〈本文理解〉
出典は加藤周一「E.M.フォースターとヒューマニズム」(1959)。
①段落。E.M.フォースターがアンドレ・ジードについて書いた時ほどよく彼自身について語ったことはない。
「ヒューマニストには四つの特徴がある。すなわち好奇心、自由な心、よき趣味、人間に対する信頼であり、ジードにはそのすべてが備わっている」と。
②段落。好奇心はフォスターの場合殊に、思想と意見、文化と歴史の「多様性」の尊重となってあらわれている(以下「自由な心」「よき趣味」について)。また人間に対する信頼は、社会問題に対する彼の考えのなかでもおそらくいちばん重要な「寛容」の原理を導き出すはずである。フォースター自身のヒューマニズムの定義に従えば、彼自身がもっとも典型的なヒューマニストであろう。
③段落。しかしおそらくはじめに断り書きをしておいた方が便利だろうと考えられることがある。それは、彼の世界が公的(社会的)な面と、私的(個人的)な面とに、はっきりと分けられているということである。一方に通用する原理は、必ずしも他方に通用しない。たとえば「寛容」の原理は、社会的な面では重要であるが、私的・人格的な交わりのなかでは必ずしも最高の原理とは考えられていない。フォースターの世界を語るに当たって、私はまずその社会的な面からはじめる。…
④段落。まず「多様性」の尊重は、政治的にはイギリス流民主主義の支持となってあらわれている。なぜなら今までのところ政治的意見の多様性を尊重する政治制度はその他にはないだろうからである。
⑤段落。民主主義が制度上の「多様性」尊重であるとすれば、その倫理的背景は「寛容」の原理に要約される。「彼は政治とか文明とか公的な問題に関して「愛」の原理をもち出すのは、見当ちがいだということを強調し」(傍線部A)、その代わりに「寛容」を説いている。
「愛は私的な生活においては大きな力である。すべてのもののなかでもっとも偉大でさえあるだろう。しかし公的な事柄については役にたたない。…国と国、または商売人と商売人、またポルトガルの人間とペルーの人間が、お互いにきいたこともない相手と愛し合わなければならないという思想は、不合理で、非現実的で、危険である。…」
「実際にわれわれが愛することができるのは、個人的に知っている相手だけである。…公的な事柄、たとえば文明の再建とかいうようなことには、愛ほど劇的でも感動的でもない何ものか、すなわち寛容が必要である。」
⑥段落。そこで寛容とは具体的にどういうことを意味するのだろうか。
⑦段落。世の中には沢山の人間がいる。その大部分をわれわれは知らない。その一部分をわれわれは好まない。どうしたらよいか。
「二つの解決法がある。その一つはナチの方法である。…もう一つの方法はそれほど戦慄的でない民主主義的な方法であって、私はその方法がましだと考える。好まない人間は、できるだけ辛抱する。できもしないのに彼らを愛そうと無駄な努力をしない。しかし彼らをがまんする努力をするのだ。この努力、すなわち寛容の基礎の上に、将来の文明を築くことができるかもしれない。…」
⑧段落。私は「この考え方」(傍線部B)に賛成する。賛成する理由は、私もまた寛容と民主主義の原理が愛の原理と、常に矛盾しないとしても、多くの場合に矛盾すると考えるからである。その両方を救おうとすれば、一方を個人的面にかぎり、他方を社会的面にかぎって、一種の二元論をとる他はないだろう。
⑨段落。しかしこのような二元論は忽ち多くの疑問をよびさます。疑問のなかでもいちばん大きな疑問は、いうまでもなく、個人的な原則の要請と社会的な原則の要請とが特別の極限状況で矛盾する場合、いずれの原則を優先的とするかということである。私は決定的な答えを知らない。しかしフォースターは徹底的に個人的な原則をとるのである。…
⑩段落。しかし「愛」が個人的な人間関係にかぎる以上、また愛を良識以上のものと考える以上、個人的なものが極限状況で優越するのは、当然だといえるだろう。また公的・社会的な人間関係を律する基準として良識以上のものを認めない以上、社会思想の相対化は免れない結論である。一方すべての絶対的な思想の根源は決して知的な良識ではなく、必ず信念を根本的な支えとしている。そこで議論を一般的な言葉で表現すれば、次のようになる。
「私は信念なるものを信じない。」(傍線部C)
⑪段落。…
⑫段落。この個人主義者は、自由な心を尊重する。自由な心は公正な判断の主体である。そして
「公正であることは信念をもつかぎり不可能である。」
⑬段落。…
