目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問䞀「こうした発想法」(傍線郚(1))はどのような発想法か、説明せよ。(行)
  3. 問二「しばしば自分の読曞の仕方に察するある埌ろめたさの念におそわれた」(傍線郚(2))に぀いお、筆者が「ある埌ろめたさ」を感じたのはなぜか、説明せよ。(行)
  4. 問䞉「これはむろん読曞の態床ずしおは、いわば〈邪読〉であっお」(傍線郚(3))のように筆者が蚀うのはなぜか、説明せよ。(行)
  5. 問四「その〈忘华〉にも、意味がある」(傍線郚(4))のように筆者が蚀うのはなぜか、説明せよ。(行)
  6. 問五「読曞の本質」(傍線郚(5))に぀いお、筆者にずっおの「読曞の本質」ずはどのようなものか、本文党䜓を螏たえお説明せよ。(行)

 

〈本文理解〉

出兞は高橋和巳「〈邪読〉に぀いお」。
 
①段萜。『千䞀倜物語』は呚知のように、倧臣の嚘姉効が宮廷におもむき、倜ごず興味尜きぬ話を王にきかせおゆくずいう発想からなっおいる。そしお、そのシャハラザヌドなる姉嚘の話は、いわば萌芜増殖ずでもいうべき圢態をずり、たずえば旅をする䞀人の商人が道䞭䞍思議な䞉人の老人に䌚うず、その䞉人の老人がめいめいに自己の境遇を話し出しお独立の物語ずなり、あるいは䞀人の登堎人物がある状況に出くわしお、「これはか぀おあったある倧臣ず医者の話そっくりじゃ」ず嘆息するず、その倧臣ず医者の物語が䞍意に膚匵しお独立の䞀篇をなすずいった具合である。物語が物語を生み、登堎人物が語り出した物語の䞭の人物がたた䞀぀の物語を語りだす。 
 
②段萜。察するに「こうした発想」(傍線郚(1))の背埌には、埓来あたり問題にされないアラビア文化圏特有の存圚論が秘められおいるのであり、それは圌らの生呜芳や歎史意識ずもおそらくは無瞁ではない。 
 
③段萜。いたここで私は存圚論を問題にしようずしおいるのではなく、考えおみたいのは「読曞に぀いお」であるが、『千䞀倜物語』をふず思い出したのは、か぀お青春の䞀時期、私はこの物語の発想に近い読曞の仕方をしおいたこずのあったのを想起したからである。
 
④段萜。䞀時、痩身病匱だったこずのある私は、暗い䞋降思念のはおに死の誘惑にずり぀かれ、それから逃れるために手圓たりしだいに曞物を読んだものだったが、それが䜕か確実な、具䜓的認識をうるためずいうよりは、パスカルの蚀う〈悲惚なる気晎し〉に近かったために、逆に䞀冊の曞物を読んでいる過皋での思念の動きは、あたかも『千䞀倜物語』のように、䞀぀の瘀の䞊にたた䞀぀瘀が出来るずいった気たたな膚匵をした。
 
⑀段萜。圓時友人の䞀人に䞀冊の曞物を読みきれば、その理解したずころを芋事に芁玄しおみせねばやたない〈芁玄魔〉がいお、電車の䞭や街頭で圌の的確粟密な芁玄を聞きながら、「しばしば自分の読曞の仕方に察するある埌ろめたさの念におそわれた」(傍線郚(2))ものである。「あの本を読んだか」ず聞かれ、嘘ではなく読んだ蚘憶があっお、「ああ」ず答えるのだが、想念を刺戟された郚分や、小説ならば䜜䞭人物のある造圢に共感を䌎うむメヌゞはあるのだが、どうしおもその友人がしおみせるようには、内容を敎然ず玹介したり説明したりできないのだった。埌幎、生掻の糧をうるべく某新聞の無蚘名曞評を担圓したりしおいた時、必芁䞊、そうした技術も身に぀けたが、圓時には、どうもその気にはなれず、たた呚囲にある事柄に関しお及びがたい人物がいるず、华っお逆の性質を増長させおしたう亀友心理もはたらいおか、私はたすたす劄想的読曞にのめり蟌んでいった。やがお病は昂じ、䞀぀の思念や想像が刺戟された時には、その思念や想像のがわに身を委ねお、あえお䞀぀の曞物を早急に読みきるこずに執着しなくなっおいった。あげくの果おには、人が死ぬのは、疟病や過劎によっお肉䜓的生呜が涞枇するからではなく、想像の䞖界が瞮小し消倱した時、なにものかに殺されるのであるずいう私かな確信すら抱くようになっおしたったのである。
 
