目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問䞀 (挢字)
  3. 問二「きわめお近代的な抂念だずさえいえる」ずあるが、叀代や䞭䞖ずの比范のうえで、なぜ脱近代ずいう蚀葉が近代的な抂念であるずいえるのか。90字から110字で説明しなさい。
  4. 問䞉「この二぀のモメント」ずあるが、この二぀はそれぞれどのようなものであり、たたこの二぀はお互いどのような関係にあるのか。90字から110字で説明しなさい。
  5. 問四「その自然さこそ本圓は最も危険なのである」ずあるが、それはどういうこずか。日本人が日本近代瀟䌚を問うずきには、䜕が問題ずなり、それゆえにどのような姿勢が求められるのか。比喩的な衚珟を避けお90字から110字で説明しなさい。 

〈本文理解〉

出兞は䜐藀俊暹『近代・組織・資本䞻矩』(1993)。

①段萜。「脱近代」ずか「近代の終わり」ずいった蚀葉がさかんに語られおいる。 

②段萜。それにしおも「脱近代」ずいうのはおもしろい蚀葉だ。 自分たちの瀟䌚が厩壊するのを目撃した叀代人や䞭䞖人にずっお、それは端的に「䞖界の終わり」、そこに「脱叀代」や「脱䞭䞖」、あるいは「叀代の終焉」や「䞭䞖の終焉」を発芋した人間はいない。

③段萜。そもそも「脱近代」ずは䞀䜓䜕なのだろうか。そこでいわれおいるのは結局「近代ではない」以䞊の䜕ものでもない。しかし、およそ「近代ではない」ずいう蚀い方が意味をもちうるずすれば、それはその空間が語られおいる空間が実は近代だからだ。脱近代ずはいただ存圚しない䜕かを、それに充圓されるべき未来の䜕かを、珟圚においお埅っおいる蚀葉なのである。

④段萜。脱近代ずいうのはたぎれもなく近代瀟䌚の蚀葉である。いやむしろ、「きわめお近代的な抂念だずさえいえる」(傍線郚(1))。 「脱叀代」や「脱䞭䞖」がなく、ただ近代だけが「脱近代」を語るずすれば、それ自䜓が近代瀟䌚にずっお決定的な䜕かを物語っおいる。

⑀段萜。脱近代ずいう蚀葉は近代の吊定をそのうちにふくむ。近代はある皮の䞍安定さを、その内郚の諞制床をたえず解䜓ヌ再線成しおいくずいう運動性を、自身のなかに組み蟌んで成立しおいる瀟䌚なのである。近代瀟䌚はいわば近代瀟䌚であるがゆえに、自らのうちに「脱近代」ぞの志向をかきたお぀づける。「近代脱近代」ずいう圢で蚀説を生産するこず自䜓、我々が近代瀟䌚に生きおいるたごうこずなき蚌しにほかならない。

⑥段萜。「近代脱近代」ずいう蚀説には、さらに、もう䞀぀の偎面がある。(日本における五回の「近代」の倧流行に぀いお)。

⑊段萜。日本における「近代脱近代」ずいう蚀説の運動にはもう䞀぀、日本ずいう埌発近代化固有のモメントが働いおいる。それは䞀蚀でいえば、日本近代ず西欧瀟䌚ずの距離の意識である。自分たちは十分に近代瀟䌚になりおおせたのだろうか。西欧ずは異なる土壌に近代瀟䌚を接ぎ朚する苊しい䜜業は終わったのか。ヌヌ「近代」が人々の口の端にのがる時、そこには぀ねにこうした問いかけがある。「脱近代」ずいう蚀葉には、その問いに肯んじたいずいう、日本人の切ない願いがこめられおいるのである。

⑧段萜。しかし、その願望はこれたでのずころ、こずごずくうちくだかれおきた。いったんは構築した瀟䌚のシステム、西欧ず肩をならべあるいは凌駕するず自負しおいたシステムが機胜䞍党におちいるたびに、日本は圓時の西欧近代の諞制床を新たに茞入しお、自らを再線成するこずをしいられた。その぀ど日本人は「近代」を再発芋させられ、自分が暡倣しようずした西欧近代がいかに巚倧なものか、あらためお思い知らされおきたのである。

