〈本文理解〉
出典は福永武彦「小山わか子さんの歌」(1949)
問一「忘却が死者の最大の敵ではないだろうか」(傍線部(1))のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(二行)
〈GV解答例〉
死者の意義は記憶を通して生者の意識を更新することであり、その記憶を美しく保つことが冥福にもなるから。(50)
〈参考 S台解答例〉
生者による死者の忘却が、死者の生の記憶を生者が常に一層美しく保存する機会を奪い、死者のよい冥福を不可能にするから。(57)
〈参考 K塾解答例〉
死者は、その記憶を美しく保存する生者の生を更新しつつ存在し続けており、忘却が死者を真の死に至らしめるから。(53)
〈参考 Yゼミ解答例〉
死者にとって忘却は、生や死を生者に示す契機となる生の痕跡が、人々の記憶から抹殺されることを意味するから。(52)
〈参考 T進解答例〉
死者を知る生者の記憶が美しく保存され続けることによってこそ、死者は生者と共に生き続けられるから。(48)
問二「自らの問題の不安には眼をつぶり得ないゆえに他者の問題に不安を見ようとしない」(傍線部(2))はどういうことか、説明せよ。(三行)
〈GV解答例〉
結核療養所で日常にある他者の死が自らの死の予想を促し不安に苛まれるあまり、その不安から逃れようと他者の死を厳粛に受け止めず忘却しようとするということ。(75)
〈参考 S台解答例〉
結核療養所で日常的に死に接して生きる筆者たちは、自らの死の予想に苦しむ不安を無視できないため、同じ境遇の他者の死を厳粛に考えようとせず、真に悲しむこともないということ。(84)
〈参考 K塾解答例〉
死の予感に苛まれている病者にとっては、他者の死が耐え難い死の不安に自己をさらす機縁となるために、他者の厳粛な死を深く悲しむことを回避しようとするということ。(78)
〈参考 Yゼミ解答例〉
死が身近にある者は、迫りくる自らの死から目を背けられないため、他者の死を厳粛に受け止めないことで、不安を緩和しようとする自己保身的態度を取るということ。(76)
〈参考 T進解答例〉
結核を病む人間は自らの死を予想する不安に耐え切れないがゆえに、同じ結核患者の死はあまりに生々しく、それと厳粛に向き合い真に悲しむ余裕もないということ。(75)
問三「他者も自己のうちに持つことは自己を希薄ならしめることではない」(傍線部(3))はどういうことか、小山わか子の歌集にも触れながら説明せよ。(四行)
〈GV解答例〉
筆者が小山の生前の歌に触れ、孤独な終焉に至る病床生活が生の普遍的な姿を示しながらとりわけ美しく感じられたように、他者の悲しみを受け止めることは、自己の深い感情を新たにし生を豊かにするものだということ。(100)
〈参考 S台解答例〉
筆者が歌集を通して小山の精神生活に触れ、その生の美しさに感動し、死を悲しむことで普遍的な生の姿を感じたように、他者の生をも実感し、死を悲しみ、記憶を更新し続けることは、死に直面する者の真の感情を動かし、真の生を感得させるということ。(116)
〈参考 K塾解答例〉
苦しみや不安を抱えつつ純粋な生を全うした名もなき無縁の死者の歌集に筆者が生の普遍性を感受し、悲しみとともに感動したように、他者の死を深く悲しむことは、生者の精神を浄化し、生のかけがえのなさを感得させるということ。(106)
〈参考 Yゼミ解答例〉
他者の生死に関心を向けることは、死への恐怖にさいなまれることではなく、見知らぬ他人が遺した歌集であっても、そこから美しい生き方にふれ、生を追体験することによって普遍的な生の意味が得られ、自己の糧となるということ。(106)
〈参考 T進解答例〉
孤独な終焉に至るまで苦しみと不安の中で精神生活のみを純粋に来た小山わか子の歌集を読んだ筆者が、その類なく美しい生に普遍的な姿を見出したように、他者の死を深く悲しむ心は生を惜しむ深い感情を生むということ。(101)