目次
- 2022 共通テスト国語 第1問
- <本文理解>
- 〈設問解説〉問1( ⅰ )(漢字の書き取り)( ⅱ )(同じ意味を持つもの)
- 問2「子規は季節や日々の移り変わりを楽しむことができた」(傍線部A)とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問3「ガラス障子は『視覚装置』だといえる」(傍線部B)とあるが、筆者がそのように述べる理由として最も適当なものを、次の①〜こののうちから一つ選べ。
- 問4「ル・コルビュジエの窓は、確信を持ってつくられたフレームであった」(傍線部C)とあるが、「ル・コルビュジエの窓」の特徴と効果の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問5「壁がもつ意味は、風景の観照の空間的構造化である」(傍線部D)とあるが、これによって住宅はどのような空間になるのか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
- 問6 次に示すのは、授業で【文章 Ⅰ 】【文章 Ⅱ 】を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の( ⅰ )〜( ⅲ )の問いに答えよ。
2023 共通テスト国語 第1問について
共通テストも3年目となりサンプルが出揃ってきました。形式の複雑性という点では昨年レベル。第1問では、昨年同様、複数テクストからの出題で、共通テストに顕著な「くらべる(類比/対比)」「まとめる(抽象/還元/帰納)」「ひろげる(具体/敷衍/演繹)」といった主体的な思考力、判断力が試されました。ただ各々のテキストに向かい合う姿勢は変わることなく、引き続き厳しい時間的な制約の中で客観的に本文を読解し、それに基づき正しい答えを導くことが求められます。
ところで「客観的に読む」とはどういうことか。それはつまるところ、筆者と読者一般との間で共有されている(はずの)「前提」にしたがって読むことです。その前提となるのは「言葉の標準的な意味」と「表現上の工夫」です。そこで、前者については必要最低限の語彙を身につける必要があり、後者については半ば無意識のうちにやりとりしているものを意識化する必要がある。
その意味で現代文の学びで、まず必要になるのは「形式性」へのこだわりであり、読解の途中で教師が「わかりやすい」説明を施すのは学ぶものが自ら内容を汲みとる機会を奪うことにもなりかねない。もちろん徹底した「形式」へのこだわりの先に豊かな「意味世界(内容)」の海が広がるのですが。
ところで「客観的に読む」とはどういうことか。それはつまるところ、筆者と読者一般との間で共有されている(はずの)「前提」にしたがって読むことです。その前提となるのは「言葉の標準的な意味」と「表現上の工夫」です。そこで、前者については必要最低限の語彙を身につける必要があり、後者については半ば無意識のうちにやりとりしているものを意識化する必要がある。
その意味で現代文の学びで、まず必要になるのは「形式性」へのこだわりであり、読解の途中で教師が「わかりやすい」説明を施すのは学ぶものが自ら内容を汲みとる機会を奪うことにもなりかねない。もちろん徹底した「形式」へのこだわりの先に豊かな「意味世界(内容)」の海が広がるのですが。
したがって、共通テストでも、もちろん二次試験でも、形式性に則った客観的な読みが求められ、それが結果として「速読」を可能にします。その上で、設問の要求を十分にふまえ、解答の根拠を本文中から探し、選択肢を「書くように」選ぶ。こうした一貫した方針を、あらゆる文章に適用し、誤りを修正しながら継続して鍛練する。これが現代文の試験で「確実に」高得点をとるための、正しい方法だと考えます。
<本文理解>
前書きに「次の【文章 Ⅰ 】は、正岡子規の書斎にあったガラス障子と建築家ル・コルビュジエの建築物における窓について考察したものである。また、【文章 Ⅱ 】は、ル・コルビュジエの窓について【文章 Ⅱ 】とは別の観点から考察したものである。どちらの文章にもル・コルビュジエ著『小さな家』からの引用が含まれている(引用文中の(中略)は原文のままである)」とある。
【文章 Ⅰ 】出典は柏木博『視覚の生命力──イメージの復権』。筆者は美術評論家(2021年没)。
①段落。寝返りさえ自らままならなかった子規にとっては、室内にさまざまなものを置き、それをながめることが楽しみだった。そして、ガラス障子のむこうに見える庭の植物や空を見ることが慰めだった。味覚のほかは視覚こそが子規の自身の存在を確認する感覚だった。…障子の紙をガラスに入れ替えることで、「子規は季節や日々の移り変わりを楽しむことができた」(傍線部A)。