⑭段落。しかし、民主主義に話を戻していえば、何らかの信念にもとづいて行使される暴力に対して、信念を信じない立場からは何をすることができるだろうか。「もう一つの信念をもって対しなければ、抜け道があるまい」(傍線部D)という疑問が当然おこる。疑問がおこるというよりも、事実抜け道はないのであり、もちろんフォースターはそのことを十分に心得ていた。彼はおどろくべき静かな諦めの調子でこう呟く、そんなことは忘れて暮らす他はない、それは考えても解決の道を見出すことのできない問題である、と。
⑮段落。政治は何ら「値打ちのあるもの」をつくり出さない。つくり出すのは、芸術である。しかし、芸術的創造のためには、信念と不合理な情念が必要ではないだろうか。
⑯段落。政治的社会的領域で信念の役割を否定するフォースターは芸術的領域ではそれを認める。芸術的創造は、良識と寛容の問題ではない。芸術は良識を超えるものを含めての総体的な現実に、秩序を与える仕事である。…
⑰段落。しかしとにかく芸術は大切なものの一部でしかない。またおそらくすべての人間に大切なものではなく、一部の人間にしか大切でないものである。すべての人間にとって大切なのは、いうまでもなく人間の個人的及び社会的生活の全体だろう。その人間の生活についてこのようなものの考え方は誰にでも通用するものであろうか。…イギリス本土には通用しても、イギリス植民地には通用しないだろうし、イギリス本土のなかでも中産階級に通用して、肉体労働者には通用しないだろう。
⑱段落。…
⑲段落。フォースターの思想の背景は、イギリスの中産階級、広くみればヨーロッパの中産階級である。
⑳段落。たとえば彼の民主主義的寛容の原則が、個人的な人間関係ではそのまま最高原理として通用するのではないという点を、私は繰り返し強調した。しかし原則が実際にある程度まで通用しているのは、社会一般においてではなく、ヨーロッパの中産階級の内側においてである。そこに「第二限界」がある。
問一「彼は政治とか文明とか公的な問題に関して『愛』の原理をもち出すのは、見当ちがいだということを強調し」(傍線部A)とあるが、なぜか。傍線部の後の引用部分に即して40字以内で説明せよ。
理由説明問題。「傍線部の後の引用部分に即して」という断りがあるから、直接的な根拠としては引用部分から取るとしても、引用に入る前の流れを押さえておくのが筋だろう。まずは③段落、フォースターの世界(思想)は公的(社会的)な面と私的(個人的)な面に分けられ、特に「寛容」の原理は前者では重要だが後者ではそうでない、という内容。その上で⑤段落の傍線部「公的な問題に関して『愛』の原理をもち出すのは、見当ちがいだ」とし、その理由を問うのである。
ならば「公的な面」と「私的な面」が相反する領域だということを前提とした上で(③)、根拠としては引用部から「愛は私的な生活においては大きな力である…もっとも偉大でさえあるだろう(a)」と「お互いにきいたこともない相手と愛し合わなければならないという思想は、不合理で、非現実的で、危険である(b)」を拾う。このうちbについては、「愛」の原理を「公的」な場面に適用することの「不合理」性についての言及だと捉え、「非現実」「危険」はそれから派生するものとして解答からは除く。以上より、解答は「「愛」は私的生活における重大な原理であり(a)/公的な場面に適用するのは不合理だから(b)」となる。
〈GV解答例〉
「愛」は私的生活における重大な原理であり、公的な場面に適用するのは不合理だから。(40)
〈参考 S台解答例〉
愛は私的領域のものであり、見も知らぬ人間を含む社会では感傷主義の危険を招くから。(40)
〈参考 K塾解答例〉
寛容を要する国家同士の間柄などに、個人的な愛で対処するのは不合理だと考えたから。(40)
〈参考 Yゼミ解答例〉
人は個人的に知っている人間しか愛せず、不特定多数に愛を適用させられないから。(38)
〈参考 T進解答例〉
公的事柄は知らない人々も関わるが、愛は既知の人にのみ適用できる私的なものだから。(40)
問二「この考え方」(傍線部B)を40字以内で説明せよ。
内容説明問題。⑥段落「寛容とは具体的にどういうことを意味するだろうか」から「寛容」の原理に照準がしぼられる(a)。それを承け、世の中の大部分の人間を知らず、その一部を好まないとして(b)、どうするか、という問いに対し、フォースターの「二つの解決法」のうち「もう一つ」(⑦)に相当するのが、筆者の賛成する「この考え方」(⑧)である。よってabを前提とした上で、「もう一つ」の内容を⑦段落の引用部後半から抽出すればよい。根拠となるのは「民主主義的な方法(c)/好まない人間は、できるだけ辛抱する(d)/寛容の基礎の上に、将来の文明を築くことができるかもしれない(e)」。
