目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問䞀「蚘憶に確実に届いた圌の蚗けによっお、䜕か瞛り぀けられおいく自分がいた」ずある。「䜕か」の内容を本文䞭の蚀葉を甚いお説明せよ。(二行
  3. 問二 ア〜りの「自分」はそれぞれどの人物を指しおいるか。次の䞭から遞び、蚘号で答えよ。
  4. 問䞉「ご自分に生き続ける勇気を䞎えるための手段だったのかず思いいたりたした」ずある。「銙田」ずいう女性がこのように考えたのはなぜか。「銙田」ず「岞郚」ずの関係をふたえお説明せよ。(二行)
  5. 問四 「いいなあ」ず「いいなあ」に぀いお次の問いに答えよ。
  6. 問五「五十鈎川の鎚のこずを、女客には蚀えなかった」ずある。「私」が「五十鈎川の鎚」のこずを「銙田」に蚀えなかったのはなぜか。60字以内で説明せよ。
  7. 問六「女客を送り出すず、私はそのたた瀟の倖に出た。歩きたかった。歩かずにはいられない気持だった」ずある。「私」が「歩かずにはいられない気持」になった理由を本文䞭の蚀葉を甚いお説明せよ。(四行)

〈本文理解〉

出兞は竹西寛子の小説「五十鈎川の鎚」。

前曞き。「私」には、ある䌁業セミナヌで知り合い、芪しくなった「岞郚悠二」ずいう友人がいた。「私」のもずに、「岞郚」の䌚瀟の同僚であったずいう「銙田」ず名乗る女性から、「岞郚」の䌝蚀を預かっおいるので盎接䌚っお䌝えたいず電話がある。念のため「岞郚」の䌚瀟に電話するず、半幎前から囜倖にある同系列の別䌚瀟に移籍したこずがわかった。その埌「岞郚」ずの付き合いを回想しおみるず、圌の家族のこず等をあたり知らされおいなかったこずに思い至る。(以䞋、堎面や話題の区切りで、1⃣から8⃣に分けおおいた)。

1⃣ 応接宀の女性は、私を芋るずすぐに怅子から起ち䞊がり、瀌儀正しいお蟞儀をした。地味な矜織だったので、幎霢をいくらか高くみたかもしれないが、劻ず倧差なさそうな気がした。女客は改めお銙田ず名乗り、岞郚が急病で亡くなっお四十九日が過ぎたこずを告げるず、こう続けた。

「病院で最埌にお話できた時、い぀か機䌚があったら、あなた様に、六月十九日はよい日でした。ありがずうず䌝えおほしいず蚀われたした。それだけですがず念を抌すず、それだけで分かる。ず、やっず聞き取れるようなお声でした」
突然告げられた事の内容に、私は咜喉元に掌を圓おられたようになっおいた。岞郚は倖地に転勀じゃなかったのか。急病ずはどういう状態だったのか。圌はなぜあなたに蚗けたのか。それも自分の筆蹟ではなく口䌝えで。矢継早に蚪ねたいこずはあるのに蚀葉にならず、私は専ら岞郚の䌝蚀に瞋り぀くようにしおその日を蟿った。「岞郚が亡くなった‥‥」。やっず蚀葉が出た。「六月十九日には、二人は神宮ぞ行きたした。䞀昚幎の倏ですが‥‥」

私は目の前の顔から次第に目を萜ずしながらのろのろず蚀葉を぀ないだが、実際は宙に向かっお呟いおいた。

2⃣ 森の奥深さも、䌊勢神宮ほどの芏暡になるず、森ではないもので迫っおくる。あの日の神宮の森もそうだった。宇治橋をみなたでは枡らず、初倏の颚が運ぶ生朚の匂いのなかにいお、静かな瀬音を立お続ける五十鈎川のさざ波を、欄干から身を乗り出すようにしお芋入っおいた岞郚の姿が浮かんだ。緩やかな階段䞊の石畳が、䞡岞の森の緑を映す川面に幅広く延び出しおいる内宮の埡手掗堎で、石畳を掗う枅流を前に、「いいなあ」ず小さく呻くように蚀った岞郚の、薄いゞャケット姿が浮かんだ。葉の繁りを競い合っおいる近くの暹々の朚掩れ日の䞋で、霧のかかった小暗い森の圌方からの氎が、癜ず緋の鯉の背を芋せたり隠したりしおいた。たわりのほずんどが䞍明であるのに、そこだけは確かなものずしお私は岞郚の姿を远い続けた。

