目次
- 〈本文理解〉
- 問一「生きているものがたてる物音を、私は聞きたかったのである」(傍線部(1))について、「私」が「生きているものがたてる物音」を「聞きたかった」のはなぜだと思われるか、説明しなさい。(4行)
- 問二「ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた」(傍線部(2))において、「無音の波」という表現にはどのような効果があるのか説明しなさい。(4行)
- 問三「八月九日に流さなかった涙を、私は人としてはじめて流したのかもしれない」(傍線部(3))について、なぜ「私」は「八月九日に流さなかった涙」を「人としてはじめて流したのかもしれない」と思ったのか、その理由を説明しなさい。(4行)
- 問四「私は感動して見入っている自分や、テーブルを囲む人びとが滑稽になり」(傍線部(4))について、なぜ「私」は「感動して見入っている自分や、テーブルを囲む人びとが滑稽にな」ったのか、その理由を説明しなさい。(4行)
〈本文理解〉
出典は林京子の自伝的小説「トリニティからトリニティへ」。前書きに「一九九九年秋、「私」は世界で初めて原子爆弾の爆発実験が行われたアメリカ合衆国ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」と呼ばれる地を訪れる」とある。
フェンスの内の広さは、野球場が六つも七つも入る、原っぱだった。…フェンスのなかに一時間とどまると、0.5ミリから1ミリレントゲンの放射線が、人体に加算されるのである。アメリカ人の大人が、年間に浴びる放射線が90ミリレントゲンとあるから、「トリニティ・サイト」で浴びる放射線は、決して低いとはいえない。
私たちは車から降りると、許可されたミネラルウォーターのボトルを持って、フェンスの内へ歩いていった。見学者は200人ばかりである。…見学者たちはうつむいて、無言で歩いていく。荒野のなかで動いているのは、「トリニティ・サイト」を歩く人間だけである。樹木がない荒野では、小鳥も巣が造れないのだろう。
私は、鳴りを静めた荒野に耳を澄ました。日にあたためられてはぜる草の実の、小さいが力強い音が聞きたかった。蟻地獄を滑り落ちていく虫がたてる、あがきの砂の音でもよかった。「生きているものがたてる物音を、私は聞きたかったのである」(傍線部(1))。
私は「グランド・ゼロ」へ向かって歩いていった。石の碑を取り巻く見学者の、輪の外まで歩いて、私は立ち止まった。顔を上げて四方をみた。一望千里、身の隠し処のない曠野である。地面より高いのは人間と、「トリニティ・サイト」を囲むフェンス、遠くの地平線に連なる赤い山肌。その中心点、私の目の前に立つ「グランド・ゼロ」の記念碑だけである。
54年前の7月、原子爆弾の閃光はこの一点から、曠野の四方へ走ったのである。…実験は豪雨のなかをついて、行われた。閃光は降りしきる雨を煮えたぎらせ、白く泡立ちながら荒野を走り、無防備に立つ山肌を焼き、空に舞い上がったのである。その後の静寂。攻撃の姿勢をとる間もなく沈黙を強いられた、荒野のものたち。
大地の底から、赤い山肌をさらした遠い山脈から、褐色の荒野から、「ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた」(傍線部(2))。どんなにか熱かっただろうーー。
「トリニティ・サイト」に立つこの時まで、私は、地上で最初に核の被害を受けたのは、私たち人間だと思っていた。そうではなかった。被害者の先輩が、ここにいた。泣くことも叫ぶこともできないで、ここにいた。私の目に涙があふれた。
係官の誘導に従ってフェンスのなかの細い道を歩き出したときから、あれほど自覚的だった被爆者意識が、私の脳裏から消えていた。「グランド・ゼロ」に向かう私は、被爆する以前の、14歳の少女に還っていたようだった。八月九日を体験する前の「時」に戻って、「グランド・ゼロ」という未知なる地点へ、歩き出していたのかもしれない。記念碑の前に立ったときに私は、正真正銘の被爆をした。