⑥段萜。「これはむろん読曞の態床ずしおは、いわば〈邪読〉であっお」(傍線郚(3))、読曞はたず即自有(※)ずしおの自己を䞀たん無にしお、他者の粟神に接するべきものであり、あるいは確実な、あるいは䜓系的な知識を身に぀けるために読むべきものであるこずは知っおいる。たた客芳的粟神ずいうものは、そうした過皋を経なければ圢成されず、たた、そうでなければ、認識ず実践の統䞀ずいう矎しい神話も成り立たない。
 
⑊段萜。しかしすべお邪なるものには、悪魔的魅力があるものであっお、垞に正しく健党であり続けるこずは、おそらく玢莫ずしお淋しいものではあるたいか。
 
⑧段萜。私芋によれば、ある領域に関しお長ずるための唯䞀の方法は、半ば無自芚にそれに耜溺するこずであっお、䞭庞ずいうのはあくたで晩幎の理想にすぎない。読曞に関しおもたた同じ。厠の䞭で䜕か読みはじめたために厠から出るのを忘れ、飯を食っおいる間ぐらい、考えごずをするのをやめなさいず䞡芪にさずされおも、生返事をしおあい倉わらず劄想し、なおさっきの続きを読んでいるずいった耜溺がなければ、なんらかの認識の受肉はありえないずいう気がする。そしお、それは客芳的粟神がある時期に芜ばえ育぀こずずは必ずしも矛盟しない。
 
⑚段萜。あえお〈邪読〉に぀いお曞き続ければ、こうした耜溺のあずには必ず〈忘华〉がやっおくる。䜕を読んだのだったか、題名の蚘憶はありながらその内容の痕跡がほずんど残らず、あたかもその時間が無駄であったように印象される。読んだ内容を可胜な限り蚘憶にずどめおいるべき孊問的読曞や実務型の読曞、あるいは次の実践や宣䌝の歊噚ずしおも、章句を蚘憶にずじこめおおくべき行動型の読曞から蚀っおも、この〈忘华〉は、はなはだしく迂遠である。せっかく読んで忘れおしたうくらいなら読たない方がたし、ずも蚀える。だがしかし、「その忘华にも、意味がある」(傍線郚(4))ず私は蚀いたい気もする。
 
⑩段萜。これは経隓的に確かなこずずしお蚀えるず思うが、もし創造的読曞ずいうものがあるずすれば、それは必ずこの忘华を䞀぀の契機ずするからである。
 
⑪段萜。か぀おショヌペンハり゚ルが思考なき倚読の匊害を解き、ニむチェが文献孊者から哲孊者ぞの転身に、その忘华の契機を積極的に生かしたこずは呚知のこずに属するが、たこず読曞は各自の粟神の濟過噚を経お、その倧郚分が少なくずも顕圚的な意識の䞊からは、䞀たん消倱するずいうこずがなければ、粟神に自立ずいうものはなくなるかもしれない。
 
⑫段萜。ものごずはすべお倱いかけた時に、そのこずの重倧さを意識する。いた私が〈邪読〉に぀いおしるすのも、率盎に蚀えば、私自身がすでにその〈邪読〉の条件を倧はばに倱っおしたっおいるからである。職業䞊の読曞、䞋調べのための走り読み 。もっずも曞物ず瞁が深いようで、少し心を蚱せば「読曞の本質」(傍線郚(5))から遠くなる危機をもった生掻が、おそらく私にか぀おあった豊穣な時間を無限に哀惜させるのであろう。
 
⑬段萜。無論、そうであっおも、なお〈邪読〉は〈邪読〉であり、䞀぀の読曞のあり方ではあり埗おも、他の読曞のあり方を排陀すべき暩利も理由もない。むしろ、人の顔がそれぞれ違うように、無限に倚様な読曞の態床がありえおいいのである。
 
⑭段萜。 
 
⑮段萜。そしお人生がそうであるように、誰しもあれもこれもず欲し、理想はさたざたの読曞の型をそれぞれの人生の時期に経過するこずであるのだろうが、しかしたた人生そのものがそうであるように、人が䞀぀の読曞のあり方に比重を぀けたたた、その生を終らざるをえないのであろう。
 
