〈本文理解〉

出典は河本英夫『経験をリセットする 理論哲学から行為哲学へ』

①段落。(2011年3月11日の東日本大震災の実体験)。こうした何世代かに一度の事象に直面したとき、誰にとっても過去の経験は役には立たない。またそこでの思いは、「持って行き場がない」(傍線(ア))。
 
②段落。そこからずいぶんと時間は経過した。これほどの大規模な緊急事態に対して、哲学はいったい何ができるのか。…どのようにささやかにすぎることであっても確実にこれだという手続きや手順が見つかれば、思いは持って行き場を見つけたことになる。もちろん一般的になすべきことは無数にある。だがそれが惰性になれば、確実にたんなる自己満足に入り込んでしまう。こんな思いを抱えながら、なお試行錯誤を繰り返すよりない。たとえ持って行き場がなくても、なお前に進むことはできるに違いない。
 
③段落。かつて吟遊詩人と呼ばれた人たちがいる。一般には、諸国を遍歴しながら歴史的な事件や史実についての物語を編み出し、歌い伝えるものたちである。…
 
④段落。おそらくそうした仕事のなかにも、思い余ったまま言葉にならない事態に直面したり、身の丈をはるかに超え出た自然現象に立ち尽くすよりない場面でも、その場にいて、なにかしら言葉を紡ぎ出し、思いにかたちをあたえてくれる人たちもいたと思われる。それはたとえ言葉を失ってもなおそこにいるだけで、無言のまま何かを語る人たちである。あるいはその場の声にならない声を感じ取り、その場になにかのきっかけをあたえる者たちである。さらには予想外の言葉の断片が、新たな脈絡を見出すようにその場の雰囲気に輪郭をあたえ、リセットしていく人たちである。…
 
⑤段落。山上憶良という万葉の歌人がいる。国家や天皇家の行く末がいままさに盛んであることを高らかに歌い上げる宮廷歌人とは異なり、「貧窮と寒さに耐えることを歌ったような長詩や短歌」(傍線(イ))を残している。ささやかな日常に目を向け、言葉にしても誰に届くわけでもないような情感をかたちにしている。官僚であった本人自身が貧窮であったとは考えにくいので、立ち会ったその場の雰囲気や、聞かされた情景を詠んだものだと思われる。
 
⑥段落。貧窮を言葉にすることは、誰かに向かって改善を求めて自分の貧しさを訴えようとしているのではない。少なくとも憶良の歌にはそうした意向は出ていない。ましてや自分の困窮を嘆いているのでもない。だが持って行き場のない思いはある。その思いに区切りをあたえるような歌になっている。…
 
⑦段落。吟遊詩人に匹敵するだけの言葉を、哲学はもつことができるだろうか。それをさしあたり「吟遊哲学」と呼んでおく。(エンペドクレス、エラスムス、ルソーの事例)。各人の人生上の行きがかりは、それぞれに固有の形をとるが、いずれもどこかに「放浪する言葉」が含まれている。…彼らには放浪する言葉だけではなく、「哲学を捨てていく言葉」が含まれている。吟遊する哲学とは、ある種の「捨てる覚悟」のことかとも思える。時間と労力をかけて獲得し、修得したものを、みずから捨てるのである。この捨てるところが、新たな経験の出現の場所でもある。(ルソー『孤独な散歩者の夢想』からの引用)。
 
⑧段落。(ルソーの特殊な事情。波瀾万丈の後半生について)。
 
⑨段落。晩年の『告白』や『孤独な散歩者の夢想』は、弁明を籠めた自伝の体裁をとっているが、そのなかにも「知を捨てていくこと」の経験ののびやかさや、小さな心の起伏の弾力のようなものが出現している。…
 
