目次
- 〈本文理解〉
- 〈設問解説〉問一 この文章は、現在の「ぼく」と「おじい」を描いた部分と「おじい」の回想を描いた部分から構成されている。「おじい」の回想部分は、どこからどこまでか。始まりと終わりをそれぞれ七字で抜き出せ(句読点を含む)。
- 問二 「黒く煤けた素焼きの瓶」(傍線部(1))とあるが、なぜ「瓶」は「黒く煤け」ているのか。その理由を説明せよ。
- 問三 「その分、沖縄が戦場になったと聞いたときの絶望は深かった」(傍線部(2))とあるが、なぜ、「その分」「絶望は深かった」のか。「その分」という語句の意味合いがわかるように説明せよ。
- 問四 「父」(傍線部(3))とあるが、同一人物について、それ以前では「父親」と呼び、それ以降では「父」と呼んでいる。その使い分けの効果について説明せよ。
- 問五 「体の奥からあふれるもの」(傍線部(4))とは何を意味するのか。本文中の一語を抜き出して答えよ。
- 問六 「そこはもう、故郷と呼べない場所であることをおじいは知った」(傍線部(5))とあるが、どういう点で、「故郷と呼べない場所」と言えるのか。簡潔に説明せよ。
- 問七 「夕方、ぼくは気が急いてもう一度おじいの家に行った」(傍線部(6))とあるが、なぜ、「ぼく」は「気が急い」たのか。この日のおじいの言動をふまえて説明せよ。
〈本文理解〉
出典は目取真俊の小説「ブラジルおじいの酒」。沖縄戦を背景とした内容だが、同年の広島大学第一問も、沖縄の「創作エイサー」を題材にしていた。場面に分けて、あらすじをたどる。
1️⃣(現在) 「飲んでみるな?」。差し出されたコップを受け取った。恐る恐る口にする。舌が温かく柔らかに包まれ、甘味が口中に広がる。花の匂いが鼻腔を漂う。匂いに誘われたのか、白地に黒の斑模様のオオゴマダラが部屋に舞い込んでくる。「捕ってはならんど」。帽子を手に立ち上がろうとしたぼくをおじいが制した。蝶は人の魂(まぶい)がこの世に訪れるときの姿なのだとおじいは言った。おじいは指先を酒に浸すと、テーブルに滴を作った。オオゴマダラは羽をV字型にして静かに降り、淡い金色の蜜を飲み始める。「この酒(さき)は特別な酒ど」。そう言っておじいは「黒く煤けた素焼きの瓶」(傍線部(1))を撫でた。だから年に二、三回、特別な日にしか飲まないのだ、と言った。「今日は特別な日な?」。ぼくの問いにおじいは笑ってうなずいた。それからコップの古酒を少しずつ含みながら語りだした。
2️⃣(出発) ブラジル行きの船に乗るため村を出る日の朝だった。おじいは父親に連れられて家から一キロほど離れた森にある洞窟(がま)に入った。父親は洞窟のいちばん奥まで行くと、重なり合った石をどけた。素焼きの瓶があった。瓶をはさんで向かい合ってしゃがむと、父親は蓋を覆った油紙の具合を確かめ、紐を解きながら言った。あと何年先か分からないが、おまえが帰ってくるまで酒を寝かせておくから。帰ってくるのを待っておるから。「そのときは一緒(まじゅん)に飲(ぬ)まんや」。父親は懐から出した杯に瓶の酒を酌んでおじいに渡した。酒の強さに舌が痺れる。返された杯に酒を酌んで父親は一気に飲み干した。それから父親は丁寧に蓋をすると、油紙で包んで麻紐で縛り瓶を隠した。「忘(わし)りんなよ」。立ち上がりながら言った父親の声が震えていた。おじいは耐えきれなくなって洞窟の闇に紛れて顔を拭いた。
3️⃣(ブラジル) それから、ブラジルに渡って苦しみにうちひしがれたとき、おじいを支えたのはいつか父親とその酒を飲むのだという思いだった。洞窟の中で泡盛が熟成するのと自分が帰ってくるのを待っている父親や家族のことを思い、おじいは孤独に耐え続けた。しかし、ブラジルの生活はいつまでも過去にとらわれていることを許さなかった。十年も経つと家族や沖縄のことを思い出すこともほとんどなくなった。ひと塊になって暮らしたがる沖縄の人々にうんざりして、最後の十数年は交流も断った。
