目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 〈設問解説〉問一 (漢字)
  3. 問二 「マクロとミクロのアクターを含めた、より重層的なガバナンス(統治)が求められている」(傍線部(1))とあるが、「マクロとミクロ」をより具体的に言い換えた表現を、本文中から30字以内で抜き出せ。
  4. 問三 「グローバリゼーションに伴うリスク」(傍線部(2))とあるが、筆者はグローバリゼーションがどのようなリスクを持つと言うのか。本文中の言葉を用いて簡潔に答えよ。
  5. 問四 「ベトナム語やペルシャ語など、よりローカルな言語」(傍線部(3))とある。 1.この段落では、ほかの「ローカルな言語」の例にも触れている。それにあたる言葉を本文中から抜き出せ。 2.1で答えたものと「ベトナム語やペルシャ語など」とは、どのように違うか。説明せよ。
  6. 問五 「循環的かつ混淆的な過程」(傍線部(4))とあるが、「循環的」「混淆的」とはそれぞれどのようなことか。本文中の言葉を参考に、必要に応じて言葉を補って説明せよ。
  7. 問六 「グローバリゼーションの一例として「スローフード」が挙げられる」(傍線部(5))とあるが、スローフードはどのような点で「グローカリゼーション」と言えるのか。本文中の言葉を用いて説明せよ。
  8. 問七 「創り出された「新たな伝統」」(傍線部(6))とあるが、筆者は「琉球國祭り太鼓」のどのような点を「新た」に「創り出された」側面とみているのか。四点に分けて記せ。
  9. 問八 「グローバルとローカルが循環し混淆する「グローカリゼーション」は彼らの心のなかでも進行中のようであった」(傍線部(7))とある。このことは、「琉球國祭り太鼓」が、今日のグローバリゼーションの時代にあって、どのような意義を持つ文化だということを示しているか。本文全体をふまえて100字以内で記せ。

〈本文理解〉

出典は渡辺靖『〈文化〉を捉え直す──カルチュラル・セキュリティの発想』。本問の後半では沖縄の創作エイサーが事例として挙げられるが、同年広島大学(法など)の第二問も「沖縄」をテーマとした小説(目取真俊)からの出題であった。

(前書き) 筆者は、「グローバリゼーション」には、市場経済や情報通信技術の進展という近代の特徴が拡張・深化した「スーパーモダン」という側面と、その進展が近代的な「国民国家」の枠組みを揺さぶっている「ポストモダン」という側面があるとしている。

①段落。今日のグローバリゼーションの時代にあっては、国家を否定することなく、国家に拘泥するでもなく、「マクロとミクロのアクターを含めた、より重層的なガバナンス(統治)が求められている」(傍線部(1))。国家を頂点とするピラミッド型のガバナンスではなく、よりネットワーク型のガバナンスと言っても良い。それによって「グローバリゼーションに伴うリスク」(傍線部(2))を分散しやすくなる。必ずしもナショナリズムを否定する必要はない。ただし、それは強制するものではなく、グローバルやリージョナル、ローカルやコミュナルな次元に開かれた郷土愛である必要がある。

②段落。同様に、例えば、日本の言語政策を考えた場合、ナショナルな言語としての日本語が重要であることは多言を要しない。(自国の言語で高等教育や研究・発表を行えることは世界的は当たり前のことではない)。その一方、グローバル言語である英語に堪能な人材、リージョナル言語としてのフランス語やスペイン語、アラビア語などを駆使できる人材、そして「ベトナム語やペルシャ語など、よりローカルな言語」(傍線部(3))を扱える人材をそれぞれ育成する必要がある。同時に、日本国内の少数言語や方言などを保護・継承する努力や手話や点字を普及させる努力も欠かせない。確かに、言語はコミュニケーションのための道具ではあるが、そこには長い歳月をかけて培われてきた多様な知識や価値観が埋め込まれている。世界が一つの言語の世界観に収斂されるのは、長期的には──生物多様性をめぐる問題同様──均質性ゆえの脆弱さとリスクを伴う。

