〈本文理解〉

出典は野矢茂樹『心という難問』。筆者は著名な哲学者である。

①~④段落。犬が歩いているとする。私たちはそれをさまざまな仕方で描写しうる。(具体例)。私たちは自分たちがもっている概念の中から適当に取捨選択して、その概念を用いてものごとをさまざまに描写するのである。あるものごとを言葉で言い表そうとするとき、一つのものごとに対してさまざまな言い方が可能となる。そうした、ものごとを描写する表現を「記述」と呼ぶことにしよう。(具体例)。ここでは語、句、文いずれの形であれ、あるものごとを描写する言葉をすべて記述と呼ぶことにする。「一つのものごとはさまざまに記述されうる(記述の多様性)」(傍線部(a))──これが、まず確認しておきたいポイントである。目の前のものごとをどう記述するかは、そのものごとに対してどのような関心を、どの程度強くもっているかに依存している。(具体例)。

⑤~⑨段落。そうした記述は、それに特有の典型的な物語を開く。(具体例)。かくして、記述はそのもとに典型的な物語を開き、目の前のものごとをその物語の内に位置づけることになる。そしてこれが相貌に反映される。それゆえ、たんに「犬がいる」と記述して満足する人、「犬が散歩している」と記述する人、「太りすぎのブルドッグがヨタヨタ歩いている」と記述する人、それぞれが、その記述に応じた相貌でそれを知覚するのである。
「ただし、どんな記述でも相貌に反映されるというわけではない」(傍線部(b))。(具体例)。では、どのような記述が相貌に反映されるのだろうか。記述が相貌に反映される程度は連続的なグラデーションをもっている。知覚の役割がいま現在の主体の行動を導くことにあるのであれば、いま現在の行動に影響を与えるような記述が相貌に大きく影響を与え、将来の行動にのみ関係したり、ほとんど行動のしかたに関係してこない場合は、相貌に与える影響も小さくなると考えられる。さしあたり、記述は相貌に反映しうることを確認しておきたい。実際、私たちのふだんの経験を振り返ってみれば、関心と記述に応じて知覚される相貌が異なる場面がごくふつうにあることを実感できるのではないだろうか。(具体例)。

⑩⑪段落。おまけとして、もう一例、問題の形で出してみよう。あなたは急な坂の上にいてその坂を見下ろしている。そのとき、あなたにはそれが「上り坂」に見えるだろうか、「下り坂」に見えるだろうか。あまり考えずに答えるならば、坂の上から見下ろしているのだから、それは下り坂と記述されるだろう。だが、坂の上から見下ろしているとしても、それを上り坂として記述する物語を考えることはできる。あなたはいまその坂を上ってきた。そして振り返り、きつい坂だったなと思う。そのとき、あなたにはその坂が上り坂に見えているだろう。あるいは、坂の上にいて下からその急坂を上ってくる人を待っているときにも、その坂は上り坂に見えるに違いない。つまり、ある坂が上り坂に見えるか下り坂に見えるかは、どこからその坂を見るかによるのではなく、その坂を上る物語の中にいるか、その坂を下る物語の中にいるかによる。(「写真」による説明)。「「上り坂」は、物語の中でしか表現できない」(傍線部(c))。

⑫~⑮段落。記述が物語を開き、相貌を生み出すきわめて独特で興味深い事例が、ないということの知覚である。ないものは見えない。それは眺望という意味ではその通りである。存在しない対象の眺望は存在しない。もちろん、「ここからはスカイツリーは見えない」ということはできる。しかし、それは「見えない」ことの報告である。「いま問題にしたいのは、「見えない」ということではなく、「ないということが見える」ということである」(傍線部(d))。
(具体例/手品でコインの消失を見る。瓶の中にビールが残ってないのを見る)。(想定される反論。知覚のレベルで成り立つのは「瓶の中にビールが見えない」ということだけだ)。だが、私は、ここまで論じてきたように、「知覚」を豊かな内容をもちうるものとして捉えるべきだと考えている。(具体例/空のビール瓶を「ビールがもうない」という相貌で見る)。ここで、不在の相貌で見られるのは、あくまでもそこにあるものである。つまり、そこに存在しないビールを「ない」という相貌で見るのではなく、テーブルの上にあるそのビール瓶を、ビールが入っていないという意味のもとに見る。そこにあるものが、そこにないという相貌で見るのである。