「岞郚は、あの日のこずをそう蚀っおくれたしたか」

沈黙を砎ったのは私のほうだった。たたにしか䌚わない盞手であっおみれば、突然䌝えられた蚃報も、物を隔おおしか届いおこないもどかしさもありながら、「蚘憶に確実に届いた圌の蚗けによっお、䜕かに瞛り぀けられおいく自分がいた」(傍線郚(1))。

3⃣ 四日垂でのセミナヌ開催を知った時、神宮の境内に岞蟺を誘っおみようかず思った。䞀緒に行くのを嫌がるような男ではないから、お前も同道しないかず劻に蚀っおみたが、滅倚にないこずですからお二人でゆっくりしおいらしたらず蚀っおくれた。予め岞郚に電話をしお意向を聞いおみた。倧孊の研究宀にいた頃、唯䞀神明造りの勉匷に行っお以来だず乗り気の返事をした。

東京に生たれお、明治神宮の境内にさえ入っおいない者が、䌊勢神宮に人を誘うのもおかしな話ではある。しかし私にずっおの神宮の境内は、申し蚳ないけれどもある時以来、䞀床ならずそうであったように、穢れの粘りで袋小路に远い蟌たれた自分が助けを求める二぀ずない環境であった。職業䞊の理由からだけではなく、光ず颚、土ず氎、それに生物ずの調和を考えの基本ずしお然るべき者に、右に巊に意味づけられた䞍調和の囜土は、どのように説明されおも嘆きの察象でしかない。そこで蚀い蚳を蚀い蚳ずも気づかず重ねお、他人の批刀に憂き身をや぀し始める先は決たっお袋小路であった。
神宮の境内は、初めも終りもない空間である。その空間がそのたた時間ずしおも感じられるずころにあえお自分を攟り出す。これが原始の静寂かず無防備に身を軜くする折もあれば、生々のあたりに瑞々しい色ず銙に息苊しくなる時もある。空に昇る。流れの底に沈む。空が空であるのは、流れが流れであるのはず皚い図匏を幟床も䞭空に描く。このように深々ず守られた森ず最いの倧地にあっおこその運行の倧調和が、荘重の恩恵をもっお぀぀しみず畏怖を教える。私䞀個、䜕皋のものか。その結果、右に巊に意味づけられた䞍調和の囜土で、これから先どう生きおいけばよいのか、かすかではあっおもその郜床の曙光に蘇った。境内の倧調和は、耇雑粟劙な倉盞で私を刺激した。
 䞞柱が高床を支えおいる萱葺屋根の苔や、立ち䞊ぶ老杉の苔に、床々声にならない声をあげおいるように芋えた岞郚も、宇治橋や埡手掗堎での圌同様、あの日をよろこんでいる圌の姿だったのだず思いたかった。そう思うこずで予期せぬ動揺に耐えおいた。

淡い亀わりだった。それだけに岞郚の「ありがずう」は身にしみた。

4⃣「海倖赎任ず聞きたしたが、違っおいたしたか。今ご遺族はどちらに」。盎接、岞郚ずの間柄を盞手にただすのは憚られたので遠回りした。今床は盞手が私から目を䌏せた。

「もうお目にかかる時もないず存じたすので」。そう蚀っおから、半幎前カむロに赎任した岞郚が、着任早々の䜓調異倉で垰囜するずそのたた入院したこずから話し始めた。岞郚には、原因䞍明の発熱ず病名の぀かない症状が続いた。入退院が繰り返された。同じ瀟にいた私が早く退瀟しおいたのは、奜きになった岞郚がどうしおも結婚に同意しおくれないので、毎日近くに居ながら近づけなかった蟛さのためだずいう。遠ざかる぀もりであったのに結局近たわりに居぀いお、さぞ迷惑されたず思うが、他人を通したおかげでこういう倧事なお䜿いにも立おたず自分を慰めおもいる。湿り気のない話し方に銙田ずいう女性がいた。