②③段落…
④段落。映画研究者のアン・フリードバーグは、『ヴァーチャル・ウインドウ』の冒頭で、「窓」は「フレーム」であり「スクリーン」でもあるといっている。→(引用部)。
⑤段落。子規の書斎は、ガラス障子によるプロセニアム〔舞台と客席を区切る額縁状の部分]がつくられたのであり、それは外界の二次元に変えるスクリーンであり、フレームとなったのである。「ガラス障子は「視覚装置」だといえる」(傍線部B)。
⑥段落。子規の書斎(病室)の障子をガラス障子にすることで、その室内は「視覚装置」となったわけだが、実のところ、外界を眺めることのできる「窓」は、視覚装置として、建築・住宅にもっとも重要な要素としてある。
⑦段落。建築家のル・コルビュジエは、いわば視覚装置としての「窓」をきわめて重視していた。そして、彼は窓の構成こそ、建築を決定しているとまで考えていた。…窓が視覚装置であるという点においては、子規の書斎(病室)のガラス障子といささかもかわることはない。しかし、ル・コルビュジエは、住まいを徹底した知覚装置、まるでカメラのように考えていた点では、子規のガラス障子のようにおだやかものではなかった。子規のガラス障子は、フレームではあっても、操作されたフレームではない。他方、「ル・コルビュジエの窓は、確信を持ってつくられたフレームであった」(傍線部C)。
⑧段落。…ル・コルビュジエの窓についての言説ついて、アン・フリードバーグは、「住むための機械」であると同時に、それはまた「見るための機械でもあった」のだと述べている。さらに、ル・コルビュジエは、窓は換気ではなく「視界と彩光」を優先したものであり、それは「窓のフレームと窓の形、すなわち「アスペクト比」の変更を引き起こした」と指摘している。ル・コンビュジエは窓を、外界を切り取るフレームだと捉えており、その結果、窓の形、そして「アスペクト比」(ディスプレイの長辺と短辺の比)が変化したというのである。
⑨段落。実際彼は、両親のための家をレマン湖のほとりに建てている。まず、この家は、塀(壁)で囲まれているのだが、これについてル・コルビュジエは、次のように記述している。「囲い壁の存在理由は、北から東にかけて、さらに部分的に南から西にかけて視界を閉ざすためである。…景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。思い切った判断によって選別しなければならないのだ。すなわち、まず壁を建てることによって視界を遮ぎり、つぎに連らなる壁面を要所要所取り払い、そこに水平線の広がりを求めるのである」(『小さな家』)。
⑩段落。風景を見る「視覚措置」として窓(開口部)と壁をいかに構成するかが、ル・コルビュジエにとって課題であったことがわかる。
【文章 Ⅱ 】出典は呉谷充利『ル・コルビュジエと近代絵画──二十世紀モダニズムの道程』。
①段落。1920年代の最後期を飾る初期の古典的サヴォア邸(写真)は、見事なプロモーションをもつ「横長の窓」を示す。が一方、「横長の窓」を内側から見ると、それは壁をくりぬいた窓であり、その意味が反転する。それは四周を遮る壁体となる。…
②段落。かれは初期につぎのようにいう。「住宅は沈思黙考の場である」。…
③段落。これらの言葉には、いわゆる近代建築の理論においては説明しがたい一つの空間論が現わされている。一方は、いわば光の疎んじられる世界であり、他方は光の溢れる世界である。つまり、前者は内面的な世界に、後者は外的な世界に関わっている。
④段落。かれは『小さな家』において風景を語る :「ここに見られる囲い壁の存在理由は、北から東にかけて、さらに部分的に南から西にかけて視界を閉ざすためである。…景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。(中略)北側の壁と、そして東側と南側の壁とが “囲われた庭” を形成すること、これがここでの方針である」。
⑤段落。ここに語られる「風景」は動かぬ視点をもっている。かれが多くを語った「動く視点」にたいするこの「動かぬ視点」は風景を切り取る。視点と風景は、一つの壁によって隔てられ、そしてつながれる。風景は一点から見られ、眺められる。「壁がもつ意味は、風景の鑑観照の空間的構造化である」(傍線部D)。…
