〈本文理解〉
出典は稲賀繁美『絵画の限界ー近代東アジア美術史の桎梏と命運ー』。前書きに「次の文章は、近代東アジアにおける美術を、文化的な「境界侵犯」という観点から論じたもので、中国系の現代アート作家、シュー・ビンによる、漢字に似た創作文字を用いた作品をとりあげています」とある。
①段落。シュー・ビンの書は、中華文明が公認してきた漢字体系から見れば、公然たる贋作にして擬態にすぎぬという限りで、自らの創意出自の偽モノ性を憚らず公言する。彼はまず一方では、自らの創作が偽物であることを、ほかでもない中国の公衆に対して包み隠さず訴える。実際、漢字文明圏の成員であれば、誰しも容易に、シュー・ビンの漢字が偽物でしかないことは見抜けるはずである。ところがそのうえで、彼の作品は、もっぱら西側世界の観客を標的としている。それは、彼の文字を解読できないことを前提とした観客である。むろん西側世界の観客とても、シュー・ビンの「漢字」が漢字としては解読不可能なことくらい、知識としては知っていよう。だがそうした観衆には、彼の創意工夫による偽文字が判読不可能であるという事実を判読する能力が、原則的には想定されていない。言い換えれば、「解読できない偽文字であることを見抜けない人々こそが、好適な顧客なのだ」(傍線部a)。たしかに彼らは文盲なのだが、彼ら自身は、シュー・ビンの作品を前にして、いかに自分たちが「文盲」なのか理解できない。
②段落。となれば、シュー・ビンは、一種の確信犯といえるだろう。というのも彼は、自らの贋作漢字あるいは紛い物の漢字を公衆に対して展示するにあたって、自分が公衆を欺いていることに自覚的だからだ。それなら、この紛い物が功を奏するのは何故なのか。それは「自分たちがいかに欺かれているかを理解できない人々」を騙しているだけではなく、それよりも大切なこととして、「自分たちが担がれていることを重々承知している人々」をも、シュー・ビンが「抜け目なく、味方に取り込んでしまっている、という周到さ」(傍線部b)にあるはずだ。
③段落。それにくわえて、昨今ではシュー・ビンは自分の偽文字は学習すれば読解できるし、習得することだって可能だと言い立て始めている。実際彼は、自分の創意した文字を、漢字という表意文字の構成原理に則って増幅させている。基本的な部首を組み合わせることで、漢字は新たな語義を獲得し、それを伝達する自己組成の力学を蔵している。この漢字ならではの機動性を頼りに、シュー・ビンは自らの擬文字をブラッシュ・アップし、ヴァージョン・アップした。はたしてその成果は、正統なものとして認証されるのだろうか。だがそれは、将来における社会的な認知の問題であって、作者本人が全面的に責任を負う筋合いのものではあるまい。当初の海賊行為(というのも、それは、社会的な認知を得ない、偽金造りならぬ「偽文字造り」だったのだから)が少しずつ権威を帯び、最後には社会において、代替的なコードとして、まっとうに伝播循環されるに至る。「そうした経緯を見事に擬態して演じた」(傍線部c)ひとつの好例を、シュー・ビンに見ることも許されるだろう。
④段落。実際、歴史を振り返ると、同様の新字体創作は漢字文明圏の周縁部において、何度となく繰り返されてきた。契丹文字や西夏文字、女真文字は、北方の遊牧民族によって、中原の漢字文化圏への対抗を意図して発明されたものと見て、間違いなかろう。不必要なまでに複雑な文字構成からは、北方騎馬民族の中華の民に対する「屈曲した劣性複合」(傍線部d)を読み取りたくなる。だが、これらの「偽」漢字は、王朝によって正統なる文字とのお墨付きを得るや、公式な国事文書において、大手を振って使われるようになる。
⑤段落。その経緯や形態は様々だが、そこには周縁文化圏の中央に対する、抵抗の様子を読み取ってもよかろう。日本におけるカタカナやひらがなも例外ではない。前者は漢字の部首の一部、後者は略字草書体を利用して表音文字を創案したものだが、これは漢字では表記に不便な地域言語を擁護することにつながった。正規の漢文に対しては、補助的・従属的な役割に甘んじたが、女性の使用者たちは、やがて日本を代表する文字の書き手となる。李氏朝鮮の世宗による訓民正音の制定は、世界で稀な、あるいは唯一の完全に人工的な表音文字の開発といえる。ハングルもまた長らくのあいだ、表向きの漢字使用に対して従属的な位置にあったが、半島の民族主義が高まると、その受け皿として正統性を獲得し、やがては漢字排斥の根拠とされるまでの民族的矜恃を託され、誇り高い地位を授けられる。だが、これらはいずれも、中華主義の立場から評定すれば、しょせん周縁辺境地帯の「擬文字」と遇されても仕方のない、文化的劣位の表徴に他ならなかったはずである。
