目次
- 2022 共通テスト国語 第1問
- <本文理解>
- 〈設問解説〉問1( ⅰ )(漢字の書き取り) ( ⅱ )(異なる意味を持つもの)
- 問2「ここからよだかが、次のように思考を展開していく」(傍線部A)とあるが、筆者はよだかの思考の展開をどのように捉えているか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問3「人間である(ひょっとしたら同時によだかでもある)われわれすべてが共有するものではないか」(傍線部B)とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問4「二つとも似ているところさえあります」(傍線部C)とあるが、どういう点で似ているのか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問5【文章 Ⅱ 】の表現に関する説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問6 Mさんは授業で【文章 Ⅰ 】と【文章 Ⅱ 】を読んで「食べる」ことについて自分の考えを整理するため、次のような【メモ】を作成した。これについて、後の( ⅰ )( ⅱ )の問いに答えよ。
2022 共通テスト国語 第1問について
共通テスト2年目となり、評論と古文で複数テキストの組み合わせ問題が出題されるなど、昨年と比べセンター試験からの移行が一段進んだ感じがします。ただ現代文において各々のテキストに向かい合う姿勢は変わることなく、引き続き厳しい時間的な制約の中で客観的に本文を読解し、それに基づき正しい答えを導くことが求められます。
ところで「客観的に読む」とはどういうことか。それはつまるところ、筆者と読者一般との間で共有されている(はずの)「前提」にしたがって読むことです。その前提となるのは「言葉の標準的な意味」と「表現上の工夫」です。そこで、前者については必要最低限の語彙を身につける必要があり、後者については半ば無意識のうちにやりとりしているものを意識化する必要がある。
その意味で現代文の学びで、まず必要になるのは「形式性」へのこだわりであり、読解の途中で教師が「わかりやすい」説明を施すのは学ぶものが自ら内容を汲みとる機会を奪うことにもなりかねない。もちろん徹底した「形式」へのこだわりの先に豊かな「意味世界(内容)」の海が広がるのですが。
したがって、共通テストでも、もちろん二次試験でも、形式性に則った客観的な読みが求められ、それが結果として「速読」を可能にします。その上で、設問の要求を十分にふまえ、解答の根拠を本文中から探し、選択肢を「書くように」選ぶ。こうした一貫した方針を、あらゆる文章に適用し、誤りを修正しながら継続して鍛練する。これが現代文の試験で「確実に」高得点をとるための、正しい方法だと考えます。
<本文理解>
【文章 I 】出典は檜垣立哉『食べることの哲学』(2018)。比較的新しい文章からの出題で、2019年の北海道大学と神戸大学の個別試験で同出典からの出題が見られた。
前書きに「次の文章は、宮沢賢治の「よだかの星」を参照して「食べる」ことについて考察した文章である」とある。
①段落。「食べる」ことと「生」にまつわる議論は、どうしたところで動物が主題になってしまう。…宮沢の記述からかいまみられるのは、人間とはもとより動物である(そうでしかありえない)ということである。
②段落。「よだかの星」は、その意味では、擬人化が過剰になされている作品のようにおもわれる。その感情ははっきりと人間的である。…よだかは、みなからいじめられ、何をしても孤立してしまう。いつも自分の醜い容姿を気にかけている。親切心で他の鳥の子供を助けても、何をするのかという眼差しでさげずまれる。なぜ自分は生きているのかとおもう。…
③段落。しかしよだかは、いかに醜くとも、いかに自分の存在を低くみようとも、空を飛び移動するなかで、おおきな口を開け、羽虫をむさぼり喰ってしまう。…だがどうして自分は羽虫を「食べる」のか。なぜ自分のような存在が、劣等感をもちながらも、他の生き物を食べて生きていくのか。それがよいことかどうかがわからない。→(引用部)。
