〈本文理解〉

出典は金森修「リスク論の文化政治学」。

①段落。どれほど熟練したロッククライマーでも滑落する危険はある。それが嫌ならロッククライミングをしなければいい。ロッククライミングは、山上での素晴らしい朝日を見るため、というような功利的目的だけでは説明しきれない成分を抱え込む。それは、或る程度の危険があるからこそ、それを克服した人に大きな達成感を与える。「その危険は danger というよりは thrill であり」(傍線部A)、スリルを味わうことが嫌なら、そもそもそれを行わなければいいだけの話だ。(真夜中にかっ飛ばすドライバーの例)。いずれにしろ、その種の行為には一定の危険が最初から練り込まれているが、それは最初から覚悟の上で自発的に選択したもの、危険を行為の妙味として捉え、むしろそれを楽しむだけの余裕を孕んだものという特徴をもつ。

②段落。(一般のドライバーの例)。

③段落。このように、われわれの人生には多くの不確実性を伴う危険がある。だが、通常の場合、人はそれをそれほど気に病むというほどでもない。それは、そもそも人の生が本性的に抱える偶然性や偶発性の発露に他ならず、それを今更嘆いてみてもどうにもならないからだ。

④段落。だが、この「存在論的な不確実性」(傍線部B)には、充分な共感というか、十全の理解を惜しまない人でも、そのことと、次のような諸事例との間には、自然な連続性の中では位置づけにくい異質な性質が混在している、と感じるのではなかろうか。(例/何十年に一度の河川の氾濫の危険性/ゴルフ場での突然の落雷の危険性/原発事故による被爆の危険性/遺伝子組み換え食品摂取による健康被害の危険性…)。

⑤段落。いま挙げた事例のどれもが、「自発性」という成分を少なくとも中心的にはもっていない。近代世界に特有かどうかの違いはあるが、いずれの事例でも、危険を妙味と捉えるような余裕は人にはなく、その意味で誰も自発的にそれらの危険に身を曝そうとは思わないと考えることが、とりあえずは許される。

⑥段落。とはいえ、近代化の動向は、当然ながら危険は随伴物だけをもたらすものではない。自発的ではない危険を引き受けてもなお、見返り的な享楽が大きいからこそ、人は享楽の方に目を向けて、危険には目を瞑る。滅多に起こらない、また危険があるといっても、ごく小さなもので、それに永続的に曝されて初めて一定の有害な効果をもたらすだけのものだ。人はそう考えて、技術的世界の負の側面には目を瞑ろうとする。

⑦段落。だが、その種の心理的合理化にも限界はあるし、技術的世界の中に生きる全員が、常に「そう考える」(傍線部C)というわけでもない。原発もGMO(遺伝子組み換え食品)も、どうしても避けられない危険かといえば、それが自然災害ではないというまさにそれゆえに、その中には人為が潜み、その人為をより適切な航路に導けば、危険は危険ではなくなる、という可能性はあるからだ。原発は必須のものとはいえず、火力、水力、それが駄目なら風力、太陽光発電なども構想しうる。GMOは、危険性が本当にないとの保証が得られるまでは、あまり大々的に採用しない、などというように。そこには絶えず代替的な手段がある。

⑧段落。だが、だからこそ、一定の利害関心の中で、複数の代替的手段の中でも或る特定の手段を是非とも受容させたいという意図が働き、その意図は、その手段の正当化のための論理を練り上げようとする行為となって結実する。現在、産業界を中心に多様な場面で使われている「リスク論」は、そのような文脈の中で機能する理論装置だ。それは、上記に触れた人間存在の根源的な不確実性と、先端技術が孕む危うさとを巧みに混淆させ、一緒くたの背景に据えてしまう。(例/原発は、確かに絶対安全とはいえない。だが、それは人生そのものの性格である。ならば、どのくらいの確率でそれが起こるかを見極めた上で、その対処を決めればいい、という原発推進の論拠)。

