〈本文理解〉

出典は石川淳の随想「すだれ越し」

 

①段落。ひとりの少女が直撃弾にうたれて死んだ。さういふ死体は、いや、はなしのたねは、いくさのあひだ、空襲のサイレンが巷に鳴りわたつたあとには、おそらく至るところにころがつてゐたのだから、その場所が山の手の某アパートのまへであらうと、他のどこであらうと、「後日の語りぐさになるやうなことではない」(傍線部(1))。しかし、わたしはこの小さい事件をおぼえてゐる。といふのは、当時わたしはそこのアパートの一室でひとりくらしてゐて、少女もまたおなじ屋根の下の、となりの室に、これもひとりで住んでゐたからである。そして、少女の倒れたところには、わたしの室の窓からすだれ越しに見える鋪道の上であつた。
 
②段落。さういつても、わたしはかねて少女と口をきくどころか、顔すらろくに見たことがなかつた。関係といへば、ただ壁をへだてて声を聞いただけであつた。毎朝、わたしはサイレンの吠える声に依つてたたきおこされないときには、少女の歌ふ声に依つてうとうと目をさますといふたのしい習慣をあたへられた。歌はシャンソンであつた。そして、その歌の音色が青春を告げてゐた。それはいつ炎に燃えるとも知れぬ古い軒さきに、たまたまわたしの束の間の安息のために、カナリヤの籠が一つさげられたといふに似てゐた。しかし、「あはれなカナリヤもまた雷にうたれた」(傍線部(2))。その日わたしはアパートを留守にしてゐたので、かへつて来て窓の外を見たときには、少女の死体はすべにどこやらにはこばれて、道は晩春の月の光に濡れてゐた。昭和二十年四月某日の夜のことである。
 
③段落。となりの室の歌声が絶えたあとに、アパートでは当分少女のうはさが尾を曳いた。…うはさにはさまざまな解釈が附せられた。しかし、わたしにとつては、解釈はもとより、うわさも不要であつた。…おもへば、「わたしは当時すべての見るもの聞くものとすだれ越しの交渉しかもたないやうであつた」(傍線部(3))。実際に、わたしの室の窓には一枚の朽ちたすだれがぶらさがつてゐて、それがやぶれながらに、四季を通じて、暗雲にも風雨にも、ともかく時間に堪へつづけてゐた。
 
④段落。越えて五月、その二十五日の夕方、Aといふ友だちが塩豚をみやげにもつてたづねて来た。ちやうど、わたしのところにはちとの酒とちとの野菜とがあつた。たちまち、饗宴がひらかれた。…われわれは上機嫌で、いづれ焼けるかもしれないがなんぞと、まだ焼けてゐない現在をはかなくも恃んで、すだれからすかして見た外の世界の悪口をいつて笑つた。やがて酒が尽きると、家の遠いAはいそいでかへつて行き、わたしはごろりと寝た。サイレンの音にねむりがやぶれたのは、それから三時間ほどのち、であつた。…猛火は前後から迫つて、すだれを焼いた。すだれのみならず、室内のすべて、アパートのすべて、いや、東京の町のすべてが一夜に焼けおちた(※注 山の手大空襲)。…
 
⑤段落。その後、わたしはわたしの室の焼跡をただの一度も見に行つたことはない。しかるに、猛火の夜のあくる日、これは災厄に遭はずじまひのAがわざわざわたしのゐない焼跡を見舞つてくれたさうである。後日に、そのAのはなしに依ると、もとわたしの室のあつたところに、そこのいぶりくさい地べたの上に、焦げた紙きれが一枚落ちてゐたので、拾ひとつて見ると、それは古今集の一ひらであつたといふ。わたしのもつてゐた古本の山がぞつくり灰になつたあとに、どうすれば古今集の一ひらだけが焼けのこつたのか。合理主義繁昌の常識からいへば、「これははなしができすぎてゐて、ウソのやうにしかおもはれないだらう」(傍線部(4))。しかし、決して非常識ではないAがかういふことでウソをつくとは絶対におもはれない。人生の真実のために、このはなしはウソではないと信じておかなくてはならぬ。
 
