目次
- 出典
- 〈【序文】の現代語訳〉
- 〈【詩】の現代語訳〉
- 〈設問解説〉問1 波線部(ア)「復」・(イ)「審」・(ウ)「得」のここでの意味として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
- 問2「客有呼之入匣奉帰余園者」(傍線部A)について、返り点の付け方と書き下し文との組み合わせとして最も適当なものを一つ選べ。
- 問3「苟近我、我当図之」(傍線部B)の解釈としてもっとも適当なものを一つ選べ。
- 問4 空欄[X]に入る漢字と【詩】に関する説明として最も適当なものを一つ選べ。
- 問5「奈春何」(傍線部C)の読み方として最も適当なものを一つ選べ。
- 問6【詩】と【序文】に描かれた一連の出来事のなかで、「太常仙蝶」(二重傍線部Ⅰ)・「仙蝶」(二重傍線部Ⅱ)が現れたり、とまったりした場所はどこか。それらのうちの三箇所を、現れたりとまったりした順に挙げたものとして、最も適当なものを一つ選べ。
- 問7【詩】と【序文】から読み取れる筆者の心情の説明として最も適当なものを一つ選べ。
出典
出典は阮元『揅経室集』。漢詩とその序文からの出題であった。漢詩の出題は3年連続である。
漢文は、中国文語を日本語の古語で訓読したものである。古代以来、わが国のエリート層に広く親しまれ、大陸的な世界観や合理的なものの見方は、日本人の思想形成に大きな影響を与えてきた。そうした観点から、現在の国語教育においても、漢文は「古典」の一つとして、語学的に、かつ思想内容的に学ばれている。
漢文解釈においては、以下の三つのレベルに着目し、「小から大」「大から小」と見て総合的に判断する。
①語句のレベル(頻出語、推測語)
②一文のレベル(基本構文、句法・語法)
③文章のレベル(対句・比喩などのレトリック、論理展開)
前書きに「清の学者・政治家阮元は、都にいたとき屋敷を借りて住んでいた。その屋敷には小さいながらも花木の生い茂る庭園があり、門外の喧騒から隔てられた別天地となっていた。以下は、阮元がこの庭園での出来事について、嘉慶十八年(1813)に詠じた【詩】とその【序文】である」とある。
〈【序文】の現代語訳〉
私はもともと董思翁が自身で詩を書いた扇を持っていたが、そこには「名園」「蝶夢」という句が書かれていた。辛未(1811)の秋、風変わりな蝶が庭の中に飛んできた。物知りが「太常仙蝶」(二重傍線部Ⅰ)だと言い、この蝶を呼ぶと(私の)扇にとまった。後日、「復」(波線部(ア))その蝶を瓜爾佳氏の庭園で見かけた。「客有呼之入匣奉帰余園者」(傍線部A)、私の庭に来て箱を開くと空っぽだった。壬申(1812)の春、その蝶は再び私の庭の台上に現れた。画家が祈って言った「苟近我、我当図之」(傍線部B)。蝶はその画家の袖にとまり、「審」(波線部(イ))しばらく観察して、その形と色を「得」(波線部(ウ))、そこで蝶はゆったりと翅を広げて飛び去っていった。私の庭にはもともと名前がなかった。この時初めて思翁の詩と蝶の含意を踏まえて名をつけた。その秋も半ばになり、私は仕事を受け都を離れ、この庭もまた他人のものとなった。芳しい草むらを想うと、本当に夢のような心地がすることだ。
〈【詩】の現代語訳〉
春 城 花 事 小 園 多 幾 度 看 花 幾 度 X
(春の街には花をめでる庭が多く、何度か花を見て何度かX)
花 為 我 開 留 我 住 人 随 春 去「奈 春 何(C)」
(花は咲き私をそこに留め、人は春が過ぎるとそこを去る、過ぎ去る春はどうしようもない)