問一 なぜ「解読できない偽文字であることを見抜けない人々こそが、好適な顧客なのだ」といえるのか、説明しなさい。
ここからが考察。前書きにあるようにシュー・ビンは現代アート作家であり、その文字は作品として観客に提示される。つまり、その文字は、通常の文字のように何らかの意味内容(シニフィエ)を伝えるメディア(媒体)では全くなく、その文字自体(シニフィアン)で観客の意識に直接的に作用することを狙って創作されたはずである。ならば、漢字の擬態であるシュー・ビンの創作文字(C)に対して、何の前提もなく純粋に文字自体に向きあうことを強いられるAの方が、シュー・ビンの狙いに適っている、と言えるのではないか。以上を整理して、「Cが人々の意識に作用する度合いにおいて/それが偽物であることを見抜けるBよりも/純粋に文字自体に向かうAの方が/著しくなるから(→好適な顧客になる)」と解答した。
〈GV解答例〉
漢字の擬態であるシュー・ビンの創作文字が人々の意識に作用する度合いにおいて、それが偽物であることを見抜ける漢字文明圏の成員よりも、純粋に文字自体に向かう外部者の方が著しくなるから。(90)
〈阪大 解答例〉
シュー・ビンの書は、漢字文化が本質的に抱える偽物性を強調する芸術であり、創意工夫から生み出された偽文字を容易に偽文字と見抜くことができる漢字文明圏の成員よりも本物か偽物か判断できない西洋人の方がかえってその芸術性を素直に受容できるため。(118)
〈参考 S台解答例〉
偽文字によって公衆を欺くことに自覚的であるシュー・ビンにとって、彼の創意工夫による偽文字の判読不可能性を知識としては知っていても、作品がいかに自分を欺いているかを判読する能力のない西側世界の観客は、作品の享受者として適切であると考えられるから。(122)
〈参考 K塾解答例〉
公認された漢字と偽文字との境界の攪乱を狙って漢字を創作するシュー・ビンにとって、正規の文字か判別ができない西洋の人々は、そうした境界とそれに基づく優位性を無効にされた鑑賞者であり、狙いの実現に好都合だから。(103)
〈参考 Yゼミ解答例〉
問二「抜け目なく、味方に取り込んでしまっている、という周到さ」とはどういうことか、説明しなさい。
では、傍線部の内容「Bを取り込む周到さ」とはどういうことか。シュー・ビンは「もっぱら西側世界の観客(=A)を標的にしている」(①)のであって、偽物性を見抜くBは観客として想定されていないか、少なくとも好適な顧客と見なされていない(①)。ならばシュー・ビンは、Bを観客ではなく、どういった資格で「味方に取り込」んでいるのか。これについて明示されてはいないが、Aと違い偽物性を見抜く、広い意味での「批評者」としてである。このことが、シュー・ビンの偽文字が「功を奏する」重要な条件なのである。なぜか。まず、シュー・ビンの提示した作品にのめり込み、それが意識の中で展開するのを享受する観客(A)がいる。次に、それを取り巻くように、正統が何かを知り、偽文字を覚めた視線で観察する者(B)がいる。これは、③段落以降に述べられる、周縁の新字体創作の享受者と正統を知る中華の成員の関係性のアナロジーであろう。このように、自らの実験的な作品の観客の周りに覚めた観察者(批評者)として想定することで、シュー・ビンは作品を重層化することに成功しているのだ。以上の内容をまとめる。
〈GV解答例〉
シュー・ビンは自らの文字が漢字の偽物だと判別不能な漢字文明圏の外部者を専ら観客としながら、その偽物性を見抜く内部者を批評者として対置することで、作品の厚みを担保しているということ。(90)
〈阪大 解答例〉
偽文字として公言することで、漢字文明圏の人々はシュー・ビンの書の持つ創意工夫を指摘でき、それが成員としての優越性を確認させるため、本物か偽物か見抜けない非漢字文明圏の人々だけでなく、漢字文明圏の人々も芸術として評価できる点が周到であること。(120)
〈参考 S台解答例〉
