〈本文理解〉

出典は坪井秀人「ポストバブルの『アブジェクト』—『キッチン』から『OUT』へ」。北大は、前年の第一問『食べることの哲学』に続き、今年も「食」関連。偶然だろう。

①段落。吉本ばななの『キッチン』(1987)といえば、その冒頭の一文をいまや知らない人はいない。

「わたしがこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」(波線部)。

そして、この一文で始まる小説の最初のセクションは次のように閉じられる。
「本当につかれはてた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。ひとり寒いところでも、だれかがいてあたたかいところでも、私はおびえずにちゃんと見つめたい。台所なら、いいなと思う。」

②段落。『キッチン』の物語は主人公桜井みかげの唯一の家族であった祖母の死から始まる。また続篇の『満月ーーキッチン2』も、みかげが深く関わる田辺雄一の母(実は父)でゲイバーを経営するえり子がお客につけ回されて殺されたという報せから唐突に始まる。恋人でもなく血縁関係でもないみかげと雄一による、この二つの物語は、「どうも私たちのまわりは(…)いつも死でいっぱいね」とみかげがつぶやくように、「みなしご」同士の二人が死と、そして食を分かち合うことで共生する物語として読むことが出来る。

③段落。物語が始まった時点で、みかげと雄一のほとんどの家族は死んでしまっていなくなっており、その後も人が死んで行く。右の冒頭で、台所という空間が死の時間と結び付けられて愛おしまれるのは、そうした物語内における「他者の死の近しさ」(傍線部A)ということが関係しているだろう。みかげたちにとって、生というものの手応えはあまりに軽く、突然に訪れて唐突に生を中断する死の意味もまた、深く探究されることはない。

④段落。生と死の実存のこの稀薄さは、彼らの関係性の稀薄さにも通ずる。みかげと雄一は性的な関係に深入りする気配はない。えり子は雄一を産んだ母(妻)が亡くなるまでは男性的ジェンダーを引き受けていたものの、現在は女性の性を、そして雄一の母親の役割を生きる、つまりは産むことができない母を生きる存在だ。彼らの関心は前(過去/親)や後(未来/子)の世代の生の時間とつながることにはなく、彼らは「いわば時間的に蓄積された重量を持たない刹那における共時的な横のつながり」(傍線部B)によって、新しい「家族」のかたちを作り出そうとしている。そしてその横のつながりを媒介するものこそが性ならぬ食、食べることなのだ。

⑤段落。しかし、その食もまた、大家族的なコミュニティの実践としての「共食」とはおよそ異なるものである。右に掲げた冒頭の一文「私がこの世でいちばん…」も、そこを読み誤ると、家父長制にまみれた、「キッチン=料理=家事」の下僕の陳腐な繰り言として取り違えてしまうことになる。

⑥段落。筆者自身の経験を語ると、1991年にウィーン大学の日本学の授業で、まだ単行本が出版されたばかりのこの作品の冒頭部分を大学院生たちに朗読して紹介したことがある。聞いていた彼女たちがくすくすと笑っているので、どうしたのかとたずねると、「あまりに小説の発想が時代錯誤的だからだと答えていた」(傍線部C)ことを思い出す。

⑦段落。この一文は「私にとって、この世でいちばん好きな場所は台所だ」という普通の文とは違う。「私は『私がこの世でいちばん好きな場所は台所だ』と思う」という、自己の嗜好と欲望に関わるメッセージを自ら他者化して観察する、相対主義的な自己語りであるからだ。残念ながらウィーン大学の学生たちには、原文を読み上げただけでは、そのことがうまく伝えられなかったのであろう。

⑧段落。1980年代後半、バブル経済さなかの時代に浮かれた世相、その泡沫的な熱狂の陰にひそむ冷めた虚無感をとらえたまなざしを、吉本ばななのこの自己語りの一文は、象徴的に体現していたとも言える。ところが、「例えば日本語以外の言語に翻訳されたテクストは、その点を十分に表現しきれていたとは言いがたい」(傍線部D)。(以下、英語、ドイツ語、フランス語の翻訳例(4つ))。