⑨段落。このような文脈でリスク論は有効性を発揮しつつある。しかも、例えば三瀬勝利の『遺伝子組み換え食品の「リスク」』などを見れば分かるように、リスク論は、一定の偏差をもった意図を隠しもつにも拘わらず、自分をできる限り中立な〈科学〉として提示しようと苦慮を重ねる。三瀬は冒頭部分で、GMOの賛成派と反対派両方の議論がまるで噛み合わないという現状を嘆き、それを打開するための「「共通の土俵」を作」(傍線部D)ってはどうかと提案する。そしてそのために「科学に基づいた食品や医薬品の安全性の程度(逆からいえばリスク)を計るための手法は存在するのである」として、リスク論を持ち出す。賛成するにしろ、反対するにしろ、政治的、または感情的な立論をしているに過ぎず、それに対してリスク論は「科学的な」リスク評価に基づいたリスク管理を提言するものとして、別格の中立性、普遍性を担う、というわけである。

⑩段落。本章は、三瀬に典型的に見られるリスク論の中立性請求が巧みな自己欺瞞と他者韜晦に武装されたイデオロギーに他ならないという判断を軸に、リスク論に対して私が感じる〈違和感〉を読者と共有するために構想されたものである。

問一 「その危険は danger というよりは thrill であり」(傍線部A)とあるが、筆者は「danger」と区別される「thrill」の性格をどのようなものと考えているか。同じ段落の言葉を用いて40字以内で説明せよ。

内容説明問題。「同じ段落の言葉を用いて」とあるので、①段落から該当箇所を探すと、まずは傍線部の前文「或る程度の危険があるからこそ、それを克服した人に大きな達成感を与える」(P)と、傍線部後の具体例を挟んで段落の結びにあたる「行為者が最初から覚悟の上で自発的に選択したもの、危険を行為の妙味として捉え、むしろそれを楽しむだけの余裕を孕んだもの」(Q)が拾える。ここまでは容易。

ただ両箇所とも「thrill」の説明ではあっても、その言い換えではないことに注意しよう。傍線部に続き、「スリルを味わうことが嫌なら」となっていることから、通常は避けたいものなのに、それ以上の「達成感」があるから求めてしまうものだ、と解することができる。ここで「thrill」の語義から考えて、それはドキドキ(ワクワク、ゾクゾク)の「緊張感」のことである。以上より「危険を克服する時の達成感を味わうため(P)/自発的に選択された(Q)/その危険に伴う緊張感」とまとめることができる。

<GV解答例>
危険を克服する時の達成感を味わうために自発的に選択された、その危険に伴う緊張感。(40)

<参考 S台解答例>
行為者が覚悟の上で自発的に選択し、危険を行為の妙味として楽しむ余裕を孕んだもの。(40)

<参考 K塾解答例>
覚悟して自発的に選択し、危険を妙味として楽しみ、その克服から達成感を得るもの。(39)

問二 「存在論敵な不確実性」(傍線部B)を説明した箇所を本文中から20字以内で抜き出せ。

<答> 人の生が本性的に抱える偶然性や偶発性

問三 「そう考える」(傍線部C)とあるが、どのように考えるというのか。60字以内で説明せよ。

内容説明問題(指示内容)。傍線部「そう考える」は⑦段落の冒頭にあり、前⑥段落の最終文「そう考えて(→技術的世界の負の側面には目を瞑ろうとする(P))」と対応する。その「そう考えて」は、その前の「また」で並ぶ2文、「危険は滅多に起こらないと考えて/危険は小さなもので、それに永続的に曝されて初めて一定の有害な効果をもたらすだけのものだ、と考えて」を承ける。これは具体的で長いので、Pと合わせて「技術的世界のもたらす危険を深刻に捉える必要性はないと考える」(Q)とまとめる。

その上で、もう一文遡り「自発的ではない危険を引き受けてもなお、見返り的な享楽が大きいからこそ(→享楽の方に目を向けて危険には目を瞑る)」を拾い、字数を縮めてQの前に置く。これで解答はできるが、指示語の問題は、必ず後ろへのつながりがスムーズかを確認したい。後ろへは、人々全員が「そう考える=技術のもたらす危険を深刻に考えない//わけではない」と続き、「人為をより適切な航路に導く/代替的な手段をとる」につながる。これより、解答の適切さが確認された。

