共通テスト世界史の特徴
全体的に資料(写真を含む)問題で構成されており、資料そのものは平易に書かれており、日本語としての読み取りには問題はないはず。しかし解答する上で大事なのは資料を読むことではない。いくら資料を読んでも正解は見つからない。大事なのはそこで扱われている時代の全体像である。ここで言う全体像とは、学校の教科書で扱われている範囲での、ある時代の出来事と、その政治的、地理的、文化的、宗教的背景の全体像のことある。教科書の区分に沿って、頭の中に各時代と地域の全体像を整理し、その視点から設問に答える能力こそが求められている力なのだ。教科書の内容がしっかり頭に入っていれば、設問と選択肢を読むだけで解答できる問題が多く(実際、33問中27問は資料を読まずに解ける。)、資料はヒントに過ぎない。その意味で「思考問題」は資料を読んでも答えは出ない。誤った記述を含む選択肢を消し、迷った場合に資料を参考にする程度に考えた方が得点に直結し、時間も節約できる。正解のポイントは、(当たり前だが)選択肢の正誤を判断できるだけの教科書レベルの知識をもつこと。
例1
第1問、問9 インタビューでの発言の内容に基づいて、(あ) アトリー・(い) サッチャー を選択する問題。「アトリー=労働党=社会福祉政策推進 vs サッチャー=保守党=小さな政府」は教科書に明記されている。ついでに言えば、新自由主義とレーガノミクスのレーガン大統領とサッチャー首相のコンビは当時の時代の趨勢の一つのシンボルだったことまで覚えておくべき。
例2
第4問、問8 唐の韓愈が出題されている。「韓愈=唐宋八大家の一人=四六駢儷体に対して史記に倣った古文を推奨」と教科書の注にある。江南地方を中心とした爛熟した漢民族の文化に対して、鮮卑系の唐王朝は(初期においては)北方の尚武的気風を保持していた。
大問構成
第1問
A 中国における統治思想
B 中世北ヨーロッパの王朝の系譜
C 19世紀以降のイギリスの社会保障政策
第2問
A アレクサンドロスの時代
B 19世紀アメリカ合衆国
C 朝鮮戦争と戦後の東側諸国
第3問
A インド亜大陸の交通
B 20世紀のアメリカの交通
C 19世紀ロシアの鉄道とその時代的背景
第4問
世界史上の言語・文字・文化
大問分析
第1問
問1・問5は世界史とは関係なく国語の問題。(当然、これは問題文を読まなければ解答できない。)試行テスト以来、毎年こうした問題が1~2問ある。あとは教科書に書いてある内容が整理されているかの問題。歴史的事件・それに関わった人物名・地名の組み合わせが問われている。
第2問
「ミズーリ」「カンザス=ネブラスカ」「ホームステッド」「棍棒外交」「涙の旅路」などの教科書で扱われている用語の内容、背景、年代が整理されていれば回答できる。”思考”を要する設問は見当たらない。
第3問
グラフの読み取り。実際にはグラフを見なくても選択肢だけで正解できる。ここでも正解の鍵はグラフからの情報ではなく、選択肢に誤りがあるか、ないかを判別できる知識量。
例:問7「藤井のメモ : ~ロシアがクリミア戦争で得た黒海北岸~」だけで誤りとわかる。「ロシアが黒海北岸とクリミア半島を併合したのはエカチェリーナ2世の時代」と教科書に書いてあり、クリミア戦争の時ではない。それに対して「西原のメモ」は誤りがない。正解は「西原のみ正しい」の②となる。
第4問
古代から中世、西ヨーロッパから中東、中国まで時代的、地理的に幅広い範囲を扱った問題。教科書の深い理解が求められる。ここでも問題文の読み取りはあまり意味を持たない。
例:問3
「メモ1:~乾隆帝は、漢人に対し自由な言論活動を認め~」は「文字の獄」を知っていれば見た瞬間に誤りと判断できる。特に資料を読む必要は認められない。
「メモ2:~孝文帝の漢化政策は、自文化を維持しつつ進められた~」は誤り。教科書に「漢化政策の過程で北魏の言語・風俗は中国風に改められた」とあるので、ここでも見た瞬間に分かるので、特に資料を読む必要は認められない。
共通テストの世界史の勉強法
共通テスト全体は「思考重視の問題」とされているが、上で述べてきたように世界史に関しては思考を含むものはほとんどない。世界史に限らず受験勉強というものは得点することが目的である。なので「思考問題」という名前に惑わされることなく、知識量で点数を上げるのが正しい方法といえる。繰り返しになるが、資料を読んでも正解は出てこない。得点の基は教科書で扱われている用語の理解と整理に尽きる。共通テストが教科書の内容に準じて作成されることから考えれば、これは至って当然のことなのだろう。なので、受験生は、先ずは教科書を熟読することを進める。よく、受験生が「よい参考書」という言葉を口にするのを聞くが、参考書はあくまでも「参考」であり、共通テストの世界史については受験勉強の中心は学校の教科書に置くのが結局は(または定義上)近道である。