⑥段落。かれは、住宅は、沈思黙考、美に関わると述べている。初期に明言されるこの思想は、明らかに動かぬ視点をもっている。…このテーマはル・コルビュジエが後期に手がけた「礼拝堂」や「修道院」において、再度主題化され、深く追求されている。「礼拝堂」や「修道院」は、なによりも、沈思黙考、瞑想の場である。つまり、後期のこうした宗教建築を問うことにおいて、動く視点にたいするル・コルビュジエの動かぬ視点の意義が明瞭になる。
問1(漢字の書き取り)
( ⅰ )
(ア) 冒頭→①感冒 ※他は②寝坊/③忘却 /④膨張
(エ) 琴線→③木琴 ※他は①卑近/②布巾/④緊縮
(オ) 疎んじられる→②過疎 ※他は①提訴/③粗品/④素養
( ⅰ ⅰ )
(イ) 行った→④履行(おこなう) ※他は①行進/②行列/③旅行(ゆく)
(ウ) (景色を)望む→③展望(遠くを見やる) ※他は①本望/②嘱望/③人望(①願う/②③期待する)
問2「子規は季節や日々の移り変わりを楽しむことができた」(傍線部A)とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 Ⅰ 】からの出題。「子規は(a)/季節や日々の移り変わりを(b)/楽しむことができた(c)」を逐語的に言い換えた(具体化した)上で、必要に応じて的確に内容を補った選択肢が正解となる。特にc要素については、傍線直前の「障子の紙をガラスに入れ替えることで(c1)/視覚こそが子規の自身の存在を確認する感覚だった(c2)」により具体化できる。その上で、本問の隠れたポイントはcの前提となる子規の属性についての説明。この観点から、文章冒頭の「寝返りさえ自らままならなかった子規にとっては」という要素と、全選択肢の頭の箇所「〜子規にとって」の対応関係を横に見て、③「病気で寝返りも満足に打てなかった子規にとって」と④「病気で身体を動かすことができなかった子規にとって」の2つに絞ることができる。そこで、改めてbc要素を適切に言い換えた選択肢③が正解となる。
傍線部との対応関係は以下の通り。③「病気で寝返りも満足に打てなかった子規にとって(a)/ガラス障子を通して(c1)/多様な景色を見ることが(b)/生を実感する契機となっていたということ(c2)」。これに対して④は「外の世界への想像をかきたててくれた」がc要素と対応せず不適切。
問3「ガラス障子は『視覚装置』だといえる」(傍線部B)とあるが、筆者がそのように述べる理由として最も適当なものを、次の①〜こののうちから一つ選べ。
理由説明問題。【文章 Ⅰ 】からの出題。理由の始点(S)である「ガラス障子」と終点(G)である「視覚装置」をブリッジする理由(R)を指摘するとよい。根拠は傍線直前の「ガラス障子によるプロニセアムがつくられた(R1)/それ(=ガラス障子)は外界を二次元に変えるスクリーンでありフレームとなった(R2)」(S→R1R2→G)。プロニセアムについては、引用部の「舞台と客席を区切る額縁状の部分」という説明に依拠する。
選択肢は全て「ガラス障子は(S)/〜ことで/〜仕掛けだと考えられるから(→G)」という形でそろっている。それらを横に見て、②「ガラス障子は(S)/室外に広がる風景の範囲を定める(←額縁)ことで(R1)/外の世界を平面化されたイメージ(←二次元)として映し出す仕掛けだと考えられるから(R2)」を正解として積極的に選ぶことができる。④は前半はよいが、後半「新たな風景の解釈を可能にする仕掛け」が根拠を欠き不適切となる。
問4「ル・コルビュジエの窓は、確信を持ってつくられたフレームであった」(傍線部C)とあるが、「ル・コルビュジエの窓」の特徴と効果の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 Ⅰ 】からの出題。設問の指示に従い、「ル・コルビュジエの窓」の「特徴(a)」と「効果=帰結(b)」について端的に把握する。aについては、まず傍線部にある「確信を持ってつくられたフレーム」であること、さらに傍線の前後から「徹底した視覚装置、まるでカメラのように考えられていた」「換気ではなく「視界と彩光」を優先した」という点が抽出できる。ここで、いったん選択肢に目をやると、全てが「ル・コルビュジエの窓は/〜ものであり(a)/〜になる(b)」とそろっていることに着目できる。そして、その前半(a)から、選択肢を①「カメラの役割を果たす」、④「視覚的な効果に配慮」、⑤「換気よりも視界を優先」に絞ることができる。
