不安により/合理的判断が妨げられるから」となる。
 
ここから本文全体を見渡して、直接理由の理由、すなわち根本理由へと遡及する。その一つは、①段落、問一で答えた内容、「社会の大衆」にとっても「激しい変化で/複雑性を増す/世界規模の情報」を取得することが「生存の条件」となっていること、である、もう一つは、②段落、感覚器官の補足と延長である情報メディアへの依存は、感覚器官がそうであるのと同じく、「特にはっきりと意識する必要のない当たり前」となっているということである。その当たり前(自明)の状態が遮断されることで(しかもそれは生存の条件でもあった)、大衆は「底知れぬ不安」に陥り「合理的な判断」が妨げられる、という筋なのである。
→「至高の現代文/解法探究29」「21. 根本理由への遡及」参照
 
 
〈GV解答例〉
現代の大衆にとって激しい変化で複雑性を増す世界規模の情報を得ることが生存の条件となり、感覚器官を補足・延長して情報を届ける媒体への依存が自明なものとなっている以上、その媒体が機能不全に陥った場合に生じる底知れぬ不安により合理的な判断が妨げられるから。(125)
 
〈参考 S台N師解答例〉
人間生活に作用を及ぼすものが遠隔地にある現在、報道・通信・交通は、感覚器官の延長・補足以上の生理的な必要となっている。それらが機能を果たさなくなったとき、社会の大衆は環境に適応できず強い不安に駆られ、いかなる無根拠な誤情報をも受容してしまうほど批判的思考力が低下するから。(136)
 
〈参考 T進解答例〉
人間の感覚器官のように浸透して意識されぬまま安心感を与えていた報道、通信、交通の機能停止は、遠隔地情報の取得を困難にして安心を喪失させ、自己解決が難しいためと不安の助長をまねき、機能停止や情報が遮断されるとといった問題の発生時にはそれが根拠のない内容であっても無批判に大衆に受容されるから。(145)