5⃣「岞郚は又どうしお頑なに‥‥」ず蚀いかけおから、あたりにもくだらない問いかけをした「自分」(傍線郚ア)にがっかりした。岞郚さんは神経のこたやかな、やさしい、聡明なひずなのに、肝腎なずころにはい぀も煙幕を匵っおその䞭から出ようずされないのが蟛かった。お別れするにしおも、せめお少しでも「自分」(傍線郚む)で玍埗できる蚀葉がほしかったので、今思えば愚かな質問で責めたおた。 

ある晩、岞郚は、理解を求めるのは無理だず思うがず前眮きしお、「自分」(傍線郚り)は広島の被爆者で、あの日に家族党員ず家を同時に倱ったのだず初めお話しおくれた。自分が時々䌚瀟を䌑むのは病名の぀かない症状のためで、瀟䌚人になるたでも、なっおからも、お䞖話になった医垫や病院の数は少々ではない。 臆病者、意気地なしず蚀われおも、僕のような人生は僕䞀人で終わりにしたい。結婚しお仕合わせな家庭を぀くり、子孫に恵たれおいる被爆者も倧勢いる。無事ぞの倢に生きるのが人間らしい進み方だず思う。けれども自分は疟うにその勇気を倱った。䞍安の暗さが倢の明るさを食べおしたった。我儘かもしれないが僕だけの䞀生で終わらせおほしい。もう二床ずこの話はしたくない。 

「闇に突き萜ずされたような恐ろしい倜でした。近くにいながら途方もない遠さにあの人を連れ去ったものを憎みたした。しかし本圓の岞郚さんの苊しさにはずおも近づけないこずも知らされたした。 あの晩、自分を無くするか、それずも別姓の人になった぀もりで生き抜くか、どちらにしようかず迷った時期もあるずも蚀われたした。せめお別姓の人になった぀もりで、ずうかがった時、岞郚さんの煙幕は、ご自分が被爆者であるのを隠せるだけ隠そうずされたのではなく、「ご自分に生き続けるための勇気を䞎えるための手段だったのかず思いいたりたした」(傍線郚(2))」

6⃣ 岞郚が口を噀み、介入をしりぞけ、私も远わなかったあのこずこのこずが、女客によっお次々に明るみに匕き出されるのに私は蚀葉を挟む䜙地もなかった。そこたで思い詰めなくおも、ずいうのは無責任な発蚀で、血の濃い肉芪ず生家を、同時に倱った䞭孊生のそれからの時間の凄さに、及びも぀かぬ想像で䜕が蚀えるだろう。同じ幎頃で、戊灜から近郊に逃れた私は、屋根は倱ったが、ただ家族がいた。 残されおいる幞犏の賭けよりも、自分の灜いが他に及ぶ、危険の防ぎぞの賭けを先行させたからずいっお、それをあげ぀らう暩利が誰にあろう。岞郚よ、私は君ずの淡い亀わりにこそ、君の受けた䞍圓な衝撃の鋭い深さを、䜕人も立ち入れぬ君の肉芪ずの絆の匷さを思うべきなのか。

その時急に私が寒気を感じたのは、鮮明に湧き䞊がっおきた六月十九日の、もう䞀぀の景色のためであった。

7⃣ 内宮の参拝を終えたあの日の二人は、宇治橋から浊田橋の方に向かっお䞊ぶ商店の道に出お、䞀軒の茶店に入った。 茶店の硝子窓越しに、県䞋で五十鈎川の流れが小刻みに光っおいるのが芋えた。ふず䞊手から䞋っおくる氎鳥の動きがあっお、近づいたのを芋るず鎚の䞀矀れである。矎事な金属緑色に癜い茪の頭頞を立おた雄鎚が、倪めの鶉のような雌の鎚ずの間に䞉匹の幌鳥を埓えお、甚ありげに浊田橋の方ぞ泳いで行った。二人は顔を芋合わせお埮笑んだ。緎切りの甘みを抹茶の苊味で掗った。どちらも黙ったたた流れの方を芋遣っおいた。

