目次
- 出典
- <本文理解>
- 〈設問解説〉
問1「隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた」(傍線部A)とあるが、私をそのような行動に駆り立てた要因はどのようなことか。その説明として適当なものを、次の①〜⑥のうちから二つ選べ。 - 問2「身体の底を殴られたような厭な痛み」(傍線部B)とはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問3「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」(傍線部C)における「私」の心情の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問4 本文では、同一の人物や事物が様々に呼び表されている。それらに着目した、後の( ⅰ )・( ⅱ )の問いに答えよ。
- 問5 Nさんは「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつ苦笑した」(二重傍線部)について理解を深めようとした。まず、国語辞典で案山子を調べたところ季語であることがわかった。そこでさらに、歳時記(季語を分類して解説や例句をつけた書物)から案山子と雀が詠まれた俳句を探し、これらの内容を【ノート】に整理した。このことについて、後の( ⅰ )・( ⅱ )の問いに答えよ。
出典
出典は黒井千次「庭の男」(1991)。黒井千次は「内向の世代」の代表的な作家(京大で頻出する。2016黒井千次「聖産業週間」、2018古井由吉「影」、2020小川国夫「体験と告白」)。私小説の形をとるが、「私」以外の人物の登場の場面が極めて少なく「隣の少年」の偶発的なやり取り以外は、立て看板に描かれた「男」の存在を触媒に「私」の内面がひたすら掘り下げられる、というプロットである。本年も含めてここ4年のセンター試験・共通テストの第2問は、壮年〜初老の男性(おじさん)を主人公として「私」の内面の変化を描く小説の出題が続いている(2019上林暁「花の精」、2020原民喜「翳」、2021加能作次郎「羽織と時計」)。前書きに「「私」は会社勤めを終え、自宅で過ごすことが多くなっている。隣家(大野家)の庭に息子のためのプレハブ小屋が立ち、そこに建てられた看板に描かれた男が、私の自宅のダイニングキチンから見える。その存在が徐々に気になりはじめた「私」は、看板のことを妻に相談する中で、自分が案山子をどけてくれと頼んでいる雀のようだと感じていた」とある。
<本文理解>
立て看板をなんとかするように裏の家の息子に頼んでみたら、という妻の示唆を、私は大真面目に受け止めていたわけではなかった。落着いて考えてみれば、その理由を中学生かそこらかの少年にどう説明すればよいのか見当もつかない。相手は看板を案山子などとは夢にも思っていないだろうから、雀の論理は通用すまい。ただあの時は、妻が私の側に立ってくれたことに救われ、気持ちが楽になっただけの話だった。いやそれ以上に、男と睨み合った時、なんだ、お前は案山子ではないか、と言ってやるわずかなゆとりが生まれたほどの力にはなった。…しかし実際には、看板を裏返す手立てが掴めぬ限り、いくら毒突いても所詮空威張りに過ぎぬのは明らかである。そして裏の男は、私のそんな焦りを見透したかのように、前にもまして帽子の広いつばの下の眼に暗い光を溜め、こちらを凝視して止まなかった。流しの窓の前に立たずとも、あの男が見ている、との感じは肌に伝わった。暑いのを我慢して南側の子供部屋で本を読んだりしていると、すぐ隣の居間に男の視線の気配を覚えた。そうなると、本を伏せてわざわざダイニングキチンまで出向き、あの男がいつもと同じ場所に立っているのを確かめるまで落着けなかった。隣の家に電話をかけ、親に事情を話して看板をどうにかしてもらう、という手も考えた。少年の頭越しにそんな手段はフェアではないだろう、との意識も働いたし、その前に親を納得させる自信がない。…