⑨段落。(右の例を承けての分析。英語とドイツ語の翻訳では「私は『私が…』と思う」の額縁の部分が省略されている。その額縁を外してしまうと冒頭の一文はいかにも陳腐な語り出しに成り下がってしまう)。

⑩段落。みかげは、雄一たちのために料理を作る役割を、何の違和感もなく引き受けている。「食べさせる女/食べる男」という食の性別役割は、この作品では何の疑問も反発も引き起こさない。だから、「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」という文では、台所空間に自己の性を同一化させることが違和感もなしに行われている。それは「台所症候群」のような現代的なストレスとまったく接点を持たない、家事労働・性別役割分業の肯定として受け取られてしまうかもしれないのである。

11段落。『キッチン』の主人公みかげは、えり子のような自由なジェンダー・アイデンティティの持ち主に護られるようにして、家父長制との軋轢などには悩むこともなく、するすると無自覚にそれを回避していく。彼女に与えられた家族の「欠損」という条件は…むしろ彼女を解放することになるのだが、同時にその条件が、「エプロンをして花のように笑い、料理を習い、精いっぱい悩んだり迷ったりしながら恋をして嫁いでゆく」同じ料理教室の女性たちを見て、「そういうの、素敵だな」と思う、この主人公の位置どりを規定してもいるのである。

12段落。「みなしご」であることの両義性、それは地縁や血縁の軛からの解放と引き換えに彼女を天涯の孤独に置き、そしてやってくる他者の(そして自己の)死を自然なるものとして受け入れさせる。一方で世間のステレオタイプな生き方を冷笑するシニシズムとも無縁。こうした1980年代後半バブル期の時代の雰囲気を、『キッチン』は見事に体現しているのである。

問一「他者の死の近しさ」とは、主人公たちの置かれたどのような状況を指していうのか。文中の言葉を用いて40字以内で述べよ。

内容説明問題。「そうした物語内における/他者の死の近しさ(傍線部)」とあるのだから、「そうした」を具体化すればよい。その指す内容は、傍線部前文の「物語が始まった時点で/みかげと雄一のほとんどの家族は死んでしまっていなくなっており/その後も人が死んで行く」(a)。これを縮めた上で、「近しさ」と対応するような表現で締める。この時、傍線部次文の「…死の意味も…深く探究されることはない」(b)が参考になるが、これは「近しさ」の結果であるから、そのまま使ってはならない。「a→近しさ(→b)」と捉えた上で「近しさ」も言い換え、「物語の開始時点で家族がほとんど死んでおり、その後も人が死ぬ、死が日常にある状況」とした。

〈GV解答例〉
物語の開始時点で家族がほとんど死んでおり、その後も人が死ぬ、死が日常にある状況。(40)

〈参考 S台解答例〉
ほとんどの家族は死に、その後も突然に人が死ぬがその意味を問われることのない状況。(40)

〈参考 K塾解答例〉
家族のほとんどが死んでおり、その後も孤独の中で人の死を自然に受容するという状況。(40)

〈参考 Yゼミ解答例〉
主人公の家族がほとんど死んでおり、作中でも突然、あっさりと周囲が死んでいく状況。(40)

 

問二「いわば時間的に蓄積された重量を持たない刹那における共時的な横のつながり」とはどのようなつながりか。文中の言葉を用いて20字以内で言い換えよ。

内容説明問題。「いわば」から線を引かれていることに注意したい。「X。いわばB」で傍線部BはXの比喩的な言い換えをあらわす。よって、Xの内容をBの要素と対応するように、制限字数で簡潔にまとめればよい。ここで、Xは「(…関心は)前(過去/親)や後(未来/子)の世代の生の時間とつながることにはなく」である。B「時間的蓄積された重量を(B1)/もたない(B2)/共時的な横のつながり(B3)」と対応させて、「過去と未来を(B1)/消去した(B2)/現在のみのつながり(B3)」とし、解答とした。