思い返してみると、八月九日に私は一滴の涙も流していない。手や足や、顔の形をとどめない人の群れに混ざって逃げながら、涙を流さなかった。真夏の道の蟻のように、浦上の焼け野原に一筋の列ができていた。治療を受けるために集まった、まだ歩ける人の列だった。…ガレキになった長崎の街は海まで見渡せて、地面より高いものは、ここにも人間しかいなかった。私は、光のなかに浮き出た光景を見ながら、ひたすら逃げた。
二日後に、疎開地から七里の道を歩いて母が私を探しにきた。…私が無事であるのを知ると、生きてたのね、といって母は胸に抱きしめて泣いた。それでも私は涙を流さなかった。「八月九日に流さなかった涙を、私は人として初めて流したのかもしれない」(傍線部(3))。物言わぬ大地に立ったとき私は、大地の痛みに震えた。今日まで生きてきた日々も、身心に刺さる非情な痛みだった。しかしそれは、九日から派生した表皮の痛みだったのかもしれない。私は、自分が被爆者であることを忘れていたが、沈黙を続ける大地のなかに、年月をかけて心の奥に沈めてきた逃げた日の光景を、みていたのだろう。決定的な日の私を。
(グランド・ゼロへ歩いていく老人の話)
月子と私は、爆発実験でできたクレーターをのぞいてから、出口に向かった。出口、すなわち入り口でもあるあたりに、人だかりがしている。入るときには気が付かなかったが、机のテーブルが出されて、テーブルの上に、爆発実験のときに使われた計測器の破片と、目覚まし時計、部品の鉄片が並べてある。女性係官が目覚まし時計に、ガイガー計数管(※放射線量を測定する機器)を当てた。針が大きくぶれて、計数管が鳴り出した。
雨の日の、実験に使われた計器類である。まだ放射能が残留している、といって、針をさして説明する。音が強くなり、弱くなって波を打つ。アメリカ人たちは首を振って、おお、と半世紀むかしの威力に感動し、月子も私も、凄いね、と首をふった。係官は、どうだ、という表情である。「私は感動して見入っている自分や、テーブルを囲む人々が滑稽になり」(傍線部(4))、自分の体に、ガイガー計数管を当ててみせたくなった。ガアガア鳴り出したら、みんな驚くだろうな、と。
地上に放射された放射能の残留年月は、物質にもよるが、半永久的といわれている。フランスに住む知人の話によると、キュリー夫人の研究室に入ると、今でも計数管が鳴り出すそうである。
問一「生きているものがたてる物音を、私は聞きたかったのである」(傍線部(1))について、「私」が「生きているものがたてる物音」を「聞きたかった」のはなぜだと思われるか、説明しなさい。(4行)
理由説明問題。「思われるか」という聞き方をしているのは、本文に理由となる心情が明記されていないからである。この場合、一つは「状況」を明確にする中で浮き彫りになる「心情」を捉えること。もう一つは「状況」以前の、かつ「状況」と響き合う「私」の「属性」を抽出することである(「属性」×「状況」→「心情」)。場面()となるのは世界初の原爆実験が行われたトリニティ・サイト。そこでは半世紀を経た現在でも放射能が残留し、砂漠の荒野の中で動いているのは見物者のみ、樹木もなく、小鳥も巣を造らない。そんな鳴りを静めた荒野に「私」は耳を澄ます。それが微かなものであっても「生きているものがたてる物音を、私は聞きたかった」のである。
そこに含まれる心情は?パートで明らかになるが、「私」はトリニティ・サイトの実験の後、長崎で被曝を経験している。ガレキになった長崎の街は海まで見渡せて「地面より高いものは、ここにも人間しかいなかった」。小説の叙述としては前後するが、パートおいても自らの被曝体験がベースになっていることは間違いなかろう。そう考えると「生きているものがたてる物音」を「聞きたかった」という願いを導く心情(理由)とは、「長崎で被曝した過去を持つ私(属性)×かつて原爆実験が行われ/半世紀を経た現在も放射能が残留し/砂漠の荒野で生き物が死滅したように感じられるトリニティ・サイト(状況)→そこでなお生命の営みが続くことを実感したい(心情)(→生き物がたてる音を聞きたかった)」というものである。
