〈本文理解〉

出典は串田孫一「山村の秋」(1962)。

①~③段落。今日思いがけなく、古い友だちから葉書を受け取った。山の奥の村に移り住んでもう三年になり、再び都会の生活に戻ることもあるまいから住所を知らせておくという、それだけが書いてある葉書だった。その数行の文句を、一字一字見ているうちに、何という贅沢な奴なのだろうと思った。「まさか何というずるい奴だとまでは思うわけには行かなかった」(傍線部(1))。…彼の住んでいるという村も、彼とは無関係に、もうずいぶん前に訪れたことがある。…その一枚の葉書を睨んでいたところでそこに書いてある極く簡単な文句からは何も考えられない。だから彼にしてみれば山村に移り住んでもう都会には出ないだろうということが、私がついそう思ってしまったように決して贅沢なことではないのかもしれない。ただこの葉書は、もう忘れかけていたその山村の秋を私の記憶の中からいやに鮮やかに想い出させる役目はしたことになる。

④~⑥段落。そういえばあの時、私は何でも栃木県の山ぞいの、丘をほんの一日二日歩くつもりで出かけたのだった。…景色を眺めるというより秋の空気の匂いを嗅いで歩くのが嬉しかった。二日歩いて夕暮れ時に、そろそろ帰ることも考えなければと思いながら、空の色とそこを並んでゆっくりと通る雲があまりにも穏やかで、そのまま上州の山麓へと足を向けたのだった。…まるで放心の状態で歩いていたとした思えないように、その辺のところは記憶にない。秋が安らかに草に住む虫たちを鳴かせ、羊のような雲を空に遊ばせておく限り私は「こういう旅」(傍線部(2))を続けていたい気持ちにさせられてしまった。だからこの村に私がやって来て、水車の音をきいたり、農家の納屋に出入りしている鶏たちを見たのは旅に出て幾日目だったのかさっぱり思い出せない。

⑦~⑩段落。こうした山麓の旅のあいだには幾つもの集落を通って来た筈なのに、どうしてこの村だけが、たった一枚の、その村の容子などは何一つ書いてない葉書によってこんな工合に鮮やかに甦るものなのか。私は、牛を牽いてちょうど自分の家に戻って来た農夫に、…その家に熟したままかなり残っている柿が急に食べたくなって、三つ四つ売ってもらえないものかと頼んだ。農夫は、竿をにぎって柿を少し乱暴にはたき落とした。わたしは黙って見ていることも出来ずに、…落ちて来る柿をうけ止めて、もうこれだけで充分だと言った。柿は枝についている時には、どこにも傷一つなく、大きな酸漿のように見えていたが、受け取ってみると、あっちこっちに黒いしみだの傷もあった。ところがそれを持って行って食べなさいと言われた時は、「なんにも邪気のない、正直で素朴な農夫の心を手のひらに渡されたような気持だった」(傍線部(3))。

⑪~⑬段落。…その頃私は、物そのものよりも、色や光の組み合わせによって風景を見て、またそういう印象を強く残そうとしていたためなのか、西に廻った太陽からのやわらかな橙色の陽光による、あたり一面の、かすかにほてるような、あるいは恥ずかしさのための赤らみのような、その色合が私に何か物語をきかせているようだった。それは改めて私から人に語れるような筋を持ったものではなく、私をその場所で深く包み込んで行くような物語だった。

⑭~⑰段落。(山道を登り岩に腰かけて柿を食べる)。そうしてこの高みから村を見渡して、もしも私がここへ移り住もうという気持を起こしたとしたら、どこへどんな小屋を建てて生活することが許されるのだろうかと考えてみた。この村はどこに特徴があるというものでもない。だが太陽は秋になると暫くのあいだ、この村が好きで好きでたまらなくなると言った、優しさがこぼれたような光をそそいでいる。「ここは恐らく太陽にとっては秘密の土地であるに違いない」(傍線部(4))。そこに昔ながら住んで土を耕している者たちは、そんなことに気もつかずにいるかも知れない。それを、たまたまここを通り過ぎていく私が、僅かの憩いの時間だけ、優しく高貴な光を浴びるのを許してもらえたのだろう。