③段落 (歴史教育の例)。

④段落 (日本の歴史教育における郷土史教育の必要性)。

⑤段落。言語や歴史のみならず、グローバル/リージョナル/ナショナル/ローカル/コミュナルという重層的な位相を踏まえながら文化について考える必要がある。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」は必要条件であっても十分条件ではない。ローカルに考え、グローバルに行動することもまた大切である。

⑥段落。その際、忘れてはならないのはグローバリゼーションとローカリゼーションを掛け合わせた「グローカリゼーション」という考え方であろう。社会学者R.ロバートソンらによって提唱された概念で「普遍主義の個別化」と「個別主義の普遍化」の相互作用を指す。グローバルなものがローカル化され、そのローカル化されたものがグローバル化し、さらにまたローカル化されてゆく。グローバルとローカルのどちらか一方が他方を単方向的に規定してゆくわけではない。また、グローバルとローカルのそれぞれの中身を不変固有のものと捉えることもしない。あくまで「循環的かつ混淆的な過程」(傍線部(4))と見なす考え方だ。

⑦段落。「グローカリゼーションの一例として「スローフード」が挙げられる」(傍線部(5))。1986年、ローマのスペイン広場にマクドナルドが出店したことに抗い、雑誌編集者C.ペトリーニが「アルチゴーラ」という美食の会を作ったのが契機だった。1989年にはNGO「スローフード協会」を設立、手間隙かけて作られた、その土地土地の食を見直し、普及させる国際的な社会運動を展開し始める。インターネットによって零細農家との直接取引が容易になったこと、先進国で健康志向やグルメ志向が高まったことなどを背景に、スローフード運動は、ファーストライフの象徴である米国を含め、国境を越えた広がりを見せた。社会に広く薄く存在するニーズを情報伝達コストの低いインターネットを通して糾合し、市場として成立させた点で、「ロングテール」の先駆的事例とも言えよう。さらにはマクロビオティック、オーガニック、ロハス、地産地消といった概念にも影響を及ぼし、食からライフスタイルに至るまで、様々な形でローカル化されつつ、かつグローバル化をつづけている。

⑧段落 (その他食のグローカル化の例)。

⑨段落。沖縄の創作太鼓集団「琉球國祭り太鼓」も興味深い。1982年に沖縄市の泡瀬を中心とする若者たちによって結成された「祭り太鼓」という団体は創作エイサーの草分け的存在だ。伝統エイサーが先祖供養を目的とし、毎年旧盆に各地区の青年会によって踊られるのに対し、創作エイサーは楽しむことを目的とし、地縁にも固執しない(1️⃣)。演舞の曲目には、ロックやヒップホップ、K-POPまで幅広く取り入れる(2️⃣)。振付けや小道具も現代風にアレンジし、エンターテイメントの要素も織り混ぜる(3️⃣)。それでいて伝統エイサーの音色やリズムも残している(2️⃣3️⃣)。伝統エイサーで太鼓を打つのは、原則、男性のみで、なかには男性しかエイサーに参加できない地域もあるが、「祭り太鼓」では女性の踊り手はもちろん、女性の太鼓打ちも何ら問題ない(4️⃣)。このように「創り出された「新たな伝統」」(傍線部(6))は若者や女性の心を捉え、100以上存在するほど活況を呈している。

⑩段落。近年、パレスチナ以外の地に住むユダヤ人のみならず、故郷から遠く離れた土地へ離散した集団のことを「ディアスポラ」と称する向きがあるが、沖縄からの移住者ならびその子孫や親戚による「琉球ディアスポラ」のネットワークは、北米や中南米に広く張り巡らされている。「祭り太鼓」は、そうしたネットワークを通して、現在、沖縄県内に10支部、県外に34支部、海外に12支部、総勢25000人のメンバーを擁するまでに成長している。…