〈GV解答例〉
長崎で被爆した過去を持つ私は、かつて原爆実験が行われ、半世紀を経た現在も放射能が残留し、砂漠の荒野で生き物が死滅したように感じられるトリニティ・サイトでなお、生命の営みが続くことを実感したかったから。(100)
〈参考 阪大解答例〉
トリニティ・サイトの荒野で、音を立てて動くものが人間のみであるという原爆の威力を目の当たりにした「私」は、いまだに放射能が強く残留していることに衝撃を受けたが、それでも自然の生命力が放射能の影響を乗り越え、新たな生物の営みを生み出す可能性はないのか、という願いを持っていたから。(139)
〈参考 S台解答例〉
世界初の原爆実験が行われた地を訪れ、見学者以外に動くもののない静寂に接した「私」は、長崎で被爆した自分たちと同様の被害を受けた生物がここにもいたことに気付き、ありえたかもしれない彼らの生の証を何とか感じたかったから。(108)
〈参考 K塾解答例〉
広大な原爆実験の跡地は、未だに射撃物や放射能が留まり、樹木のない砂漠で動くものは見物者だけという死の荒野となっているため、せめて生きんがためにもがく生き物たちの微かな兆しを夢想せざるを得なくなっているから。(103)
〈参考 Yゼミ解答例〉
広大な原爆実験の跡地にはいまも放射能の影響が残り、樹木も動物も存在しない。自分たちの足音しか聞こえない静寂の荒野を歩いていると、そこには死が充満しているように感じられ、生命が力強く息づいていることを感じたくなったから。(109)
問二「ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた」(傍線部(2))において、「無音の波」という表現にはどのような効果があるのか説明しなさい。(4行)
表現意図説明問題。もちろん該当表現()を通して、筆者は何らかの表現効果を読者にもたらすことを意図している。よって広く「表現意図問題」と分類しておく。かつて原子爆弾の閃光に一瞬にして焼かれ、今も生命を感じさせない曠野、その大地の底から、遠い山脈から、褐色の荒野から「ひたひたと/〜波が寄せてきて/私は身を縮め」る。ここに含意させる効果は、今度は自然の方が「私」を、半世紀前の人間の愚行を責め立てる様子を、印象づけようとするものである。無論その波が「無音」であるのは、もの言わぬ自然の怨念を感じさせる。また音が波のバリエーションであることを考え合わせれば、「無音の/波」とは対義的(逆説的)な含みを持ち、よりここでの表現を印象深いものにするであろう。以上より「遠い地平線に連なる山脈に至るまでの荒野を一瞬に焼き尽くした人間の愚行に対し/時を経て今度はもの言わぬ自然が熱波を跳ね返し/人間を責め立てる様子を/「無音」と「波」という対義的な表現により/印象づける効果」となる。
〈GV解答例〉
遠い地平線に連なる山脈に至るまでの荒野を一瞬に焼き尽くした人間の愚行に対し、時を経て今度はもの言わぬ自然が熱波を跳ね返し人間を責め立てる様子を、「無音」と「波」という対義的な表現により印象づける効果。(100)
〈参考 阪大解答例〉
「私」がトリニティ・サイトで実感したのはその周囲の静寂だったが、その静寂を「無音の波」と表現することにより、かつて原爆が爆発した時に生じた衝撃波が大地に与えた痛みと、泣くことも避けることもできない大地の沈黙とを読者に想起させている。それと共に、「私」自身も被爆した時のことを思い出し精神的に追体験している様子を、比喩を用いて表現している。(169)
〈参考 S台解答例〉
