〈本文理解〉

出典は多和田葉子の小説「ゴットハルト鉄道」

 

 

問一「貫通という言葉には好感が持てない」(傍線部(1))について、「わたし」がそのように考えるのはなぜか、本文に即して説明しなさい。(四行)

〈GV解答例〉
「わたし」は他人の好みとは無関係に聖人ゴットハルトのお腹に重ね山の内部の暗闇を楽しみたいのに、「貫通」はその楽しみを無にするのみならず、その先の光を目指すという知識人特有の趣向が感じられ鼻につくから。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
聖ゴットハルトと呼ばれる山の中を通り抜けるゴットハルト鉄道への乗車を楽しみにし、山やトンネルの中に潜り込んで暮らしたいとまで思う「わたし」にとって、その願望に通じる「袋小路」や「洞穴」という言葉は好ましいが、小説の題名にある、その山をトンネルが貫き通すという意味の言葉は、心情に沿うものではないから。(150).
 
〈参考 K塾解答例〉
ヨーロッパの知識人や日本の観光客の嗜好に背き、暗く長い隧道に留まり暮らしてみたいとさえ思う感性をもつ「わたし」には、単なる障壁と捉えられた山塊を人力でもって穿き貫くことは好ましいと思われないから。(98)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
神と男性のイメージをもつ山の内部に入り、その暗闇の中にとどまりたいと願う「わたし」にとって「貫通」という言葉は、イタリアへの憧れのあまりゴットハルト山を障害物とみなし、疎ましく思う北ドイツの知識階級に属する人々の感情を想起させたから。(117)
 
〈参考 T進解答例〉
「貫通」という言葉は、ゴットハルトを突き抜けて、ヨーロッパの知識人が憧れる南イタリアに向かう、あるいは日本人観光客が好む景色のよいユングフラウヨッホに向かうという含意を持つが、ゴットハルトのお腹の中の暗闇で暮らしてみたいと思っている「わたし」には、袋小路や洞窟のほうがずっと美しいと感じられるから。(149)
 

問二「富士山だって同じことだ」(傍線部(2))とはどういうことか。(四行)

〈GV解答例〉
中央ヨーロッパの地図の中央に堂々と構えるゴットハルト同様、絵葉書の写真の中央に写る富士山も、国が山の腹から生まれ、しかもそれが男であるという古今東西で多くの人に信じられた心象を反映しているということ。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
中心に聖ゴットハルト山が置かれ、その山からスイスが生まれたように描かれた地図を見ると、スイス人が、その山に男性の名を与えられながらも国を生み出した母親だと信じており、その確信を快く思っていると分かる。同様に、富士山も日本の絵葉書の中央に置かれ、日本という国を生み出したかのように錯覚されるということ。(150)
 
〈参考 K塾解答例〉
現実を無視して国家の起源を山岳に求め、しかも自然に逆らって男性的なものに国を生み出す力を認めようとする姿勢には、日本の人々が当然のように富士山に国の源を求めようとする姿勢と共通するものがあるということ。(101)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
スイス人も日本人も山を国家を象徴するものであるとみなし、山には国を生み出すような女性的性質があると純粋に信じながらもその一方で、無骨で力強い男性的性質を読みとる文化があるということ。(91)
 
〈参考 T進解答例〉
山が母親であり、しかも母親と言ってもそれが男であると確信させる傾向があるもので、古本屋で買った地図の真ん中にはゴットハルトが寝そべっていて、そのお腹の辺りの山からスイスが生まれたのではと思わせたが、日本の絵葉書の中央に写っている富士山にも、日本という国がその中から生まれたと思わせる雰囲気があること。(150)
 
 

問三「スイス人たちはきっと国旗を眺める気持ちが全然違うのだ」(傍線部(3))について、「わたし」がそのように考えるのはなぜか、本文に即して説明しなさい。(四行)

〈GV解答例〉
日の丸の過剰な掲揚をかつての戦争加害の象徴と見なし嫌悪感を感じてしまう日本生まれの「わたし」からすると、自国列車の先頭部を一様に金属製の国旗の紋章で飾るスイス人に自らと同様の疾しさを感取できないから。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
スイスの列車の正面部分にスイス国旗が張り付けられているのを見た「わたし」は、同様の状況で日本国旗が用いられれば、戦争が国民にもたらした不幸を連想し、嫌な気持ちになるだろうと想像したが、スイス人は、国旗を自然の脅威から国民を守る魔除けのように頼もしく思っているのだろうと感じたから。(140)
 
〈参考 K塾解答例〉
列車の先頭に堂々と掲げ、それに邪を払う力があるかのように国旗に自負心をもつスイス人の感覚は、国旗を見れば国家が人々に強いた多大な苦難を思い暗い気分に落ち込まざるを得ない「わたし」の感覚とは随分違うから。(101)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
国が違えば文化も歴史も異なるように、国旗を見ると軍国主義を連想する日本人に対して、スイス人は国旗に土砂崩れや洪水といった災害の発生を防ぐための、魔除けとしての役割をもたせているのではないかと考えたから。(101)
 
〈参考 T進解答例〉
日本の長距離列車の顔面に全部日の丸が付いていたら、戦時の集団疎開のことを思わせて気が滅入るだろうが、チューリヒ中央駅の列車の顔には、金属製の赤字に白い十字架の国旗が張り付けてあり、スイスでは、帆船の舳先の女の胸像と同様、山の魔物のから鉄道を守る魔除けのように思われているのではないかと感じたから。(148)
 
 

問四「ゴットハルトは、わたしという粘膜に炎症をおこさせた」(傍線部(ア))について、「わたしという粘膜」という表現にはどのような効果があるのか、説明しなさい。(四行)

〈GV解答例〉
「粘膜」という隠喩で筆者がゴットハルト鉄道という語の喚起する心象に粘り強く捉われてことを示し、それを「わたしという」に直続させることで筆者の当面の関心が全てそこに集中しているような印象を付与している。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
乗車を誘われたゴットハルト鉄道という言葉から、乗車時の具体的な情景をイメージし、期待に胸をおどらせている「わたし」を、病原菌などがとりつく「粘膜」にたとえた隠喩は、「炎症」という縁語的な語を伴うことで、「わたし」の旅への期待が熱く高まっていることを、身体感覚的にイメージさせる効果をもつ。(144)
 
〈参考 K塾解答例〉
異物に接触し反応する生物の皮膜を指す言葉を用いて、自らを成り立たせたものとは異なるものと接する機会の多い異国において、「わたし」が感性や価値観の異なりに敏感になり、感応せざるをえないでいる様子を示している。(103)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
「わたし」を「粘膜」という身体的イメージでたとえることで、高揚感や違和感といった微妙な感覚でさえも炎症となるような、敏感かつ繊細で内面のイメージ豊かな「わたし」の感性を表す効果がある。(92)
 
〈参考 T進解答例〉
ゴットハルト鉄道に乗ることを依頼され、聖ゴットハルト山を通り抜けて走ることになった「わたし」が、期待のせいで錆びた鉄の赤み、四月の煙った空気や線路の摩擦音などを想起して、明るいイタリアを好むヨーロッパ知識人や清純な光景を望む日本人観光客とも違う、暗闇を好む個性的な感覚をもっているのを印象づける効果。(150)