⑪段落。私が2012年にヒアリングに訪れた際には、「祭り太鼓」での活動を通して沖縄の「外の世界」に関心を持ち、逆に「外の世界」が沖縄に関心を持ってくれることが自分たちの誇りになっているという声を多く耳にした。また、現代的な「祭り太鼓」を通して、伝統エイサーを含め、沖縄の伝統文化に初めて関心を抱くようになったという若者も少なくなかった。「グローバルとローカルが循環し混淆する「グローカリゼーション」は彼らの心のなかで進行中のようであった」(傍線部(7))。

〈設問解説〉問一 (漢字)

a培 b経緯 c専心 d零細 e活況

問二 「マクロとミクロのアクターを含めた、より重層的なガバナンス(統治)が求められている」(傍線部(1))とあるが、「マクロとミクロ」をより具体的に言い換えた表現を、本文中から30字以内で抜き出せ。

<答>グローバル/リージョナル/ナショナル/ローカル/コミュナル

問三 「グローバリゼーションに伴うリスク」(傍線部(2))とあるが、筆者はグローバリゼーションがどのようなリスクを持つと言うのか。本文中の言葉を用いて簡潔に答えよ。

内容説明問題。要求通り「本文中の言葉」で説明したいが、同①段落にはリスク自体の説明はない。構成を見よう。全体は①~⑥段落は総論、⑦~⑪段落は各論。①ではグローバリゼーションへの対処の方向性について述べ、②~④でその具体例。⑤⑥で再び一般化し、グローカリゼーションの必要性を説く(⑦~⑪はその成功事例)。「リスク」の内容についての言及は①及び⑤⑥(抽象論)には見当たらないが、①の具体例として言語について述べた②、特にその末文「(世界が一つの言語に収斂されることは)均質性のゆえの脆弱さとリスクを持つ」(A)がピックできる。ここは「言語のグローバル化」について述べたものだが、「グローバル化一般」にも成り立つだろう(自明)。加えて、この「均質」化により言語に含まれる「多様な知識や価値観」も失われる(B)、このことも「グローバル化一般」において無理はない(自明)。ABより「均質性の志向→多様性の損失→世界の脆弱化」という筋になる。「均質志向/多様性の損失」(C)がなぜ「脆弱」となるのか、について疑問が残るが、「本文中の言葉を用いて/簡潔に」という要求なので、ここで止めてよい(Cではシステムの変更に対処できない、よって「脆弱」ということだろう)。

<GV解答例>
均質性を志向するゆえに、多様な知識や価値観が損なわれ世界が脆弱化する。(35)

<参考 K塾解答例>
長期的には、多様な文化が一つに収斂されて、世界が脆弱化すること。(32)

問四 「ベトナム語やペルシャ語など、よりローカルな言語」(傍線部(3))とある。 1.この段落では、ほかの「ローカルな言語」の例にも触れている。それにあたる言葉を本文中から抜き出せ。 2.1で答えたものと「ベトナム語やペルシャ語など」とは、どのように違うか。説明せよ。

1は「日本語」でよいだろう。2では、その「日本語」とその他のローカル国語との違いを聞くが、「日本語」の他と違う特徴を端的に指摘すれば十分である。本問では問三、問五、問六のように「本文中の言葉を用いて/参考に」という要求がなく、実際そのまま使えそうな「本文中の言葉」がない。一応、同②段落「ナショナルな言語としての日本語が重要であることは多言を要しない(自国の言葉で高等教育や研究・発表を行える…)」(A)は根拠の一つにはなる。ただ、これをそのまま抜き出すだけでは不十分だ。ある程度、自明性をあてにして説明する必要がある。

まず、日本語は「ナショナルな言語」つまり「日本人一般の母国語」である点(B)が他と明確に違う。そこから、自国内での「コミュニケーションのための道具(②)」である(C)、という相違点も導けるだろう。そしてAより、(高等教育に限らず)自国内での教育のベース(知識伝達の手段)となる点(D)、も浮かび上がる。これに、母国語は思索の基礎である(E)、という常識も加え、BCDEで解答を構成する。