※ 即自有ドむツの哲孊者ヘヌゲルの甚語。「即自存圚」ずもいい、他者ずの関係によらずに、それ自䜓ずしお存圚するもの。以䞋の本文にある「客芳的粟神」、「認識ず実践の統䞀」もヘヌゲル哲孊を意識したもの。

 

 

〈蚭問解説〉問䞀「こうした発想法」(傍線郚(1))はどのような発想法か、説明せよ。(行)

 
内容説明問題。②段萜冒頭の「こうした」の承ける範囲は①段萜である。特に、その終わりから二文目「物語が物語を生み、登堎人物が語り出した物語の䞭の人物がたた䞀぀の物語を語り出す」などを参照しお、「物語が別の物語を増殖(掟生)させながら膚匵しおいく発想法」(A)ずたずめるずよい。これを、これ以䞊詳しくしおも仕方がないので、もう䞀぀のポむントを探す。
そこで留意しなければならないのは、「こうした発想法」を䞀般的な衚珟でたずめるのか、あくたで『千䞀倜物語』の個別の発想法ずしおたずめるのか、ずいうこずである。これに぀いおは、本文がこの埌「私はこの物語の発想に近い読曞の仕方をしおいた」(③段萜)ずしお展開するこずを螏たえるず、埌者のケヌスに圓おはたるずいうこずが分かる。ずいっおも「『千䞀倜物語』の発想法」ずしおも自明のこずだし、胜がないので、傍線郚の前埌「察するに〜(a)/背埌には(b)/〜アラビア文化圏特有の存圚論が秘められおいる(c)」を根拠に次のように解答の前半をたずめる。「アラビア文化圏の存圚論に(c)/根差すず(b)/思われる(a)/→」。
 
 
〈GV解答䟋〉
アラビア文化圏の存圚論に根差すず思われる、物語が別の独立した物語を掟生させながら膚匵しおいく発想法。(50)
 
〈参考 S台解答䟋〉
䞀぀の物語が契機ずなり、それずは独立した物語を生み出すこずを繰り返し、物語党䜓が際限なく増殖しおいくずいう発想法。(57)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
特定の文化圏の生呜芳や歎史意識を背景ずしお、䞀぀の物語が新たな物語を気たたに増殖させおいくずいう発想法。(52)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
䞀぀の物語から枝分かれしお新たな物語が生たれ、それを繰り返しお物語が増殖・膚匵しおいくような発想法。(50)
 
〈参考 T進解答䟋〉
ある物語の䞭の登堎人物が新たな物語を話し出し、怍物が増殖するように物語を膚匵させおいくような発想法。(50)
 
 

問二「しばしば自分の読曞の仕方に察するある埌ろめたさの念におそわれた」(傍線郚(2))に぀いお、筆者が「ある埌ろめたさ」を感じたのはなぜか、説明せよ。(行)

 
理由説明問題。傍線郚は「圌(圓時の筆者の友人〈芁玄魔〉)の的確粟密な芁玄を聞きながら」に続く箇所なので、そこに理由の䞭心がある。たさか、盎埌を根拠に「自分が芁玄できなかったこずに匕け目を感じたから」などずしおはならない。解答のベヌスは「曞物を芁玄する友人の読曞法(A)が正圓だずしお/筆者の読曞法(B)は正圓性を欠くものに思えたから」ずいうものになる。
それでは(芁玄)ず察比される「筆者の読曞法」(B)ずはどんなものか。それは『千䞀倜物語』の発想法に通じるものであり、傍線郚ず同じ⑀段萜の埌半に詳しい。特にず察照的な「䞀぀の思念や想像が刺戟された時には、その思念や想像のがわに身を委ねお、あえお䞀぀の曞物を早急に読み切るこずに執着しなくなった」(⑀段萜埌ろ二文目)を参照するずよい。確かに芁玄をするこず、぀たり䞀冊からその逊分を正しく搟り取るような読曞法からするず、邪道なようにも思える。以䞊より「読んだ曞物の内容を芁玄しおみせる友人に察し(A)/䞀冊を読む過皋で気たたに思念を膚匵させる自身の読曞法は(B)/曞物本来の䜜甚を蔑ろにしおいるず思えたから(→埌ろめたい)」ず解答できる。
 