五十余年も前に原子爆弾に焼かれた荒野で、「私」が、沈黙を強いられた自然の気配や被爆当時の彼らの苦しみを感じ取っておののいていることを、音がないことを表す「無音」と音の波動などを表す「波」という対義的な語句を結合させた比喩を用いて、印象深く表現する効果。(126)
〈参考 K塾解答例〉
轟音とともに広がった原子爆弾の衝撃を、抗うこともできず受け止めるしかなかった周りの自然が、最初の被爆者として強いられたその沈黙を今も保つほかないという事実が「私」に迫り、それに圧倒される心情を示す効果。(101)
〈参考 Yゼミ解答例〉
かつて原子爆弾がいま自分が立っている場所で爆発してあらゆるものを焼き尽くしたという恐怖と、最初の被害者となった、言葉を発することのできない大地や生きものたちの痛みが、五十余年の月日を経て「私」に押し寄せてくるイメージを強める効果。(115)
問三「八月九日に流さなかった涙を、私は人としてはじめて流したのかもしれない」(傍線部(3))について、なぜ「私」は「八月九日に流さなかった涙」を「人としてはじめて流したのかもしれない」と思ったのか、その理由を説明しなさい。(4行)
理由説明問題。直接的には「〜涙を/人としてはじめて流した」と思った理由(R)を聞いているが、その前提として「八月九日に流さなかった涙」の理由(P)についても指摘する必要がある。パートは「グランド・ゼロ」に向かう過程、そこで「私」は被曝する以前の少女に戻り、記念碑の前に立ったとき「正真正銘の被曝をした」とある。その後「思い返してみると」以下、被曝時の回想を挟み、傍線部、それに続き「もの言わぬ大地に立ったとき私は、大地の痛みに震えた。…沈黙を続ける大地のなかに、年月をかけて心の奥に沈めてきた逃げた日の光景をみていたのだろう。決定的な日の私を」と締められる。
まず「私」は被曝当日、異様な光景を前に人としての感情を失い、その場からひたすら逃げていた(P)。その私が今、グランド・ゼロに向かう過程で「正真正銘の被曝」を体験する。それは、被曝当日は意識に上らなかった、そしてその後も「心の奥に沈めてきた」もの(P+)、「大地の痛み」であり、パートで記述された自然を含む生命の消失の自覚であったのだ。その自覚を伴い被曝を「再体験」した時に、私は「人としてはじめて」涙を流したのである(R)。以上をまとめると「被曝当日、人としての感情を失い異様な状況からひたすら逃げ(P)/その後も体験を直視することを避けてきた私にとって(P+)/グランド・ゼロへの行程は自然を含む生命の消失という被曝の深意を再体験させるものとなったから(R)」となる。
〈GV解答例〉
被爆当日、人としての感情を失い異様な状況からひたすら逃げ、その後も体験を直視することを避けてきた私にとって、グランド・ゼロへの行程は自然を含む生命の消失という被爆の深意を再体験させるものとなったから。(100)
〈参考 阪大解答例〉
「私」は被爆した日にはひたすら逃げることしか出来なかったが、被爆した大地の痛みに気付くことによって、自分の苦しみが世界の苦しみとつながるものであることに思い至り、他者の苦しみに涙を流す心情が生じたと共に心の奥に抑え込んできた人としての自らの被爆体験をも受け入れていくようになったから。(142)
〈参考 S台解答例〉
自分たちより先に原爆の被害にさらされながらも、その苦しみを表す術を持たず沈黙し続ける大地の痛みを感じた「私」は、その姿に、当時泣くこともできなかった自身の姿を重ね、長年心の奥に押しこめてきた、人生に決定的な影響を与えた被爆した日の感情をようやく実感したから。(129)
〈参考 K塾解答例〉
被爆したのは人間だけではないと痛感したことで、被爆者としてのこわばった意識が解かれ、直面することを避け自らの内に抑え込んでいた被爆体験そのものにあらためて向き合い、それを受け止めることになったから。(99)
〈参考 Yゼミ解答例〉
