目次
- 〈本文理解〉
- 問一(漢字の書き取り)
- 問二(記号選択)
- 問三「音楽の二文字がぴかりと眼に映った」(傍線部(2))とある。これを受けて筆者は、「つまり漱石はこの小説が書かれた1906年の時点で、やがて抽象画と呼ばれるものが出現することを、すでにはっきり予告していたともいえる」(傍線部(3))と述べている。なぜ筆者はこのように述べたのか。「音楽」と「抽象画」の類似点をふまえて説明せよ。
- 問四「逆のアプローチ」(傍線部(4))とある。1️⃣と2️⃣が逆のアプローチであることについて、本文中に用いられている「f」と「F」を使って説明せよ。
- 問五「(ピカソが《アヴィニョンの娘たち》[図1]を描いたのは、この翌年の1907年のことである)」(傍線部(5))とある。この( )内の叙述を書き加えた筆者の意図について、特に製作年に注目しながら説明せよ。
- 問六(空所補充)
- 問七「『草枕』はそれ自体実験的な小説でもあった」(傍線部(7))とある。『草枕』はどのような点で、「実験的」だったのか。形式面と内容面の二面から説明せよ。
- 問八「漱石の功績は二〇世紀以降の芸術を支配するモダニズムと呼ばれる一連の問題群をその基礎から構造的に把握し、批評、実作によって実践的に示したことにある」(二重傍線部A)とある。これはどのようなことか。本文全体をふまえ、「批評」「実作」の各々の例を挙げながら、100字以内で説明せよ。
〈本文理解〉
出典は岡崎乾二郎『近代芸術の解析 抽象の力』。前書きに「筆者は、この部分に先立ち、モダニズム芸術である近代絵画が、印象派から後期印象派、そしてキュビスムへと至る流れを説明している」とある。
①段落。いずれにせよ、キュビスムの前提にあったのは、感覚与件=視覚を含めた個々の感覚器官が刻一刻と感受している情報と、対象の認識=人が対象として把握していることはまったく異なる次元の事柄だという認識である。すなわち、人は、視覚が捉えうる情報を超えて、対象をより直に捉えている。それを絵画あるいは彫刻(いや芸術作品)はいかに可能にするのか?
②段落。日本の近代文学を基礎づけたことで知られる文豪、夏目漱石(1867〜1916)はロジャー・フライよりわずか二ヶ月遅れに生まれている。「漱石の功績は二〇世紀以降の芸術を支配するモダニズムと呼ばれる一連の問題群をその基礎から構造的に把握し、批評、実作によって実践的に示したことにある」(傍線部A)。漱石によってモダニズム芸術の思想は世界同時性をもって日本に着床する。
③段落。1900年から3年間のロンドン留学を終え帰国後、漱石は文学の構造を、「f+F」(傍線部(1))の図式で分析する長大な文学論講義を行った(『文学論』として1907年出版)。「f」とは日々、慣習されつづける無数の印象、感情(feeling)である。このとりとめなく数限りない感情の累積に対して、「F」は焦点を与え、一つの対象として統合する概念である。文学とはいわば感覚印象である「f」と概念像である「F」の函数として構成される。既存(集団で共有された)概念は、実際の経験、「f」によって疑われ解体されることもあるし、また「f」の集積は新たな「F」を形成することもあろう。文学の流れはこの解体と構築のプロセスそのものを示す。漱石のこの「f」と「F」の理論は、T.S.エリオットがのちに提唱した「客観的相関物」の理論を先取りもしていた。
④段落。が、注目すべきなのは漱石の問題設定ははるかに後期印象派の理論にこそ対応していたということである。漱石の美術への洞察は『草枕』(1906)に明らかである。漱石は海外の美術雑誌を購読し、渡欧中も美術館などに足繁く通い美術や建築にも通じていたが、この小説はキュビスムそして抽象芸術が生じてくる理論的必然を予告している。
⑤段落。語りの担い手は、日露戦争の徴兵から逃れ温泉街を訪れたが。語りの担い手は、日露戦争の徴兵から逃れ温泉町を訪れたが、考えつめて絵を一枚も書くことができなくなっている画工である。漱石の『文学論』の図式を反映して、画工は絵の表現は物体を写すことと感情を発露させることの二極で構成される函数だと考えている。西洋の伝統では前者がまさり、東洋の伝統では後者がまさる。しかし、絵は一方のみでは成り立たない。ここにはいまだ具体的な対象を持たない興趣というものがあり、もしこれを絵に定着することに成功するならば抽象画になるだろうと画工は考える。