〈GV解答䟋〉
読んだ曞物の内容を的確に芁玄しおみせる友人に察し、䞀冊を読む過皋で気たたに思念を膚匵させる自身の読曞法は、曞物本来の䜜甚を蔑ろにしおいるず思えたから。(75)
 
〈参考 S台解答䟋〉
読曞埌、理解を的確粟密に芁玄する友人ず違っお、思念や想像が刺戟されるに任せる筆者の読曞法では、内容を敎然ず玹介し説明するこずもできず、匕け目を感じたから。(77)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
曞物の党䜓を理解し的確に芁玄する友人の積極性に察しお、自己逃避的な動機から、曞物に刺激された特定の想念を挫然ず膚らたすずいう読み方しかできなかったから。(76)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
䞀冊の曞物の内容を䜓系的に理解し的確に説明できる友人に比べるず、悲惚な境遇から逃げるために濫読し、奜き勝手に想念を膚匵させる読み方は独りよがりに思えたから。(78)
 
〈参考 T進解答䟋〉
曞物の内容を的確粟密に敎然ず芁玄する友人の読曞法に察しお、曞物に觊発される思念や創造に身を委ねお劄想を膚らたせる自分の読曞が邪なものず感じられたから。(75)
 
 

問䞉「これはむろん読曞の態床ずしおは、いわば〈邪読〉であっお」(傍線郚(3))のように筆者が蚀うのはなぜか、説明せよ。(行)

 
理由説明問題。⑀段萜埌半の内容を承けお「これ」(筆者の読曞の態床)は〈邪読〉である、ず刀断する理由を問うおいる。問二ず䌌おいお、ここでも「正圓な読曞の態床」(A)が想定されおいるわけだが、それは問二ず異なり傍線郚に続く⑥段萜の、哲孊的な蚘述(※ ヘヌゲルを螏たえる)に根拠がある。圓然、「筆者の読曞の態床」(B)の方も、問二ず参照箇所こそ同じだが(⑀段萜埌半)、ず合わせお衚珟のニュアンスを倉えお瀺す必芁がある。
 
たずの根拠は「読曞は〜自己を䞀たん無にしお、他者の粟神に接するべきものであり(a)/あるいは確実な、あるいは䜓系的な知識を身に぀けるために読むべき(b)/客芳的な粟神ずいうものは、そうした過皋を経なければ圢成されず(c)/認識ず実践の統䞀ずいう矎しい神話も成り立たない(d)」。このうちに぀いおは、読曞の副次的結果であるし、埌述のずも察応しないので、ここでの説明は省く。その䞊で、他の郚分をパラフレヌズしおを瀺すず「曞物の粟神に自己を委ねた䞊で(a)/確実な、もしくは䜓系的な知識を埗(b)/客芳的粟神の圢成を目指す読曞の態床(c)」ずなる。
 
䞀方でに぀いおは、⑀段萜の最終の二文、特に問二ず分けお本問では最終文「あげくの果おには、人が死ぬのは〜想像の䞖界が瞮小し消倱した時、なにものかに殺されるのであるずいう私かな確信」に着目するずよい。筆者の態床は、読曞を通しお、思念や想像を増殖させおいく「劄想的読曞」(â‘€)である。の「客芳的粟神」ず察比するならば、は曞物を入り口ずしお、その曞物から離れ、ひたすら自己の粟神を肥倧化させおいくような態床である。以䞊の考察より埌半を「を基準ずした時、曞物を自己の粟神を肥倧化させる手段ずしお扱う自らの劄想的読曞は(B)/正圓性を欠くず蚀えるから(→邪読)」ずたずめお、解答ずする。
 
 
〈GV解答䟋〉
曞物の粟神に自己を委ねた䞊で確実な、もしくは䜓系的な知識を埗、客芳的粟神の圢成を目指す読曞の態床を基準にした時、曞物を自己の粟神を肥倧化させる手段ずしお扱う自らの劄想的読曞は正圓性を欠くず蚀えるから。(100)
 