⑥段落。そのときから十年をへた今日に至るまで、わたしは窓にすだれがぶらさがつてゐるやうな室に二度と住んだことがない。…
 
⑦段落。ある日わたしは旅に出て、あたりの田圃を見わたす座敷でどぶろくをのんでゐた。…座敷は障子をあけはなしてあつてが、片側が窓で、そこにすだれがさがつてゐた。…窓のそばに寄つて巻きあげようとすると、古いすだれはあはや切れて落ちさうで、黒ずむまでにつもつた塵は手をふれることを禁じてゐた。それはあたかもわたしの室の焼けたすだれがここにそつくり移されて来たやうであつた。そのとき、すだれの向うに、花の色のただよふのが目にしみた。藤であつた。窓の外に藤棚があり、花はさかりであつた。
 
⑧段落。庭に出て、そこにまはつて行くと、座敷は中二階のやうなつくりになつてゐたので、窓の外と見えた藤棚はおもつたよりも高く、手をのばすと、指さきは垂れさがつた花の房を掠めようとして、それまでにはとどかなかつた。わたしは悪癖のへたな狂歌をつくつた。
 むらさきの袂つれなくふりあげて引手にのらぬ棚の藤浪
 
⑨段落。「わたしが花を垣間見るのはいつもすだれ越しであり、そしていつもそれには手がとどかないやうな廻合せになつてゐるらしい」(傍線部(5))。
 
 

問一「後日の語りぐさになるやうなことではない」(傍線部(1))のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(2行)

 
理由説明問題。一見易しい問題である。傍線部の前部から「戦時中では人の死がありふれたものとして経験されるから」(X)とすぐに導ける。こんなのはどこぞの大手予備校にもできる。問題はここからだ。傍線部の後に「しかし、わたしはこの小さい事件をおぼえてゐる」と続くことに注意しよう。もちろん、「この小さい事件」も「戦時中の人の死」に含まれるものである。しかし、これについては「後日の語りぐさ」になるのである。なぜか。「少女もまたおなじ屋根の下の、となりの室に、これも一人で住んでいたから」(①)である。そして、彼女との交流はいわば「すだれ越し」ではあるものの、当時の筆者に特別な気持ちを抱かせるものだったのである(②)。
 
ということは、「この小さい事件」を「後日の語りぐさ」とした条件(Y)を除いて、「語りぐさ」にならない条件(X+not Y)を構成する必要がある。解答では「戦時中における(X)/しかも直接体験されない(not Y)/人の死は/日常のありふれたものとして/記憶の中で消化されるから」とまとめ、傍線部「後日の語りぐさになるやうなことはない」に着地させた。
 
 
〈GV解答例〉
戦時中における、しかも直接体験されない人の死は、日常のありふれたものとして記憶の中で消化されるから。(50)
 
〈参考 S台解答例〉
少女が直撃弾にうたれ路上で死んだことなど、戦時の空襲後にどこにでもあるありふれた出来事だと思われるから。(52)
 
〈参考 K塾解答例〉
空襲の直撃弾で死ぬといったことは、戦争末期の現実を生きる人々にとっては、取るに足らない些事でしかなかったから。(55)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
直撃弾による死は、被害の場所や対象にかかわらず、戦時下においてはありふれた出来事でしかなかったから。(50)
 
〈参考 T進解答例〉
空襲による一人の少女の死など、戦時下という異常な状況においてはありふれた出来事と言うほかなかったから。(51)
 
 

問二「あはれなカナリアもまた雷にうたれた」(傍線部(2))はどういうことか、説明せよ。(3行)