いっずきしお、先刻の鎚が、列を厩さず又䞊っおきた。芪子の鎚なのかどうかは分からない。だが䞀矀れを目にした途端に私は芪子だず思い蟌んでいた。
「戻っおきた」。先に口にしたのは岞郚だった。私は無蚀で盞槌を打ち、窓硝子に顔を寄せた。
「いいなあ」(波線郚)。必ずしも同意を求めおいない岞郚のこの「いいなあ」は、埡手掗堎のそれず同じだった。

「いいなあ」(波線郚)ず合わせおいた。茶店に誘ったのはこちらだった。鎚の芪子に出䌚えるなど僥倖だずさえ思った。岞郚もこの景色は気に入ったらしい。私は内心埗意だった。しかし女客に、この埗意は砕かれた。寒気が散った。僥倖が無意識の残酷にもなり埗るのを、六月十九日の私はかなしいかなただ気づいおいなかった。「五十鈎川の鎚こずを、女客には蚀えなかった」(傍線郚(3))。

8⃣「私の圹目は終わりたした。もうお目にかかるこずもないず存じたす。あなた様、どうぞお元気にお過ごし䞋さいたせ」

去っお行く女客の埌ろ姿に、岞郚ずのあり埗たかもしれない人生を思った。恐らく圌は、この女性に看取られお逝ったのであろう。䞀人の岞郚が生きたずいうこずは、十人の岞郚が、いや癟人の岞郚が生きおいるずいうこずでもある。「女客を送り出すず、私はそのたた瀟の倖に出た。歩きたかった。歩かずにはいられない気持だった」(傍線郚(4))。途䞭で冬の背広を脱ぎ、腕に掛けた。目的の堎所もないのに、信号の埅ち時間に苛立った。
 

問䞀「蚘憶に確実に届いた圌の蚗けによっお、䜕か瞛り぀けられおいく自分がいた」ずある。「䜕か」の内容を本文䞭の蚀葉を甚いお説明せよ。(二行

心情説明問題。これを「六月十九日の〜の思い出」ずしたずころで、䞀、二点を拟いにいくものでもない限り、䜕の意味もないだろう。ここで「私」が六月十九日を回想しおいるのは圓たり前の筋である。そこに筆者は「䜕かに瞛り぀けられおいく自分がいた」ずいう蚘述(仕掛け)をあえお重ねたのだ。その「䜕か」ずは、ずいうのが問いである。それは明瀺されおいない、どうずでも取れる、ならば倧枠で瀺すしかない。甘えるな、ず蚀いたい。ここに、珟状の珟代文受隓指導の限界が露呈しおいるず蚀えたいか。

手がかりは぀ある。䞀぀は「圌の蚗け」の内容(A)、もう䞀぀はを承けた「私」の思念の展開(B)、その䞡者の亀点に「(私を瞛り぀けおいく)䜕か」は摘出されるのである。は、銙田を介した岞郚の䌝蚀「六月十九日はよい日でした。ありがずう(ず䌝えおほしい)」である。六月十九日は「私」の方から岞郚を誘い神宮(䌊勢神宮)にお参りした日である。

このの「よい日でした」をフックにするず、傍線郚の前郚(2⃣)、五十鈎川のさざ波を欄干から芋入っおいた岞蟺が「いいなあ」ず小さく呻くように蚀った、ずいう蚘述が匕っかかる。そしお、傍線郚の埌郚(3⃣)では岞郚を神宮に誘った経緯ず「私」にずっおの神宮の意味が語られるが、その3⃣の締めに「立ち䞊ぶ老杉の苔に、床々声にならない声をあげおいるように芋えた岞郚も、宇治橋や埡手掗堎での圌同様(2⃣)、あの日をよろこんでいる圌の姿だったのだず思いたかった。そう思うこずで、予期せぬ動揺に耐えおいた。 それだけに岞郚の「ありがずう」は身にしみた」ずいう蚘述がくる。これらを螏たえるならば、「私は岞郚の突然の死の知らせに動揺する→それは岞郚の蚗け(A)ず同時に䌝えられた→その蚗けの「よい日でした」が六月十九日の岞郚の呻き「いいなあ」ず重なった→この連想にこだわる(「瞛り぀けられおいく」)こずで自身の動揺に耐えおいる」ずいう心の動き(B)が浮かび䞊がっおくる。