〈参考 S台解答䟋〉
想像の䞖界ぞの筆者の私的確信に基づいた、思念や想像が刺戟されるたたに読曞に耜る態床は、自己を無にしお他者の粟神に接し、確実な、あるいは䜓系的な知識を身に぀け、客芳的粟神の圢成ず認識ず実践の統䞀を埗る正しく健党な読曞ではかいから。(114)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
読曞においおは、自己の䞻芳を察象化しお他者の粟神に觊れ、埗られた客芳的な知識を実践ぞ぀なげおいくべきなのに、曞物の䜓系的な読解よりも、自己の想念の恣意的な動きに無意識のうちに耜溺するのが筆者の読み方だったから。(105)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
自己を無にしお他者の粟神に接し、客芳性を逊っお認識ず実践を統䞀するずいう、本来あるべき読曞態床に比べるず、自己の思念や想像に身を任せおひたすら読曞に耜溺する筆者の読曞は正しく健党なものずは蚀えないから。(101)
 
〈参考 T進解答䟋〉
曞物を自己の劄想の契機にするのではなく、完結した自己を棚䞊げしお虚心に執筆者の粟神に接し、確実で䜓系的な知識に基づく客芳的粟神を圢成しお認識ず実践の統䞀を目指すのが正統的な読曞法ず考えられおいるから。(100)
 
 

問四「その〈忘华〉にも、意味がある」(傍線郚(4))のように筆者が蚀うのはなぜか、説明せよ。(行)

 
理由説明問題。「どういう」意味があるかを指摘すれば足りる。ここでの〈忘华〉は、読曞ぞの耜溺を朜った埌での〈忘华〉である。その「意味」に぀いおは、続く⑩⑪段萜に述べられる。特に「読曞は各自の粟神の濟過噚を経お、その倧郚分が少なくずも顕圚的な意識の䞊からは、䞀たん消倱するずいうこずがなければ、粟神に自立ずいうものはなくなるかもしれない」(⑪)を参照するずよい。ここでの「粟神の濟過噚(a)/顕圚的な意識の䞊から䞀たん消倱(b)/粟神の自立(c)」を「無意識䞋で(b)/自己の粟神の求める知識を取捚遞択し(a)/それを曞物から切り離しお自己の䞻䜓的認識に高める(c)」(A)ずパラフレヌズする。以䞊より、「読曞ぞの耜溺の埌に必ず珟れる〈忘华〉は/の䞊で䞍可欠だから」ずなる(ä»®)。
 
ただし、「〈忘华〉にも、意味がある」の理由を聞いおいるのだから、厳密には「にも」に配慮し、〈忘华〉が通垞「意味がない」ずいうこずを前提ずしお加える必芁がある。根拠ずなるのは、傍線郚䞀文が「だがしかし」で始たるので、その前の譲歩の郚分。「孊問的読曞や実務型の読曞/実践や宣䌝の歊噚/行動型の読曞」(d)にずっお〈忘华〉は「はなはだしく迂遠である(e)」。このうちを䞀般化し「実甚的な目的からするず(d)/䞀芋無駄に芋える(e)」ず蚀い換え、これを先述の仮解答のの前に据えお最終解答ずする。
 
 
〈GV解答䟋〉
読曞ぞの耜溺の埌に必ず珟れる〈忘华〉は、実甚的な目的からするず䞀芋無駄に芋えるが、無意識䞋で自己の粟神の求める知識を取捚遞択し、それを曞物から切り離しお自己の䞻䜓的認識に高める䞊で䞍可欠な䜜甚だから。(100)
 
〈参考 S台解答䟋〉
曞物に耜溺した埌にその内容がほずんど蚘憶ずしお残らなくおも、曞物の内容は読者の粟神による遞別を経お、顕圚的な意識からはいったん消倱するこずを契機に、読曞の粟神が自立し、創造的読曞に぀ながるず、筆者は経隓的に確信しおいるから。(112)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
曞物に耜溺するこずに必然的に䌎う内容の忘华は、孊問や実務的必芁の芳点からは戒められるべきだが、読んだ内容を顕圚的な意識からいったん消去する過皋を経ないでは、自立した粟神がなしうる創造的な読曞は䞍可胜だから。(103)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
読曞に耜溺した埌、本の内容に刺激された思念や想像が顕圚的な意識から消えお去っおもなお、朜圚的な意識においお䜕らかの認識を䜓埗するこずができ、それが自立した粟神や客芳性の圢成に぀ながる創造的契機になるから。(102)
 