④段落。「ここからよだかが、次のように思考を展開していく」(傍線部A)ことは、あまりに自明なことであるだろう。→(引用部)。
⑤⑥段落…
⑦段落。食べるという主題がここで前景にでているわけではない。むしろまずよだかにとって問題なのは、どうして自分のような惨めな存在が生きつづけなければならないのかということであった。そしてその問いの先にあるものとして、ふと無意識に口にしていた羽虫や甲虫のことが気にかかる。そして自分のみじめさを感じつつも、無意識にそれを咀嚼してしまっている自分に対し「せなかがぞっとした」「思ひ」を感じるのである。
⑧段落。…主題としていえば、まずは食べないことの選択、つまりは断食につながるテーマである。そして、そうであるがゆえに、最終的な星への昇華という宮沢独特のストーリー性がひらかれる仕組みになっているようにもみえる。
⑨段落。ここで宮沢は、食物連鎖からの解放という事態だけをとひだすのではない。むしろここでみいだされるのは、心が傷ついたよだかが、それでもなお羽虫を食べるという行為を無意識のうちになしていることに気がつき「せなかがぞっとした」「思ひ」をもつという一点だけにあるようにおもわれる。それは、「人間である(ひょっとしたら同時によだかでもある)われわれすべてが共有するものではないか」(傍線部B)。そしてこの思いを昇華させるためには、数億年数兆年彼方の星に自らを変容させていくことしか解決策はないのである。
【文章 II 】出典は藤原辰史『食べるとはどういうことか』(2019)。
前書きに「次の文章は、人間に食べられた豚肉(あなた)の視点から食べることについて考察した文章である」とある。
①②段落。長い旅のすえに、あなたは、いよいよ、人間の口のなかに入る準備を整えます。箸で挟まれたあなたは、まったく抵抗できぬままに口に運ばれ、アミラーゼの入った唾液をたっぷりかけられ、舌になぶられ、硬い歯によって噛み切られ、すり潰されます。その後、歯の隙間に残ったわずかな分身に別れをつげ、食道を通って胃袋に入り、酸の海のなかでドロドロになります。…
③段落。こう考えると、食べものは、人間のからだのなかで、急に変身を遂げるのではなく、ゆっくり、じっくりと時間をかけ、徐々に変わっていくのであり、どこまでが食べものであり、どこからが食べものではないのかについて決めるのはとても難しいことがわかります。
④段落。答えはみなさんで考えていただくとして、二つの極端な見方を示して、終わりたいと思います。
⑤段落。一つ目は、人間は「食べて」などいないという見方です。…人間は、生命の循環の通過点にすぎないのであって、地球全体の生命活動がうまく回転するように食べさせられている、と考えていることです。
⑥段落。二つ目は、肛門から出て、トイレに流され、下水管を通って、下水処理場で微生物の力を借りて分解され、海と土に戻っていき、そこからまた微生物が発生して、それを魚や虫が食べ、その栄養素を用いて植物が成長し、その植物や魚をまた動物や人間が食べる、という循環のプロセスと捉えることです。つまり、ずっと食べものである、ということ。…誰の口に入るかは別として、人間を通過しているのにすぎないのです。
⑦段落。どちらも極端で、どちらも間違いではありません。しかも、「二つとも似ているところさえあります」(傍線部C)。死ぬのがわかっているのに生き続けるのはなぜか、という質問にもどこか関わってきそうな気配もありますね。
問1(漢字の書き取り)
( ⅰ )
(ア)過剰→②剰余 ※他は①冗長 ③浄化 ④常軌
(イ)傷つく→③感傷 ※他は①勧奨 ②鑑賞 ④緩衝
(ウ)遂げる→④完遂 ※他は①類推 ②生粋 ③麻酔
( ⅰ ⅰ )
(ウ)襲い→②世襲(受け継ぐ) ※他は①夜襲 ③奇襲 ④来襲
(エ)与える→③関与(関わる) ※他は①供与 ②贈与 ④授与