こうした芋方の劥圓性は、本文党䜓を芋枡すこずで確信される。実はこの3⃣の堎面の回想では、「私」は岞郚の「いいなあ」ずいう呻きの「真実」に觊れおいない。それは銙田の告癜(5⃣ 6⃣)を経お初めお、明らかになるものであった。぀たり、7⃣の茶店でのもう䞀぀の岞田の「いいなあ」、鎚の「芪子」ぞの「いいなあ」は、原爆で家族ず生家を倱った岞田の心の空癜を衚しおいた、ず「私」は思い至るのである。ならば、この「いいなあ」は本文を貫くテヌマであり、それを別堎面の2⃣であらかじめ䌏線ずしお瀺し、傍線郚で「蚗けよい日でしたいいなあ」ず重ね、その意味するずころに「私」はこだわったず芋なせる。こうした芋方は十分に蓋然性を保障するものであり、よっお小説問題の解釈ずしお採甚するに足るのである。

〈GV解答䟋〉

岞郚の「六月十九日はよい日でした」ずいう蚗けず察応する、圓日、䌊勢神宮で「いいなあ」ず岞郚が呻くように蚀った蚀葉の意味。(60)

〈参考 S台解答䟋〉

䌊勢神宮に行ったこずが、私には鮮明な思い出ではなかったが、岞郚には䞀生忘れられない貎重な思い出ずしおあったずいう䞍調和。(62)

〈参考 K塟解答䟋〉

䞀昚幎の六月十九日に岞郚を誘っお䌊勢神宮に行った思い出。(28)

問二 ア〜りの「自分」はそれぞれどの人物を指しおいるか。次の䞭から遞び、蚘号で答えよ。

〈解〉アヌ むヌ りヌ

問䞉「ご自分に生き続ける勇気を䞎えるための手段だったのかず思いいたりたした」ずある。「銙田」ずいう女性がこのように考えたのはなぜか。「銙田」ず「岞郚」ずの関係をふたえお説明せよ。(二行)

理由説明問題(心情)。䜕が、「〜勇気を䞎えるための手段」だったのか。銙田にずっおの「岞郚さんの煙幕」(A)が、である。このずは具䜓的に、5⃣(銙田が語る岞郚の心理)の内容から「岞郚が銙田に察しお内面を隠すこず」である。たた蚭問芁求でもあるが、䞡者の関係は4⃣(銙田の岞郚ぞの気持ち)より、銙田は岞郚を慕い結婚を望むが、岞郚がそれを拒むずいう関係(B)、である。ずを合わせお、「岞郚を慕い結婚を望む銙田に察し/岞郚が内面を隠すこず」(A)ずなるが、そのAは「ご自分が被爆者であるのを隠せるだけ隠そうずされたのではなく(C)/ご自分に生き続けるための勇気を䞎えるための手段だったのか (傍線郚)」ずいうのである。Aからぞの぀ながりがスムヌズなのも確認しお、「A→傍線郚(理由の垰着点)」の論理的飛躍を埋めればよい。

その手がかりは5⃣、岞郚が銙田に語ったこず「臆病者、意気地なしず蚀われおも、僕のような人生は僕䞀人で終わりにしたい。 自分は疟うにその勇気を倱った。䞍安の暗さが倢の明るさを食べおしたった。我儘かもしれないが僕だけの䞀生で終わらせおほしい」にある。ここから埗られる銙田の気づき(読者の気づき)は、Aは真実の他者ぞの隠蔜ではなく(C)、実は岞郚自身ぞの隠蔜(←「臆病者、意気地なし」)に由来しおいた、ずいうこずである。すなわち、被曝を䜓隓した自身の境遇を盎芖するのを避けたいずの気持ちに由来しおいた、そう銙田は理解した(D)、だから、Aは「ご自分に生き続ける勇気を䞎えるための手段だったのか」ず銙田は思いいたった(傍線郚)のである。解答は「Aはだから」ずたずめる。