内容説明問題。「あはれなカナリヤ(X)/もまた(Y)/雷にうたれた(Z)」と分けてそれぞれの要素の含意するところを説明しよう。Xについては隣室の少女のことであるが、それは傍線部の前にあるように「(空襲警報のない日は)少女の歌ふ声に依つてうとうと目を覚ますといふたのしい習慣」を筆者に与えた存在であり、その音色は「青春を告げてゐた」。以上を「自らの青春を謳い/筆者に束の間の安息をもたらした/儚い(←あはれな)存在」とまとめた。
Yについては前問の理解も踏まえ「誰にも死が日常としてある戦火の中で(Xも)」とすればよい。そしてZについては、もちろん彼女が「直撃弾にうたれ路上で死んだ」(①冒頭)ことだが、比喩のニュアンスを踏まえ「災いが降りかかるように/あえなく命を落とした」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
誰にも死が日常としてある戦火の中で、自らの青春を謳い、筆者に束の間の安息をもたらした儚い存在も、災いが降りかかるようにあえなく命を落としたということ。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
筆者は、隣の室の少女が歌う若い声で目覚めるという楽しい習慣を持っていたが、戦火におびえる日常に束の間の安息をもたらした可憐な少女も空襲で犠牲になったということ。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
隣部屋の少女が青春を思わせる声音で歌うシャンソンで目をさますのが「わたし」の安らぎとなっていたが、突然その少女が戦争の犠牲者となってしまったということ。(76)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
隣部屋の少女が歌うシャンソンは筆者に安らぎを与えてくれていたが、その少女も多くの日本人と同様、戦争の犠牲になって死に、歌声は消えてしまったということ。(75)
 
〈参考 T進解答例〉
心地よいカナリアのさえずりのように、シャンソンの歌声で作者につかのまの安息を与えてくれた隣家の可憐な少女も、空襲であっけなく命を落としたということ。(74)
 
 

問三「わたしは当時すべての見るもの聞くものとすだれ越しの交渉しかもたないやうであつた」(傍線部(3))はどういうことか、説明せよ。(4行)

内容説明問題。現代文は現代日本語による文章を対象とするゆえに捉え難い科目である。それを学生に教授するために様々な方法論が提起されて来たわけだが、過剰な定式化は教養を軽視する風潮を生む。結果、山師ととりまきの出版社による粗悪な参考書が、現代文革命よろしく濫造される。まるで、どこかの国の政府とメディア共犯のニュースピークがごとき惨状、反知性の極みと言えまいか。
そうした誤解の多い定式化の一つに「傍線部の要素を本文の言葉に即して言い換える」というものがある。間違ってはいない。しかし、本文の言葉ですべて換言できるほど、入試の実際も実際の言葉も甘いものではない。「すだれ越しの交渉」とは比喩表現である。比喩表現が、何をどのように例えたものなのか、明示的に示されているとすれば、それは広く文芸の名に値しない代物である。明示されない表現は、筆者の言わんとするところを推し量り、自らの言葉で適切に言い換えなければならないのである。
 
といっても「すだれ越しの交渉」の外縁を浮き彫りにする記述はその前後にある。前部より、筆者は隣室の少女の歌声に安息を得たが(問二)、その死後に立ったうわさや解釈については「不要であつた」(a)という内容を押さえる。後部より、部屋の窓のすだれが「四季を通じて、暗雲にも風雨にも、ともかく時間に堪へつづけてゐた」(b)という記述を押さえる。もちろん、このすだれは戦時における筆者のあり方を象徴するものである。その上で「すだれ越しの交渉」の含意を探ると、一つは「筆者の間接的な人や状況への関わり方」という側面(c)、もう一つはbとの関連で「自己の領域を保つものとしてのすだれ」すなわち「間接的な交渉にとどめることで、状況が逆流し筆者に過度な影響をもたらすことを防ぐ」という側面(d)が抽出できる。
 
以上より「戦争当時の筆者は/周囲の人物や状況と関わりを断たないまでも距離を置いて観察し(c)/主観的な印象を持つにとどめ(a)/深く踏み込んで自己に影響が及ぶことを周到に避けることで(d)/戦禍をやり過ごそうとしていた(b)」とまとめることができる。
 