シュー・ビンの偽文字が成功した要因は、偽文字であることを見抜けない西側世界の観客を対象としていることに加え、偽文字であることを十分に理解可能な漢字文明圏の成員をも、自身の作品の理解者にしているというぬかりなさにあるということ。(113)
〈参考 K塾解答例〉
新作漢字が偽物であると公言するのは、その真贋を問うことで公認文字の秩序の枠組みを補強してしまうのを回避し、偽物であるがゆえにこそ、その枠組みを突き崩す可能性をもつことを提示しようとする巧妙な戦略だということ。(104)
〈参考 Yゼミ解答例〉
問三「そうした経緯を見事に擬態して演じた」とはどういうことか、何が何を「演じて」いるのかを示しながら説明しなさい。
〈GV解答例〉
当初は漢字文明圏の周縁において漢字の構成原理に則り複雑化して創作された文字が、徐々に権威を帯び、ついに漢字に代替する記号として伝播循環するという一連の役割を立派に演じるということ。(90)
〈参考 S台解答例〉
シュー・ビンが自分の創作文字を改定、改良し、増幅させていった過程が、社会的な認知を得ない偽文字が少しずつ権威を帯び、最終的には代替物として伝播循環しうるようになるという新字体創作の歴史的過程を、完全に模倣して「演じて」いるということ。(117)
〈参考 K塾解答例〉
シュー・ビンが、正統な漢字と同様に読解も習得も可能な構造をもつ偽文字を磨き上げる過程は、社会的に公認されない行為が少しずつ権威を帯び、やがて社会的な認知に至る過程を、意図して完全に再現するものだということ。(103)
〈参考 Yゼミ解答例〉
文化的な「境界侵犯」を意図した現代アートは、あえて偽物を演じることで、社会的に認知されていなかった文字が社会に流通し、広く用いられる中で次第に権威を帯び、ついには正統なコードになっていくプロセスを明らかにしてみせたということ。(113)
問四 本文で述べられるアジアの新字体創作の文化的特徴について、(d)「屈折した劣性複合」という観点から説明しなさい。なお「劣性複合(inferiority complex)」とは、「優越感と複合した劣等感」といった意味で使われている。
内容説明問題。④⑤段落を根拠に、「アジアの新字体創作」(A)の「優越感」(B)と「劣等感」(C)をまとめればよい。解答構文は「AはBだがC」となる。設問で「劣性複合」=「優越感と複合した/劣等感」とあることからも、④段落から⑤段落の本文末尾までの展開からも「B→C」の順で解答して、Cに力点を置くのが妥当である。Aは、BとCの両方(アンビバレント)に帰結できるように具体化し「中華文明圏の周縁部において漢字の構成原理を利用して独自の文字を創作すること」とする。Bは「中華文明に対抗して/優越した地位を得る契機であった」とした。後半部の表現は、本文に直接書かれていない内容であるが、④段落の北方遊牧民や⑤段落の日本が一時的ではあれ、中華に優越した地位を得た歴史的経緯から(自明だろう)、「優越感」に近づけ付け加えた。Cは⑤段落末文(本文末文)「だが」以下を参照し「中華の正統性への拭いがたい劣等感を含んでいた」とした。
〈GV解答例〉
中華文明圏の周縁部において漢字の構成原理を利用し独自の文字を創作することは、中華文明に対抗して優越した地位を得る契機であったが、一方で中華の正統性への拭いがたい劣等感を含んでいた。(90)
〈阪大 解答例〉
北方騎馬民族のように複雑な文字や、仮名文字やハングルのように現地語をよりよく表すための文字を発明することで漢字への優越性を誇示する行為自体、基準が中原の漢字にあり、その限りにおいて中原に対する劣位が前提になっているという複合性に特徴がある。(120)
〈参考 S台解答例〉
アジアの新字体創作は、中原の漢字文化圏への対抗を意図して始まったことから、そこには中華への文化的劣等感を見て取ることができるが、創作された文字が正統性を獲得することや、自民族の矜持を表すという点において優越感を読み取ることもできるという複雑さを持つ。(125)
〈参考 K塾解答例〉
アジアにおける新しい文字体系の創造は、中央の漢字文明圏への従属意識を抱えつつも、その中で独自の文化を創り出そうとする、劣位に置かれた周縁文化圏ならではの矜持を中央文明への抵抗として表現する営みだということ。(103)
〈参考 Yゼミ解答例〉