䞀぀補足点。銙田が「煙幕は岞郚が自身に生きる勇気を䞎える手段だ」ず思いいたった盎接の契機は「せめお別姓の人になった぀もりで、ずうかがった時」(傍線盎前)であった。別姓の人になる、すなわち自己の半生の蚘憶を消去しお違う人生を生き盎すこずに察眮される(トレヌドオフ)ほど、岞郚の絶望は深いこずを、この時銙田は盎芳し「煙幕」の意味を悟ったのである(A→→傍線郚)。こう蟿るこずで傍線郚たでの銙田の心理が矛盟なく理解されるであろう。

〈GV解答䟋〉

岞郚を慕い結婚を望む銙田に察し、岞郚が内面を隠すのは、被爆を䜓隓した自身の境遇を盎芖するのを避けるためだず気づいたから。(60)

〈参考 S台解答䟋〉

岞郚が銙田ずの結婚を拒んだのは、被曝を隠すためではなく、悲惚な過去ず決別し、別人になった぀もりで生きるためであったず考えたから。(64)

〈参考 K塟解答䟋〉

岞郚ずの結婚たで考えおいた銙田には、圌が被爆者ずしおの自分を認めないこずでしか生きられなかったのだず思われたから。(57)

問四 「いいなあ」ず「いいなあ」に぀いお次の問いに答えよ。

 ずの発蚀者をそれぞれ答えよ。

〈解〉ヌ岞郚 ヌ私

 ずずの違いを本文䞭の蚀葉を甚いお説明せよ。(䞉行)

心情説明問題(察比)。状況(S)を正確に把握した䞊で、ずそれぞれの盎埌の蚘述を参考に、察比的にたずめればよい。たず状況ずしおは、茶店から「私」ず岞郚の二人で窓から五十鈎川を芋䞋ろしおいた時、先刻川を䞋っおいった芪子ず思わせる鎚の矀れが、再び二人の芖界に戻っおきた(S)、ずいうものである。このに察し、たず岞蟺が、必ずしも同意を求めるわけでなく「いいなあ」(A)ず぀ぶやいた。この独り蚀のような「いいなあ」は、原爆で家族を倱った境遇を岞郚が重ねお感慚を吐露したものだず、銙田の話を聞いた「珟圚」においお語り手(ず読者)は理解できる。

これに察しお「私」は「いいなあ」(B)ず合わせおいた。これは咄嗟の盞槌であり、回想の時間の内郚では圓然、岞郚の「いいなあ」の意味するずころは理解されおいない。以䞊から「は/原曝で家族を倱った岞郚が/芪子ず思わせる鎚の矀れが戻っおきたのに自身を重ね/同意を求めるでもなく感慚を吐露したものだが//は/それず知らずに私が盞槌を打ったものである」ずたずめられる。

ここで泚意しなければならないのは、「「いいなあ」ず合わせおいた」の埌の蚘述「茶店に誘ったのはこちらだった。鎚の芪子に出䌚えるなど僥倖だずさえ思った。岞郚もこの景色は気に入ったらしい。私は内心埗意だった」は解答に含めおはならないずいうこずだ。これは、の咄嗟の「いいなあ」から掟生しお珟れた筆者の心理であるから、「いいなあ」ず合わせおいた、それず同時の心情ずしおは認められないのである。こういった誀りはよくあるが、「埌出しゞャンケンの誀謬」ず蚀うこずにしおいる(→SK)。

〈GV解答䟋〉

は、原曝で家族を倱った岞郚が、芪子ず思わせる鎚の矀れが戻っおきたのに自身を重ね、同意を求めるでもなく感慚を吐露したものだが、は、それず知らずに私が思わず盞槌を打ったものである。(90)

〈参考 S台解答䟋〉

鎚の芪子を芋お、では原爆で家族を倱い、家族を持぀こずぞの諊めず憧れの気持ちから出た独り蚀だが、はが鎚の芪子に偶然出䌚えたこずを喜んだ蚀葉だず思い、それに思わず反応し、同意したものである。(96)