〈GV解答例〉
戦争当時の筆者は、周囲の人物や状況と関わりを断たないまでも距離を置いて観察し主観的な印象を持つにとどめ、深く踏み込んで自己に影響が及ぶことを周到に避けることで、戦禍をやり過ごそうとしていたということ。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
戦争中の筆者は、世間のうわさにも関心がなく、まだ戦火をこうむっていないというはかない現状を頼りにして外の世界を評するだけで、世間のなにものとも直接の関係を持とうとしなかったと、現在の筆者には思われるということ。(105)
 
〈参考 K塾解答例〉
自分も含め、いつ誰が突然死ぬかもわからない戦争期において、時代状況や自然の変化に興味を抱かずにいた「わたし」は、意図したのではないにせよ、周囲の出来事から距離をとって生きていたと思われるということ。(99)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
明日のこともわからない戦争下にあって日々を刹那的に生きていた筆者は、部屋のすだれ越しに外の風景や事象を見ていたように、世の中で起きるあらゆるものごとに対して距離を置き、冷ややかに眺めていたということ。(100)
 
〈参考 T進解答例〉
誰にいつ死が訪れても不思議ではない戦時下の虚無的な状況の中で、作者は見聞きする全ての出来事を何かに隔てられた別世界の事のように自分から遠ざけ、推移する時間をただやり過ごすかのように生きていたということ。(101)
 
 

問四「これははなしができすぎてゐて、ウソのやうにしかおもはれないだらう」(傍線部(4))のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(4行)

理由説明問題。「これは(X)/はなしができすぎてゐて(Y)」というのがすでに「ウソのやうにしかおもはれない(G)」の理由となっている。ならばXとYを具体的に説明した上で(内容説明)、そこからのつながりでGに近似するZを配すればよい(X→Y→Z→G)。
Xは④段後半から⑤段傍線部前文までが根拠。順に並べると「山の手大空襲(a)→東京の町すべてが焼けおちた(b)→筆者の自宅アパートもすべて焼けおちた(c)→翌日Aが焼跡を見舞う(d)→筆者所蔵の古本の山もぞっくり灰となる(e)→その中に古今集の一ひらだけが焼けのこった(f)」となる。このうちbは欠けてもaで自明としてよいし、「ce→f」により「できすぎ」感(Y)は表現できるだろう。X=「a→c→e→fという翌日訪ねたAの話(d)は(→YだけにG)」とする。
 
Yについては換言要素がないので、Xからのつながりを意識して「味わい深いだけに余計(→G)」とした。最後にZについては、傍線直前「合理主義繁昌の常識から言えば(XはG)」を踏まえて「(Aの話は)合理的に考えれば無理のある創作だと思えるから(→G)」と導いた。
 
 
〈GV解答例〉
山の手大空襲で筆者の自宅が全て焼きおちた翌日、筆者所蔵の古本の山も灰と化したその中に、古今集の一ひらだけが焼け残ったというAの話は、味わい深いだけに余計、合理的に考えれば無理のある創作だと思えるから。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
現在の東京の町のすべてが焼け落ちた空襲の後、不思議にも昔のものである古本の古今集の紙片が筆者の部屋の焼跡に残っていたことは合理的に考えれば都合がよすぎて、人々にはにはかには信じてもらえないことだと思われるから。(105)
 
〈参考 K塾解答例〉
東京全土を焼き尽くす大空襲で「わたし」のアパートも書物もすべて焼失したのに、蔵書の古今集から和歌を記した一枚の紙片だけが焼け残ったという友人の話は、物語めいた情緒に富んでいて、合理的な説明を超えているから。(103)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
東京の町中が空襲で焼き尽くされたのに、灰となった筆者の蔵書の中で古今集の一片だけが焼け残ったという出来事は、いかにも作家のエピソードにふさわしい都合のいい話であり、作り話と言われた方が納得がいくから。(100)
 