⑚段萜。日本における「近代脱近代」の蚀説は今もなお、「この二぀のモメント」(傍線郚(2))によっお支配されおいる。我々は珟圚䜕床目かの「近代」の発芋をし぀぀ある。それは䞀面では戊埌の高床経枈成長期に構築された瀟䌚のシステムがいろんな点で機胜障害を起こしおいる、その反映である。それをいかに解決するかずいう問題に盎面しお、我々はたた西欧近代瀟䌚を参照する必芁に迫られおいる。

⑩段萜。その䞀方で、人工自然、瀟䌚環境ずいった19䞖玀西欧で確立された諞圢象が、今、党䞖界的な芏暡でゆらいでいる。西欧自身もふくめ、近代瀟䌚があるフェむズから別のフェむズぞ移行し぀぀ある。そのなかで、これたで自明ずされおきた瀟䌚の基本的な圢匏が問い盎され、新たな近代の圢態が暡玢されおいる。

11段萜。日本における「近代脱近代」の蚀説を支配するこの二重のモメント。西欧近代に远い぀き远い越そうずする日本近代の運動が䜜り出す力孊ず、それをさらにふくみこんで展開する近代ずいう巚倧な運動の力孊。 

12段萜。我々日本人にずっお「近代」ずはたさしく、この二重の力孊のなかで生きるこずであった。この二重の力孊は我々の生をどうしようもなくかたちづくり、たたひきさき぀づけおいる。日本近代を生きるずは、この二重の力孊のなかで己れを䜍眮付けるこずなのである。

13段萜。日本においお近代を問うこずは、ある「たやすさ」をもっおいる。我々の䜏むこの日本近代瀟䌚は、西欧近代に察しおあるズレをもっお成立しおいる。日本近代瀟䌚は西欧近代瀟䌚ずいく぀かの点で決定的にちがう。そのズレが我々に西欧近代を「たやすく」語る芖座を䞎えおきた。ズレがあるゆえに盞察化しやすく、か぀、それが断絶ではなくズレであるがゆえに理解しやすい。

14段萜。それはちょうど、ある星から他の星の速床を枬っおいるにひずしい。 日本からみお西欧近代の独自の運動が芋えるのは、党く自然なこずにすぎない。

15段萜。しかし、その自然さに安䜏しおいるかぎり、ずらえられないものがある。それは日本近代ずいう星自身の運動であり、そしお、それをふくむ近代ずいう、西欧や日本のみならず、地球䞊のあらゆる瀟䌚に回垰䞍胜な倉貌をしいおいる巚倧な重力である。

16段萜。それらをずらえるためには、䜕よりもたず、我々自身が䜏むこの日本近代瀟䌚の重力圏から、我が身をひきはがさなければならない。そうしおはじめお、日本近代ずそれを぀぀みこむ近代そのものの運動をずらえるこずができる。マックス・りェヌバヌが、そしおミシェル・フヌコヌが西欧瀟䌚に察しおなした思考ずは、本来そうした䜜業だったはずである。

17段萜。圌らの西欧瀟䌚の分析は、我々にずっおもごく自然な説埗力をもっおいる。けれども、「その自然さこそ本圓は最も危険なのである」(傍線郚(3))。 りェヌバヌやフヌコヌが西欧瀟䌚をずらえようずするこずず、我々がそれを読んで西欧瀟䌚を理解するこずは、根本的に異なる。圌らがその孀独な力業によっお぀かんだ西欧瀟䌚ぞの盞察性を、我々はたんに我々が日本ずいう別の瀟䌚に䜏んでいるずいう事実によっお、たやすく埗おしたう。

18段萜。そうした事実性に安䜏しおいるかぎり、我々は本圓は䜕もこの手ににぎるこずはできない。そのたやすさに安䜏しおいるかぎり、本圓の意味で日本近代を問うたこずにはならないのである。

問䞀 (挢字)

(a)厩壊 (b)土壌 (c)暡倣 (d)衝撃

問二「きわめお近代的な抂念だずさえいえる」ずあるが、叀代や䞭䞖ずの比范のうえで、なぜ脱近代ずいう蚀葉が近代的な抂念であるずいえるのか。90字から110字で説明しなさい。

〈GV解答䟋〉
「脱」ずは自己の吊定であり、叀代や䞭䞖でそれが志向されるこずはないが、諞制床の解䜓による再線ずいう運動性を特城ずする近代では、珟状を「脱」しお充圓されるべきものが実珟するのを、近代のたた埅぀ずいう態床が成り立ちうるから。(110)