問2「ここからよだかが、次のように思考を展開していく」(傍線部A)とあるが、筆者はよだかの思考の展開をどのように捉えているか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 I 】からの出題。筆者がどう捉えているかを聞いていることに注意する。すなわち、直後の宮沢本文からの引用とそれを噛み砕いて説明した⑤⑥段落ではなく、その後で筆者が先述の要点を抽出している⑦段落、さらに最終の⑨段落の記述を参照する。まず「次のように思考を展開」する起点となる「ここ」とは「なぜ自分のような存在が…他の生き物を食べて生きていくのか、それがよいことかどうかがわからない(③段落←傍線前部)/まずよだかにとって問題なのは、どうして自分のような惨めな存在が生き続けなければならないのかということであった(⑦段落)」(a)という地点である。そして「その問いの先にあるものとして(→「次のように思考を展開」と対応)…無意識にそれ(=羽虫・甲虫)を咀嚼してしまっている自分に対し「せなかがぞっとした」「思ひ」を感じる(⑦/⑨段落)」(b)のである。さらに「この思いを昇華させるためには、数億年数兆年彼方の星に、自らを変容させていくことしか解決策はない(⑨)」(c)というようによだか(=宮沢)は思考を帰結させる、と筆者は見なすのである。
正解は①。「よだかは、生きる意味を見いだせないままに(a)/羽虫や甲虫を殺し食べていることに苦悩し(b)/現実の世界から消えてしまおう(c)/と考えるようになる」。他の選択肢は①の(b)と対応する部分を横に見て、②「鷹に殺されてしまう境遇を悲観し」、③「弱肉強食の関係を嫌悪し」、⑤「羽虫や甲虫を食べ続けているという矛盾を解消できず」がいずれも(b)から外れる。④は、(b)の位置に「自分の存在自身が疑わしいものとなり」という(a)の要素がずれ込んでおり、(b)の内容が欠落している。
問3「人間である(ひょっとしたら同時によだかでもある)われわれすべてが共有するものではないか」(傍線部B)とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 Ⅰ 】からの出題。基本的な作業だが、傍線部には主語が欠けているので、本文から補うと「それは…われわれすべてが共有するものではないか」となる。このうち元の傍線部にあたる述部部分に関してはこれ以上分かりやすくしようがないので、われわれが共有すべき「それ」を具体化すればよい(こういう場合「〜とは具体的にどういうことか」という問い方が適切だろう)。ならば「それ」が指すものだが、「われわれが共有するものではないか」という述部に着地するように前文から抜き出すと「心が傷ついたよだかが(a)/それでもなお羽虫を食べるという行為を無意識のうちになしていることに気づき(b)/「せなかがぞっとした」「思ひ」(c)(をもつ=共有する)」ということになる。
この(b)の部分に着目するならば、選択肢は②「意図せずに他者の生命を奪って生きていることに気づき」、④「他者の生命を無自覚に奪っていたことに気づき」に絞ることができよう。仮に③「無意識のうちに他者の生命に依存していたことに気づき」を許容しても、それに続く「自己を変えようと覚悟する」が(c)から外れる。その点、②「自己に対する強烈な違和感を覚える」、④「自己の罪深さに動揺する」は(c)から外れない。あとは(a)での比較となるが、よだかの「心が傷ついている」のは、問2で確認したように「どうして自分のような惨めな存在が続けなければならないのか(⑦段落)」という自己の存在への不信からくるものである。そう考えると、④「理不尽な扱いに打ちのめされていた自分」では不足。②「生きることに疑念を抱いていた自分」が適切で、これが正解となる。
見てきた通り、本問の根拠はたどり方こそ違えど、問2とほぼ重なる。旧来のセンター試験においては、長めの文章を用い、設問が本文の順を追って設けられ、解答根拠も重なることがなかった。一方、共通テストでは、2度の試行調査も合わせて公式によるサンプルは少ないが、解答根拠が前後することがあり、特に本文の主旨に関することなら違う角度から繰り返し問うてくる傾向がある。留意しておきたい。
問4「二つとも似ているところさえあります」(傍線部C)とあるが、どういう点で似ているのか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 Ⅱ 】からの出題。ここはテキスト間ではないが、「視点を動かす」という点ではいかにも共通テスト的な出題である。また、短い選択肢(=要点を抽出した選択肢)に揃えてあるのも共通テストらしいところだ。共通テストでは、設問レベルで「くらべる(類比/対比)」、「まとめる(抽象/敷衍/帰納)」、「ひろげる(具体/還元/演繹)」といった作業を課し、より主体的な思考力や判断力が試されるのである。