<GV解答例>
自発的ではない危険を引き受けても見返り的な享楽が大きいので、技術的世界のもたらす危険を深刻に捉える必要性はないと考える。(60)

<参考 S台解答例>
技術的世界が危険を孕んでいても見返りの享楽の方が大きく、その危険の頻度や規模は小さく考慮する必要はないと考える。(56)

<参考 K塾解答例>
やむを得ず危険を甘受した見返りである享楽を重視し、危険には目を瞑りつつ、危険の生起の可能性や短期的影響を軽視して考える。(60)

問四 傍線部D「「共通の土俵」を作」るとは、何をどのようにすることだと考えられるか。30字以内で説明せよ。

内容説明問題。設問意図を把握するのが難しい。ここでは「どういうことか」(逐語的言い換え)ではなくて、「何を(P)/どのようにすること(Q)(だと考えられるか)」と聞いていることに注意したい。土俵の比喩を使えば、「土をダンプで運び、円形で平らに土を固めて…土俵を作る」ではなく、「二人の力士を/共通のルールに基づき競わせる」というレベルの説明を求めているのだ。これをつかめれば後はスムーズだろう。
まず、傍線部「「共通の土俵」を作っ」てはどうか、というのは三瀬の提案である。三瀬は、「GMOの安全性(リスク)」についての議論を促すための「土俵」(リスク論に相当)を求めるのである(←傍線次文「そして」以下)。その土俵では、つまるところ、GMOの安全性(リスク)の程度を(P)、「科学に基づき/中立性と普遍性をもって判断する」(Q)(←⑨段落末文「それに対し」以下)ことができると考えられるのである。以上(P/Q)を簡潔にまとめる。

<GV解答例>
GMOの安全性を、中立的で普遍的な科学の立場で評価すること。(30)

<参考 S台解答例>
安全性を、中立的、普遍的だとする科学的立場から評価すること。(30)

<参考 K塾解答例>
リスクを中立的な科学とされるリスク論に基づいて議論すること。(30)

問五 筆者は「リスク論」に批判的な見解を持っているが、どのような点を問題視しているのか、90字以内で説明せよ。

内容説明問題(主旨)。筆者の考える「リスク論」の問題点について、該当箇所を探してまとめる。まず、⑧段落冒頭部「一定の利害関心の中で、複数の代替的手段の中でも或る特定の手段を是非とも受容させたいという意図(a)/その手段の正当化のための論理を練り上げようとする(b)(その論理がリスク論に相当)」、続いて⑧段落3文目「(リスク論は)人間存在の根源的な不確実性と、先端技術が孕む危うさとを巧みに混淆させ(c)」、さらに⑨段落2文目「リスク論は、一定の偏差をもった意図を隠しつつ持つにも拘わらず、自分をできる限り中立な〈科学〉として提示(d)」を根拠として、重なりのないようにまとめる。解答例では(a)→(d)→(c)→(b)の順でまとめたが、(c)の部分で「人間の根源的な不確実性を利用して(先端技術の)リスクを自明視する(人間はどのみちリスクから逃れられないのだから(正)/先端技術のリスクも仕方ない(誤))」と表現を工夫し、そこから(b)「特定の手段の正当化を図る」につなげ締めとした。

<GV解答例>
一定の利害に基づき、複数の代替手段から特定の手段を受容させる意図を隠蔽して科学的な中立性を装い、人間の根源的な不確実性を利用してリスクを自明視することで、その手段の正当化を図る点。(90)

<参考 S台解答例>
先端技術の孕む危険性を人間存在の根源的な不確実性と混同させ、リスクの評価と管理を科学的な中立性と普遍性を装い提言し、一定の利害関心からなる特定の手段を正当化して他者に受容させる点。(90)

<参考 K塾解答例>
利害関心の下に特定の科学的手段を受容させる意図を背景に、人間存在に根源的な不確実性と先端技術が孕む危険性とを巧みに混淆させ、科学的中立性と安全性の管理とを標榜する主義思想である点。(90)