〈本文理解〉
出典は藤田省三『精神史的考察』。著者は政治学者(思想史)。
①段落。『平家物語』は、その各段の標題から見ただけで規模・多様性・展開度・成熟度などの点で格別に大きくかつ高くさえあることが分かる。『保元物語』の方にはそういうものを示すような標題は唯の一つもない。それらは平凡極まりないと言ってよい。かくて『保元物語』は、すべての点で『平家』のごときと較べて段違いに小さい作品である。しかし、そのことは『保元物語』の劇的性格をいささかも否定するものではない。試みに『平治物語』と比較して見れば、そのことはすぐ分かる筈である。『平治』において感じ取ることの出来ない劇的主題を人は『保元』において感ずることが出来る。さらに、あれ程多様な山場を持つ『平家』においてすら感ずることの出来ない特別の種類の劇的性質を『保元物語』は持っている。それは、小さい作品であるが故に一層鋭く、物語として豊かではないだけになおのこと端的に現れている。もしそれがなかったら「平家の物語世界」はありえなかったような、切り裂くような性質のドラマがある。個々の場面や人間描写などにおいてではなく、主題としてそれがあるのだ。
②段落。『保元』の主題における劇的なものとは何か。古代宮廷の質的顚落。独立不羈の(滑稽な)英雄の登場。「末座の入道」の断乎たる決定。顚落した宮廷からの「大魔王」の出現。それは一本の太く鋭い逆転劇の筋であった。
③段落。宮廷の権威失墜や無頼の英雄の活躍などは、『平家物語』になると当然自明の事とされている。『平家』で問題になるのは、どのような無頼の英雄がどのように動くか、誰が誰に対してそのようなものであるかであり、そうだからこそ複雑な具体性を帯びた諸関係が主題となって展開されるのであった。そこでは、無頼の英雄の活躍も宮廷の失墜ぶりも「平家興亡史劇」の中で一つの役をふり当てられた「函数」(傍線部二)としてだけ現れる。そうして、『平家物語』のそういう構造的特徴が出て来るためには、『保元物語』における端的で鋭い「劇的な突破」が前提として存在していなければならなかった。その意味で『保元物語』は、物語の次元において『平家』と一繋がりをなし、「平家の世界」に対してそれを切り開いた独立序章となっている、と言ってよいであろう。
④段落。その点で、『平治物語』が実際の歴史的事件の継起の順序に物語シリーズを合わせるト書き的意味合いを持つに過ぎないのと、対照的に異なっている。ということはしかし、『平治物語』の存在が物語として全く無意味だということではない。その平凡陳腐な物語が歴史的事件の継起に合わせて『保元』『平家』の間に挿入された事それ自体が一つのことを示唆している。何よりも先ずそれらは物語形式をとった「史劇」(傍線部二)であるということ、その事を今挙げたちょっとした事実は示唆していないであろうか。保元の乱を素材にし源平争乱・源氏政権の誕生を素材にする以上、それらの争乱が一連の歴史的事件であるからには、『平治』がいかに未熟で迫力を欠くものであろうとも、「史劇」シリーズを満たすためにはやむをえない存在であったろう。それらの物語が「史劇」であるからには叙事的作品でなければならないことは言うまでもない。とすれば、片々たる形容詞句の持つ情緒性だけで作品を性格づけるのも、単なる「戦記」の部分にだけ注目するのも一面的過ぎる。形容部分の情緒性も合戦記の活劇性も全体の基本的骨格との関連で批評的に把らえられなければならないであろう。
⑤段落。というわけで、『保元物語』は中世精神の成立を表現している、一連の物語形式における「史劇」の世界の「突破口」として、まさにその発端をなすものなのであった。むろん作品の成立年代の先後関係について言っているのではない。その内容の構造的特徴を今は問題にしているのである。とすれば、『保元物語』の考察に当たって、先ず、その基本的骨格をなしているいくつかの構成的主題の意味する所を解き明かす事から始めるのが、物を読む際の本筋というべきであろう。
問一 (漢字)
A鮮烈 B結晶 C陳腐 D視野 E発端
問二 「函数」(傍線部一)(注 関数に同じ)とはここではどういうことか。簡潔に答えなさい(20字以内)。
意味説明問題。「ここでは」となっているから「文脈上の意味」を問うているのだが、当然「語義」も損なわない程度にする。「文脈」上は、「無頼の英雄も(A1)/宮廷の失墜ぶりも(A2)/「平家興亡史」の中で(B)/一つの役をふり当てられた函数(A)」とあるから、「全体の中の(B)/要素(A)」と捉えられる。これに「語義」を加えて考える。例えばy=f(x)は「yはxを変数とした関数」と表現できるが、これは「yはxの値により変わる」ということである。本文に戻れば、A1はBという全体の中の他の要素(A2、A3、…)の影響を受ける。また、A2もBという全体の中の他の要素(A1、A3、…)の影響を受ける。これを踏まえて、ここでの函数(A)とは、「互いに影響を及ぼし合う全体の中の各要素」と表現できる。
<GV解答例>
互いに影響を及ぼし合う全体の中の各要素。(20)
<参考 S台解答例>
全体との関連の中に置かれた単なる一要素。(20)
問三 筆者の考える「史劇」(傍線部二)の特徴を述べなさい(50字以内)。
内容説明問題。傍線のある④段落では『保元』と『平家』の間に凡庸な『平治』が挿入されたという事実を手がかりに、その三部作が一連の「史劇」であることを強調する。その「史劇」の特徴の説明として「一連の歴史的事件」「叙事的作品」という語を拾うのは容易だろう。ただ、これでは「史劇」の「史」の部分は説明されても、「劇」の部分が説明されていないことに注意したい。ここでは、この史劇シリーズ、特に『平家物語』の「劇」的な部分の豊かさに一般的な注目が集まることに対して、筆者はその「史」的性格の重要性を強調しているのである。
ここから、「形容部分の情緒性も(A1)/合戦記の活劇性も(A2)/「史劇」としての全体の基本的骨格との関連で批評的に把えられなければならない」という記述に着目する。つまり、「史劇」の「劇」的部分A1A2についても、「叙事的作品」全体の基本的骨格に組み込んで捉える必要があるということである。この理解を解答に込める。
<GV解答例>
一連の歴史的事件を素材としながら、形容部分の情緒性と合戦記の活劇性も基本的骨格に包摂した叙事的作品。(50)
<参考 S台解答例>
単なる物語ではなく、歴史的事件の継起に即して叙述され、劇としての全体性・完結性をそなえているもの。(49)
問四 筆者の考える『保元物語』の意義を文章全体をふまえて述べなさい(50字以内)。
内容説明問題(要旨)。『保元物語』の意義(積極的意味)は、「主題=逆転劇」(①②段)と「『平家』に至る劇的な突破/一連の史劇の突破口(発端)」(③⑤段)の2点に集約される。このうち「逆転劇」については、「古代権威の失墜から(②③)/中世精神の成立へ(⑤)/の画期を示す」ものと具体化した。
<GV解答例>
『平家物語』に至る一連の史劇を導く発端として古代権威の失墜と中世精神の成立を示す画期となった逆転劇。(50)
<参考 S台解答例>
劇的主題により中世精神の成立を表現することで、『平家』に至る一連の史劇の突破口の位置を占めること。(49)