本問の場合の「二つ」はそれぞれ⑤⑥段落で具体的に説明されている。それを受けて「二つとも似ているところさえある(⑦)」とするのだが、どこが似ているかの指摘は読者に委ねられている。よって、⑤⑥段落それぞれの具体例や両者の相違点は捨象しながら、自力でそれらの共通性を見抜き、それを抽象化した適切な選択肢を選ばなければならないのだ。まずは一つ目、⑤段落より要点を整理すると「人間は「食べて」などいない/人間は生命の循環の通過点にすぎない/地球全体の生命活動がうまく回転するように食べさせられている」。次に二つ目、⑥段落より要点を整理すると「(食べることは)循環のプロセス/ずっと食べものである/生を与えるバトンリレー/人間を通過しているにすぎない」。
以上のように個別に要点を整理した上で、両者の共通性を抽出すると「食べものは生命の循環の中にある(a)/人間はその通過点にすぎない(b)」という内容が浮かび上がってくる。ここから②「人間の生命維持を中心とする見方ではなく(b)/別の生き物への命の受け渡しとして食べる行為を捉えている点(a)」が正解。他の選択肢は迷う余地がない。本問の場合は選択肢と本文を行き来していたらできたかもしれないが、学習段階においてはしっかりとプロセスを踏んで答えを導くことが肝要である。
問5【文章 Ⅱ 】の表現に関する説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
(ⅰ) Nさんは、本文を【ノート1】のように見出しをつけて整理した。空欄[Ⅰ][Ⅱ]に入る語句の組み合わせとして最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。
表現説明問題。選択肢が①②③は「豚肉を「あなた」に見立てるとともに」、④⑤は「豚肉を「あなた」と二人称で表しながら」で始まるが、この両者の意味するところはさして変わらないだろう。これらに続く「X〜表現することで/Y〜説明している(描いている)」のX(表現手段)とY(表現意図)の正誤で答えが決まる。表現問題の場合は誤りを探す方が確実なので消去法でよい。誤りのパターンは、XあるいはYが誤りであるケースに加えて、X→Yの組み合わせが適切でない(手段と意図の不一致)というケースもありうるので注意しよう。
解答根拠は「豚肉を「あなた」」として表現している①②段落である。そのことを示唆するために選択肢の始めを揃えているのだろう。その上で、①はX「食べられる生き物の側の心情を印象的に表現する」は許容できるとしても、Y「無機的な消化過程に感情移入を促す」が明確にバツ。豚肉にならまだ分かるが。②はX「比喩的に」は良いが、Y「厳密に描いている」はおかしい(手段と意図の不一致)。比喩は読み手に具体的イメージを喚起するが、厳密さは保証しない。③はX「擬態語(→ドロドロ)」は良いが、やはりY「筋道立てて説明している」という意図に帰着しない。④はX「比喩を多用して(→「膵液と胆汁が…消化をアシスト」「チューブをくねくね旅します」「微生物の集合住宅」など)消化過程を表現することで」、Y「他の生物の栄養になるまでの流れを軽妙に(→気が利いている)説明」は妥当。⑤はX「誇張」しているわけではないし、Y「鮮明に描いている」にもつながらない。よって④が正解。
問6 Mさんは授業で【文章 Ⅰ 】と【文章 Ⅱ 】を読んで「食べる」ことについて自分の考えを整理するため、次のような【メモ】を作成した。これについて、後の( ⅰ )( ⅱ )の問いに答えよ。
( ⅰ ) Mさんは〈1〉を踏まえて〈2〉を整理した。空欄[ X ]に入る最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。情報処理と論旨把握の適切さを問うている。【メモ】の〈1〉は「共通する要素:どちらも「食べる」ことと生命の関係について論じている」とあり、それを受けた〈2〉「「食べる」ことについての捉え方の違い」のうち、【文章 II 】「「食べる」ことは、生物を地球全体の生命活動に組み込むものである」と比較される形で【文章 Ⅰ 】の部分が空欄[ X ]となっている。よって【文章 Ⅰ 】における「「食べる」ことと生命の関係」について、【文章 Ⅱ 】のそれと対比される内容の選択肢(短い選択肢)を選べばよい。