「この調子さえ出れば、人が見て何といっても構わない。画でないと罵られても恨みはない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形に現れたものは、牛であれ馬であれ、乃至牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。…
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らかの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
忽ち「音楽の二字がぴかりと眼に映った」(傍線部(2))。」(夏目漱石『草枕』)
⑥段落。「つまり漱石はこの小説が書かれた1906年の時点で、やがて抽象画と呼ばれるものが出現することを、すでにはっきり予告していたともいえる(傍線部(3))。
⑦段落。同時に「逆のアプローチ」(傍線部(4))も示される。画工は彼が逗留する旅館の出戻りの女主人、那美という女性の顔を描こうと試みるが、その言動の捉えどころのなさに振り回されるばかりで一向に絵にならない。
「この女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ち付きを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせ付いて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるが如く、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭くもない。遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具がみんな一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない」(同前)
⑧段落。要するに彼女の顔を特徴づける各々の要素は、それぞれが別の機能を持った存在として、勝手気ままに異なる働きを主張するばかりで一つのまとまった顔として像を結ばない。「乱調にどやどや」という記述は、あたかもキュビスムの絵を見たときに誰もが抱く印象を述べたようでもある「(ピカソが《アヴィニョンの娘たち》[図1]を描いたのは、この翌年1907年である)」(傍線部(5))。…
⑨段落。漢詩、英詩などの異なる言語形式が翻訳されるまま、混在している「『草枕』はそれ自体が実験的な小説でもあった」(傍線部(7))。読者は話者(画工)が知覚あるいは想起するさまざまな異なる情報の並列、それ追うを混乱、錯綜した思考の流れに寄り添わされる。しかし語り手自身がいうように、もし読者が作者の思考の流れと合致しようと望まないならば小説をはじめから終わりまで読む必要がない。すなわち結末に収斂されないゆえにどこを読んでも面白い。つまりそこで得られる結論と、小説の細部とその累積あるいは推移は一致しない、ということにこそ小説という表現形式の意味があると漱石は考えた。漱石は留学以前よりローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』に小説という近代的表現形式の原型の一つを見出していたが、漢文、英語などの異なる言語形式が混在した漱石の『草枕』も、『トリストラム・シャンディ』のように、それ自体が実験的な作品でもあった。小説はあらかじめ規定された結論に経験を到達=還元させてしまわないこと、つまり確定的ロジックで出来事を要約、結論づけてしまうことへの抵抗によって形成される。それを迂回させる潜在性の領域の自覚こそ小説によって与えられる経験の本質である。それこそが『トリストラム・シャンディ』に挿入された、抽象パターン[図2]に内包されているものであり、その語りがたさこそが小説を可能にするものだった。
問一(漢字の書き取り)
a.器官 b.洞察 c.購読 d.並列 e.挿入
問二(記号選択)
「感覚与件」→f 「対象の認識」→F 「具体的な対象」→f 「興趣」→F
問三「音楽の二文字がぴかりと眼に映った」(傍線部(2))とある。これを受けて筆者は、「つまり漱石はこの小説が書かれた1906年の時点で、やがて抽象画と呼ばれるものが出現することを、すでにはっきり予告していたともいえる」(傍線部(3))と述べている。なぜ筆者はこのように述べたのか。「音楽」と「抽象画」の類似点をふまえて説明せよ。