以上をまとめて、解答は「知りも好みもしない他者と(b)/民主主義的原理に基づき(c)/社会的共存を目指す(d,e)/寛容の考え方(a)」となる。ここで「社会的」という言葉を用いたのは、「寛容」は「公的(社会的)」な面で重要な原理である(②③⑤)、という傍線以前に繰り返し強調される内容を踏まえてのことである。
〈GV解答例〉
知りも好みもしない他者と、民主主義的原理に基づき社会的共存を目指す寛容の考え方。(40)
〈参考 S台解答例〉
好まない人間を愛する努力ではなく、我慢する寛容さが民主主義では重要だということ。(40)
〈参考 K塾解答例〉
嫌いな人間を愛すより、我慢しようとする民主主義的な寛容が将来に資するという考え。(40)
〈参考 Yゼミ解答例〉
好まない人間を排除せず、無理に愛しもせず、寛容をもって我慢すべきだという考え方。(40)
〈参考 T進解答例〉
好まない人は排除しないが無理に愛しもせず、我慢する寛容を基礎に人と接する考え方。(40)
問三「私は信念なるものを信じない。」(傍線部C)とあるが、なぜか。40字以内で説明せよ。
理由説明問題。問一が「愛」の原理、問二が「寛容」の原理についての問題だったが、⑧段落までの趣旨は、「愛」の原理と対比しながら、フォースターの思想(ヒューマニズム)において重要視される「寛容」の原理は「公的(社会的)」な面に限られる(②③⑤⑧)、ということであった。⑨段落で「公ー私」の二元論の限界を指摘し、さらに転じてフォースターの「信念」の捉え方について検討していく箇所に傍線部はある。フォースターの思想について述べた加藤周一の文章である、というテクストの二重性を意識したい 。
傍線部「私は信念なるものを信じない」(⑩)とはフォースターの言葉であるが、その理由を加藤の説明に基づき構成する。まず、「信念なるもの」は「すべての絶対的な思想の根源」を根本的に支えるもの(a)、としている(⑩傍線前)。一方、フォースターは「自由な心を尊重」し、「自由な心は公正な判断の主体である」とみなした上で(b)、フォースター自身の言葉「公正であることは信念をもつかぎり不可能である」(c)を引用するのである(⑫)。このcを直接的な理由とし、abを間接的に配して次のように解答する。「自由と寛容を尊重し公正な判断をする上で(b)/絶対的思想を支える(a)/信念は相容れないから(c)」。ここで「寛容」という言葉を用いたのは、⑧段落までの論点を引き継ぎ、「絶対ー信念」との背反性を際立たせるためである。
〈GV解答例〉
自由と寛容を尊重し公正な判断をする上で、絶対的思想を支える信念は相容れないから。(40)
〈参考 S台解答例〉
信念は思想の絶対化を導き、良識に基づく自由な個人の公正な判断を妨げるから。(37)
〈参考 K塾解答例〉
公正を重んじ良識のみを公的基準とすれば、絶対的思想を支える信念は否定されるから。(40)
〈参考 Yゼミ解答例〉
信念は思想の絶対的根源であるため、多様性を尊重した社会思想の基礎にならないから。(40)
〈参考 T進解答例〉
絶対的な思想を支える信念は、個人主義の公正さや社会思想の相対化に反するから。(38)
問四「もう一つの信念をもって対しなければ、抜け道があるまい」(傍線部D)とはどういうことか。50字以内で説明せよ。
内容説明問題。傍線部は、「何らかの信念にもとづいて行使される暴力」に対して「もう一つの信念をもって対しなければ、抜け道があるまい」(⑭)という、加藤の判断である(直後に「フォースターはそのことを充分に心得ていた」と続く)。ならば、説明として「判断」に対する相応の「根拠」が求められよう。もちろん、フォースターの論理に即した説明となる。
その「根拠」について直接的な言及は見当たらないが、ここは問三の論理を裏に返せばよい。すなわち、問三が「寛容」の立場(フォースター)から「絶対ー信念」は相容れない、ならば、ここは「絶対ー信念」に対して「寛容」を訴えたところで、それを止める力になり得ない、よって、他の「信念(にもとづく暴力)」で対抗するしかない、という帰結となる(パレスチナにおけるテロと報復の連鎖を考えてみるとよい)。以上の考察により、答えは「絶対的思想を支える信念は寛容の精神を前提としない以上/原理的に他の信念により競うしかないということ」となる。「原理」というのは「それ以上遡及できない根本規定」という意味、つまり、そうする他に選択肢がない、ということ。
〈GV解答例〉
絶対的思想を支える信念は寛容の精神を前提としない以上、原理的に他の信念により競うしかないということ。(50)