ある夕暮れ、それは妻が家に居る日だったが、日が沈んで外が少し涼しくなった頃、散歩に行くぞ、と裏の男に眼で告げて玄関を出た。家を離れて少し歩いた時、町会の掲示板のある角を曲がってくる人影に気がついた。迷彩色のシャツをだらしなくジーパンの上に出し、うつむき加減に道の端をのろのろと近づいて来る。まだ育ちきらぬ柔らかな骨格と、無理に背伸びした身なりとのアンバランスな組み合わせがおかしかった。細い首に支えられた坊主頭がふと上り、またすぐに伏せられた。「隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた」(傍線部A)。「ちょっと」。声を掛けられた少年は脅えた表情で立ち止まり、それが誰かわかると小さく頷く仕草で頭を下げ、私を避けて通り過ぎようとした。「庭のプレハブは君の部屋だろう」。何か曖昧な母音を漏らして彼は微かに頷いた。「あそこに立てかけてあるのは、映画の看板かい」。細い眼が閉じられるほど細くなって警戒の色が顔に浮かんだ。「素敵な絵だけどさ、うちの台所の窓の真正面になるんだ。置いてあるだけなら、あのオジサンを横に移すか、裏返しにするかーー」。そこまで言いかけると、相手は肩を聳やかす身振りで歩き出そうとした。「待ってくれよ、頼んでいるんだから」。肩越しに振り返る相手の顔は無表情に近かった。「もしもさーー」。追おうとした私を振り切って彼は急ぎもせずに離れていく。「ジジイーー」。吐き捨てるように彼の俯いたまま低く叫ぶ声がはっきり聞こえた。少年の姿が大野家の石の門に吸い込まれるまで、私はそこに立ったまま見送っていた。
ひどく後味の悪い夕刻の出来事を、私は妻に知られたくなかった。少年から見れば我が身が碌な勤めも持たぬジジイであることに違いはなかったろうが、一応礼を尽くして頼んでいるつもりだったのだから、中学生の餓鬼にそれを無視され、罵るられたのは身に応えた。「身体の底を殴られたような厭な痛み」(傍線部B)を少しでも和らげるために、こちらの申し入れが理不尽なものであり、相手の反応は無理もなかったのだ、と考えてみようともした。…無視と捨台詞にも似た罵言とは、彼が息子よりも遥かに歳若い少年だけに、やはり耐え難かった。夜が更けてクーラーをつけた寝室に妻が引込んでしまった後も、私は一人居間のソファーに坐り続けた。…もしや、という淡い期待を抱いて隣家の庭を窺った。…網戸に擦りつけるようにして懐中電灯の明かりをともした。光の環の中に、きっと私を睨み返す男の顔が浮かんだ。闇に縁取られたその顔は肌に血の色さえ滲ませ、昼間よりいっそう生々しかった。「馬鹿奴」。つぶやく声が身体にこもった。暗闇に立つ男を罵っているのか、夕刻の少年に怒りをぶつけているのか、自ら罵っているのか、自分でもわからなかった。懐中電灯を手にしたまます素早く玄関を出た。土地ぎりぎりに建てた家の壁と塀の間を身体を斜めにしてすり抜ける。…東隣との低い生垣に突き当たり、檜葉の間を強引に割ってそこを跨ぎ越し、我が家のブロック塀の端を迂回すると再び大野家との生け垣を掻き分けて裏の庭へと踏み込んだ。…繁みの下の暗がりで一息つき、足元から先に懐中電灯の光をさっと這わせてすぐ消した。右手の母屋の正面のプレハブ小屋も、明かりが消えて闇に沈んでいる。身を屈めたまま手探りに進み、地面に雑然と置かれている小さなベンチや傘立てや三輪車をよけて目指す小屋の横に出た。
男は見上げる高さでそこに平たく立っていた。光を当てなくとも顔の輪郭は夜空の下にぼんやり認められた。そんなただの板と、窓から見える男が同一人物とは到底信じ難かった。これではあの餓鬼に私の言うことが通じなかったとしても無理はない。「案山子にとまった雀はこんな気分がするのだろうか」(二重傍線部)、と動悸を抑えつつも苦笑した。