1.<答>日本語

<GV解答例>
2.日本人の母国語として、自国内での意思疎通と知識の伝達を円滑にし、思索の基礎となる点が違う。(45)

<参考 K塾解答例>
2.自国の言葉で高等教育や研究・発表が行えるかどうかといった違い。(31)

問五 「循環的かつ混淆的な過程」(傍線部(4))とあるが、「循環的」「混淆的」とはそれぞれどのようなことか。本文中の言葉を参考に、必要に応じて言葉を補って説明せよ。

内容説明問題。傍線部は⑥段落末文にあるが、同⑥段落の2文目以降の文(~5文目)を参考に、「循環」と「混淆」の性格を分けて説明すればよい。特に、「また」の前後、4文目「グローバルとローカルのどちらか一方が他方を単方向的に規定してゆくわけではない」と、5文目「グローバルとローカルのそれぞれの中身を不変固有のものと捉えることもしない」が、それぞれ「循環」「混淆」と対応することに気づきたい。

以上より、「循環」は「グローバルとローカルが→相互作用/相互規定→変容する」、「混淆」は「グローバルとローカルが→他方の要素を中身に取り入れて→ある」とまとめられる。

<GV解答例>
「循環的」 グローバルとローカルは、相互に作用し他方を規定しながら、変容していくということ。(40)
「混淆的」 グローバルとローカルは、自らの内に他方の要素を取り入れ、存在しているということ。(40)

<参考 K塾解答例>
「循環的」 グローバルなものがローカル化され、そのローカル化されたものがグローバル化することが繰り返されること。(50)
「混淆的」 グローバルとローカルの中身が不変固有のものではなく、両者が相互に規定し合いその中身が変化すること。(49)

 

問六 「グローバリゼーションの一例として「スローフード」が挙げられる」(傍線部(5))とあるが、スローフードはどのような点で「グローカリゼーション」と言えるのか。本文中の言葉を用いて説明せよ。

内容説明問題。「スローフード」(⑦)は「グローカリゼーション」(⑥)の例だから、「グローカリゼーション」の特徴である「循環的」「混淆的」な要素を⑦段落の「スローフード」の記述から抽出すればよい。まず、スローフード運動は、「マクドナルド」の出店、つまり「グローバル化」に抗うイタリアの「ローカル」な運動として始まった(A)。それが、やがて「国境を越えた広がり」を見せ、「社会に広く薄く存在するニーズを…糾合し、市場として成立させ」るに至るのである(B)。そして、「食からライフスタイルに至るまで様々な形でローカル化され」(さらにグローバル化され)発展しているのである(C)。
以上の流れには、A(グローバル→ローカル)→B(ローカル→グローバル)→C(グローバル→ローカル)の「循環」があり、それぞれの過程でグローバルとローカルが「混淆」しているとも言えるだろう。グローバルとローカルの「循環」(その結果の「混淆」)が明確になるように、まとめる。

<GV解答例>
グローバル化に抗う一地域の運動が、他地域のニーズを刺激し糾合して世界市場を成立させ、各地域で独自に発展していくという点。(60)

<参考 K塾解答例>
グローバルなファーストフードに対抗した、その地域の伝統伝統的な食文化を守る活動でありながら、そうした活動が世界各地に広まっている点。(66)

問七 「創り出された「新たな伝統」」(傍線部(6))とあるが、筆者は「琉球國祭り太鼓」のどのような点を「新た」に「創り出された」側面とみているのか。四点に分けて記せ。