理由説明問題。漱石の『草枕』からの引用を「つまり」(要約換言)で承けるのが傍線部(3)。これより解答の根拠を引用部をスキップして遡った④⑤段落に求めるのは定石。あとは設問条件で「音楽」と「抽象画」の類似点を指摘する必要がある。ここでは「抽象画」が主題であることに注意して解答構文は「漱石は/X1である音楽と重ね/X2である手法を画工に語らせる形で抽象画を構想しているから(→漱石は抽象画の出現を予告していた)」となる。X2は⑤段末文より「具体的な対象を持たない興趣を/絵に定着する(→画像化する)」となるが、これがX1にも適用できるのは傍線部(2)の直前の引用部から明らか。X1「具体的な対象を持たない興趣を/音像化する」とし、表現の重なりを指示語で処理して先の解答構文に埋め込めばよい。
〈GV解答例〉
漱石は、具体的な対象のない興趣を音像化する音楽と重ね、それを画像化する手法を画工に語らせる形で抽象画を構想しているから。(60)
〈参考 K塾解答例〉
音楽も抽象画もともに具体的な対象を持たずただ興趣だけが表現されている芸術であり、漱石が自分の小説の中でそうした芸術の可能性を表現していると筆者が考えたから。(78)
問四「逆のアプローチ」(傍線部(4))とある。1️⃣と2️⃣が逆のアプローチであることについて、本文中に用いられている「f」と「F」を使って説明せよ。
内容説明問題(対比)。まずは③段落より「f」「F」それぞれの定義を把握する。f=「日々、感受されつづける無数の印象、感情」、F=「fの累積に対して焦点を与え、一つの対象として統合する概念」と整理できる。その上で、については問三でも確認したように「具体的な対象(→f)を持たない興趣(→F)を絵に定着させる抽象画のアプローチ」(⑤)に相当する(捨象→抽象)。そしてその「逆のアプローチ」については、那美の口や眼、顔、額、眉、鼻についての具体的な記述、その「かように別れ別れの道具」(→f)を「画にしたら美しかろう」(→F)というものである。
そもそも「対比」というものは、大きく視野をとった場合、「類比」のバリエーションとして捉えられる。よってのアプローチについては、同じ土俵に乗せた上で「逆」が明確になるようにまとめたらよい。以上より「fを捨象しながら/Fを形成するアプローチ」、「fを集積しながら/Fを形成するアプローチ」ということになる。
〈GV解答例〉
(は)fを捨象しながらFを形成するアプローチ。(20)
(は)fを集積しながらFを形成するアプローチ。(20)
〈参考 K塾解答例〉
(は)「f」の集積によって「F」を形成する。(19)
(は)「F」を「f」によって疑い解体する。(18)
問五「(ピカソが《アヴィニョンの娘たち》[図1]を描いたのは、この翌年の1907年のことである)」(傍線部(5))とある。この( )内の叙述を書き加えた筆者の意図について、特に製作年に注目しながら説明せよ。
表現意図説明問題。( )の内容は、直接的には直前の「「乱調にどやどや」という記述は、あたかもキュビスムの絵を見たときに誰もが抱く印象を述べたようでもある」を補足したものである。広く見たとき、④段落「漱石の問題設定ははるかに後期印象派の理論にこそ対応していた/この小説(『草枕』)はキュビスムそして抽象芸術が生じてくる理論的必然を予告している」以下、『草枕』の引用を挟みながら、漱石の小説と抽象画との対応が繰り返し確認され、2つ目の引用()を承けた⑧段落に傍線部が引かれていることが分かる。以上の整理と、(注)にキュビスムは「抽象絵画の先駆け」また《アヴィニョンの娘たち》は「キュビスムの発展につながる先駆的な作品」とあること、②段落に「漱石によってモダニズムの思想は世界同時性をもって日本に着床する」とあることを踏まえ、「表現→意図」の順で以下のようにまとめる。「『草枕』が《アヴィニョンの娘たち》の前年に書かれたことを示すことで/芸術の世界的動向に対する/漱石の先見性を確認する意図」。噛み砕くと、《アヴィニョンの娘たち》はキュビスムの先駆で、キュビスムは現代抽象芸術の先駆、抽象画に言及した漱石の『草枕』はその《アヴィニョンの娘たち》の前年に成立、すなわち芸術の世界的動向に対する漱石の先見性、となる。
〈GV解答例〉
『草枕』が《アヴィニョンの娘たち》の前年に書かれたことを示すことで、芸術の世界的動向に対する漱石の先見性を確認する意図。(60)
〈参考 K塾解答例〉
ピカソが《アヴィニョンの娘たち》という抽象画を描く一年前に、そうした絵画技法を『草枕』の中で描いた漱石の先進性を指摘しようとする意図。(67)
問六(空所補充)
〈答〉乱調
問七 筆者によると、「尊厳死」や「延命治療」という言葉は、現代医療においてどのように作用しているか。本文全体をふまえて100字以内で説明せよ。