⑱~⑳段落。だが、それに有頂天になって、私自身がこの秋の太陽に愛されている土地に移住を企てることは、ここがそうしためぐみを受けているところだけに、その値打ちを然程に知らずに頸に飾っている宝石をちょっとした簡単な言葉でどこかの島の住人から奪いとるのと似ているような気がした。この村は秋の、そこに秘かに憩う太陽の愛撫をうけて、貧しさ故に落ちた壁も、古さの故に倒れかけた納屋も、労働のために褐色にやけた人々の顔も、過不足のない調和の中で静かな息づかいをしていて、「私が住む場所は勿論のこと、休息の場所さえ見当たりにくいところだった」(傍線部(5))。
葉書をくれた友人はこういう村に今住んでいる。

〈設問解説〉 問一 「まさか何というずるい奴だとまでは思うわけには行かなかった」(傍線部(1))はどういうことか、説明せよ。(三行:一行25字程度)

内容説明問題(表現意図)。山村に移住したことを知らせる友人からの唐突な手紙を受け取り、筆者は「何という贅沢な奴なのだろう」と思い、「まさか何というずるい奴だとまでは思うわけには行かなかった」(傍線)と続く。「贅沢」だと感じたのは、友人の真意を測りかねるが(③段)、ともかく筆者がかつて訪れ深い感銘を受けた地であったことからくる(全文より)。
その上で、「まさかずるい奴だとまで思うわけには行かなかった」とあるのだが、「思うわけには行かなかった」のなら初めから言及する必要がないのではないか。もちろん、言及する以上、筆者は内心「ずるい奴」と思っているのであり、その上で、その形容が妥当ではないと思い返しているのである。これでベースはできる。
では、なぜ「ずるい奴だとまで」思ってしまうのか。本文を通読して分かることだが、筆者はその山村に深い感銘を受けた後で、その「過不足のない調和」の中に自らの身の置き所がないことを思い知る(傍線(5))。そして、「葉書をくれた友人はこういう村に今住んでいる」という印象的な言葉で本文を締める。以上の理解より、筆者の思い入れのある山村に、(どういう意図かは測りかねるが)、自身ではなく友人が移り住んだことは羨ましくも不当な感じがする、かといってその責を友人に帰すのは妥当ではない、とまとめられる。

<GV解答例>
筆者の思い入れのある山村に友人が移り住んでいることを羨ましく感じ、自身がそうできないのが不当な気もするが、彼にその責を負わせるのは筋違いだということ。(75)

<参考 S台解答例>
筆者は、思い出のある山村に移住した友人を、移住の事情が不明のまま、村の価値を知らずにいる村人に付け込む卑怯ものだと思うには至らず、羨望するに留まったということ。(80)

<参考 K塾解答例>
都会の生活と別れ、私にも思い出のある山村に移住した友人をうらやましく思いつつ、移住の経緯が不明でもあり、友人をねたんだり非難したりできないということ。(75)

 

問二 「こういう旅」(傍線部(2))はどのような旅か、説明せよ。(二行:一行25字程度)

内容説明問題(指示内容)。「こういう」という広い範囲を受ける指示語の指す内容を、漠然とではなく的確にまとめることが肝要である。本文はあらかじめ ※ によりパートを区切っているので、それに従い本問では④~⑥段落を解答範囲とする。

まず、傍線一文(⑥段)から始める。「秋が安らかに草に住む虫たちを鳴かせ、羊のような雲を空に遊ばせておく限り/私は「こういう旅」を/続けていたい気持ちにさせられてしまった」。この「させられてしまった」という表現から、ある種の「受動性」を読み取り、「こういう旅」が「安らかな秋の情景に導かれた」(A)ものであることを押さえる。次に、傍線の直前から「放心の状態で歩いていたとしか思えない」(⑤段)という要素を拾い、この「放心状態」を、「帰ることも(④)/時の経過も忘れ(⑥)」(B)と具体化する。

ただ、ABの要素だけでは「こういう旅」の前提に言及しただけである。その中身はというと、何より「歩き」(④段)の旅であり、目的も決めないいわば「気ままな旅」(④~⑥段)である。これを「足に任せ一心に歩を進める気まま旅」とまとめ、ABからつなげ解答とした。