しかし濡れたように滑らかな板の表面に触れたとき、指先に嫌な違和感が走った。それがベニヤ板でも紙でもなく、硬質のプラスチックに似た物体だったからだ。思わず懐中電灯をつけみずにはいられなかった。果たして断面は分厚い白色で、裏側に光を差し入れるとそこには金属の補強材が縦横に渡されている。…雨に打たれて果無く消えるどころか、これは土に埋められても腐ることのないしたたかな男だったのだ。それを横にずらすか、道に面した壁に向きを変えて立てかけることは出来ぬものか、と持ち上げようとした。相手は根が生えたかの如く動かない。…力の入れやすい手がかりを探ろうとして看板の縁を 辿った指が何かに当たった。太い針金だった。看板の左端にあけた穴を通して、針金は小谷の樋としっかり結ばれている。同じような右側の針金の先は、壁に突き出たボルトの頭に巻きついていた。その細工が左右に三つずつ、六ヵ所にわたって施されているのを確かめると、最早男を動かすことは諦めざるを得なかった。夕暮れの少年の細めた眼を思い出し、理由はわからぬものの、「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」(傍線部C)。
問1「隣の少年だ、と思うと同時に、私はほとんど無意識のように道の反対側に移って彼の前に立っていた」(傍線部A)とあるが、私をそのような行動に駆り立てた要因はどのようなことか。その説明として適当なものを、次の①〜⑥のうちから二つ選べ。
理由説明問題(行動の動機)。「彼の前に立っていた」という行動に着地する要因(動機)を説明する。根本的には「彼=隣の少年」に用があるからであり、それは彼のために建てられたプレハブ前の看板の「男」に「私」は強迫的に囚われており、それを裏返すなり見えないようにしてほしい、ということを「彼」に伝えたいからである(前書きと前半)。これから⑥「少年を説得する方法を思いつけないにもかかわらず、看板をどうにかしてほしいと願っていたこと」を選ぶのは容易。
ただ、それなら彼に直接伝えなくても「親に事情を話して看板をどうにかしてもらう」という手もあったのだが、「少年の頭越しのそんな手段はフェアではないだろう」という意識が働いたのだった(後半)。よってもう一つの正解は②「少年を差し置いて親に連絡するような手段は、フェアではないだろうと考えていたこと」。他の選択肢は「彼の前に立っていた」という行動に着地する要因にならないので不適。
問2「身体の底を殴られたような厭な痛み」(傍線部B)とはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
心情説明問題。センター試験が共通テストに変わっても小説という形式が採用されれば、登場人物の心情を説明する問題が出題の中心となる。その心情の説明においては、心情自体の具体化とその心情に至る場面の整理が求められる。解答の順序では「場面の整理→心情の具体化」となり、思考もその順路に従うのが筋ではあるが、選択肢のある問題では先に傍線部に示された心情表現のニュアンスで選択肢をザッピングしておくことも時間省略の有効な戦術ではある。傍線部「身体の底を殴られたような(a)/厭な痛み(b)」から大きく逸れるのは、②「深い孤独」と③「抑え難いいら立ち」。逆に表現が上手く合致するのは①「存在が根底から否定されたように感じたことによる(a)/解消しがたい不快感(b)」。特に「底」と「根底」、「殴られた」と「否定された」、「厭な」と「不快」がきれいに対応する。これで他に競るものがなければ良さそうだが、ここで決めるのは邪道だし、学習効果も薄いので、場面を確認しておく。
傍線部の直前は「(ひどく後味の悪い先刻の出来事)一応は礼を尽くして頼んでいるつもりだったのだから(c)/中学生の餓鬼にそれを無視され(d)/罵られたのは身に応えた(e)」。これは先程目星をつけた①の前半「頼みごとに耳を傾けてもらえないうえに(d)/話しかけた際の気遣いも顧みられず(c)/一方的に暴言を浴びせられ(e)」ときれいに対応するので、前後ともよく①が正解と確定できる。他は②「少年から非難され」、③「説得できると見込んでいた」、④「看板についての交渉が絶望的になったと感じたことによる」、⑤「一方的な干渉をしてしまった自分の態度に」が明らかにおかしい。