⑩段落。「捨てることのなかで初めて見えてくる」(傍線(ウ))ものもある。かつてアーティストのマルセル・デュシャンが、自転車をひっくり返し、いくつかの部品を取り去って、捨てながらおのずと止まる場面を探しだし、それをそのまま作品としたことがあった。自転車は、小さな改良はあるが、機能的には完成の回路に入った技術であり、道具である。多くの選択肢は残されてはいない。制作のプロセスは、ほとんどの場合、完成品に近づくように組み立てられる。そこでそれを逆回しにするようにして、手前に戻ってみる。捨てていくのである。そうすると捨てることのなかでおのずと止まる局面がある。そこでは別様に進むことのできる道が浮かび上がることもあり、またそのままの状態を維持しても、それはそれとして成立しているような場面もある。多くの哲学の学説は、一貫した整合性を求めて、小さな完成品に行きついている。そんなとき捨てる勇気をもち、捨てる覚悟で物事に挑んでみるのである。
 
⑪段落。人はひとたび獲得したものを無条件で捨てていくことは容易ではない。…
 
⑫段落。次の進み方が見つかれば、すでに身に付いた知識や構想は、おのずと捨てられていく。だが、観点や視点を切り替えるようにして、みずからをリセットすることはできない。観点の切り替えにさいして支点のように残っている、当の切り替え操作を行なっている基盤そのものには、何の変化も及んでいないからである。…
 
⑬段落。しかし次へと進む道筋がたとえ見えなくても、既存の知識や構想を捨てていくことはできる。それはある意味で言葉の出現する場所へと戻っていくことでもある。言葉の出現する場所とは、経験がそれとしてみずからを組織化する場所でもある。経験の新たな組織化こそ、吟遊哲学の課題の一つなのであろう。そのためには「吟遊する哲学は、ある種の詩人でもなければならない」(傍線(エ))。…言葉の出現する場所に佇み、言葉とともに経験が動きを開始し、経験の動きが言葉とともにかたちをとる行為は、いずれにしろ詩的である。
 
 

問一(漢字の書き取り)

(1)陥没 (2)輪郭 (3)冒頭 (4)培 (5)渦中

 

問二「持って行き場がない」(傍線の箇所(ア))とはどのようなことか。本文の内容に即して30字以内で説明せよ。

内容説明問題。①段落冒頭の東日本大震災における自身の体験談を承け、「こうした何世代かに一度の事象に直面したとき」(A)、過去の経験は役にたたない、またそこでの思いは「持って行き場がない」と述べる箇所である。「持って行き場がない」自体を直接換言している要素は見当たらないが、それは「行き場のない思い/気持ち/感情」などと慣用的に使われること、本文で他に3箇所使われていることが手がかりになる。
 
まず、慣用(語義)的には、あふれる(負の)感情をぶつける先がない、そうしたやりきれなさを意味する。次に本文では、②段落「手続きや手順が見つかれば/思いは持って行き場を見つけたことになる」、同②段落「たとえ持って行き場がなくても/なお前に進むことができるに違いない」、⑥段落「持って行き場のない思いはある/(山上憶良の歌は)その思いに区切りをあたえるような歌になっている」とある。こう並べてみると、傍線部も含めて本文での用例はどれも語義の延長上に当てはまるといえる。つまり、Aのような事態は人の心を捉えてしまうが、それを解消する術(手続きや手順)がない(B)、のである。
そして、そこに憶良のような「吟遊詩人」が思いを「持って行く」手続きや手順としての歌=言葉を与えるのである。逆にBは、その言葉が見つからない状態なのである(C)。④段落冒頭「思い余ったまま言葉にならない事態に直面したり/身の丈をはるかに超え出た自然現象に立ち尽くすよりない場面でも/なにかしらの言葉を紡ぎ出し/思いにかたちをあたえてくれる人たちもいた」もそのことを裏付ける。以上より「未曾有の悲劇は(A)/人の心を捉え(B)/言葉にして(C)/解消する術がない(B)」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
未曾有の悲劇は人の心を捉え、言葉にして解消する術がないこと。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
経験のない事態への思いは言葉にならず意味づけができないこと。(30)
 
〈参考 K塾解答例〉
その場での感情が言葉にしたりできず課題として残っていること。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
既存の知識や経験では処理できず、持て余してしまうこと。(27)
 
〈参考 T進解答例〉
なすすべがなく、やるせない思いをするばかりだということ。(28)
 