思 翁 夢 好 遺 書 扇 「仙 蝶 図(Ⅱ)」成 染 袖 羅
(思翁の夢は良いものでその詩の書かれた扇を遺し、仙蝶の絵は薄い袖を染めている)
他 日 誰 家 還 種 竹 坐 輿 可 許 子 猷 過
(いつか誰かがまた家に竹を植え、輿に乗って帰る王子猷を引き留めるのだろうか)
〈設問解説〉
問1 波線部(ア)「復」・(イ)「審」・(ウ)「得」のここでの意味として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア)は「復見之於…園中」(m+VO於C)で「見」を修飾する副詞。一度自邸の庭で蝶を「復」知人の庭で見たという文脈である。すなわち「まタ」と読んで「再び」の意味となる。正解は④。「まタ」には、他に「又」「亦」があり、前者は添加(その上)、後者は並列(〜もまた〜)を表す(ただし三者の用法が入れ替わることもある)。
(イ)は「審見」(m+V)で「見」を修飾する副詞。画家が袖にとまった蝶を「審」見て描こうとする場面である。読みは「つまびラカニ」で「詳しく」の意味。正解は②。「審査(審らかにしらべる)、審議(審らかにはかる)、審美(美を審らかにする)」などの熟語で使われる。
(ウ)は「得其形色」(V+O)で「其形色」を目的語とする動詞。(イ)に続く場面で、画家が袖にとまった蝶をしばらく観察して、「其形色」を「得」という文脈である。当然「得」は「う」(ア行下二段活用)と読み、「手に入れる(獲得)、理解する(会得)」の意味となる。ここではその語義と文脈より④「把握する」が正解。漢文の「得」は他に、助動詞の用法(得V/不得V/不得不V)で「できる」の意味がある。
問2「客有呼之入匣奉帰余園者」(傍線部A)について、返り点の付け方と書き下し文との組み合わせとして最も適当なものを一つ選べ。
白文訓読問題。まず返読文字「有」の用法に着目し「客有〜者」を「客に〜者有り」と書き下す。ここから⑤と動詞の「有り」を「あり」とかな文字で書き下している①は除外する(漢字をかな文字に直すのは付属語の場合に限る)。次にその間にある「〜」の部分を分析すると「呼之(VO;之を呼ぶ)」「入匣(VC;匣に入る)」「奉(V;奉ず)」「帰余園(VC;余の園に帰るor帰す)」となる。以上より正解は④「客に之を呼びて匣に入れ奉じて余の園に帰さんとする者有り」。意味は「客にこれ(蝶)を呼び込み箱に入れて私の庭に返そうとする者がいた」となる。
問3「苟近我、我当図之」(傍線部B)の解釈としてもっとも適当なものを一つ選べ。
傍線部解釈問題。「苟」(いやしクモ〜バ;もし〜ならば)と再読文字「当」(まさニ〜べシ;当然〜すべきだ、きっと〜はずだ)の用法が理解できていれば即答できる。正解は⑤「もし私に近づいてくれたならば、必ずおまえを絵に描いてやろう」。「〜やろう」という訳語に戸惑ったかもしれないが、助動詞「べし」を古文に準じて理解しておくならば、一人称「我」が主語の場合は「意志」(〜よう)の意味として了解できたはずだ。
問4 空欄[X]に入る漢字と【詩】に関する説明として最も適当なものを一つ選べ。