⑯~⑱段落。だが、「ないことを見ることができる」と認めたとして、そこにはなお考えねばならないことがある。(具体例/手品でない場面ではコインがないことを見ない)。では、ないことを見るとはどういう場合だろうか。(具体例/「当然あるはずだ」という予期が裏切られたとき、あってほしいという願望が満たされないとき、「ない」ことに積極的な意味を見出す場合)。いずれにせよ、ないことが意味をもつような物語がそこに開かれている。少なくともそれがないことによって物語の展開は大なり小なり影響を受けることになる。さらに、私はその物語を「生きて」いなければならない。たんなる絵空事には相貌を生み出す力はない。それゆえ、私の手の上に宝石がないという事実は、私がその物語を生きていない以上、知覚に反映されることはない。

〈設問解説〉問一 (漢字)

(1)取捨 (2)繁華街 (3)端的 (4)乾電池 (5)絵空事

問二 「一つのものごとはさまざまに記述されうる(記述の多様性)」(傍線部(a))とあるが、どういう意味か、わかりやすく説明しなさい。(100字程度)

内容説明問題。ここでは、「一つのものごと」(例えば①段落冒頭の「歩いている犬」)が、それに向き合う人(たち)によって、多様に記述(描写)される(例えば「ブルドッグ/かわいい犬/散歩している/運動している」(①))、ということである。次④段落に引っ張られて、「人(一人)が/一つのものごとを/多様に記述」にすると意味が全く違ってくることに注意したい。
後は、「多様な描写」を具体化するだけである。①~④段落から具体例の前後の一般的記述を抽出し、順序よく並べる。「向き合う人がどのような関心をどの程度もつか(→関心の質と量)によって(④)/保持する概念の中から(①)/適当に取捨選択された言葉により(①)/語、句、文のいずれかの形において(③)」多様に描写するのである。

<GV解答例>
一つのものごとは、それに向き合う人の、その時々の関心の質と量や保持する概念に応じて、その概念から適当に取捨選択された言葉により、語、句、文のいずれかの形において多様に描写される可能性をもつという意味。(100)

<参考 S台解答例>
目の前のものごとを言葉で言い表そうとするときには、対象に対する主体の関心やその程度に応じて、主体のもつ概念の中から適当なものを取捨選択し、その概念を用いて多様な言い方で描写することが可能であるという意味。(102)

<参考 K塾解答例>
人が事象について概念を選択し言語で描写する仕方は、その対象についてどのような関心をどの程度の強さで抱いているかに応じて変化し、その描写を通じて対象はさまざまな物語に位置づけられ知覚される、いう意味。(99)

問三 「ただし、どんな記述でも相貌に反映されるというわけではない」(傍線部(b))とあるが、「記述」が「相貌に反映される」とはどういう意味か、わかりやすく説明しなさい。(100字程度)

内容説明問題。問い方が、傍線を直接聞くのではなくて、「記述」が「相貌に反映される」という点を端的に聞いていることに注意する。そこで「ただし」(限定/前述の内容を原則とした上で、「ただし」以下で部分的に修正する働き)の性質に着目し、「ただし」の前の⑤⑥段を中心に解答する(傍線自体を聞くのなら「ただし」に配慮して⑦~⑨段落が中心となる)。
もっとも強い根拠は傍線前文で、⑥段末文「それぞれが、その記述に応じた相貌でそれを知覚するのである」。つまり「(多様に記述される可能性を秘める(←問二))一つのものごとは/それを見る者各自に固有の姿で主観的に把握される(A)」ということである。後は、その前提として「見る者は/ものごとを記述し(⑤⑥)/そこに開かれる典型的な物語の内に位置づける(⑤⑥)」をAの前に加える。さらに「ただし」以下のパートから、⑨段冒頭の「関心と記述に応じて知覚される相貌が異なる」を利用し、解答の始めに加えた。

<GV解答例>
人がものごとに向き合い、自らの関心の程度に応じて記述することが起点となり、当のものごとは、その記述のもとに開かれた典型的な物語の内に位置づけられ、見る者に固有の姿をもって主観的に把握されるという意味。(100)

<参考 S台解答例>
いま現在の行動に影響を与える場合に、記述主体の関心に応じたものごとの記述は、その記述のもとに、特有の典型的な物語を開き、その物語の内にものごとを位置づけることで意味づけを行い、それに即してものごとが知覚されるという意味。(110)