 

問三「貧窮と寒さに耐えることを歌ったような長詩や短歌」(傍線の箇所(イ))とあるが、なぜそのような詩や歌が作られたと筆者はとらえているか。本文の内容に即して45字以内で説明せよ。

理由説明問題。傍線部の長詩や短歌の作者は山上憶良である。憶良は「吟遊詩人」の例として挙げられている。その吟遊詩人を筆者は④段落冒頭で「思い余ったまま言葉にならない事態に直面したり/身の丈をはるかに超え出た自然現象に立ち尽くすよりない場面でも/なにかしら言葉を紡ぎ出し/思いにかたちをあたえてくれる人たち」(A)と位置付けている。これは憶良について述べた傍線部直後の「ささやかな日常に目を向け/言葉にしても誰にも届くわけでもないような情感をかたちにしている」とも対応している。ここが一つ目の根拠となる。
 
もう一つは、特に憶良について述べた(そして吟遊詩人一般にも敷衍できる)⑥段落「持って行き場のない思いはある/その思いに区切りをあたえるような歌になっている」(B)の記述。以上ABが吟遊詩人としての憶良が果たした役割と筆者が考えるところで、そのような詩や短歌が作られたと筆者がとらえている理由となる。まとめると「身の丈に余る事態や事象に直面した人々の情感に形を与え(A)/それを契機に人々の思いを進めるため(B)」となる。
 
 
〈GV解答例〉
身の丈に余る事態や事象に直面した人々の情感に形を与え、それを契機に人々の思いを進めるため。(45)
 
〈参考 S台解答例〉
貧窮に苦しむ人達のやり場のない思いを言葉にして、かたちを与えることで把握しようとしたため。(45)
 
〈参考 K塾解答例〉
言葉にしがたい情感を歌にすることで、日常の持って行き場のない思いに区切りをあたえるため。(44)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
人々のやりきれない思いをくみとり言葉として形にすることで、区切りを与えることができるから。(45)
 
〈参考 T進解答例〉
庶民の日常にあるやり場のない苦しさを形にし、何らかのきっかけを与えようとしたと捉えている。(45)
 
 

問四「捨てることのなかで初めて見えてくる」(傍線の箇所(ウ))とはどのようなことを指すか。本文の内容に即して50字以内で説明せよ。

内容説明問題。広く見た場合には、「吟遊詩人」の役割を「吟遊哲学」に当てはめ考察するパート(⑦〜⑬段落)に傍線部はある。⑦段落で「吟遊する哲学とは、ある種の「捨てる覚悟」のことかとも思える/この捨てるところが、新たな経験の出現の場所でもある」(A)と述べ、最初にルソーを引用するのだが、傍線部はその説明を終えた次の⑩段落冒頭にあり、一文で把握すると「捨てることのなかで初めて見えてくる(傍線部)/ものもある」となる。この並列の「も」の働きに着目するならば、解答の根拠は、当面⑩段落以下、特に傍線部後のマルセル・デュシャンの例を承けた⑩段落後半の記述に絞ってよい(⑪段落以下はルソーとデュシャンの事例を承けさらなる一般化をする部分)。
 
そこで、デュシャンは自転車をひっくり返し、いくつかの部品を取り去って(捨てて)、そのまま作品とした。それで何が見えたのか。並列の「また」に着目して、その前後「別様に進むことのできる道が浮かび上がることもあり(B)/また/そのままの状態を維持しても…それとして成立している場面もある(C)」を押さえればよい。そして、これは哲学の知にも当てはまるのである(→⑦)。解答は、傍線部の一般性の水準に留意して、「例えるもの」としての自転車ではなく、「例えられるもの」としての哲学の知の水準でまとめる。「既存の知を捨てることで/以前と別様の進路や(B)/その知抜きで成立する状態(C)/のような新たな経験が出現のすること(A)」となる。
 
 
〈GV解答例〉
既存の知を捨てることで、以前と別様の進路やその知抜きで成立する状態のような新たな経験が出現すること。(50)
 