Xは押韻の問題。【詩】は七言律詩なので偶数句末に加え、初句末も原則押韻となる。Xは二句末にあり、他四句末は「何(ka)」、六句末は「羅(ra)」、八句末は「過(ka)」、初句末は「多(ta)」と読み、「–a」と韻を踏む。選択肢の中でこれに該当するのは①「座(za)」、③「歌(ka)」(⑤「香」はkou)。他に情報がない場合、両者をXに当てはめて文脈上の意味から適切なものを選ぶことになるが、本問の場合は選択肢にもう一つの情報がある。①については「起承転結で構成された七言絶句」とあるが、「七言絶句」は明らかな誤り。一方、③「頷聯と頸聯がそれぞれ対句になった七言律詩」については、「七言律詩」がまず正しい。律詩は首聯(一句と二句)、頷聯(三句と四句)、頸聯(五句と六句)、尾聯(七句と八句)からなり、頷聯と頸聯がそれぞれ対句になるという規則がある。実際【詩】の頷聯と頸聯はそれぞれ文法構造と返り点が対応している。よって③が正解。Xに「歌」を当てはめた場合の二句「幾度看花幾度歌」の意味は「何度か花を見て何度か歌った」となる。
問5「奈春何」(傍線部C)の読み方として最も適当なものを一つ選べ。
「奈O(目的語)何」は基本句法である。まず文末に「何如」とある場合、「いかん」と読み「どうであるか」と状態を問うのに対し、「如何」とある場合、「いかんセン」と読み「どうしようか」と動作を問う、あるいは「いや、どうしようもない」という反語の意味になる(如=奈)。これに対し「如O(目的語)何」は、「如何」(いかんセン)の間に目的語が入った形で、「〜ヲいかんセン」と読み「〜をどうしようか/いや、どうしようもない」と訳すことになる。よって「奈春何」は「春を奈何せん」と書き下し、「過ぎ去っていく春をどうしようか、いやどうにもならない」という意味になる。よって正解は⑤「はるをいかんせん」。
問6【詩】と【序文】に描かれた一連の出来事のなかで、「太常仙蝶」(二重傍線部Ⅰ)・「仙蝶」(二重傍線部Ⅱ)が現れたり、とまったりした場所はどこか。それらのうちの三箇所を、現れたりとまったりした順に挙げたものとして、最も適当なものを一つ選べ。
【序文】より蝶が現れたのを順に追っていくと、はじめに現れたのは筆者阮元の庭、「識者」がこれを呼ぶと阮元の扇にとまったのであった。次に現れたのは瓜爾佳氏の庭、「客」がこの蝶を箱に入れて阮元の庭に持ち帰ろうとしたが箱は空っぽだった。最後に現れたのは、再び阮元の庭の台上、そこで「画者」が蝶を描こうとした時、蝶はその袖にとまり、「画者」がその形と色を把握した時、蝶はゆったりと飛び立ったのであった。【詩】はそうした蝶にまつわる体験に着想を得て書かれた創作である。冒頭に出てくる「春城」に蝶が現れたという記述はないので、選択肢①②は除外できる。③の「董思翁」も筆者とは違う時代を生きた人物で、そこに同じ蝶が現れたという記述もないので不適。④は「瓜爾佳氏の庭」と「扇」の順が逆なので不適。⑤「扇→阮元の庭園の台→袖」の順は適当。よってこれが正解。
問7【詩】と【序文】から読み取れる筆者の心情の説明として最も適当なものを一つ選べ。
内容一致問題。①「美しい蝶が扇や絵とともに他人のものとなった」と読みとれる根拠は皆無。②「(蝶を)いずれは箱のなかにとらえて絵に描きたいと考えていた」もデタラメ。③「(筆者が)董思翁の夢を扇に描き」は【序文】の冒頭「董思翁自書詩扇/有「名園」「蝶夢」之句」(董思翁が自身で詩を書いた扇/そこに「名園」「蝶夢」の句があった)に反している。④「都を離れているあいだに人に奪われてしまい」以下がデタラメ。筆者は都を離れるに伴い、その庭も「属他人」(他人のものとなった)にすぎず、それを「奪われて」現実を嘆いているわけではない。⑤が正解。「その蝶が現れた庭園で過ごしたことを懐かしく思い出している」は【序文】の最後「回憶芳叢真如夢矣」(芳しい草むらを想うと、本当に夢のような心地がすることだ)と対応している。