八月九日には逃げることに必死で悲しみ嘆く余裕はなく、それ以降は被爆者の事実を心の奥に押し込めてきたが、原爆実験の跡地に立ち、最初の被害者になった大地の痛みを感じとったことで、はじめて自分の体験と向き合うことができたから。(110)
問四「私は感動して見入っている自分や、テーブルを囲む人びとが滑稽になり」(傍線部(4))について、なぜ「私」は「感動して見入っている自分や、テーブルを囲む人びとが滑稽にな」ったのか、その理由を説明しなさい。(4行)
理由説明問題。「テーブルを囲む人びと」に被曝者である「自分」を並べているところに含みはあるが、とりあえず「テーブルを囲む人びと」が「滑稽」になった理由を考察しよう。場面は核実験当時の遺物に放射線量を計測する機器を当てると、針が触れ音が響くところである。それを見て周囲の見物人間は半世紀も昔の原子爆弾の威力に感動し、月子も私も、凄いね、と首をふる場面である(傍線部はこの直後)。では、その行為のどこに滑稽さがあるのか。根拠となるのは、傍線部直後「自分の体に、ガイガー計数管を当ててみせたくなった。ガアガア鳴り出したら、みんな驚くだろうな」という記述である。つまり、原爆の威力が半世紀経っても計器の針を動かすことは、実は今も被曝者の生命を脅かす過酷な現実と、そしてもちろんかつて原爆が自然と人間のかけがえのない生命を奪った事実と地続きである。そのことに思いを致すと「テーブルを囲む人々のそれへの素朴な驚嘆は「私」から見て滑稽でしかないのである。
それでは「自分」への滑稽さの理由は?もちろん被曝者としての私は、他の見物人とは明確に立場が分かれる。しかし、それは当然だとして「私」は自分を安易に他の見物人と分けて正当化しないのである。「私」も人間の一員であり、その人間の愚行が自らに向かうだけでなく大自然の生命をも抹消した。「私は、地上で最初に核の被害を受けたのは、私たち人間だと思っていた。そうではなかった。被爆者の先輩がここにいた。泣くことも叫ぶこともできないで、ここにいた」()。これがこの小説の理解。ならば、本問でも「自分」と「テーブルを囲む人びと」を分けて答えるべきではない。「自分」は原爆に対する被害者でありながら、同時に加害の側にもある。その気づきが「トリニティ・サイト」により与えられたものであり、その責任を引き受けるところに、「私」の、すなわち筆者の矜恃を見ることができるのである。
〈GV解答例〉
原子爆弾の威力が半世紀経っても計器を動かすことへの素朴な驚嘆は、かつて原爆が自然と人間のかけがえのない生命を奪い、現在においても被爆者の生命を脅かし続けているという過酷な現実と地続きのものであるから。(100)
〈参考 阪大解答例〉
半世紀も前の放射能が残存していることを得意げに示す係官と原爆の威力に感動している周囲の人々を見て、彼らは放射能と共に生きる「私」のような被爆した当事者や大地の存在には思いが至らないのだろうと気づき、また同時に、日常的であるがために自らの身体に放射能が残存していること自体を「私」自身も忘れていたことに思い至ったから。(158)
〈参考 S台解答例〉
被爆の影響で身心に非常な痛みを感じ続けてきたにもかかわらず、半世紀たっても放射能が残留する原爆の威力を目の当たりにして他人事のように驚嘆する「私」自身や、原爆が与えた被爆を慮ることもなく無邪気に感動を示すアメリカ人たちを対象化し、ばかばかしく思ったから。(127)
〈参考 K塾解答例〉
半世紀も前の遺物にも高い放射能を残留させる原子爆弾の力に思わず驚嘆する人間の姿は、生き残った者にも半永久的にその放射能の影響を及ぼす原爆の惨禍を、あまりに容易に忘れ去る人間の愚かさを象徴していたから。(100)
〈参考 Yゼミ解答例〉
いまだに放射能が残留していることに感動して驚いている自分や見学者の姿に、たかだか半世紀で原爆のもたらした悲惨な現実を過去の出来事にしてしまい、半永久的に続く放射能の威力を日常的な感覚でしか感じとれない人間の愚かさを感じたから。(113)