〈本文理解〉
出典は馬場辰猪「平均力の説」(近代文語文)。筆者は自由民権運動家。
①段落。事物の平均は結局はそう落ち着くものであり、人がとかく逆らえるものではない。今ここに二つの物があり、その温度は同じではない。甲は三十度、乙は七十度であるとして、試しに両者をくっつけると「温気移伝の理」(→熱量保存の法則)によって乙はその過剰な二十度を甲に伝え、甲はそれを受け不足を補い甲乙互いに五十度となり、ともに平等の地位に至るのである。空気の疎密を見てもやはりこうである。赤道直下の空気は太陽に熱せられ膨張して希薄になる一方、厳しい寒さに触れて収縮した空気は常に南北の極から赤道付近に流れ込み、先の希薄な空気を追いやり南北の方に旋回させることで、寒熱の空気が両極の間を循環し各地の空気の疎密を平均化することができるのである。
②段落。そしてこの平均力は、また人間社会において大いに力を発揮するのである。今試しにその証拠を一つ挙げよう。ここに権力を争う二者がいるとする。その始め両雄並び立つや、人々の中に憐憫や嫌悪の情がなかったとしても、もしいったん強弱の差が生まれ一方が強く他方が弱くなると、人は必ず弱者を憐れみ強者を憎む気持ちを起こすだろう。これは「人性」(傍線ア)で、弱きを助け強きを挫くという平均力によるものであり、今その好例を見たいなら源平興亡の歴史を手に読んでみよ。もし清盛が天下の大権を握り、平氏が専横を極め、頼朝が遠く伊豆に流され、常盤御前(※源義朝の側室で義経らの母)が子どもたちを連れて雪中を逃げまどい、源氏の衰退がまさに極まるのくだりに読み至るならば、あなたは必ず平氏を憎み源氏を憐れむの情をもよおすにちがいない。そのくせ「異日」(傍線イ)、平氏の運命が次第に衰微し、一族が壇ノ浦で滅び、頼朝が幕府を創始するのくだりに読み至るならば、あなたの胸中には、むしろ源氏を嫉み平氏を憐れむの情が浮かぶにちがいないのだ。これは他でもない「抑強揚弱の平均力」(傍線一)というものがあり、あなたの性質の上にも存在するからなのである。そしてこの道理は人間万事に及び、天下の事物は皆この力によって「平均」を保とうとしないものはなく、昔から人がとかく逆らえるものではないのである。
③段落。そうといっても世間あるいは人為の力によって必然の平均力を抑制し事物の「不平均」を実現しようとする者がいる。それで始めは上手くいったとしても、後で振り返り結果を見るならば、異常な災禍をもたらさないことはかつてなかったのである。このことを少し説明させていただきたい。
④段落。今試しに赤道の両側に巨大な障壁を築き空気の循環を抑止したと仮定しよう。その障壁の南北にある空気はますます密度を高めその圧力を増し、一方その壁間にある赤道直下の空気は次第に希薄になり圧力を弱め、壁の内外で空気の疎密が著しい「不平均」を生じるに至るだろう。もしそうなれば障壁の南北の空気の圧力は次第に強大になり、ついには障壁を決壊させ家屋を粉砕して民衆を殺傷する異常な災害をもたらすことは避けられないのである。
⑤段落。そして政治の上で起きることもやはりこのようなのである。もし圧政をしく政府に民衆の権利を奪取することを目的とし、その「言路」(傍線ウ)を塞ぎその結党を禁じ凡そ政府の主義に「対頭」(傍線エ)の説を立てる者を抑圧させることを許すならば、一時の間は偏った権力を政府が保持することができたとしても、その「不平均」の状態が長く続くことで、必至の「平均力」が人為の「偏重力」を打破し本来の状態に回復させようとし、そのために非常の大乱が醸成され、統治者に自らの誤った政治を後悔させるに至るのは明らかなのだ。かつてのフランス革命の騒乱の一例は、実に長年の「不平均」の力があって世の中が平穏に治らず、ルイ16世の時代に至り当王朝が倒され「平均」を求めたものであると分かるのである。今その革命を見直すと凶暴さや残忍さは言葉を絶したものであるけれども、長い年月で累積した「不平均」の状況を省察すればその凶暴残忍ささえ至極当然に思えるのである。故に私はこう言いたい、「もし民衆の上に立ち国家を統治する責任を負う者は、必至の平均力を十分に心に留め、上手に活用しなければならない」と。