〈参考 S台解答例〉
絶対化された信念に基づく暴力に対抗しうるのは、民主主義を支える良識ではなく別の信念だということ。(48)
〈参考 K塾解答例〉
民主主義的社会であるならば、特定の信条に基づく暴力は、別の信条によって対処しないと解決できないこと。(50)
〈参考 Yゼミ解答例〉
信念にもとづいて行使される暴力への態度を決定するには、その決定の根拠となる信念が不可欠だということ。(50)
〈参考 T進解答例〉
信念にもとづく暴力に対抗するには、個人主義者でさえ、別の何らかの信念を用いざるを得ないということ。(49)
問五「第二の限界」(傍線部E)について、80字以内で説明せよ。
理由説明問題(主旨)。「そこ」に「第二の限界」とあるから「第二」について指摘するのは容易。加えて「第一」を指摘することが求められるわけだが、その特定に全体を見渡し、十分な吟味をする必要がある。
まずは「第二」から。「そこ」の指す内容は、前文「原則が実際にある程度まで通用しているのは…ヨーロッパの中産階級の内側においてである」である。主語の「原則」というのは、さらに前文から「彼(フォースター)の民主主義的寛容の原則(a)」ということになるが、この文は「たとえば」で始まるから、このaを「第二の限界」の説明の主語として使うのはチグハグさを免れない。というのも、aが具体例なのに対して「第二の限界」の説明には一般性が担保されなければならないからだ。そこで前⑲段落の一般的記述、すなわち「フォースターの思想の背景は、イギリスの中産階級、広くみればヨーロッパの中産階級である」を合わせて「第二」を説明するとよい。「フォースターの思想は/広く見て欧州の中産階級を前提に構成されたものであり/その外部には通用しないこと」。
次に「第一」。これは、傍線部の前々文「彼の民主主義的寛容の原則が/個人的な人間関係ではそのまま最高原理として通用するのではない/と私は繰り返し強調した」が根拠となる。ただし先述したように、この文は「たとえば」で始まるので、このままでは「第一の限界」の説明に使えない。そこで「繰り返し強調」された中でも、特に⑧段落「一方を個人的面にかぎり/他方を社会的面にかぎって/一種の二元論をとる他はない」を利用し、「第一の限界」を説明すると、「フォースターの思想は/個人的面と社会的面に分ける二元論をとる他なく(→第二)」となる。が、これでは「限界」の指摘として漠然としすぎているような印象を与え、やはり不十分。一般性を担保するといっても程度があり、どの程度まで抽象するか/具体性を残すか、というのは相対的な判断になる。
そこで再び「民主主義的寛容の原則(a)」について検討してみると、加藤が「繰り返し強調」した「公ー私」の二元論(③⑤⑧)において、常に「寛容」の原理が「公」の側にあり、「私」には当てはまらないことが言及されている。また②段落、フォースターの引用で「社会問題に対する彼の考えのなかでもおそらく一番重要な「寛容」の原理」とされていることからも、「寛容」の原理はフォースターの思想で重要なキーになるものと捉えたい。さらに表題もそうだが、この文章はフォースターの「ヒューマニズム」について述べたものであることにも留意しよう。以上を踏まえ、解答は「フォースターのヒューマニズムは/その核となる寛容の原理も社会的場面に限られる上/広く見て欧州の中産階級を前提に構成された思想なので、その外部には通用しないこと」となる。
〈GV解答例〉
フォースターのヒューマニズムは、その核となる寛容の原理も社会的場面に限られる上、広く見て欧州の中産階級を前提に構成された思想なので、その外部には通用しないこと。(80)
〈参考 S台解答例〉
民主主義という理想の実現に必要な信念を芸術領域に限定し、公正な判断と良識や寛容を重視するフォースターの思想は、ヨーロッパの中産階級にしか通用しないということ。(79)
〈参考 K塾解答例〉
フォースターの思想は、個人と社会を区別する二元論に基づき、状況次第では矛盾を露呈し得る上に、社会一般ではなく、ヨーロッパの中産階級にのみ通用するということ。(78)
〈参考 Yゼミ解答例〉
寛容をもって公的な問題に対処する原理が最終的に個人的な愛や信念に敗北するだけでなく、生活全体を最優先する原理じたいが特定の階級内部でしか通用しないということ。(79)
〈参考 T進解答例〉
地上の大部分では民主主義と言う理想のために信念が必要だが、信念を政治的社会的領域で否定するフォースターの考えは、ヨーロッパの中産階級でしか通用しないということ。(80)