<GV解答例>
安らかな秋の情景に吸い寄せられるまま、帰ることも時の経過も忘れ、足に任せ一心に歩を進める気ままな旅。(50)

<参考 S台解答例>
明確な目的や意識を持たず、季節の風物を体感しつつ、こだわりなく穏やかに、気分にまかせてゆったりと歩む旅。(52)

<参考 K塾解答例>
行き先も決めず、季節の風情を全身で思うがままに味わい、それに誘われて歩く、気ままでゆったりとした旅。(50)

 

問三 「なんにも邪気のない、正直で素朴な農夫の心を手のひらに渡されたような気持だった」(傍線部(3))のように筆者が感じたのはなぜか、説明せよ。(三行:一行25字程度)

理由説明問題(比喩)。一文(⑩段)で見ると、「ところが/それを持って行って食べなさいと言われた時は(A)/なんにも邪気のない、正直で素朴な(B)/農夫の心を手のひらに渡されたような気持だった(G)」となる。もちろん、「~(B)~心を~渡されたような」とは比喩(直喩)であり、実際は「あっちこっちに黒いしみだの傷もあった(C)」柿を渡されたのだ。「柿」の修飾であるCはマイナス要素、「ところが」を挟み、「心」の修飾であるBはプラス要素であることも踏まえ、解答の骨格を、「Cの柿が/逆に(かえって)/Bの心と重なったから」(→G)と導く(逆説の形)。
その上で、Cというマイナス要素をBというプラスに転じる要素(逆説をつなぐ要素)を加えるのだが、これは先の一文のA(条件節)にあたる(Cの柿が/Aにより/Bの心と重なったから→G)。なぜ「持って行って食べなさいと言われた」(A)ことが、プラス(B)を導いたかということだが、前提に戻って、もともとは筆者が農夫の家の柿が急に食べたくなって「売ってもらえないものか頼んだ」のだった(⑧段)。それを「農夫が(ただで)譲ると言ったので(A)」、(現金なものだが)、マイナス(C)がプラス(B)に転じたのである。もちろん、CとBのイメージは対応関係にあるはずだが、C(傷つき黒ずんだ/柿)は基本変えずに、Bの表現をAの行為を踏まえ補強し、「飾り気がなく/誠実で温かみのある/生活者(の真心)」としてCに近づけた。以上より、「買うには残念に思えたCの柿だったが/農夫が譲ると言ってくれたことで(A)/逆にその柿が/Bの真心を連想させたから」。

<GV解答例>
買うには残念に思えた傷つき黒ずんだ柿だったが、農夫が譲ると言ってくれたことで、その柿が逆に飾り気がなく誠実で温かみのある生活者の真心を連想させたから。(75)

<参考 S台解答例>
柿のしみや傷は買う際には意に反したが、農夫が譲ってくれるとなると、しみや傷のある柿が農夫のごまかしのない、率直な善意の現れのように感じられ、好ましく思えたから。(80)

<参考 K塾解答例>
柿を採る農夫のしぐさや手にした柿の見映えに、かすかな違和感を抱いたが、いざ柿を勧められてみると、農夫の飾り気のない親切心が素直に心に沁み込んだから。(74)

問四 「ここは恐らく太陽にとっては秘密の土地であるに違いない」(傍線部(4))のように筆者が思ったのはなぜか、説明せよ。(四行:一行25字程度)

理由説明問題。着地点(G)は、「秘密の土地」である。そこに太陽があるのは当然として、その土地に人がいない、あるいは、その真のあり様に気づかない、ということが言えればよい。直接的な根拠は、傍線直後「そこに昔ながら土地を耕している者たちは/そんなことに気もつかずにいるのかもしれない//たまたまここを通り過ぎて行く私が/僅かの憩いの時間だけ/優しく高貴な光を浴びるのを許してもらえたのだろう」(⑰段)。ここから、「ここは/地元の人にとっては日常でしかない上//筆者のように偶然でなければ訪れることもなく/発見されることもないだろうから(→G)」という型ができる。