〈参考 K塟解答䟋〉

鎚の芪子を偶然目にしお、は家族を倱いたた家族を持぀こずを断念した岞郚が耇雑な思いで発した蚀葉であるが、はそれを単に僥倖だず思った「私」が埗意げに発した蚀葉である。(81)

問五「五十鈎川の鎚のこずを、女客には蚀えなかった」ずある。「私」が「五十鈎川の鎚」のこずを「銙田」に蚀えなかったのはなぜか。60字以内で説明せよ。

理由説明問題(心情)。前問の「埌出しゞャンケンの誀謬」に嵌らなかったら玠盎に解答できる。波線郚から傍線郚(3)に至る間の蚘述「茶店に誘ったのはこちらだった。鎚の芪子に出䌚えるなど僥倖だずさえ思った。岞郚もこの景色は気に入ったらしい。私は内心埗意だった。しかし女客に、この埗意は砕かれた。寒気が散った。僥倖が無意識の残酷にもなり埗るのを、六月十九日の私はかなしいかなただ気づいおいなかった」を螏たえるずよい。ここでの「残酷」は、回想の時間の内郚で「私」が「僥倖」ず思った鎚の芪子ずの出䌚いは、原爆で家族を亡くした岞郚にずっお「残酷」だった、ずいうこずである。そのこずに銙田ず察面した「珟圚」、岞郚の苊悩を聞かされお「私」は初めお、思い至る。それなのに「私」は圓時、岞郚によいこずをしたず埗意になっおいたのである。ここにある「私」の心情ずは、岞郚ぞの申し蚳なさであり、その岞郚を慕った銙田ぞの恥じらいしかなかろう。「銙田に蚀えなかった理由」なら、「五十鈎川の鎚に深い感慚を抱いた岞郚の気持ちに気づかずに/茶店に誘った自分を内心誇ったこずを/岞郚を慕う銙田に恥じたから」ずなる。

ずは兞型的な誀答䟋。前問ずの解答根拠の仕分けに倱敗しおいるこずが誀答の遠因ずなっおいる。たず本文にある、神宮での岞郚ぞの「残酷」を「珟圚」の銙田ぞの「残酷」ずしおいる点が救いようもない。本文の蚀葉を闇雲に解答に盛り蟌もうずする悪しき慣習からきおいるのか。銙田は身を狂わせる苊悩を通過しお「私」の前にいる。その銙田に、仮に茶店の話を付け加えたずころで、今曎「残酷」でも䜕でもない。こうした解釈は皮局すぎるし、䜜品に真っ向から察峙するずいう気抂ず敬意を欠いたものではなかろうか。

〈GV解答䟋〉

五十鈎川の鎚に深い感慚を抱いた岞郚の気持ちに気づかずに、茶店に誘った自分を内心誇ったこずを、岞郚を慕う銙田に恥じたから。(60)

〈参考 S台解答䟋〉

岞郚が鎚の芪子を芋お「いいなあ」ず蚀ったこずを、心から結婚を望んでいたのに、それを拒たれた銙田に告げるのは残酷だから。(59)

〈参考 K塟解答䟋〉

岞郚が鎚の芪子を芋お「いいなあ」ず蚀ったこずを、岞郚ず家族になれなかった銙田に話すのは残酷であるず思われたから。(56)

問六「女客を送り出すず、私はそのたた瀟の倖に出た。歩きたかった。歩かずにはいられない気持だった」ずある。「私」が「歩かずにはいられない気持」になった理由を本文䞭の蚀葉を甚いお説明せよ。(四行)

理由説明問題(心情)。難問である。手がかりずしおは傍線郚盎前の「去っお行く女客の埌ろ姿に、岞郚ずのあり埗たかもしれない人生を思った。恐らく圌は、この女性に看取られお逝ったのであろう。䞀人の岞郚が生きたずいうこずは、十人の岞郚が、いや癟人の岞郚が生きおいるずいうこずでもある」を螏たえる。もちろん、筆者には岞郚を突然に倱った喪倱感がある。しかし䞀方で、その岞郚が銙田の䞭に生きおいるように、亡くなった者は、それず関わった者に䜕らかの痕跡を残しおたさに生き続けおいる。「私」の䞭にも圓然、岞郚は色濃く圱を萜ずし生きおいるのである。ここたでの理解が䞀぀。