問3「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」(傍線部C)における「私」の心情の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
心情説明問題。本問の説明は「場面の整理→心情の具体化」の順路を進もう。といっても、一度本文を前から読み、今度は設問の傍線部を確認して前にたどるわけだから、実際の思考の中では「場面の整理」と「心情の具体化」は同時的に処理されている。あくまで説明の順を選んでいるだけである。傍線部は文末、それに直接つながるのはの場面、「私」はいざ看板の「男」の前に立ち一度は「ただの板」だと苦笑するが、その板は硬質のプラスチックに似た物体で、金属の補強材が縦横に渡されている「土に入れても腐ることのないしたたかな男だったのだ」(→a)。さらに、その看板を動かそうとするが「根が生えたかの如く」動かない。というのも看板は針金で幾重にも建物と結び付けられていたのである(→b)。それを確かめ動かすのを諦め、夕暮れの少年の細めた眼を思い出し「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ(c)/と認めてやりたいような気分がよぎった(d)」と結ぶのである。
以上の場面(a)(b)とその帰結としての心情(c)(d)が正しく踏まえられている選択肢は③。「劣化しにくい素材で作られ(a)/しっかり固定された看板を目の当たりにしたことで(b)/少年が何らかの決意をもってそれを設置したことを認め(c)/その心構えについては受け止めたいような思いが心をかすめた(d)」となり、これが正解。他は①「…決意を必要としたため…少年も同様に決意を持って行動した可能性に思い至り」、②「陰ながら応援したいような」、④「この状況を受け入れてしまった方が気が楽になるのではないか」、⑤「苦情を申し立てようとしたことを悔やみ」が明らかにおかしい。
問4 本文では、同一の人物や事物が様々に呼び表されている。それらに着目した、後の( ⅰ )・( ⅱ )の問いに答えよ。
( ⅰ ) 隣家の少年を示す表現に現れる「私」の心情の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
心情説明問題。問2と問3が帰結となる心情に傍線を引き、そこに至る場面と合わせて聞く、従来のセンター小説型の典型問題だったが、問4の両問は傍線を引かない共通テストに多く試されている設問形式。内容的にも対者との関係の変化に伴い自己の心情が変化するというスケールで問うているから、前問までと比べて難度が高くなる。まず設問の要求から場面を区切ると「隣家の少年」に対して「私」の心情が動くのはの傍線部A以降となる。設問条件の「隣家の少年を示す表現」に着目して「私」の心情をたどると、まずAの直後で「私」は少年に「君」と呼びかけ、看板を移すか裏返すかしてくれるように依頼する。自分なりに礼を尽くしたつもりだったが()、少年に無視され、しまいには「ジジイ」と罵られる。この「ひどく後味の悪い夕刻の出来事」により、「私」はそれを妻に話すこともなく「身体の底を殴られたような嫌な痛み」を一人感じ、耐え難い思いをする。その心情と対応して少年を「中学生の餓鬼」()、「あの餓鬼」()と表現していることに注意しておく。なお、本来ならば少年に対する表現として本文末文の傍線部Cで「あ奴はあ奴で…認めてやりたい気分がよぎった」という箇所も押さえておく必要があるだろう。(b)で自分を深く傷つけた少年を「餓鬼」と表現し嫌悪した「私」は、看板の強固な構えに感銘を受け、少年を「あ奴」と表現し腹立たしい存在ながらも一定の評価を与えているのだ。ただし、これは問3で考察した内容と重なるので、すべての選択肢から排除されている。
