〈本文理解〉
出典は中村桂子『科学者が人間であること』。
①~④段落。2011年3月11日の大地震と津波、それによって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故は、日本列島に暮らす者としての生き方を考えることを求めるものだった。私はその時、東京大学構内での会議に出席中で、これまで体験したことのない揺れに外に飛び出し、地盤が固いと言われる安田講堂の前に行ったのだが、そこには講堂脇にある地震研究所からも研究者が出てきて、大地震のさなかに、まさに専門家のただなかにいることになったのだ。とは言え地震直後は何も情報がないので専門家も私たちと変わらない。地震がいつどこで起こるかという問いに対して学問ができることは、精度最高のデータを用いての確率計算だが、一方、被害に遭った人たちにとっては、地震発生は百パーセント起こってしまった出来事だ。これは病気についても同じで、ここが、学問が日常と接点を持つことの難しさである。だから学問は無意味というわけではなく、この違いをわかったうえで学問を生かしていかねばならないのだと、震災後さまざまな場面で強く感じた。
⑤段落。これからの科学と科学者のありようを考えるに際して、科学や科学技術を「自然の側から」見る必要がある。二〇世紀の自然科学は急速な進歩をし、その成果を応用した技術の進展もみごとだったが、逆に自然の側に足場を移して見た時に、私たちがどれだけのことを理解したかと考えるとわからないことだらけだ。地震もその一つで、いつ地球のどこで地震が起きるかを知ることは今も難しいことであり、それが最も身にしみているのは専門家のはずだが、わからないということがなかなか言えない。
⑥段落。「震災の直後に多くの人の怒りを買ったのは、科学技術者が思わずもらした「想定外」という言葉だった」(傍線部(1))。科学技術によって物づくりをする時には常に「想定」がある。(ビル設計の例)。ここには「人間がすべてを制御する」という科学技術、工学の発想がある。さまざまな危険を思い描いている時には、自然がすべて解明されているわけではないことはよくわかっているのに、特定の数字をきめて計算しているうちに、人間がすべてを設計できるという気分になり、その数字の中で考えるようになってしまう。その結果、自分は普通に振舞っているつもりなのに傲慢になる。それが多くの人を怒らせたのだ。
⑦⑧段落。自然とはそもそも思いがけないものである。科学技術が自然と向き合っていない。これが東日本大震災で明らかになったことである。理性では制御できない事柄が起きた時に、自然の大きさを感じとる姿勢、これは長い間、自然の中で暮らしてきた人間として当然の姿勢である。「想定外」はそれを離れた言葉なのでイヤな感じがしたのだ。
⑨~⑪段落 (略)。
⑫段落。時々お話をする建築家の伊東富雄さんは『あの日からの建築』でこう書いていらっしゃる。「大学で建築を学び始めた頃…東京は世界でも有数の都市となった。だから独立して自分で設計を始めてからも、建築を考える根拠はすべて東京にあった。…/東京に私が託していたのは「新しさ」であった。…/しかし二一世紀を迎えてからの東京は、かつてのように魅力的な存在ではなくなった。最早それは未来への夢を抱かせてくれる街ではなかった。/私が固執し続けてきた東京の建築は、見えない巨大資本の流れを可視化する装置に過ぎない。そこには夢やロマンも感じることはできない。…/未来の自然を発見したいという想いを巡らせながら被災地に向かった時に、私は東北の地で自分の故郷に帰ってきた、と感じたのだ。…/「東京が失ってしまった豊かさ」(傍線部(2))が東北にはまだ残っている…/東京のような近代都市の向こう側に見えてくる未来の街の萌芽は確実にここにある」。まったく同じ気持ちだ。建築家はそれを見える形で示すことができる。科学者はどうしたらよいか。悩んだ結果、「私なりの答」(傍線部(3))を見つけた。
⑬段落。今社会では、科学は「科学技術」として「役に立つ」ことで社会とつながっているとされる。でも正直に言って、わたしはそれを目指しているわけではない。そうかといってただ好きだからやっているのでもない。もう少し基本的な問いがある。
⑭段落。今回の原発事故でも明らかになったように、現代社会での科学技術のありようには大きな問題がある。事故について語る科学者や技術者に対して多くの人が不信感を示し、それは日を追って強くなっていった。科学・科学技術・科学者・技術者とは何だろうということをていねいに考えず、乱暴に社会の役に立つという言葉ですませてきたのは間違っていたことがはっきりしてきた。
⑮段落。ここで、科学の中にいる者としては、この問いが生まれたところを探しにいかなければならない。そして科学が生まれ、そこから開発された科学技術によって進歩を続けてきた近代を問い直さなければならない。それが、私が科学者としてやるべきこととして見つけた答だ。この問い直しで最も大事なのは、科学者、科学技術者が、人間であること、自然の中にあることをいつも考えるようにすることである。
〈設問解説〉問一 (漢字)
(a)振舞 (b)傲慢 (c)蹴 (d)最早
問二 傍線部(1)について、震災の直後に科学技術者がもらした「想定外」という言葉が多くの人の怒りを買ったのはなぜか。(150字程度)
理由説明問題(部分要約)。科学技術者の「想定外」という言葉が多くの人の怒りを買った(G)理由は、傍線のある⑥段落の締め「さまざまな危険を思い描いている時には、自然がすべて解明されているわけではないことはよくわかっているのに(A)/特定の数字をきめて計算しているうちに、人間がすべてを設計できるという気分になり、その数字の中で考えるようになってしまう(B)/その結果…傲慢になる(C)/それが多くの人を怒らせた(G)」となる。あとは、これらの要素(A~C)を簡潔に言い換え、前後の段落(⑤⑦⑧)の要素を肉づけして解答をまとめればよい。