<参考 S台解答例>
人が対象に抱く関心の強さに従って、その描写は特定の物語の内に位置づけられるが、その人の現在の行動に強い影響を与える場合には、表現はより詳しくなり、その詳しさに応じて対象はより明瞭に思い浮かべられる、という意味。(104)

問四 「上り坂」は物語の中でしか表現できない」(傍線部(c))とあるが、どういう意味か、わかりやすく説明しなさい。(100字程度)

内容説明問題。問三で考察した「記述は相貌に反映される」の「おまけ(⑩)」の具体例(⑩⑪)に関して聞く問題である。ここは問三との重なりを避けて、傍線部の述部「物語の中でしかない」を具体例「上り坂/下り坂」に即して説明する問題と見抜きたい。具体例から抽象を導くのではなく、抽象的表現を具体例に即して「わかりやすく」説明するのである。
まず傍線の言い換えとして、間に「写真による説明/具体例の具体例」を挟んだ前の文、「ある坂が上り坂に見えるか下り坂に見えるかは/どこからその坂を見るかによる(A)のではなく/その坂を上る物語の中にいるか、その坂を下る物語の中にいるかによる(B)」を利用する。AとBを⑪段落の具体的説明を参照して、対比的にまとめる。A「見る主体が見上げるか見下ろすか/視線の向きで決まる」↔︎B「上る主体・下る主体との/関係(←物語)に位置づけられて決まる」とする。Bについての記述で、⑪段六文目の「あるいは」の前後、「自己が」上った場合と「他者が」上った場合を、まとめて「上る主体」と表現した。

<GV解答例>
ある坂が上り坂に見えるか下り坂に見えるかは、見る主体が見上げるか見下ろすかという視線の向きで決まるものではなく、上る主体や下る主体との関係の中に位置づけられることではじめて決定されるものだという意味。(100)

<参考 S台解答例>
主体が知覚するものごとの相貌は、対象との位置関係である眺望点にではなく、主体が眼前のものごとをどのように見るかという物語に依存するため、たとえば坂を上るという物語において坂を見るときにのみ、「上り坂」として知覚されうるという意味。(115)

 <参考 K塾解答例>
ある坂が上りか下りかは、見る人と坂との物理的な位置関係によってではなく、その坂においていかなる行動がなされ、見る人が坂に対してどんな関心を持つかによってでしか、規定されえないという意味。(113)

問五 「いま問題にしたいのは、「見えない」ということではなく、「ないということが見える」ということである」(傍線部(d))とあるが、「見えない」と「ないということが見える」との違いを、わかりやすく説明しなさい。(100字程度)

内容説明問題。まず「見えない」(A)については⑫段落の、冒頭文と末文(傍線部)以外の文のみが根拠になる。とりあえず、「対象の不在や主客の位置関係で/「見えない」(→知覚が不能な)ことの報告」(A)としておく。「ないということが見える」(B)については、前提として「主体により対象が記述され物語の中に位置づけられていること(⑫段冒頭)」を押さえる。その上で⑬~⑮のパート、⑯~⑱のパートを根拠にしなければならない。
⑬~⑮で着目したいのは、⑭段の想定反論「知覚のレベルで成り立つのは「瓶の中にビールが見えない」ということだけ」に対して、筆者は「知覚」を「豊かな内容をもちうるもの」として捉えている点。つまり、物語に位置づけられて「ない」という相貌で見る(⑭)。例えば、ビール瓶を、ビールがないという意味のもとに見るのである(⑮)。⑯~⑱からは、そのまとめの部分から「私はその物語を「生きて」いなければならない(⑱)」を拾えばよい。そうしないと、知覚に反映しないのである。以上より、B「主体により対象が記述され/両者の間に生きた物語が作動していることを前提に/その対象が不在である状況を見ている」と説明できる。

<GV解答例>
前者は、対象の不在や主客の位置関係で知覚が不能であることの端的な報告だが、後者は、主体により対象が記述され両者の生きた物語が作動していることを前提に、その対象が不在である状況を見ていることを意味する。(100)

<参考 S台解答例>
前者は、対象が存在しないため、対象の知覚も存在しないということの単なる報告であるが、後者は、ないことが意味をもつ物語が主体にとって生き生きと開かれ、不在の相貌のもとに、そこに存在する他の対象が知覚されているということである。(112)

 <参考 K塾解答例>
「見えない」とは、対象が存在しないので知覚できないということの表現だが、「ないということが見える」とは、何かが存在しないことが特別な意味をもち、自己の未来のありように影響をもたらす場合の表現だという違い。(102)