〈本文理解〉
出典は島木健作の小説『バナナの皮』(1935年発表)。前書きに「五月末のある日、上野駅から汽車に乗ろうとしていた「私」は、護送されている囚人を見かけます。客席に乗りこむと、「私」と向かい合った席にその囚人が役人(看守)と共にやってきます」とある。
①段落。囚人は窓ぎわに座り、役人はその横に座ったから、私と囚人とは膝をつきあわすほどにして顔を合わせたのである。彼は座ると同時に、編笠をとり、朝の光にみちた窓外に向いてまぶしそうに目をまたたいた。さわやかな風に面を吹かれ、着ものの上からそれとわかるほどに胸をふくらませ、また大きく息を吐き出すのだった。まだ若い青年だった。皮膚は荒れ、このような生活にあるものに特有な、澱んだ汚水のような色艶だったが、光り失わぬ黒く澄んだ眼は、検査(※徴兵検査)をすぎてまだ間もない頃のものをおもわせた。かすかに口を開き、そのときはもう動き出した汽車の窓外に、刻一刻かわって行く風物にうっとりみとれているさまは、あどけないものをさえ含んでいる。ふいに彼は小刻みに膝をひょいひょいと動かしはじめた。今の彼としてほかには表現し得ない「心の喜び」(傍線部(1))なのであろう。太く冷たい鉄の手錠のしかと喰い込んでいる双の手首が、その膝の動きにつれて無心にかすかにふるえている。
②段落。気がついてみると、しかし、彼の存在に心をとらわれているのは決して私一人ではなかった。この車内にある大半のものがそうであったといえる。彼がはいって来た当座、おびえたように身をすくめたものたちも、自分たちの座席から遠くはなれた今の彼を見るときは、安堵の胸をなでおろすと同時に、好奇心が頭をもちあげて来たようである。多くはただ物珍しそうな、罪のない眼いろであったが、なかにははげしい憎悪に燃えて、生き身の皮まではぎ取りそうな、無慈悲な眼つきで見据えるものもあった。私たちとは別の側に、はすかいに席をしめていた、四十歳前後の親方ふうの男など、そのうちの主な一人だった。…彼は六つか七つぐらいの男の児をひとり連れていた。子供は父親の膝の上にいて、甘えている。かの囚人の方にちらりと眼をくれ、子供らしく誇張した表情でおびえたように父親の胸に顔をうずめ、足をばたばたさせるのであった。父親は幅広く厚い胸でがっしりと子供をささえ、あたりのもののふりむいてみるほどの大ごえをあげてわらうのである。「こわくない、こわくない、何がこわいもんかい、お父さんがついてらあ」。子供は父親の首に両手をまきつけて、耳もとに口をよせ、ひそひそとなにかささやいた。「うん、うん、わるいことさえせなんだら何もこわいこたアありゃしない。わるいことをすりゃな、おまわりさんがしばってつれてって、あんな着ものを着にゃならんぞ。何?どんなわるいこと?はっはっ、そりゃ坊や、いろいろあらなあな。どろぼう、火つけ、人ごろし‥‥」。
③段落。私はおもわずはっとして、なにか、自分に直接関係することででもあるように、顔いろをかえた。とっさの間、私は目の前のかの囚人の顔を正視する勇気を失った。しかし、私はおもい切って見たのである。「どろぼう、火つけ、人ごろし‥‥」のこえがひびいたとき、今まで窓の外ばかり見ていたわかものはべつなものになってしまっていた。今までのあどけない子供らしさは影を消して、急にいくつか年をとった萎んだものになっていた。暗く陰鬱な、典型的な囚人のそれに変っていたのである。心を鎮めようとし、依然、窓の外を見ているが、手の指先は、それとあきらかに見えるほど、ぶるぶるとふるえているのだった。
④段落。私も亦「読もうとひろげた新聞を持つ手のふるえのどうにもとどまらぬ感情の荒立ちをおぼえた」(傍線部(2))のである。私はかの田舎紳士をにくんだ。その肥えふとった胴体を踏みにじってやりたい切ない衝動に身をおいた。たった一つ、若い囚人の顔に今までうかんでいた、ちょうど五月の季節のように明るく朗らかな表情を、一瞬のうちに萎えしぼませてしまった、はげしい毒素のような、彼のその一と言のためにである。…
⑤段落。どのくらいか時間がたった。側につきそっていた役人は、その時、時計を見、囚人をうながし立たしめた。囚人は気のすすまぬふうに立ってあるきだした。向うはしの不浄場の前で、手錠の鍵をはずしてもらい、そこにあるあいだ、役人は立って待つのであった。用をすました囚人は、ふたたび手錠に腰縄姿でこっちへあるいて来た。車内の人々は一せいに彼に鋭い視線を放った。「幾十の射るような視線に裸にされ」(傍線部(3))、何よりもさきに蒙った心の痛手があって、若ものはおどおどし、足もともどこかたよりなげだった。