そのうち日本がアメリカと戦争を始めた。沖縄人の入植地では狂信的なまでに日本の勝利を信じて疑わない人たちがいた。しかし、おじいは冷静だった。「その分、沖縄が戦場になったと聞いたときの絶望は深かった」(傍線部(2))。何十年もの間ろくに思い出すこともなかったのに、突然、家族と沖縄のことを思って眠れない夜が続いた。やがて沖縄は住民も含めて全滅したという話が伝わってきた。おじいはその話を決して認めなかった。沖縄に帰って自分の目で確かめようと思った。そう思い続けながらも各地を転々とする日が続いた。おじいが実際に沖縄に戻ったのは、戦争が終わって五年も経ってからだった。
4️⃣(帰沖) 那覇に一泊して、翌朝、南に向かうバスに乗った。故郷の村に着いて初めて、おじいは自分の生まれ育った集落(しま)が、米軍基地の金網の向こう側の世界になったことを知った。濃い緑や迷彩色の軍用車両が並ぶコンクリートのどこに、記憶の中の森や水田や家並みを重ねていいか分からなかった。途方に暮れて、金網に沿って歩いたおじいは、ふと、金網で半分に仕切られた森が、「父」(傍線部(3))と最後に行った森だと気づいた。監視の米兵の目を恐れることも知らず、走って森に入ったおじいは、たいして時間もかけず洞窟の入り口を見つけた。収骨されない遺骨や遺品がまだあちらこちらに残っていた。壁に残っている黒い煤が火炎放射器のものだと知ったのは、後になって話を聞いてからだった。この洞窟の中に家族も隠れていたのかもしれない。そう思うと胸の痛みと息苦しさを抑えきれなくなる。火を点け、手当たり次第に石をどけた。瓶は残っていた。蓋のまわりに付いた油紙の燃え滓と炭化した紐をこそぎ落とし、焦げた木の蓋を取る。一瞬、花の匂いが流れた。それだけだった。瓶の中には何も残っていなかった。冷たい瓶を抱いて、闇の中にぼんやり座り続けた。長い時間が経ち過ぎていた。父や母や兄妹たちの顔も、もうおぼろにしか思い出せなかった。「忘(わし)りんなよ」。父の声が耳元でしたような気がした。「体の奥からあふれるもの」(傍線部(4))を流れるにまかせた。
おじいは瓶を抱いて洞窟を出た。夕暮れが迫っていて、米軍基地の照明灯の強い光の列が何本も交差し、海岸線まで続いている。「そこはもう、故郷とは呼べない場所であることをおじいは知った」(傍線部(5))。
その夜、泊まった親戚の家で、おじいは家族が全滅したことを知らされた。位牌(いへー)に記された父や母や兄妹たちの名前を見ても、涙は出なかった。位牌を引き取って祀るように言われ、受け取って枕元に置いたが、深夜、おじいは酒瓶だけを持って親戚の家を出た。そして、二度と生まれた村(うまりじま)には戻らなかった。
5️⃣(現在) 「瓶(かーみ)は呼吸(いち)しておるんよ」。おじいは瓶を撫でながら言った。泡盛は寝かせるほどまろやかになる。瓶に入れた酒をおじいは年に一、二度わずかばかり飲んでは、新しい酒を継ぎ足し、二十年余育ててきた。自分以外にこの酒を口にしたのは、「お前だけど」とおじいは笑った。そして瓶を大事に抱えてタンスの奥にしまうと、疲れた、と言って横になった。明日、朝の六時に来ることを約束してぼくは家に帰った。
「夕方、ぼくは気が急いてもう一度おじいの家に行った」(傍線部(6))。おじいはずっと同じ場所に眠っていた。揺り起こすと薄目を開けて見たが、すぐにまた軽い鼾をかいて寝てしまう。ほったらかしになっていた皿とコップを洗い、扇風機を弱めてテーブルに水とコップを置くと、ぼくは家に戻った。
〈設問解説〉問一 この文章は、現在の「ぼく」と「おじい」を描いた部分と「おじい」の回想を描いた部分から構成されている。「おじい」の回想部分は、どこからどこまでか。始まりと終わりをそれぞれ七字で抜き出せ(句読点を含む)。
<答>ブラジル行きの~戻らなかった。
問二 「黒く煤けた素焼きの瓶」(傍線部(1))とあるが、なぜ「瓶」は「黒く煤け」ているのか。その理由を説明せよ。
理由説明問題。ズバリ、この「瓶」が回想の場面で出てくるおじいの父が洞窟に寝かせていた酒瓶で(2️⃣)、戦争中、洞窟ごと火炎放射器で焼かれたものであるから(4️⃣)、よって「黒く煤け」ている。一行(30字程度)の解答欄なので簡潔にまとめなければならないが、おじいが「現在」手にしている瓶が、おじいの父が洞窟に貯蔵した瓶と同一であること(A)は、自明とせず、解答に加えておくこと。通常なら、「A(前提)→戦争中、火炎放射器で焼かれたから(直接理由)」という順でまとめるが、字数を縮めるため「戦争中、火炎放射器で焼かれた/おじいの父の遺品(A)だから」とした。