科学者の立場として、「科学や科学技術を「自然の側から」見る必要がある」(D)(⑤)、「(しかし実際は)科学技術が自然と向き合っていない」(E)(⑧)という要素を加える。また、受け手の立場として⑧段落から、「長い間、自然の中で暮らしてきた人間/理性では制御できない事柄が起きた時に…自然の大きさを感じとる」(F)という要素を加える。以上より、「自然はすべて解明されていない(A)→科学技術者は本来の足場である自然の側から離れ(D)(E)→逆に自ら想定した数値で自然を計る(B)→その想定を越えた震災の被害を「想定外」とした(前提)→自然の中で暮らしてきた人間の潜在的な感覚には(F)/傲慢にうったから(C)(→G)」とする。「傲慢さ→怒り(G)」には飛躍があるように思えるので、状況を勘案して、「傲慢さ→被害への失望に拍車をかけたから(→G)」と加えて仕上げとした。
<GV解答例>
人間が生きる自然はすべて解明されていないのに、専門の科学技術者は、本来の足場であるべき自然の側から離れ、逆に自ら想定した数値で自然を計りがちである。そして、その想定を超えた震災の被害を「想定外」としたが、これが自然の中で暮らしてきた人間の潜在的な感覚には傲慢にうつり、被害への失望に拍車をかけたから。(150)
<参考 S台解答例>
震災の直後に科学技術者が思わずもらした「想定外」という言葉には、自然の大きさを感じ取る人間として当然の姿勢が欠落しており、自然と向き合わず、専門家の枠内において自然を数字の中だけで考え、人間が自然のすべてを理性で制御できるという気分になっていることが自ずと表れているのを、多くの人が感じ取ったから。(149)
<参考 K塾解答例>
理性では制御できない事態に遭遇した際に発せられた「想定外」という言葉には、人々の科学に対する期待を裏切り、専門分野に閉じ籠って机上の演算に傾倒するうちに、人知を超えた自然と謙虚に向き合うという人間として持つべき姿勢を忘却し、人間がすべてを統御しうると思い込むようになった科学者の傲慢さがあらわれていたから。(153)
問三 傍線部②「東京が失ってしまった豊かさ」とは何を意味しているのか。(50字程度)
内容説明問題。⑫段落の伊東富雄さんの引用部からまとめる。根拠はつかみやすいが、含蓄のある表現を拾い、それを意味が通るように構成し表現する力が求められている。傍線直後をたどると、「東京が失ってしまった豊かさ」とは「東北にはまだ残っている」ものであり、「近代都市の向こう側に見えてくる(A)/未来の都市の萌芽(B)」である。Bを解答の核にして、「新しさ=魅力(C)/未来への夢を抱かせてくれる街(D)/夢もロマンも感じる(E)/未来の自然を発見したい(F)/自分の故郷に帰ってきた、と感じた(G)」という要素を拾う。Gの「故郷」の含蓄を表現しなければならないが、「見えない巨大資本の流れを可視化する装置」に堕した現代の東京と対照的に、「馴染みの土地と人に囲まれた暮らしの空間」(G+)というところだろう。以上A~G+より、「近代都市の向こう側に(A)/夢やロマンを感じさせる(DE)/自然や人のぬくもりの中で人が暮らす(FG+)/街の新鮮な魅力(BC)」とまとめる。
<GV解答例>
近代都市の向こう側に、夢やロマンを感じさせる、自然や人のぬくもりの中で、人間が暮らす街の新鮮な魅力。(50)
<参考 S台解答例>
近代都市の向こう側に見えてくる、自然の中にいる人間の故郷となりうる未来の都市の萌芽があることを思わせる魅力。(54)
<参考 K塾解答例>
巨大資本にとらわれずに、近代都市を超え出る可能性を宿し、未来の街や自然への夢や理想を抱かせてくれるという魅力。(55)
問四 傍線部③の「私なりの答」とは何か。(100字以内)
内容説明問題(部分要約)。傍線は⑫段落末文にあり、その「答」は⑬段落から最終⑮段落にかけて説明される。直接的には、⑮段落の後ろから2文目「それが、私がいま科学者としてやるべきこととして見つけた答」が承ける、「科学の中にいる者としては…この問いが生まれたところを探しにい(く)(A)/そして、科学が生まれ、そこから開発された科学技術によって進歩を続けてきた近代を問い直(す)(B)」である。さらにAの「この問い」が承けるのは、⑭段落「科学・科学技術・科学者・技術者とは何だろう」(C)である。
さらに「私=科学者」のあるべき立場として、「社会の役に立つという言葉ですませてきたのは間違っていた」(D)、「科学技術者は…人間であること、自然の中にあること」(E)を加える。以上、ACをBに繰りこみ解答の核にして、DEを前半に配して、「社会の利便性を追求する姿勢から距離を置く(D)→自然の中の人間であることにたち戻る(E)→科学と科学技術の母体である近代を(B)→その内部とともに問い直す(AC)」とまとめる。
<GV解答例>
科学技術者として社会の利便性を追求する姿勢から距離を置き、自然の中にいる人間であることにたち戻り、科学が生まれ、そこから開発された科学技術によって進歩を続けてきた近代を、その内部とともに問い直すこと。(100)
<参考 S台解答例>
科学者が特別ではなく自然の中の人間であることをいつも考えた上での、科学技術の有用性だけに注目してきた社会への疑問を生み出した根本の探求と、科学が生まれ、科学技術によって進歩し続けた近代への問い直し。(99)
<参考 K塾解答例>
金銭と結びついた目先の効用を追い求める現代の科学技術のありようを、科学者も自然の中で生きる人間であることを常に自覚しつつ、科学の母体である近代の総体とともに根本から問い直し、新たな未来を志向すること。(100)