⑥段落。さきの請負師ふうの田舎紳士と子供は、そのときはもう、一向そしらぬふうにバスケットを下し、果物やら菓子やらさかんにパクついていた。ふりかえって、近づいて来るわかものをじろりと見た男は、今喰い終わったバナナの皮を、通り路にすてたのである。すてられたバナナの皮は、ちょうど通路のまんなかに落ちた。紳士はなんの気もなく、ただ無造作にすてたのかも知れぬ。しかし、横をむいてにやりとわらった顔の卑しさにはなにかを期待してほくそ笑んでいるところがあり、見ていた私は、おもわずはっと緊張した。何か起こりそうな予感にわれ知らず腰をうかせていた。すると、その瞬間だった。ちょうどそこまで来た囚人が、地ひびきするほどの音を立ててのけさまにうしろにひっくりかえった。いうまでもなくバナナの皮に足をとられたのである。あわてて起き上がろうとし、ふたたび中途でひっくりかえった。両手の自由のきかぬ彼は三度四度と身もだえした。どっと、いろとりどりの笑声が、狭い車内にひびきわたった。「馬鹿野郎!」。冷酷にののしって、看守の手が帯にかかり、はじめてわかものは立ち上がることができたのである。
⑦段落。笑声はなおもしばらくつづいていた。しおれたわかものが席へもどって来たのちも、くっくと含み笑う、若い女などの、世にこれほどに冷酷なものは少ないであろう笑いが聞こえていた。が、間もなく、それらのこえはぴたりとやんでしまった。かつてない静けさに車内はしーんとひそまりかえった。
⑧段落。若いかの囚人の口をもれて、すすり泣きのこえがきこえてきたのである。喰いしばった歯のすきまから、それはもれて来た。はじめはおさえにおさえた低い声だったが、ついにそれはおさえがたくどっとあふれた。子供のような嗚咽のこえがしだいに高くなって行くのであった。涙のしずくが頬をつたわった。ふとみる、彼の頭の耳に近いあたりには、倒れた拍子に座席のかどにうちうけたものだろう、髪の毛の上に血さえにじんでいる。手錠の喰いこんだ手首は、起き上がろうともだえた時に傷ついたものだろう、いたいたしく皮がむけ、ここにも血しおがふきでている。
⑨段落。汽車は走り、車輪のひびきはごうごうと今しも鉄橋を越えた。そのひびきのあいまに、すすり泣きのこえはなおもきこえる。「厳粛なものに打たれて車内にはコトリとの音もしなかった」(傍線部(4))。私は硬ばった真っ青な顔をして、彼ひとり今なお平然たるかの肥満漢の横顔を喰い入るように見すえていた。富んで無智なるものの、冷酷さ、残忍さを見ること、今までに必ずしも少なしとはしない。しかしこの時ほどはげしいいきどおりに身を灼いたことはいまだかつてなかったのである。
問一「心の喜び」とあるが、「私」は若者がどのような「喜び」を感じていると考えているのか、わかりやすく説明しなさい。
以上より「A(前提)→B1B2B3(契機)→C(心情)」とまとめる。Aには、Bにおける解放感や明るさとの対比で、牢獄の閉鎖性や暗さという要素を加える。Cについては表現を一般化し「思わず/体が動き出すような/心から湧き上がる(喜び)」として解答の締めに置く。
〈GV解答例〉
移動により暗く閉ざされた牢獄での生活から一時的に解放されたことで、朝のまぶしい光とさわやかな風を感じ、刻一刻かわる窓外の風景に見とれ、思わず体が動き出すような心から湧き上がる喜び。(90)
〈阪大 解答例〉
若者は汽車の窓外の景色を見ることで、囚人となった者には滅多に訪れない、自分がとらわれていることを完全に忘れているような、明るく朗らかな解放感を覚えている。(77)
〈参考 S台解答例〉
囚人として護送されている汽車の中から眼にした、五月の朝の光と風にあふれた瞬外の光景に心を奪われ、囚われの身であることを、ほんのひととき忘れ、明るく朗らかな快さを味わっている、あどけない若者の無心の「喜び」。(103)
〈参考 K塾解答例〉
青年は、罪人として幽閉され不自由を味わってきたので、新鮮な外気に触れ移り変わる車窓の景色を目の当たりにするという日常的な経験にさえ、心身が躍動しようとするのを抑えきれなほどの解放感を味わっている。(98)
〈参考 Yゼミ解答例〉
問二「読もうとひろげた新聞を持つ手のふるえのどうにもとどまらぬ感情の荒立ちをおぼえた」とあるが、なぜこのように「私」は感じたのか、その理由をくわしく説明しなさい。
以上を「田舎紳士の囚人への悪意/周囲に聞こえるように発言→囚人の表情の変化/明るく朗らかな表情が萎えしぼみ暗く変わる→「私」の囚人への同情/男への憎しみ(→傍線部)」という流れでまとめる。
〈GV解答例〉