<GV解答例>
戦争中に洞窟ごと火炎放射器で焼かれたおじいの父の遺品だから。(30)
<参考 K塾解答例>
戦場となった洞窟の奥で、油紙に覆われた瓶が火炎放射器で焼かれたから。(34)
問三 「その分、沖縄が戦場になったと聞いたときの絶望は深かった」(傍線部(2))とあるが、なぜ、「その分」「絶望は深かった」のか。「その分」という語句の意味合いがわかるように説明せよ。
理由説明問題。「その分」が指す内容は、日米が開戦し、遠くブラジルの地にあっても(むしろ、「祖国」から遠く離れているから、という向きもあるだろう)、狂信的に日本の勝利を疑わない人たちがいる中で、おじいは「冷静だった」、つまり日本の不利な戦況を長年の入植生活で対象化でき、冷静に捉えることができたということ(A)である。よって、沖縄が戦場となったと聞いて「絶望は深かった」(G)ということだが、まだ「A→G」の間には論理的な飛躍がある。Aに加えて、「沖縄の悲劇的結末が容易に予想できたこと」(B)と「おじいにとって「沖縄」は帰属(愛着)を感じる故郷であったこと」(C)を論理的推論により導き、「A→G」の間に繰りこむ。特に、Cについては、傍線直後の記述「何十年もの間ろくに思い出すこともなかったのに、突然、家族と沖縄のことを思って眠れない夜が続いた」によって裏付けられる。おじいにとっては、日本の戦況については「冷静」でいられるが、沖縄についてはそうではない。おじいにとっての帰属先はあくまで「沖縄」であり、それは「日本」と重ならないのである。沖縄出身以外の日本人、沖縄でも若い世代にとってはイメージしにくい感覚だろう。
<GV解答例>
おじいは長い入植生活で日本に不利な戦況を冷静に捉えられた分、戦場となった故郷沖縄の辿る悲劇的結末も容易に予想できたから。(60)
<参考 K塾解答例>
おじいは冷静に戦況を見つめていただけに、沖縄が戦場となった以上町は壊滅的な被害を受け住民も無事ではいられないと思ったから。(61)
問四 「父」(傍線部(3))とあるが、同一人物について、それ以前では「父親」と呼び、それ以降では「父」と呼んでいる。その使い分けの効果について説明せよ。
表現意図説明問題。初めに「父」(傍線)としているのは、戦後五年目に帰沖し、父とブラジル発つ前に行った洞窟のある森に気づく場面である(4️⃣)。それでは、最後に「父親」という記述が出てくるのはどこか。おじいがブラジルに渡った当初、父といつか酒を飲むことを思い、自分が帰ってくるのを待つ父や家族を思い、孤独に耐え続けた、という場面(A)である(3️⃣)。ここから傍線まで父についての言及はないが、この間にどういった変化があったのか。Aの場面に続き、「しかし、ブラジルでの生活はいつまでも過去にとらわれていることを許さなかった」とあり、「十年も経つと家族や沖縄のことを思い出すこともほとんどなくなった」となる。その後、日本は戦争に突入し、沖縄は地上戦により壊滅的な被害を受けるのだが、それを自分の目で確かめようと思い、五年経った末、帰沖し傍線の場面に至るのである(4️⃣)。
こうして時系列をたどり、傍線以降を見ていくと、おじいは洞窟に父が隠した酒瓶を見つける。蓋をとると、一瞬花の匂いが流れたただけで、瓶の中には何も残っていなかった。おじいは闇の中にぼんやりと座り続ける。「長い時間が経ち過ぎていた。父や母や兄妹たちの顔も、もうおぼろにしか思い出せなかった」。この後、親戚の家で、家族が全滅したことをおじいは知ったのである。
この流れで浮かび上がるのは、父と別れブラジルに渡った後も、父(と家族)はおじいにとっての心の支え、「心理的に近しい存在」(B)だった。しかし、その後「疎遠となった長い期間」(C)を経て、帰国後、(決して父や家族に対する思いが消えたわけではないが)父はどこかよそよそしい過去の存在、「記憶の中で対象化された存在」(D)となったのである。ここで「父親」はBを表現し、「父」はDを表現していることが分かった。その変化をもたらした、Cの指摘を合わせて解答しなければならない。
<GV解答例>
「父親」は、おじいの入植後数年までの、心理的に近しい存在としての父を表す。一方「父」は、その後の疎遠となった長い期間を挟んで、帰国後の、記憶の中で対象化された存在としての父を表す。(90)