なお、「BによってY。そしてZ」のYをS台が、ZをK塾が解答の軸にしている。以上の説明を理解すると、これらが初歩的な誤りであると分かるはずだ。

〈GV解答例〉
過去と未来を消去した現在のみのつながり。(20)

〈参考 S台解答例〉
「みなしご」同士が今を共生するつながり。(20)

〈参考 K塾解答例〉
世代と無縁な今において食が作る共生関係。(20)

〈参考 Yゼミ解答例〉
時代や血縁の軛から解放された人間関係。(19)

 

問三 ウィーン大学の大学院生たちが「あまりに小説の発想が時代錯誤的だからと答えていた」理由は何か。70字以内で説明せよ。

理由説明問題。ウィーン大学の大学院生たちが、本文にも挙げられた『キッチン』の冒頭部分を「時代錯誤的」だと捉えた理由を聞いている。これについては、前段⑤段落の「冒頭の一文…も…読み誤ると/家父長制にまみれた/「キッチン=料理=家事」の下僕の/陳腐な繰り言として取り違えてしまうことになる」がズバリ根拠となる。つまり、大学院生たちは「『キッチンの冒頭部分を/家父長制における/性別役割(←⑩)の意識を色濃く反映した/前近代的な繰り言と取り違えたから」(a)、それを時代錯誤とみなしたのである。

aが解答の基本だが、それを筆者は誤解の産物だとみなすわけだから、大学院生たちが見落としたポイント、すなわち冒頭部分は一方で「相対主義的な自己語り」(b)(⑦)であることを見落としていたことも解答に加えておこう。「『キッチン』の冒頭部分を/bとして捉えず〜」という形でaに繰り込み、解答とする。

〈GV解答例〉
『キッチン』の冒頭部分を、相対主義的な自己語りとして捉えず、家父長制における性別役割の意識を色濃く反映した前近代的な繰り言と取り違えたから。(70)

〈参考 S台解答例〉
小説の冒頭部から、家父長制下における家事労働や、女性が食事をつくり男性に食べさせるという性別役割分業を肯定する小説だと誤解してしまったから。(70)

〈参考 K塾解答例〉
自らを相対的に捉え自己語りをする主人公のあり方が描かれていることが伝わらず、古い家父長制的な性別役割分業が素朴に肯定されていると思ったから。(70)

〈参考 Yゼミ解答例〉
女性である主人公が、違和感もなく台所空間に自己の性を同一化させているという点を、家父長制の中での家事労働や性別役割分業だと捉えたから。(67)

 

問四「例えば日本語以外の言語に翻訳されたテクストは、その点を十分に表現しきれていたとは言いがたい」のはなぜか。文中の言葉を用いて35字以内で答えよ。

理由説明問題。「その点」とは、傍線部前文から「この自己語り」である。「この自己語り」とは、前段⑦段落より「自己の嗜好と欲望に関わるメッセージを自ら他者化して観察する/相対主義的な自己語り」(a)である。ただ、指示語を具体化するだけでは内容説明にはなりえても、理由説明としての要件を満たさない。

そこで、話題となっている『キッチン』冒頭部分の翻訳例を承けた⑨段落より「「私は『私が…」と思う」の額縁の部分が省略されている」を参照する。まさに、この「額縁」にあたるのがaであるからである。以上より、「(日本語以外の言語に翻訳されたテクストは)語り手が自身の嗜好を他者化して見る/自己語りの/訳語が欠落しているから」と解答した。aの「嗜好と欲望」のうち、解答に「嗜好」だけを使ったのは、字数の問題もあるが、『キッチン』冒頭部分が直接的には「好き」という嗜好に関わるからである。また、本文に挙げられた翻訳例(4つ)のうち、フランス語訳は「額縁」を押さえているのだが、これは例外とみなし、一般的な翻訳の傾向として説明しておけば足りるだろう(筆者の説明が「傾向」にとどまるのだから)。