次にbについては、定石に従えば、ル・コルビュジエ自身による引用を承けた最終⑨段落「風景を見る「視覚装置」としての窓と壁をいかに構成するかが、ル・コルビュジエにとっての課題であった」に着目すべきだが、これでは情報が足りない。その「いかに構成するか」という「課題」については、引用部に戻り具体化する必要がある。そこで引用部のまとめにあたる「すなわち」以下、「まず壁を建てることによって視界を遮り(b1)/つぎに連らなる壁面を要所要所取り払い、そこに水平線の広がりを求める(b2)」に着目する。このb1とb2が、「ル・コルビュジエの窓」の「効果」に相当するものである。ここから、先の残った選択肢を検討すると、⑤が正解。選択肢の対応関係は、「ル・コルビュジエの窓は/換気よりも視覚を優先したものであり(a)/視点が定まりにくい風景に限定を施すことで(b1)/かえって広がりが認識されるようになった(b2)」となる。①④については、b2の要素がすっぽり抜けていて正解に及ばない。
問5「壁がもつ意味は、風景の観照の空間的構造化である」(傍線部D)とあるが、これによって住宅はどのような空間になるのか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。
内容説明問題。【文章 Ⅱ 】からの出題。「壁」の「空間的構造化」の帰結として、「住宅はどのような空間になるのか」を問うている。傍線部に含まれる「観照(=物事の本質を見極めること)」が既に答えに当たるが、この意味は取りづらいとして、他のアプローチが想定されているのだろう。根拠となるのは、傍線部に続く最終⑥段落「住宅は、沈思黙考、美に関わる(a)」という箇所。そして、その前提として繰り返し強調される「動かぬ視点(b)」(⑤⑥)。解答の構成としては「壁の空間的構造化=b→a」となる。
ここで選択肢を検討すると、全てが二文構成で、一文目「壁の空間的構造化」の具体的説明、二文目はそれを「このように」で承け、その帰結としての「住宅空間」の具体的説明、となっている。その中から、先ほど抽出した「b→このようにa」となっている正解選択肢は③「四周の大部分を壁で囲いながら開口部を設けることによって、固定された視点から風景を眺める(b)ことが可能になる。このように視界を制限する構造により、住宅は内部の人間が静かに思索をめぐらす空間になっている(a)」。他の選択肢のうち、⑤だけが「住宅は自己省察するための空間」とaの要素を捉えているが、前半でその前提としてのbが抜けており正解とはならない。
問6 次に示すのは、授業で【文章 Ⅰ 】【文章 Ⅱ 】を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読んで、後の( ⅰ )〜( ⅲ )の問いに答えよ。
生徒A「…」
生徒B「【文章 Ⅰ 】にも【文章 Ⅱ 】にも同じル・コルビュジエからの引用文があったけれど、少し違っていたよ」。
生徒C「よく読み比べると、[ X ]。」
生徒B「…」
生徒C「…」
生徒B「(【文章 Ⅰ 】は)なぜわざわざ子規のことを取り上げたのかな。」
生徒A「それは、[ Y ]のだと思う。」
生徒B「なるほど。でも、子規の話題は【文章 Ⅱ 】の内容ともつながるような気がしたんだけど。」
生徒C「そうだね。【文章 Ⅱ 】と関連付けて【文章 Ⅰ 】を読むと、[ Z ]と解釈できるね。」
生徒A「…」
( ⅰ ) 空欄[ X ]に入る発言として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。【文章 Ⅰ 】と【文章 II 】を「くらべ(対比)」て「まとめる(抽象/還元)」問題。具体的には直前の発言からの流れで【 Ⅰ 】と【 Ⅱ 】における引用文の捉え方の違いを端的に聞いている。両者とも『小さな家』のほぼ同一箇所を引用しているのだが、注目すべきなのは【 Ⅰ 】の締めにあたる箇所(→問4)を、【 Ⅱ 】では「(中略)」として重視していないということである。その箇所とは「…すなわち、まず壁を建てることによって視界を遮り(a)、つぎに連らなる壁面を要所要所取り払い、そこに水平線の広がりを求めるのである(b)」。このうち、a要素については「(中略)」前の引用箇所でも述べられており、実際【 Ⅱ 】の本文でも引用を承け「動かぬ視点」として強調されている(→問5)。