〈参考 T進解答例〉
作者の住んでいたアパートの焼け跡に古今集の一片が落ちていたという話には、陳腐で作為的な無常観に通じる悲哀が感じられ、空襲で猛火に襲われた場所にそんなものが残るとは、理屈からすれば信じられないから。(98)
 
 

問五「わたしが花を垣間見るのはいつもすだれ越しであり、そしていつもそこには手がとどかないやうな廻合わせになつてゐるらしい」(傍線部(5))はどういうことか、前年(昭和二十年)の「すだれ越しの交渉」を踏まえて説明せよ。(5行)

内容説明問題。解答構文を立てるのが難しいが、それが上手くいけば後はスムーズに進むはずだ。設問の付加要求は大きなヒントになる。そこで「前年」の「すだれ越しの交渉」を踏まえて、とあるから、傍線部の所感を抱いた地点を「今」とし、次のように解答構文を決める。「今、Xであることからも/前年、Yであったことからも/Zである」。XとYはともに「すだれ越しの交渉」の経験であり(類比関係)、傍線部前半(「そして」の前)と対応する。ZはXとYの経験から導かれる筆者の自己認識であり、傍線部後半(「そして」以下)の含意するところを明確に示すとよい。
類比や対比の場合は二項(X/Y)を両睨みしながらバランスよくまとめたい。本問の場合、傍線部の前段⑦⑧段落から先にXの検討をつけて、それにYを合わせるとよい。そこでXの要素としては「すだれの向うに花(=藤)の色のただよふのが目にしみた(a)/藤棚はおもつたよりも高く(b)/手をのばすと…それ(=藤の房)までにはとどかなかつた(c)」が拾える。これを簡潔に言い直し「すだれ越しに見えた藤の房に(a)/直接手を伸ばし(c)/意外な高さにより(b)/手が届かなかった(c)」(X)とまとめる。Yについては②段落を参考に、Xと対応させる形で構成し、「壁越しに心慰める歌声を聞かせてくれた少女と(a)/戦時という状況下で(b)/直接の関係を築けなかった(c)」とまとめる。
 
以上を踏まえZについては、Yの少女も「花=手を伸ばして望むもの」と例えられていることに留意して、「(XからもYからも)自分は望むものに届かない定め(←廻合せ)にあるのではないかということ」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
今、すだれ越しに見えた藤の房に直接手を伸ばし意外な高さにより届かなかったことからも、前年、壁越しに心慰める歌声を聞かせてくれた隣室の少女と戦時という状況下で直接の関係を築けなかったことからも、自分は望むものに届かない定めにあるのではないかということ。(125)
 
〈参考 S台解答例〉
筆者は旅先ですだれ越しに盛りの藤の花を見たが、藤棚は高く、触ることもできなかった。前年には、隣の室の若い少女が空襲で亡くなり、顔を合わせぬままになってしまったこもを思い、筆者は、自分は盛りの美しさには直接関われない運命にあるようで切なく思っているということ。(129)
 
〈参考 K塾解答例〉
可憐な少女の死が示すような戦時の陰鬱な現実に対して、斜に構えて距離を置いていた自分と、戦後に旅先で見たすだれ越しの藤の花に魅了されつつ、その花を手に取ってみることはかなわない自分を重ね合わせ、自嘲の念とともに、自らの運命のようなものを感じているということ。(128)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
戦時中は外の事象から距離を置き、美しい歌声の少女の死の内実にも触れようとせず、戦後に訪れた宿では、すだれ越しに見た藤の花に触れようとしたが手が届かなかった。こうした体験から筆者は、結局美しいものに直接触れられない自分の運命に思いを巡らせているということ。(127)
 
〈参考 T進解答例〉
作者は戦時中の異常な状況下においては物事から距離を置こうとしていたが、戦争が終わって平穏な状況が回復しても、自分の求める価値あるものから何かに隔てられているように感じ、結局は自分はそのように生きるしかない運命なのかという一種の諦観に至り着いたということ。(127)