田舎紳士が周囲に聞こえる声で囚人への悪意を口にしたことで、一時の僥倖で朗らかだった囚人の表情が一瞬に萎えしぼみ暗く変わったのを見てとり、囚人への同情から男への強い怒りが湧いたため。(90)
〈阪大 解答例〉
田舎紳士の心ない言葉が、囚人である若者の、先ほどまでの明るく朗らかな表情を、暗く陰鬱な、典型的な囚人の表情に変えてしまったことに、強い憤りを感じたから。(76)
〈参考 S台解答例〉
囚人の罪も知らないままに極悪な罪状をあげつらう無慈悲な男の聞こえもが詩の言葉に、囚人が動揺し、窓外の景色にひととき忘れていた自らの罪や境遇を直視し苦悶する様子を見て、男への強い憎悪から生じる切ない衝動を覚えたから。(107)
〈参考 K塾解答例〉
「田舎紳士」風の男が「どろぼう、火つけ、人ごろし‥‥」という言葉を口にした瞬間に、青年のかけがえのない朗らかな表情は奪われてしまい、青年に共感を寄せていた「私」は男に強い怒りを覚え平静さを失ったから。(100)
〈参考 Yゼミ解答例〉
問三「幾十の射るような視線に裸にされ」とあるが、このような表現にはどのような効果があると考えられるのか、説明しなさい。
以上を「表現(B)→文脈(CDE)→効果(A+)」の流れで、「囚人に車内の視線が一斉に向く様子を(C)/感覚に訴える比喩で示すことにより(B)/男の発言を契機に乗客全体に共有された憎悪に晒され(D)/逃げ場のない恐怖に苛まれる(E)/囚人の心理をリアルに想起させる効果(A+)」とまとめる(Cはバランスを良くするため、冒頭に置き直した)。
〈GV解答例〉
囚人に車内の視線が一斉に向く様子を感覚に訴える比喩で示すことにより、男の発言を契機に乗客全体に共有された憎悪に晒され、逃げ場のない恐怖に苛まれる囚人の心理をリアルに想起させる効果。(90)
〈阪大 解答例〉
視覚や触覚に訴える比喩を用いることで、若者が多くの乗客たちの好奇心や非難を含んだ鋭い視線にさらされて、身を守ったり隠れたりする場所もなく、痛みを覚えるほど強い圧迫感を受けていることを感じさせる効果がある。(102)
〈参考 S台解答例〉
車内の多くの人々が、通路を通る厳しい視線を一せいに注いだことで、囚人の中に既にあった心の痛みにさらに衝撃が加わった内面まであらわにされている様子を、「射るような」という直喩や「裸にされ」という隠喩による具体的なイメージで視覚化して表現する効果。(122)
〈参考 K塾解答例〉
移動する青年を見つめる人々の鋭い眼差しを、「視線」が青年を「裸に」すると比喩的に表現することで、乗客の集合的な視線が、青年の犯した罪を暴き責め立てようとするかのような、脅迫的なものであることを示す効果。(101)
〈参考 Yゼミ解答例〉
問四「厳粛なものに打たれて車内にはコトリとの音もしなかった」とあるが、「私」は多くの乗客たちの心理をどのように考えているのか、「厳粛なもの」という表現に留意して説明しなさい。
その人間普遍に根差した悲しみの深さを自分に重ねて囚人に見たとき、乗客たちはもう黙るしかなかろう。「コトリとの音もしなかった」そこに含まれる心理Dは、反省では「厳粛」に比べてまだ軽い。乗客たちは、囚人のすすり泣きと嗚咽に(C1)、えも言われぬ人間の深い悲哀を感じとり(C2)、そのことでかえって、先に冷酷に笑ったことへの罪悪感を覚えるに至った(D)。先述の「A→B」から「笑い声の中から聞こえてきたC1」として上の記述(→C2→D)につなげばよい。
〈GV解答例〉
男が捨てたバナナの皮で転んだ囚人を冷酷に笑い続けた中から聞こえてきた囚人のすすり泣きとその後に高まった嗚咽に、えも言われぬ人間の深い悲哀を感じとり、かえって罪悪感を覚えるに至った。(90)
〈阪大 解答例〉
乗客たちは、若者の嗚咽によって、集団に嘲弄されることで人としての尊厳を傷つけられた彼の内面をようやく考慮し始め、自分たちの軽率で残酷なふるまいについて反省していると考えている。(88)
〈参考 S台解答例〉
冷酷で残忍な男が意図的に捨てたバナナの皮で転んだ囚人を見た乗客たちは、特段の憎悪もないまま男に同調し、囚人を嘲笑したが、心身ともに深く傷ついた囚人の抑えきれない嗚咽に接して自分たちの振る舞いを厳しく直視し、真剣に受け止め、後ろめたく思っている。(122)
〈参考 K塾解答例〉
乗客は、悪戯の見事な成功を笑い合っていたが、青年が血を流してすすり泣く声を聴き、自分たちが見ているのが一人の人間であることに気づき、軽はずみの人を傷つける残忍さが自分たちに宿っていたことに思い至っている。(102)
〈参考 Yゼミ解答例〉