内容説明問題。⑨段落から「新た」に「創り出された」要素を4つに別けて抽出する。上記の〈本文理解〉に、あらかじめ1️⃣4️⃣と符号をうっておいたので参照してほしい。ここでは傍線内容を「新た」に「創り出された」と限定している点と、解答欄の大きさ(一行ずつ、30字程度が妥当)から含めなくてもよいと考えられるが、元の「新たな伝統」の「伝統」にも配慮して解答してみた(そうでなければ容易すぎるので)。

<GV解答例>
・地域の先祖供養という目的から分離して、エイサー自体を楽しもうとする点。(35)
・伝統エイサーの音色やリズムを残しつつ、現代音楽を幅広く導入している点。(35)
・伝統的な振付けや小道具を現代風にアレンジし、娯楽性を織り交ぜている点。(35)
・伝統エイサーの原則を取り払い、役割形式を性別に関係なく開放している点。(35)

<参考 K塾解答例>
・先祖供養ではなく楽しむことを目的とする点。(21)
・演舞の曲目に多様な楽曲を幅広く取り入れる点。(22)
・振り付けや小道具を現代風にアレンジする点。(21)
・女性も男性同様に踊りや太鼓打ちに参加できる点。(23)

問八 「グローバルとローカルが循環し混淆する「グローカリゼーション」は彼らの心のなかでも進行中のようであった」(傍線部(7))とある。このことは、「琉球國祭り太鼓」が、今日のグローバリゼーションの時代にあって、どのような意義を持つ文化だということを示しているか。本文全体をふまえて100字以内で記せ。

内容説明問題(要旨)。まず傍線部内容、「琉球國祭り太鼓」(A)が「グローカリゼーション」(グローバルでローカル)であることを示す。これは、傍線の前「また」の前後を参照する。すなわち、Aを通して若者たちは「世界に目を向け」(グローバル)(B)、また「伝統/地域文化への理解を深める」(ローカル)(C)。そして、こうしたAは、「今日のグローバリゼーションの時代」に、どのような意義をもつのか。

「本文全体をふまえて」という要求(ヒント)があるが、本文全体の構成を把握していれば容易であろう。⑥段落で説明される「グローカリゼーション」は、今日の「グローバリゼーションに伴うリスク」(①)に対処するための観点として必要なものであった。その格好の事例がAなのである(D)。すなわち、「グローバリゼーション」の均質化志向に対して、Aは「ローカル」(C)を深化させることで抵抗の拠点となる。これに加えて、閉鎖的な性格の「ナショナリズム」(①)に陥ることもない(E)、という指摘を忘れてはならない。すなわち、Aは「世界に目を開く」開放性(B)において、偏狭な意味での「ナショナリズム」の陥穽を避けられるのだ。

以上BCDEにより、「AはBでありながらCである→閉鎖的なナショナリズムに陥ることなく→均質化を進めるグローバリゼーションに対抗する格好のモデルとなりうる(という意義がある)」とまとめる。

(余談) 現在のグローバル化は、近代システムの「片割れ」である市場化・自由主義化(キャピタリズム)を国境を越えて推し進めることで、かつての「相棒」であり分配システム(平等化)として機能した国民国家(ナショナリズム)を形骸化する。国民国家の解体、格差の拡大への国民の不安は、しばしば排外的なナショナリズムに絡め取られる。昨今の政治状況では、一方でグローバル化が強力に進められ、一方で偏狭なナショナリズムが扇動される(しかも、同じ勢力により)。その意味で沖縄は、「正気を保てる」場所かもしれない。

<GV解答例>
「琉球國祭り太鼓」は、若者の意識を世界に向けながら地域文化への理解を深める可能性をもつもので、閉鎖的ナショナリズムに陥ることなく、世界を均質化するグローバリゼーションに対抗する格好のモデルになりうる。(100)

<参考 K塾解答例>
世界の文化が均質化し、伝統文化が失われていく今日、沖縄の若者たちが伝統文化のエイサーを刷新して、グローバルに発信していくことで外の世界への関心を抱き、一方、世界の人々も沖縄に関心を寄せるという意義。(99)