ならば、【 Ⅰ 】で重視され【 Ⅱ 】では重視されないポイントは、「壁」で視点を遮った後、逆に装置として視界を開く「窓」の機能、となる。一方、【 Ⅱ 】では「(中略)」の後に、【 Ⅰ 】では引用されない一文を足し、壁が「囲われた庭」を構成することを強調する。「壁」に自らの論の焦点を置くならば、bの要素はその焦点を乱すので、あえて捨象したのであろう(引用はあくまで自論の補強である)。以上の考察により正解は④「【文章 Ⅰ 】の引用文は、周囲を囲う壁とそこに開けられた窓の効果についての内容だけど、【文章 Ⅱ 】の引用文では、壁に窓を設けることの意図が省略されて、視界を遮って壁で囲う効果が強調されている」となる。他の選択肢のうち、②のみが前半を正しく押さえているが、後半「どの方角を遮るかが重要視されている」が不適切である。
( ⅱ ) 空欄[ Y ]に入る発言として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。【文章 Ⅰ 】が「わざわざ子規のことを取り上げた」理由について問うている。「わざわざ」というのは、【 Ⅰ 】が【 II 】と同じくル・コルビュジエの建築における窓の機能を述べたものであるから、その中で「子規」を述べる必然性はどこにあるか、ということである。もちろん、それは「子規/ガラス障子」と「ル・コルビュジエ/窓」の類比(場合によっては対比)を前提に、主題である後者の理解を促すためである。ならば後は、両者の類比(対比)のポイントを指摘すれば足りるはずである。ただ、考え方の筋はそうであるが、共通テストの時間的制約の中で、本問については内容一致問題として選択肢を順に吟味していくのが賢明であろう。
実際、全ての選択肢が「ル・コルビュジエの◯◯が〜ことを理解しやすくするために/子規の⬜︎⬜︎にガラス障子が〜をまず示した」という形でそろっている。まず前半部を横に見ると、①「ル・コルビュジエの建築論が現代の窓の設計に大きな影響を与えた」、④「ル・コルビュジエの換気と彩光についての考察が住み心地の追求であった」は明らかに触れられていない内容。次に後半部、③「子規の芸術に対してガラス障子が及ぼした効果」が不適切。子規の芸術性については本文で一切触れていない。正解は②「ル・コルビュジエの設計が居住者と風景の関係を考慮したものであったことを理解しやすくするために/子規の日常においてガラス障子が果たした役割をまず示した」。これなら前半も後半も本文内容に沿っているし、両者の対応にも無理がないだろう。
( ⅲ ) 空欄[ Z ]に入る発言として最も適当なものを次の①〜④のうちから一つ選べ。
空欄補充問題。【文章 Ⅰ 】の子規についての記述と【文章 Ⅱ 】の間の論理的なつながり(解釈)の妥当性を問う。複数テクストの類比や対比は、それぞれのテクストの事実性に依拠した比較対照のレベルにとどまるが、本問の場合は事実性は前提として、その事実性の間の飛躍を埋める論理が妥当かどうかを判断する力が問われているのである。このことを踏まえ、選択肢の正誤を順に「事実性」「論理的な妥当性」の両面から判定していく。全ての選択肢が二文構成の上、「〜子規は〜獲得したと言える。そう考えると、子規の書斎もル・コルビュジエの〜として機能していた」という形でそろっている。
①は「ル・コルビュジエの主題化した宗教建築として」が不適切。【 Ⅱ 】の⑥段落によるとル・コルビュジエは、後期に手がけた礼拝堂や修道院において、「動かぬ視点」による「沈思黙考」を再主題化したのである。②は「ル・コルビュジエが指摘する仕事の空間として」が不適切。【 Ⅱ 】の②段落で「人間には自らを消耗する〈仕事の時間〉があり」とあるが、これは彼の建築と直接結びつけられる要素ではないからである。④は「ル・コルビュジエの住宅と同様の視覚装置として」が不適切。空欄[ Z ]は【 Ⅰ 】の子規の記述と【 Ⅱ 】を関連づけることを要求するが、「視覚装置」というのは【 Ⅰ 】の論点であり、この場合【 Ⅰ 】だけで完結することになり、空欄の条件に合致しないからである。
正解は③。まず一文目「病で自由に動くことができずにいた子規は(a)/書斎にガラス障子を取り入れることで(b)/動かぬ視点を獲得したと言える(c)」。abの記述は【 Ⅰ 】の内容、cの「動かぬ視点」は【 Ⅱ 】の内容にそれぞれ沿っていて適切。問題は「a→b→c」の【 Ⅰ 】【 Ⅱ 】を越境する論理関係だが、「動くことができない(a)+ガラス障子(b)→動かぬ視点(c)」と見るとその論理は妥当なものといえよう。次に二文目「そう考えると(a+b→c)/子規の書斎もル・コルビュジエの言う沈思黙考の場として機能していた(d)」。「動かぬ視点(c)→沈思黙考(d)」の論理については、同じ【 Ⅱ 】の⑥段落、問5でも確認したように事実レベルで正しい。ならば「a+b→c」が論理的に妥当なのだから、全体としての「a+b→c→d」=選択肢③も論理的に妥当だといえる。