〈本文理解〉

出典は小松和彦『妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心』。

①段落。私たちの身の回りから「闇」がなくなりだしたのは、いつのころからだろうか。地域によって違いがあるのは当然であるが、文学者の鋭い感性で「「闇」の喪失の危機」(傍線部(1))を感じ取った谷崎潤一郎が、『陰翳礼讃』という文章のなかで「私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。…」と書いたのが、昭和の初めのことであった。もうこのころには、闇の喪失が目立ったものになってきていたのである。その文章のなかで、谷崎は妖怪の出現しそうな室内の陰翳のある闇について、こう書き記している。

「…分けても屋内の「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻想を起し易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこう云う闇であろうが、その中に深い帳を垂れ、屛風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか。…」

②段落。谷崎が嘆いているのは、「眼に見える闇」の喪失であって、「眼が効かない漆黒の闇」の喪失ではない。燭台や行灯の明かりとその明かりの陰にできる闇とがほどよく調和したところに日本文化の美しさを見いだし、明る過ぎる電灯によってそうした陰翳のある世界が消失しようとしていることを憂い悲しんでいるのである。すなわち、明かりのない闇も好ましくはないが、闇のない白日のような過度の明るさも好ましいことではなく、光りと闇の織りなす陰翳ある状態こそ理想だというわけである。

③段落。谷崎はそこに日本の美の理想的姿を見いだした。しかし、陰翳の作用の重要性はその配合調和の度合いに多少の違いはあるにせよ、美のみではなく、日本人の精神や日本文化全体、さらにいえば人間全体にとっても重要なことだといっていいのではなかろうか。

④段落。谷崎の文章からもわかるように、光りと闇の、ときには対立し相克し、ときには調和するという関係が崩れ、急速に闇の領域が私たち日本人の前から消滅していったのは、電線が全国に張りめぐらされていった大正から昭和にかけての時代であった。この時代に大正デモクラシーという名のもとに、近代化の波が庶民のあいだにも押し寄せ、その一方で、人々は資本主義・近代消費社会のシステムのなかへ編入されていったのである。そのころから高度成長期にかけて、戦争という緩慢期はあったものの、闇の領域が人々の身辺から消え、「それとともに多くの妖怪たちの姿も消え去ってしまったのである」(傍線部(2))。

⑤段落。大正時代に流行った童謡に西条八十の「かなりや』がある。「唄を忘れた金糸雀は、後の山に捨てましょか、いえいえ、それはなりませぬ」。この歌の「かなりや」が海の向こうからやってきた西洋の文明を象徴しているとすれば、「後ろの山」はそれ以前の「闇」の領域としての恐怖に満ちた山であった。この「後ろの山」は自分の家のすぐ裏手の山であったかもしれないし、小盆地宇宙モデルでいう周囲の山であったかもしれない。あるいは近くの森や林や野原だったかもしれない。いずれであったにせよ、この「後ろの山」ら前近代が抱えもっていた深い闇の恐怖空間であった。こうした「後ろの山」や「背戸」という言葉で表現される空間が、当時の子どもたちにとって、さらには大人たちにとっても謎めいた闇の空間としてまだしっかり生きていたのである。(児童文学者、村瀬学『子ども体験』からの引用)。

⑥段落。しかし、これは子どもたちだけではなく、大人にとっても同様であった。『かなりや』のような明るさと暗さが漂う大正童謡が流行った理由の一つは、それが子どもたちに向けての歌であると装いつつ、じつは「大人たちの心情に訴えかける」(傍線部(3))ように仕組まれていたからである。それゆえ大人たちの心を揺さぶり支持されたのである。

 

問一「「闇」の喪失の危機」について、どのような意味で「危機」なのか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。傍線部をそのまま捉えて、「闇」が失われるということが「危機」だということになるが、それが正しい意味で「危機」だと言えるには、「闇」がプラスの価値を持たねばなるまい。根拠は③段落「谷崎はそこ(=光りと闇の織りなす陰翳ある状態)に日本の美の理想的姿を見いだした。しかし、陰翳の作用の重要性は…美のみではなく、日本人の精神や日本文化全体、さらにいえば人間全体にとっても重要なことだ…」。ここから「闇」=陰翳の状態や作用が「谷崎ー日本人ー人間」にとって重要性をもつものであることを説明する。さらに、それが「近代化」の過程で失われていく(④)、ということも加えておく。谷崎の理想のみならず、日本人ひいては人間全体に本質的に重要な「闇」が失われ、しかもそれが時代の進歩において避けられない、その意味で「危機」と言えるのである(谷崎はそのことを敏感に感じ取っていた、という文脈になる)。

〈GV解答例〉

谷崎にとって日本の美の理想であり、日本人の精神や日本文化全体、さらに人間全体にとっても重要性をもつ陰翳の状態や作用が、近代化により失われるという意味。(75)

〈参考 S台解答例〉

屋内で認識できる闇が身の回りから消えることは、明かりとその陰にできる闇とが調和した陰翳のある世界に見いだされる日本美の理想的状態の消失であるという意味で。(77)

〈参考 K塾解答例〉

光りと闇とが醸し出す陰翳がある世界は日本の美を生み出す文化的土壌であるばかりか、その陰翳の作用は、人間精神全体にとっても重要な役割を担うという意味で。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉

光と闇が織りなす陰翳の世界が失われることは、日本的な美の喪失というだけでなく、日本人の精神や文化、さらには人間にとって重要なものの喪失であるという意味。(76)

問二「それとともに多くの妖怪たちの姿も消え去ってしまったのである」のように言うのはなぜか、本文に即して説明せよ。(三行)

理由説明問題。「それ」がAをもたらしたから(→妖怪が消え去った(G))、という解答構文に定める。「それ」は、傍線部の前部(④)から「近代化に伴い/陰翳のある(②)/闇の領域が失われたこと」(B)となる。それでは、BによってもたらされたA、かつGに着地するAとはどういうことか。両側から挟み撃ちして導けばよい。まず、ここでの「妖怪」というのは、①の引用部からも分かるように、何かの実体というよりは心的な現象(心の状態の外化)と考えるべきだろう(C)。特に引用部の「「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻想を起し易い」(D)が参考になる。また、⑤段落にもあるように、そうした「闇」の領域は日本人に恐怖をもたらすものであった(E)。

以上より「〜闇の空間が/失われたことは(B)//光と闇の合間に生起する幻影を(D)/現実の存在として感受し(C)/恐れをなす日本人の感性の(E)/喪失をもたらしたから(→G)」とまとめられる。

〈GV解答例〉

近代化に伴い陰翳のある闇の領域が失われていったことが、光と闇の合間に生起する幻影を現実の存在として感受し恐れをなす日本人の感性の喪失をもたらしたから。(75)

〈参考 S台解答例〉

電灯が普及した大正以降の物心両面の近代化により闇の領域が消滅していったことに伴い、日本人が、謎めいた闇を恐れ、妖怪という存在を想像することもなくなったから。(78)

〈参考 K塾解答例〉

人間の幻覚を誘う陰翳のある闇こそ妖怪たちが跳梁する世界であるが、近代化にともなう明るい電灯の普及と管理の浸透によって、そのような闇の領域が消失したから。(76)

〈参考 Yゼミ解答例〉

近代化にともない、電灯が普及して屋内が明るくなったことで闇の領域が日常世界から消滅し、合理的なものだけが脚光を浴びて、神秘的なものは失われたから。(73)

問三「大人たちの心情に訴えかける」ことができたのはなぜか、説明せよ。(三行)

理由説明問題。大正時代の童謡『かなりや』が、子どもだけでなく、「大人たち」の心情に訴えかけることができた理由を問うている。普通は子どもに比べて難しいと考えられる「大人たち」の心情に、どうして訴えかけることができたのか。前⑤段「「後ろの山」や「背戸」という言葉で表現される空間が/当時の子どもたちにとって/さらには大人たちにとっても謎めいた闇の空間としてまだしっかり生きていたのである」が根拠になる。ここでの「後ろの山」とは『かなりや』の歌詞にある「前近代が抱えもっていた深い闇の恐怖空間」(⑤)である。それが大正期にも実在の空間として保たれていた、というのである。「この「後ろの山」は自分の家のすぐ裏手の山であったかもしれないし…」(⑤)以下の部分も参照するとよい。以上より「『かなりや』が想起させる深い闇の恐怖空間は/近代化の進む大正期にも/実在の空間として保たれていたから」(A)という一応の解答が導ける。

が、字数的にも内容的にも、もう一要素、盛り込む必要がある。はじめに述べたように、「大人」は「子ども」に比べて「訴えかけ」のハードルが高くなるのだが、そのハードルを超える積極的な理由を述べなければならない。そのためには、「子ども」ではなく「大人」に訴えかける条件について、要は「子ども」と「大人」の違いを踏まえる必要があるが、本文では直接言及されていない(自明の内にある)。ならばその自明性を汲み取り言語化する必要があるのだが、両者の違いといってもキリがない。その違いを限定するのは文脈である。ここでは、「後ろの山」の実在性が「訴えかけ」のポイントであった。これとの関連で「子ども/大人」の対比を考えると、「大人」は一般的に現実(生活)に責任を負う存在、現実によりコミットするべき存在である。一方、子どもは現実への責任の多くを猶予されている存在であり、その分より想像世界(遊び/フィクション/夢/未来etc)にコミットしていい存在である。その子どもに童謡『かなりや』が響きやすいのは当然だとして、だがそれは「単なる虚構(空想)ではなく/「後ろの山」の実在を担保として大人の心に訴求する力をもった」(B)のである。よって『かなりや』は、実のところ、大人の心情に訴えかける、いわば大人の童謡なのであった。AにBを繰り込んで解答とする。

〈GV解答例〉

『かなりや』が想起させる深い闇の恐怖空間は、近代化の進む大正期にも保たれており、単なる空想ではなくリアルな実在として大人の心に訴求する力をもったから。(75)

〈参考 S台解答例〉

明るさと暗さの漂う大正童謡は、直面する空間の背後に、未だに前近代的な謎めいた暗い空間が隠れていると感じ不安を覚えていた当時の大人の心にも通じていたから。(76)

〈参考 K塾解答例〉

大正時代には、前近代が抱えもっていた深い闇の恐怖空間が大人の心のなかにも息づいており、明暗が漂う当時の童謡はそうした感性を共振させるものであったから。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉

近代化にさらされた大人たちこそが、失われた奥深い闇への不安や懐かしさを敏感に感じるため、明るさと暗さが漂う大正期の背後に隠れた顔を見出してしまうから。(75)