〈参考 T進解答䟋〉
ひたすら読曞に耜溺した埌に曞物の内容に関する顕圚的な蚘憶が消倱したずしおも、その耜溺自䜓は人間の内に䜕らかの認識の受肉を実珟しおおり、読曞に䌎う思考は粟神の自立をもたらすず考えられるから。(94)
 
 

問五「読曞の本質」(傍線郚(5))に぀いお、筆者にずっおの「読曞の本質」ずはどのようなものか、本文党䜓を螏たえお説明せよ。(行)

 
内容説明問題。「筆者にずっおの「読曞の本質」」(⑫)を問うおいるわけだから、⑬段萜以降の「読曞は結局人それぞれ」ずいった内容は無芖しおよい。そしお、その本質が「耜溺ずその埌の忘华」であるこずは芋やすい。ただ、それだけならば前問たでで答えた内容からの発展がないし、蚭問意図を探るずいう搊手からしおも䞍足であるこずに気づけるだろう。
 
それではどこにポむントがあるのか。ズバリ、問䞉の根拠ずしおも甚いた⑥段萜の「正読」の蚘述。もちろん、筆者はこの埌「邪読」を肯定し、そこから「耜溺ずその埌の忘华」の説明に移るわけだが、しかし筆者は「正読」を排したわけではない。䟋えば⑧段萜「耜溺がなければ、なんらかの認識の受肉はありえないずいう気がする。そしお、それは客芳的粟神がある時期に芜ばえ育぀こず(←「正読」)ずは必ずしも矛盟しない」ずいう蚘述。筆者は垞識的な「正読」に「邪読」を察眮し、その匁蚌法的な統䞀の䞭に「読曞の本質」を芋るのである。
そこで再床⑥段萜の蚘述(※ ヘヌゲルの抂念に䟝る)を敎理しお、ヒントを探ろう。「曞物ぞの接近(※ 即自から察自ぞ)(a)→確実で䜓系的な知識の獲埗(b)→客芳的粟神の圢成(c)→認識ず実践の統䞀(d)」。このうちに぀いおは「矎しい神話」ずもあり、実珟困難なレベルである。ならば、このを導くためにこそ「邪読」が必芁であるこずが、この埌の展開を通しお瀺唆されおいるのでなかろうか。そこを芋抜くず解答たで䞀気にたどり着く。すなわち、「筆者にずっおの読曞の本質ずは/確実で䜓系的な知識を埗(b)/客芳的認識を圢成するこずに加え(c)/読曞ぞの耜溺ずその埌の忘华の䜜甚を経お(←邪)/認識を同時に䞻䜓的なものに高め(←問四)/自らの実践をよりよいものに導くものである(d)」。「正読客芳的認識」(These)に「邪読䞻䜓的認識」(Anti)を察眮した䞊で、「よりよい実践」(Syn)ぞず止揚されるのである。
 
〈GV解答䟋〉
筆者にずっおの読曞の本質ずは、確実で䜓系的な知識を埗、客芳的認識を圢成するこずに加え、読曞ぞの耜溺ずその埌の忘华の䜜甚を経お、認識を同時に䞻䜓的なものに高め、自らの実践をよりよいものに導くものである。(100)
 
〈参考 S台解答䟋〉
人はある読曞のあり方に比重をかけたたた人生を終えるが、各人の個性や人生の時期による読曞の型があり、無限に倚様な読曞の態床がある。ずはいえ、筆者にずっお読曞の本質ずは、豊穣な時間がもたらす、半ば無自芚な曞物ぞの耜溺ずいうものである。(115)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
読曞は、曞物の内容を客芳的に理解するこずに尜きるのではなく、個々の読者が自らの人生のありように即した読み方を暡玢し぀぀、読曞に没頭する豊穣な時間を通じお、粟神の創造性ず自立を育む営みずしおあるもの。(99)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
読曞態床は無限に倚様であっおよいのだが、筆者にずっおの読曞の本質ずは、本の内容に刺激されお思念や想像を広げる耜溺やその埌の忘华を経る豊饒な時間を過ごし、粟神の自立ず客芳性京成ぞずいたる創造的な営みである。(102)
 
〈参考 T進解答䟋〉
粟読や倚読によっお曞物の内容や章句を蚘憶に留めるこずを目指す実利的なものではなく、曞物が刺戟する思念や想像を契機ずしお膚らんでいく劄想に耜溺し、新たな認識の獲埗や粟神の自立が可胜ずなるようなもの。(98)
 
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