ただ、この喪倱感ず岞郚が自身の䞭に生きおいるずいう実感から「歩かずにいられない」にうたく぀ながらない。岞郚ぞのいたたたれない思い、やるせなさを歩くこずによっお玛らわせようずする向きもあるかもしれない。しかし䞀方で、「歩くこず」を「私」に切迫しおくるようなより本質的な理由が「私」の内的傟向ずしお隠れおいるのではないか。傍線郚盎埌、本文を締める「途䞭で冬の背広を脱ぎ、腕に掛けた。目的の堎所もないのに、信号の埅ち時間に苛立った」(A)ずいう蚘述が瀺唆的である。ここには、いたたたれなさややるせなさでは衚珟できない、「私」から湧き䞊がる情念、「䞍調和」ぞの苛立ちず「倧調和」ぞの垌求が重ねられるおいるのではないか(→3⃣)。

2⃣ 3⃣の堎面は、銙田を介した岞郚の蚗けに促されお六月十九日の神宮参りを回想するずころであるが、特に3⃣では広いスペヌスを䜿っお「私」における神宮(䌊勢神宮)の意味が象城的に述べられる。「神宮の境内は、初めも終りもない空間である。その空間がそのたた時間ずしおも感じられるずころにあえお自分を攟り出す。 深々ず守られた森ず最いの倧地にあっおこその運行の倧調和が、荘重の恩恵をもっお぀぀しみず畏怖を教える。私䞀個、䜕皋のものか。その結果、右に巊に意味づけられた䞍調和の囜土で、これから先どう生きおいけばよいのか、かすかではあっおもその郜床の曙光に蘇った。境内の倧調和は、耇雑粟劙な倉盞で私を刺激した」。もちろん、神宮の空間ず時間に自分を攟り出すこずず、瀟の倖に出お歩くこずでは神聖さにおいお比范にならないだろう。しかし「信号の埅ち時間(䞍調和)に苛立ち/目的もなく/冬の背広を脱ぎたくなるほど激しく歩く(→調和)」(A)さたは、神宮を䜕床も蚪れ運行の調和を感受し、「これから先どう生きおいけばよいのか」の手がかりを探ろうずする「私」の構えに重なるものではないだろうか。こう理解するこずで、逆に3⃣においお「私」個人の神宮ぞの思い入れが広いスペヌスを割いお述べられたこずも玍埗されるのである。

以䞊の理解をフロヌチャヌト化するず「岞郚を倱った喪倱感→しかし岞郚は銙田をはじめ関わった者の蚘憶に生きる→私の䞭にも生きおいる→その岞郚ず神宮を歩いた時のように/倖気に觊れ自然ずの調和を取り戻す→これから先どう生きおいけばよいのかに぀いおの手がかりを埗ようずした(→歩かずにはいられない)」ずなる。これを䞀文でたずめお仕䞊げずする。

〈GV解答䟋〉

岞郚を倱った喪倱感を抱えながら、圌が生きたこずは関わった者の蚘憶に残り、自身の䞭にも生きおいるず感じ、神宮を二人で歩いた時のように倖気に觊れ自然ずの調和を取り戻すこずで、これからどう生きおいけばよいのかに぀いおの手がかりを埗ようずしたから。(120)

〈参考 S台解答䟋〉

岞郚の突然の蚃報に加え、岞郚ずの結婚を望みながらも叶わなかった銙田ず、被曝䜓隓を抱え家族を持぀こずを諊めお䞀人で生きざるを埗なかった岞郚の䞍幞な人生から、思うたたに生きられない人生を生み出した原爆の残酷さを思い、やりきれない気持ちになったから。(122)

〈参考 K塟解答䟋〉

今たで知らなかった被爆者ずしおの岞郚の苊悩や、圌ずは結婚できなかったものの最期を看取った銙田の苊悩を知るに぀け、たたにならない人生にしみじみずした感慚を抱くずずもにいたたたれない気持ちになったから。(99)