【文章 Ⅰ 】では「よだか」の視点を通して「食べる」ことと生命の関係はネガティヴなものとして捉えられる。すなわち、問2や問3で考察したように「どうして自分のような惨めな存在が生きつづけなければならないのか→ふと無意識に口にしていた羽虫や甲虫のことに気づき背中がぞっとした思いをもつ(⑦/⑨段落)」ということである。それで「よだか」は食を断ち、生の極北(=死)を目指すわけだが、裏を返すと、われわれ人間も含めた動物は、半ば無意識的に他の生命を殺め自らの生命を保っている、ということである。正解は②「「食べる」ことは、自己の生命を否応なく存続させる行為である」。「否応なく」というのは「よだか」のようなケースも包摂した表現である。他の選択肢も「「食べる」ことは」で始まるが、それに続く部分、①は「弱者の生命の尊さを意識させる」、③は「意図的に…生命を奪う」、④は「食物連鎖から…解放する契機」が明らかにおかしい。
( ⅱ ) Mさんは〈1〉〈2〉を踏まえて「〈3〉まとめ」を書いた。空欄[ Y ]に入る適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。注意したいのは、Mさんの【メモ】の妥当性を問うているのであって、本文の客観的な記述に即応した正解を求めているのではない、ということである。当然、試験の性質上一つの「正解」が求められるわけだが、それは〈1〉〈2〉の命題(判断)から論理的に導かれる推論(演繹)の「正しさ(論理妥当性)」なのである。こうした作問は複数テキストを課すことで設定しやすくなる。つまり、テキスト間の空白を埋めるのがここでの【メモ】(=解釈)であり、その結論は【メモ】上での前提である2つの命題を潜らねば到達できないのである。
というわけで、( ⅰ )で正解を導いているとして、〈1〉〈2〉を吟味することから始める。まず〈1〉で2つの本文が「「食べる」ことと生命の関係」について論じている点で共通すると述べた上で、〈2〉では両者の「食べる」ことについての捉え方の違いを端的に述べる(対比は類比のバリエーションであり、同じ土俵にないと両者の比較は不毛である)。それならまとめの〈3〉は両者の対立を止揚(アウフヘーベン)する内容になるはずだ。ならば〈2〉の対立をじっくり見極めた上で、その両者を無理なく(論理的に正しく)接続できている選択肢が正解となるのである。逆に〈2〉の対立項の片方でも欠くならば、その選択肢は誤りと見なしてよい。〈2〉の対立は【 Ⅰ 】が「「食べる」ことは、自己の生命を否応なく存続させる行為である」、【 Ⅱ 】が「「食べる」ことは、生物を地球全体の生命活動に組み込むものである」というものである。ざっくり言うと「要素論(還元主義)」と「全体論(ホーリズム)」という捉え方の違いがあるが、内容的には無理なくつながりそうである。
選択肢は全て「X〜。しかし見方を変えれば、Y〜とも考えられる。」という2文構成になっている。XとYの記述を見ていくと、①はXYとも【メモ】の「食べる」という主題を外していて論外。②は、X「よだかが飢えて死のうとすることは/生命が本質的には食べていないという指摘に通じる」が本文の内容を一部を借用しているが、これも〈2〉から論理的に帰着する内容ではない。Y「「食べることの認識を改める必要がある」も同上。③は、X「無意識によだかが羽虫や甲虫を食べてしまう行為には/地球全体の生命活動を循環させる重要な意味がある」、Y「一つ一つの生命がもっている生きることへの衝動こそが/循環のプロセスを成り立たせている」ともに〈2〉の【 Ⅰ 】→【 Ⅱ 】を無理なく接続させていて妥当。よってこれが正解。④は、X「よだかが支配者となりうる食物連鎖の関係は/生命のバトンリレーの中で解消される」が②と同じく本文の内容を借用しているが、〈2〉から導ける内容ではない。Y「食べることによって生じる序列が不可欠」も論外。以上、一応、選択肢を細かく確認したが、〈2〉からのつながりでみると③が正解で、あとは論外である。出題の意図を見抜くこと、特に共通テストで問われやすい出題形式の意図を熟知しておくことが、本番で多大な幸運をもたらすだろう。