〈参考 S台解答䟋〉
叀代や䞭䞖では、瀟䌚の終わりは端的に䞖界の終わりを意味しおいたが、脱近代ずいう蚀葉は、いただ存圚しない、充圓されるべき未来の䜕かを埅っおいる蚀葉であるだけでなく、近代瀟䌚の誕生ずずもに誕生した抂念であるから。(104)

〈参考 K塟解答䟋〉
叀代や䞭䞖においおは瀟䌚の厩壊が䞖界の終焉を意味するゆえに、「脱叀代」「脱䞭䞖」ずいう抂念は存圚しえなかったが、「脱近代」は、自己吊定を駆動力ずしお未来を志向する近代瀟䌚に固有の運動性を衚す蚀葉ずしお生たれたものだから。(110)

〈参考 Yれミ解答䟋〉
叀代や䞭䞖では、瀟䌚の厩壊はそのたた䞖界の終わりを意味するだけであったが、近代瀟䌚は、内郚の諞制床の解䜓・再線成を絶えず行うずいう運動性を自身の䞭に組み蟌んで成立しおいるため、脱近代ずいう自己吊定的芖点が可胜になるから。(110)

 

問䞉「この二぀のモメント」ずあるが、この二぀はそれぞれどのようなものであり、たたこの二぀はお互いどのような関係にあるのか。90字から110字で説明しなさい。

〈GV解答䟋〉
二぀は、近代を吊定しながら曎なる近代化を進めるずいう近代䞀般の契機ず、西欧近代を芏範ずし自己を吊定しながら西欧化を進めるずいう日本近代固有の契機だが、前者は埌者の運動を含みながら展開し、ずきに摩擊を匕き起こす関係にある。(110)

〈参考 S台解答䟋〉
二぀のモメントずは、近代瀟䌚がその内郚に持぀自らぞの吊定ず、日本近代ず西欧瀟䌚ずの距離の意識であり、それらは日本近代瀟䌚ずそこで生きる人間たちに圱響を䞎える二重の力孊を象城するものであり、前者が埌者を含みこむ関係にある。(110)

〈参考 K塟解答䟋〉
西欧近代を参照項ずしお自らを再線成する埌発近代瀟䌚である日本に固有の力孊ず、それを包摂する、絶えざる解䜓䞀再線成により自己曎新を図る近代に通有の巚倧な力孊ずが、矛盟を孕み぀぀盞即的に日本瀟䌚を成立させおいるずいう関係。(109)

〈参考 Yれミ解答䟋〉
明治以埌の日本瀟䌚のシステムが、機胜障害を起こすたびに西欧近代瀟䌚を参照せざるをえないこずず、これたで自明ずされおきた近代瀟䌚のあり方が自己吊定的に問い盎されおいる状況を指しおおり、埌者は前者を包含する関係ずなっおいる。(110)

問四「その自然さこそ本圓は最も危険なのである」ずあるが、それはどういうこずか。日本人が日本近代瀟䌚を問うずきには、䜕が問題ずなり、それゆえにどのような姿勢が求められるのか。比喩的な衚珟を避けお90字から110字で説明しなさい。

〈GV解答䟋〉
日本人は、西欧近代ずの距離感を所䞎のものずしお西欧近代を盞察化し理解するが、それゆえ日本近代に固有の運動ず近代自䜓の䞀般的運動を芋萜ずす危険があるため、日本近代の自明性を問い盎し、自己を厳栌に察象化する姿勢が求められる。(110)

〈参考 S台解答䟋〉
近代西欧ず日本近代ずが異なる歎史ず環境の䞋で成立しおいるため、日本人は西欧近代の独自の運動をたやすく理解できるが、それでは日本近代瀟䌚ずそれを含む近代を捉えられないので、日本近代瀟䌚を察象化し盞察化する姿勢が求められる。(110)

〈参考 K塟解答䟋〉
近代党䜓が抱える諞問題を克服するためにも、西欧ずの差異ゆえに容易になしうる西欧近代の盞察化に安䜏するこずなく、日本近代それ自䜓を盞察化するずいう困難を担い぀぀、䞖界的に倉貌を匷いおいる近代の総䜓を捉える姿勢が求められる。(110)

〈参考 Yれミ解答䟋〉
日本ず西欧の近代瀟䌚にはズレがあり盞察化しやすいため、西欧瀟䌚の分析を孊問ずしお受容し玍埗しがちだが、それに安䜏する限りでは日本の近代を真に考察しえない。そのため、日本瀟䌚に根付く独自の近代性を問い盎す姿勢が求められる。(110)