以上より、少年を示す表現に現れる「私」の心情は「ひどく後味の悪い夕刻の出来事(x)」を挟んで、「君」と呼ぶ配慮(a)から「餓鬼」と呼ぶ嫌悪(b)に移っている。この流れを受けている選択肢は②「看板への対応を依頼する少年に礼を尽くそうとして「君」と声をかけたが(a)/無礼な言葉と態度を向けられたことで感情的になり(x)/「中学生の餓鬼」「あの餓鬼」と称して怒りを抑えられなくなっている(b)」。これが正解。他は①「我が子に向けるような親しみ」、②「少年の外見…に対して」、④「彼の若さをうらやんでいる」、⑤「外見から判断しようとしている」が明らかに外れる。
( ⅱ ) 看板の絵に対する表現から読み取れる「私」の様子や心情の説明として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
心情説明問題。いくつか難しい事情がある。( ⅰ )は隣家の少年との関係で「私」の心情を明らかにする問題だった。少年との関係が変われば、少年に対する表現が変わり、そこに「私」の心情が現れる。そのとき「私」と少年は相関関係にあり、「私」からの入力が少年を変え、その変化が逆に「私」に入力する。一方で、( ⅱ )は看板の絵との関係で「私」の心情を明らかにする問題である。看板の絵との関係が変われば、看板の絵に対する表現が変わり、そこに「私」の心情が現れる。もちろん、看板の絵は隣家の少年と違ってモノであるから「私」の入力で性格を変えるものではない。ただ「私」の方はその絵を鏡として自らの心情を変えうる。はじめは距離をおいてその絵=「男」に恐れを抱いた「私」だが、その距離をなくすことで「男」に対する姿勢を変えるに至る()。ただし、これは問5の領域なので、本問の選択肢ではその論点は排除されている。このようにその絵自体との本質的な関係は本問の解答範囲では変わらないのだが、絵の所有者と思われる少年をパラメータとして、「私」の絵に対する表現が変わり、そこに心情の変化(ブレ)が滲み出る、というわけである。
まず初期設定として「私」は看板の絵を「男」として捉え、何とも説明し難い強迫観念を一人抱いている(→a)。その「男」を「案山子ではないか」と言ってみるが、「所詮は空威張りに過ぎ」ず、それへの恐れは消えないのである(、「案山子」については問5の領域)。その「男」に対する表現が便宜上変わるのはで隣家の少年に看板の処置を依頼する場面。「私」はその絵のことを「男」とはまさか言えまい。そこで「映画の俳優の看板かい」と問いかける(→b)。看板の話が出てきたことで、少年の目が細くなり警戒の色が顔に浮かぶ(ように「私」には見えた)(→c)。それに対して「私」は「素敵な絵だけどさ」と言いつつ(→d)、「あのオジサンを横に移すか、裏返しにするか」というように絵の所有者と思われる少年に配慮を欠いた言い方をしてしまう(→e)。ここでは「男」を見えないところに移して欲しいが、それを上手く説明できそうにもない()「私」の動揺が見て取れるだろう(→f)。
以上を踏まえて、正解は①。「「私」は看板を「裏の男」と人間のように意識しているが(a)/少年の前では「映画の看板」と呼び、自分の意識が露呈しないように工夫する(b)。しかし少年が警戒すると(c)/「素敵な絵」とたたえて配慮を示した直後に(d)/「あのオジサン」と無遠慮に呼んでおり(e)/余裕をなくして表現の一貫性を失った様子が読み取れる(f)」。②「映画俳優への敬意を全面的に示すように「あのオジサン」と呼んでいる/プライドを捨てて卑屈に振るまう」、③「単なる物として軽視している/「あのオジサン」と親しみを込めて」、④「親しみを込めながら「あのオジサン」と呼び直し」が明らかにおかしい。
問5 Nさんは「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつ苦笑した」(二重傍線部)について理解を深めようとした。まず、国語辞典で案山子を調べたところ季語であることがわかった。そこでさらに、歳時記(季語を分類して解説や例句をつけた書物)から案山子と雀が詠まれた俳句を探し、これらの内容を【ノート】に整理した。このことについて、後の( ⅰ )・( ⅱ )の問いに答えよ。