後は、「ここ」を明確にし、それと太陽がともにあることについて言及しなければならない。解答範囲は、※ で区切られた⑭~⑰段のパートと、その前の⑪~⑬段のパートである。まず舞台となるのは、特徴に乏しい平凡な山村である(⑯)。そこを、秋の暫くのあいだだけ(⑯)、橙色の陽光が優しく包み込む(⑬)のだが、その色合いが「私」に何か「物語」をきかせているようだったのだ(⑬)。「物語」というのは、比喩的なので、「平凡な(閑散とした)山村の秋の一時を/橙色の陽光が優しく包むことで立ち上がる/無二の美しい情景」と直した。それは、その空間にだけ生きている村人にとっては自明なものでしかない上、筆者のように偶然でなければそこを訪れないし、訪れても「物語」に出会うことはない、よって「秘密の土地」なのである。

<GV解答例>
閑散とした山村の秋の一時を橙色の陽光が優しく包むことで立ち上がる無二の美しい情景は、閉鎖的な土地に生きる者には自明なものである上、筆者のように偶然でなければ来訪者もなく発見されることもないだろうから。(100)

<参考 S台解答例>
一見特徴もなく平凡な山村が、秋の一時期だけ、優しく高貴な陽光を浴びることに村人たちは気づかないが、偶然この村を通り過ぎ、つかのま陽光を浴び、陽光を浴びた村の色合いに物語を感じた筆者だけが、それに気づき得たから。(105)

<参考 K塾解答例>
旅先で出会った山村では、秋ののどかな時間にだけ優しく高貴な光がふりそそいでおり、それは土地の人には気づかれなくとも、光やその色合いに物語を感じる私には、太陽の秘かで特別な慈愛であるかに感じられたから。(100)

 

問五 「私が住む場所は勿論のこと、休息の場所さえ見当たりにくいところだった」(傍線部(5))のように筆者が思ったのはなぜか、説明せよ。(四行:一行25字程度)

理由説明問題。直接の根拠は傍線を帰結とする一文の、傍線より前の部分「この村は/秋の…太陽の愛撫をうけて/貧しさの故に落ちた壁も、古さの故に倒れかけた納屋も、労働のために褐色にやけた人々の顔も(A)/過不足のない調和の中で静かな息づかいをしていて」(⑲)である。ここから、Aの具体例を一般化して、「太陽の愛撫をうける村は/寂れて不要に見える事物や/生活臭の濃い村人の姿まで含め全てが場所を得て/過不足なく調和していて/自分の存在がその調和を乱す気がしたから」という型が導ける。

その上で、視野を広げて ※ で区切られた⑱~⑳段のパートを見ると、その冒頭は前パート(⑭~⑰段)を承けており、この場面で筆者は、山道を登って岩に腰かけ高みから村を見渡し、「もし私がここへ移り住もうという気持を起こしたとしたら、どこへどんな小屋を建てて生活することが許されるのだろうかと考えて」いるところだった(⑮)。その思索の結果にあたるのが傍線(5)なのである。以上を踏まえ先の解答の型を、主語を「村」から「筆者」に改めた上で、こう書き換える。「~村を高みから俯瞰した筆者は/~過不足なく調和している村の美しさに気づき/自らを布置する余地がないことを知ったから」、よって住む場所は勿論、休息の場所さえ見当たらなかったのである。

<GV解答例>
太陽の愛撫をうける村を高みから俯瞰した筆者は、寂れて不要に見える事物や生活臭の濃い村人の姿まで含め全てが場所を得て、過不足なく調和している村の美しさに気づき、自らを布置する余地がないことを知ったから。(100)

<参考 S台解答例>
秋の一時期、村は優しく高貴な陽光の恵みを密かに受け、村のすべてが過不足のない調和の中にあり、部外者はそこに移住することはもちろん、休息することですら、その調和を乱すこととしてはばかられるように感じられたから。(104)

<参考 K塾解答例>
慈愛のように光がふりそそぐ山村に魅惑され、村にしばらく留まりその恩恵を享受しようと考えてみたが、旅人の私が留まることは、貧しさや労働の厳しさも含め、自然と調和し自足している暮らしを損なうと感じたから。(100)