⑥段落。今私が推察するに、イギリス政府は十分に平均力を承認し、上手に活用していると言えようか。見てみなさい、英政府は政治によって平均力を決して妨害せず、ただ平均力の向かうに任せ、かつてそれを問題視しなかったことを。見てみなさい、それ故、新聞・雑誌の類も決して干渉せず、まずは平均力の向かうに任せてこれを活用している。そういうわけで、ある新聞が政府の政策を痛烈に非難したとしても、他の新聞は「抑強揚弱」の情によって直接この新聞を攻撃し政府を擁護するゆえに、議論が「平均」を保つことができる。記者の方もその間に大いに利益を得るのである。そして英国の政党を見るとやはりこのようである。開進党(※自由党、旧ホイッグ党)があり、守旧党(※保守党、旧トーリー党)があり、互いに牽制し合って政治の「平均」を全うするのである。ああ、平均力を抑制することの害悪は仏革命のようで、大いに平均力に従うことの利益は英国政治のように多い。「当路の者宜く鑑みるべき也」(傍線二)。
〈一橋大学 出題意図〉
いわゆる近代文語文は、近代の日本社会に深く関係しており、当時の知識人が新しい課題にどのように取り組んだかを知る上で重要である。そうした文章の読解力を試す問題である。この文章は、自然現象や人間の感情、言論などを例にとり、たとえ正反対の事態であっても、人為的にどちらかを抑制せずに、自然に交じり合ったり、議論を交わしたりすることによって中庸に赴いていくことを示し、政府に批判的な結社や新聞雑誌の抑圧に強く異を唱えた文章である。
問一 傍線ア〜エの意味を答えなさい。
〈GV解答例〉
ア「人性」→人間の本性
イ「異日」→後日
ウ「言路」→言論の手段
エ「対頭」→反対
〈一橋大学 出題意図〉
普段見慣れない用法の単語の意味を、前後の文脈から推測する力をみるものである。アは「自然にもつ性質」など、イは「後日」など、ウは「意見を述べる手段」など、エは「反対」などが適当である。
問二「抑強揚弱の平均力」(傍線一)とはどういうことなのか、この段落の内容をふまえて説明しなさい(30字以内)。
内容説明問題。「この段落の内容をふまえて」とあるから、②段落の内容を「ふまえて」、「抑強揚弱」と「平均力」をそれぞれ具体化すればよいだろう。「抑強/揚弱」については、②段落3文目「其弱を憐れんで/其強を憎む」などを参照すればよい。問題は「平均力」自体の具体化だが、②段落に直接的な換言はなく、正直、①段落の方が内容を把握しやすい。よって①段落から「平均力」を把握して、それと②段落の対応箇所を確認した上で、首尾よく解答を作成する。
そこで①段落は冒頭に「事物の平均は必至の勢なり」とあり、それを確認する例を二つ挙げる。まず2つの温度が異なる物体が「温気移伝の理」より「二者両(ふたつ)ながら平等の地位に至るあり」とする。次に「空気の疎密」が地球を循環することで「各地其疎密を平等するを得る」とする。これらは、②段落で言えば「源平興亡の史」において、平氏優勢・源氏劣勢の世においては平氏を憎み源氏を憐れみながら、時勢が逆転すれば、一転、源氏を嫉み平氏を憐れむという人情のあり方と重ねて理解することができる。つまり、物質においても精神においても「平均/平等/中庸」へと収束しようとする性質があるということだ。これが①②段落で述べられる「平均力」。以上の考察より、「強者を敵視し弱者の味方をして/両者の均衡を保とうとすること」と解答する。
〈GV解答例〉
強者を敵視し弱者の味方をして、両者の均衡を保とうとすること。(30)
〈参考 S台解答例〉
強者を憎み弱者を憐れんで、両者に均衡をもたらそうとすること。(30)
〈参考 K塾解答例〉
権勢に強弱があると、強者への反感と弱者への同情が起こること。(30)
〈参考 Yゼミ解答例〉
弱者が強者に変わればそれに対する感情も憐憫から憎悪に転じる。(30)
〈参考 T進解答例〉
強い者を憎み弱い者を憐れむことで両者を均衡させようとする力。(30)
〈一橋大学 出題意図〉
「抑強揚弱の平均力」がどういうことを指しているのかを簡単に説明できるかを問うものである。源平の盛衰に関して一般的に人が持つ、強者に反発することで弱者に思いを寄せる感情が生じ、バランスの取れた見方ができるということが説明できるかを問う。