〈参考 S台解答例〉
身についた知識や構想をいったん捨て去ることで別様のあり方や新たな経験の可能性が見えてくるということ。(50)
 
〈参考 K塾解答例〉
すでに獲得された完成品を捨て手前に戻ってみることで、他のかたちでの成立や展開の可能性が得られること。(50)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
既存の知識や構想を捨てる覚悟で問い直すことで、ものごとの新たな可能性が見いだされるということ。(47)
 
〈参考 T進解答例〉
獲得したと思ったものを一つずつ捨てていく中で、意識していなかったことに気づけることがあるということ。(50)
 
 

問五「吟遊する哲学は、ある種の詩人でもなければならない」(傍線の箇所(エ))とあるが、どういうことか。本文全体の内容を踏まえて90字以内で説明せよ。

内容説明問題(本文主旨)。「吟遊する哲学(吟遊哲学)」と「吟遊詩人」の類比を問うている。直接的には傍線部は「そのため」に導かれるから、「しかし」で始まる段落冒頭から傍線部直前までの4文の内容「既存の知識や構想を捨てることは言葉の出現する場所に戻ることであり/その場所で経験は新たに組織化される」(A)が解答根拠になる。ただ、本問は設問要求からも、そして本文構成の上で傍線部がその結部にあることからも、構成を踏まえ主旨を正確に捉えて解答しなければならない。
 
大きく見た場合に、本文の結部にある傍線部は⑦段落からのパートを承けていた(問四)。その⑦段落は、冒頭で「吟遊詩人に匹敵するだけの言葉を、哲学はもつことができるだろうか」という問いかけから始まり、この問いはもちろん結部と対応してる。その問いに続いて「吟遊哲学」の実践者(エンペドクレス、エラスムス、ルソー)には「どこかに『放浪する言葉』が含まれている」とし、「彼らには放浪する言葉だけでなく、『哲学を捨てていく言葉』が含まれている」とする点に着目したい。つまり、「吟遊哲学」に望まれる「吟遊詩人」との共通性は2点あり、一つは「放浪する言葉」をもつこと、もう一つは「哲学を捨てていく言葉」をもつことである。そのうち後者については、先にまとめたAにその意義がある。
では「放浪する言葉」については?これについては「吟遊詩人」(山上憶良など)について述べた③〜⑥段落のパートに根拠がある。つまり、問三でまとめたように吟遊詩人には「日常の形にならない情感に形を与え/人々が思いを進めるのを助ける」(B)役割があったのだった。以上より、吟遊する哲学は、Bの役割に加え、Aの役割を果たすために吟遊詩人でなければならない。「吟遊する哲学は/日常の形にならない情感に言葉を与えるとともに(B)/既存の知識を捨てて言葉の出現する場所に戻ることで、経験を新たに組織化し(A)/人々が思いを進めるのを助ける必要がある(B)」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
吟遊する哲学は、日常の形にならない情感に言葉を与えるとともに、既存の知識を捨てて言葉の出現する場に戻ることで、経験を新たに組織化し人々が思いを進めるのを助ける必要があるということ。(90)
 
〈参考 S台解答例〉
哲学は、世界や人間について一貫した整合的な説明図式を追求するものではなく、既存の知識や構想を自ら捨てて、言葉とともに経験を新たなかたちで組織化する行為としてあるべきだということ。(89)
 
〈参考 K塾解答例〉
言葉にならない事象を前に、吟遊哲学には、既存の知識や構想を捨てて言葉の出現する場所に立ち戻り、言葉とともに経験の動きにかたちをあたえ組織化する詩的な行為も求められるということ。(88)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
人智を超える事象に接してなお人々の思いに形を与える言葉を紡ぐために、吟遊する哲学には既存の知識を捨てさり、経験と言葉がともに現れる現場に立ち戻るという詩的な営みが必要だということ。(90)
 
〈参考 T進解答例〉
時間と労力をかけて獲得してきたものを、覚悟をもって捨てることは、新たな経験を見出すことにつながっていくが、その経験は言葉として表現されることで組織化されでいく必要があるということ。(90)