〈GV解答例〉
語り手が自身の嗜好を他者化して見る、自己語りの訳語が欠落しているから。(35)

〈参考 S台解答例〉
自己を他者化して観察する相対主義的な語りとして翻訳されていないから。(34)

〈参考 K塾解答例〉
自らの嗜好と欲望を他者化して観察する語りの額縁が消去されているから。(34)

〈参考 Yゼミ解答例〉
「私は〜思う」という自己の欲望を対象化した表現が訳せていないから。(33)

 

問五 本文で問題とされている「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」の解釈に基づいて、筆者は『キッチン』をどのように評価しているか。本文全体を踏まえて75字以内で述べよ。

内容説明問題(主旨)。本文は冒頭の波線部を解説しながら展開するが、それを承けての『キッチン』に対する筆者の評価は、最終12段落に集約されている。特に最終文「こうした/1980年代後半バブル期の時代の雰囲気を/『キッチン』は見事に体現している」(a)が筆者の評価の核になるだろう。これに加え、「こうした」を遡り12段落の要点を整理すると、(b)「みなしご」であることの両義性=地縁や血縁の軛からの解放(b1)/天涯の孤独(b2)、(c)死の自然な受容、(d)シニシズムと無縁、と分けられる。このうちdについては、消極的な規定なので、直接規定がある場合はそちらを優先させてよい。

以下、要素abcについて、「本文全体を踏まえて」肉付けする。aについては、中盤の⑧段落「バブル経済さなかの時代に浮かれた世相/その泡沫的な熱狂の陰にひそむ冷めた虚無感をとらえたまなざしを/吉本ばななのこの自己語りの一文は、象徴的に体現していた」を参照して具体化する。重なりを省いて「バブル期の熱狂にひそむ/虚無感を体現した物語」(a)とまとめる。これを解答の締めに置く。

bcについては、序盤①〜④段落までの中心的な論点となっている。bについては、「「みなしご」同士の二人が死と/食を分かち合うことで共生する物語として読むことが出来る」(②)、「横のつながりを媒介するものこそが性ならぬ食、食べることなのだ」(④)を参照する。このうち②の記述は『キッチン2』も含めた評価だが、これこそが「キッチン」の象徴的な含意であり、『キッチン』単独でも成り立つと判断してもよいだろう。cについては、問一で考察した「死の近しさ」(③)を踏まえる。以上よりb+cは「天涯の孤独を得た孤児たちが(b2)/食を媒介に刹那のつながりを生き(b1)/不意に訪れる死を自然と受容する(c)…物語」となる。
ここで、b+cとaとの関係を考えると、b+cの記述はaの「虚無感」を具体的に説明したものだと捉えられる。よって素直に「b+c→a」の流れで解答すればよい。

〈GV解答例〉
天涯の孤独を得た孤児たちが、食を媒介に刹那のつながりを生き、不意に訪れる死を自然と受容する、バブル期の熱狂にひそむ虚無感を体現した物語と評価している。(75)

〈参考 S台解答例〉
地域や血縁の軛から解放されつつそれらを冷笑することもない、バブル期の時代の浮かれた世相や泡沫的な熱狂の陰にひそむ冷めた虚無感を見事に体現している。(73)

〈参考 K塾解答例〉
台所に自己を同一化させ、食を通じて共生する新しい家族を描きつつ、バブル期にひそむ、自己の生や死の意味をも相対化する虚無感を見事に捉えている作品である。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉
食の営みを相対化してまなざすことで、生きて死す生のつながりを人物に持たせ、同時にステレオタイプな生き方をも回避するバブル期の空気を描き出せている。(73)