内容説明問題。内容面については前問まででも述べてきたので、本問は傍線部のある最終⑨段落、形式面における『草枕』の実験性を中心に述べるのが妥当だろう。内容面の実験性については、『草枕』が題材とした抽象画への接近それ自体が、当時の世界水準でも前衛的であったことを指摘すれば足る。解答構文は「内容面で前衛的な抽象芸術の生起する様子が描かれる点に加えて/形式面でも〜である点」となる。
それでは形式面での実験性は?⑨段落の内容を単なる性質の羅列で済ませず、それを秩序づけて適切に示したいところだ。まず傍線部につながる「異なる言語形式の混在」(a)、これは形式面での実験性の契機にすぎない。ここに「異なる情報の並列」(b)も加えた上で、その(a+b)が「錯綜した思考の流れ」(c)に読者を導き、「結末に収斂されない/あらかじめ規定された結論に還元されない読み」(d)を可能にするのである。そこに「小説という表現形式の意味/小説によって与えられる経験の本質」(e)があると漱石は見ている、と筆者は考えるのである。以上より解答の後半を「(…加えて)形式面でも異なる言語形式と情報を混在させ(a+b)/読者を錯綜した思考に導くことで(c)/結論に収斂されない(d)/小説固有の経験を可能にする点(e)」とまとめる。
〈GV解答例〉
内容面で前衛的な抽象芸術の生起する様子が描かれる点に加えて、形式面でも異なる言語形式と情報を混在させ読者を錯綜した思考に導くことで、結論に収斂されない小説固有の経験を可能にする点。(90)
〈参考 K塾解答例〉
形式面では、異なる言語形式を混在させたり、規定された結論に読者を導かなかったりしている点で実験的であり、内容面では、抽象的な興趣を画にしようとする画工を登場させたり、女の表情をめぐる画工の錯綜した思考を描いたりしている点で実験的である。(118)
問八「漱石の功績は二〇世紀以降の芸術を支配するモダニズムと呼ばれる一連の問題群をその基礎から構造的に把握し、批評、実作によって実践的に示したことにある」(二重傍線部A)とある。これはどのようなことか。本文全体をふまえ、「批評」「実作」の各々の例を挙げながら、100字以内で説明せよ。
内容説明問題(主旨)。批評の例は『文学論』、実作の例は『草枕』となる。その概略を示しながら傍線部を説明する。といっても制限字数の中で例を説明するには表現の端的にしなければならない。この設問が本文主旨を問い、前問までの流れを集約させる位置づけだから、細かい説明まではここで繰り返さなくてよいという要求だろう。そこで「f+F」図式を示した『文学論』(X)、抽象芸術の生起と結論に収斂されない形式性を示した『草枕』(Y)とする。XについてはT..S.エリオットの「客観的相関物」を先取りするものだったし(③段落)、Yの実験性(前衛性)についても前問で考察した通り。よって傍線部「二〇世紀以降の芸術を支配するモダニズムと呼ばれる一連の問題群を/批評、実作によって実践的に示した」という条件にも該当する。
以上を踏まえた上で、傍線部の要素をもれなく表現すると「漱石には/「f+F」図式による『文学論』(X)や抽象芸術の生起と結論に収斂されない形式性を示した『草枕』(Y)などを通して/二〇世紀以降に興隆する芸術の世界的潮流を/根本から考察し/先駆となった/功績がある」となる。「漱石の功績は〜ことにある」を「漱石には〜功績がある」とし名詞の重なり(功績/こと)を避け流れをよくした。「基礎から…把握」は「根本から考察」と置換した。「構造的に把握」は上のXYの内容にすでに含まれているだろう。「二〇世紀以降の芸術を支配する/モダニズムと呼ばれる一連の問題群」は「二〇世紀以降に興隆する/芸術の世界的潮流」と簡潔に直したが、「モダニズム」の内実についてはXYで具体化されている。「(〜問題群を)実践的に示した」は「先駆となった」とした。漱石の先見性は問五で答えていることろだが、ここでもその指摘は欠かせないはずだ。
〈GV解答例〉
漱石には、「f+F」図式による『文学論』、抽象芸術の生起と結論に収斂されない形式性を示した『草枕』などを通して、二〇世紀以降に興隆する芸術の世界的潮流を根本から考察し先駆となった功績があるということ。(100)
〈参考 K塾解答例〉
規定の概念像がとりとめもない数限りない感覚印象の集積によって解体されたり再構築されたりすることを『文学論』で示し、結末に収斂されないゆえにどこを読んでも面白い『草枕』という作品を書いた、ということ。(99)