( ⅰ ) Nさんは、「私」が看板を家の窓から見ていた時と近づいた時にわけた上で、国語辞典や歳時記の内容と関連づけながら【ノート】の傍線部について考えようとした。空欄[ X ]と[ Y ]に入る内容の組み合わせとして最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。共通テストの特徴(ねらい)の一つは、「くらべる」(類比/対比)、「まとめる」(抽象/還元/帰納)、「ひろげる」(具体/敷衍/演繹)という、いわば言語運用=思考の3技能を設問レベルで試すことである。【ノート】の情報量が多いが、漠然と前から読んでいくのではなくて、目的を明確にしてそこから逆算して必要な情報を拾うのがよい。まず問われている空欄X・Yは【ノート】の結論部にあり、そこで「「案山子」と「雀」の関係に注目し、看板に対する「私」の認識を捉えるための観点」として以下の2つの項目が挙げられている。すなわち
・看板を家の窓から見ていた時の「私」→[ X ]
・看板に近づいた時の「私」→[ Y ]
である。ここで選択肢をザッと横に見ると、[ X ]については(ア)または(イ)から、[ Y ]については(ウ)または(エ)から答える形式となっており、すべての選択肢に歳時記の句((a)〜(c))、国語辞典の説明((ア)〜(ウ))が組み合わせられている。
まずは【ノート】の結論部から。本文内容(前半)より確認したいのは、「案山子/雀」の対は「看板/私」の対に相当すること。「看板を家の外から見ていた時」は「私」に対して「看板」が優位な状況にあったが(→X)、「看板に近づいた時」は「私」に対して「看板」の優位性が崩れた(虚構性が露わになった)ということ(→Y)、である。
次に【ノート】の結論部から矢印(⇨)を逆にたどる。国語辞典によると「案山子」には(ア)「おどし防ぐもの」(→「雀」に対する優位性)、(イ)「見かけばかり/役に立たない人」(→「雀」に対する優位性の欠落)という二面性がある。また歳時記の句については解釈があるのでそれを利用すると、(a)は案山子と雀に距離があり、案山子が優位である状況、(b)は案山子と雀の距離がなく、案山子の優位性が崩れた状況、(c)は案山子の「虚勢」がバレ始める、(a)と(b)の中間段階ということころだろう。
以上の整理から、X(看板=案山子の優位性)→国語辞典の(ア)→歳時記の句の(a)→選択肢(ア)、Y(看板=案山子の優位性の崩壊)→国語辞典の(イ)→歳時記の句の(b)→選択肢(ウ)、となる。正解は①。
( ⅱ ) 【ノート】を踏まえて「私」の看板に対する認識の変化や心情について説明したものとして、最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
心情説明問題。問題の仕掛けとしては、本文理解を深めるために背景知識を付け足して【ノート】にまとめたことを、再び本文に戻して「私」の心情変化を深く理解し直してみよう、というものである。該当する二重傍線部の心情(解答の着地点)は「苦笑」だから、それにつながる「私」の心情変化を【ノート】の理解を踏まえて導くことになる。といっても( ⅰ )での上記の整理が出来ていれば、解答は容易である。「看板=案山子」を遠くで見ていた時はそれに曰く言い難い恐れを抱いていた「私」だったが(→国語辞典の(ア)/歳時記の句の(a)に相当)、いざ「看板=案山子」に対面して見るとそれが「ただの板」だったことに気づき、案山子にとまった雀と自分を重ね、そんなものに恐れを抱いてきた自分に苦笑する(→国語辞典の(イ)、歳時記の句の(b)に相当)という筋である。これと対応する⑤が正解。
①は「はじめ」の「私」を歳時記の句の(c)と重ねているのがおかしい。この時点での「私」は看板の「男」に対して「虚勢」とは言えない恐れを感じている。②も同じく「はじめ」の「私」を歳時記の句(b)と重ねている点が誤り。③④はそれぞれ、締めの「自分に自信をもつことができた」、「自分に哀れみを感じている」が苦笑からズレている。