問三「当路の者宜く鑑みるべき也。」(傍線二)とあるが、ここで筆者が主張したいのはどういうことか、文章全体をふまえて説明しなさい(60字以内)。
内容説明問題(主旨)。「当路の者」とは「重要な地位にある者」。この知識がなくとも、⑤⑥段落(傍線は最終⑥落末文)は本文の結部で「政治」における「平均力」の重要性を述べた箇所である。特に⑤段末文「苟も人民の上に立ち邦国を平治する責任を負ふ者は(a)」と重ねて、「当路の者=為政者」と捉えるとよい。その「為政者」が「宜く鑑みるべき」こととは、その前文「平均力を抑ゆるの害彼の如く(b)/大に之に従ふの利、此の如く(c)」ということである。ここでbの指す内容は⑤段落「仏革命の騒乱」、cの指す内容は⑥段落「英政府」の「政治」である。また、筆者はaに続く述部で「能く此必至の平均力に注意し能く之を活用せざるを得ざる也(d)」としていることも合わせて考えたい。以上より、筆者の主張の中心は「為政者は人間の平均力に基づき統治すべきだ(a-d)」ということ。「平均力」は問二で説明済みなのでそのままでよいし、そのままにすべき。また、この「平均力」とは「人間の社会に於て之を奮ふあり(→力を発揮する)」(②)ともあるので、「為政者」との関係上、「人間の平均力」としておいた。
あとは、⑤段落「仏革命」との関連で「平均力を抑ゆるの弊害(b)」を具体化する。参照箇所は段落2文目「若し圧政の政府をして…其言路(→言論の手段)を塞ぎ…政府の主義に対頭(→反対)の説を立つる者は皆な抑制するを為さしめば…其不平均の久きに至らば…非常の大乱を醸し以て上位を占むるの人をして其昨非を悔いしむるに至る」。この例が「狂暴惨忍」な「仏革命」なのである。つまり、平均力に任せず批判を抑圧すれば、その暴発を招く危険がある、よって平均力を保ち、その危険を避けるべきだというのが、ここから読み取れる筆者の論点である(b)。
つぎに、⑥段落「英政府」との関連で「之(=平均力)に従うの利(c)」を具体化する。参照箇所は段落2文目以下「夫の政府は政治を以て敢て之(=平均力)を妨碍せず…故に新紙雑誌の如きも敢て之に干渉せず…痛く政府の所為を非難するありと雖ども…抑強揚弱の情を以て…政府を回護するが故に議論能く其平均を保有する」。つまり、⑤段落の「圧政の政府」と対照的に、自由な言論を許すことで、たとえ自らが激しく批判されても、言論は中庸に収束し統治も安定する、よって自由な言論を保障し平均力に任せるべきだというのが、ここから読み取れる筆者の論点である(c)。以上をまとめたのが以下の解答。「為政者は人間の平均力に基づき(a-d)/批判を抑圧しその暴発を招く危険を避け(b)/自由な言論を保障し社会を安定させるべきだということ(c)」。
〈GV解答例〉
為政者は人間の平均力に基づき、批判を抑圧しその暴発を招く危険を避け、自由な言論を保障し社会を安定させるべきだということ。(60)
〈参考 S台解答例〉
国を平治する責任を負う者は、力の偏重を避け、あらゆる存在に働く平均力のあり方に留意しそれを活用すべきであるということ。(59)
〈参考 K塾解答例〉
政府の要職にある者は、社会には均衡を保とうとする力があることをわきまえて、多様な言論活動を保証するべきであるということ。(60)
〈参考 Yゼミ解答例〉
権力が反対者を抑圧すれば破滅に至るのは海外の事例からも明白だから、政府は国民に言論や政治活動の自由を広く許容するべきだ。(60)
〈参考 T進解答例〉
日本の支配層は、民衆の言論を政治介入によって統制しようとせず、平均力に委ねれば上手く統治できるはずだということ。(56)
〈一橋大学 出題意図〉
全体の議論を踏まえ、筆者の政府に対する主張である。相反する主張を自由に戦わせることでだんだんと中間点が見いだされていくものであり、この平均力を抑え込むとフランス革命のような大きな被害がもたらされることになるので、政府はむやみに言論を統制すべきではない、ということが規定の字数で過不足なく答えられるかを問う。