<参考 K塾解答例>
「父親」と呼んでいる部分ではおじいが父を生きていると認識していることを読者に示しているが、「父」と呼んでいる部分ではその父がすでに死んでいるとおじいが認識していることを読者に示している。(93)
問五 「体の奥からあふれるもの」(傍線部(4))とは何を意味するのか。本文中の一語を抜き出して答えよ。
<答>涙
問六 「そこはもう、故郷と呼べない場所であることをおじいは知った」(傍線部(5))とあるが、どういう点で、「故郷と呼べない場所」と言えるのか。簡潔に説明せよ。
内容説明問題。実質は、「そこ」が「故郷と呼べない場所」と言える理由の指摘を求めている。「そこ」とは直接的には、「照明灯の交錯する/米軍基地のある場所」を指すが、これはかつておじいの「生まれ育った集落(しま)」が「基地」になったものである。これに気づくならば、解答根拠は、帰沖し、翌日、故郷の村についた場面(4️⃣の最初)、「濃い緑や迷彩色の軍用車両が並ぶコンクリートの広がりのどこに、記憶の中の森や水田や家並みを重ねていいか分からなかった。途方に暮れて…」となるはずだ。これより、「記憶の中にある集落の風景が/同じ場所にあるはずの/基地のコンクリートの広がりに重ならない点(が故郷と呼べない)」という骨格で解答できる。
<GV解答例>
記憶の中にある生まれ育った集落の風景が、同じ場所の金網で囲まれた米軍基地のコンクリートの広がりのどこにも重ねられない点。(60)
<参考 K塾解答例>
自分の生まれ育った場所が米軍基地となり、かつての面影をなくしてしまったのに加え、そこはもう家族もおらず帰るべき場所ではなくなったという点。(69)
問七 「夕方、ぼくは気が急いてもう一度おじいの家に行った」(傍線部(6))とあるが、なぜ、「ぼく」は「気が急い」たのか。この日のおじいの言動をふまえて説明せよ。
理由説明問題(要旨)。「ぼく」が「気が急いて」おじいに家に行ったのは、おじいのことで何か気になることがあったからだろう。してみると、おじいは同じ場所に寝ている。そこで、「ぼく」はおじいを「揺り起こす」。その後、「ぼく」は何かをおじいに伝えるでもなく、おじいは再び眠り、「ぼく」は食器を洗ったりして家に戻る。
まさか、食器を洗いに来たわけではなかろう。何もないのに「揺り起こす」のは嫌がらせではなかろうか。もちろん、「ぼく」にそんな意図はない。「揺り起こ」したのは、おじいが大丈夫か確かめるためである。つまり、「ぼく」はどこかでおじいの「死」を感じ取って、その「胸騒ぎ」からおじいの家に行き、「揺り起こ」したのである(実際は何事もなく、手持ちぶさたになって、食器を洗って帰ったというところだろう)。
そういえば、「死」を予兆させるものがあった。「おじいの言動をふまえて」という要求(ヒント)に沿って、作中の「現在」である1️⃣5️⃣から根拠を拾おう。まず、おじいは、今日は「特別の日」だと言って(A)(1️⃣)、自分以外に口にしたことのない酒を「ぼく」に振る舞い(B)(5️⃣)、おじいが家族や故郷を失った話をした(C)(回想内容より)。このCが前後の、おじいが人の魂(まぶい)と言った蝶(「父」?)の出現(D)(1️⃣)や「ぼく」が帰宅する前の「疲れた」というおじいの言葉(E)(5️⃣)と重なり、「ぼく」は漠然と「死」の影を感じ取ったのだ。もちろん、それは「ぼく」にとってもほとんど馬鹿げたものだったろうが、かといって振り払うこともできない「胸騒ぎ」としてあった。よって「気が急いて」おじいの家に行った、のである。解答は、あくまでC(+AB)を中核に、それがDEの状況と重なって、おじいの死をも予感させる胸騒ぎがしたから、とまとめる。
<GV解答例>
おじいが特別の日だと言って自分だけの酒を振る舞い、家族や故郷を失った話をしたことが、おじいが人の魂と言った蝶の出現や「疲れた」という帰宅前の言葉と重なり、おじいの死をも予感させる悪い胸騒ぎがしたから。(100)
<参考 K塾解答例>
おじいがその日初めて特別な酒を飲ませてくれ、おじいの亡父との話を聞かせてくれただけでなく、蝶を見て人の魂が舞う姿だと言っ