〈本文理解〉

出典は二宮正之『小林秀雄のこと』。
 
①段落。1959年に発表された「良心」は、嘘発見機を主題にした文章だが、そのなかにこんなくだりがある。(以下、引用文)。
 
②段落。一読した限りでは、簡単明瞭な文明批評の文章のようだが、よく見ると、豊かな内容の含まれていることがわかる。まず、「合理」という言葉であるが、これは僅か二行の間に肯定的な意味と否定の色合いとの両方に用いられている。…小林は、長い作家生活の当初から、言葉の両義性・多義性を意識しており、そこに言葉の魔術を見ていた。そこにこそ、言葉の命の源があるというのであった。「合理」という分かりきったような言葉も、小林においては、「標本になった蝶」(傍線部(ア))のように固定してはいないのである。従って、この文章のなかで積極的な意味で用いられているといっても、そのような明確な定義がくだされているわけではない。そもそも、切り離した単語に定義を与えることは、小林の思考法とは異質なのである。…積極的な意味付けとして、小林は「物を考えるとは、物を摑んだら離さぬといふ事だ」とも強調する。しかし、ものを摑むとか、画家がモデルを摑むとは、なにを意味するのか。必ずしも自明のこととは言いがたいので、もうすこし、丁寧にみておこう。
 
③段落。その意味で、同じ「考へるヒント」の「役者」という文に面白い一節がある。合理的という言葉が、非常に卑近な話題のもとに、次のように使用されているのだ。芸術座で上映されていた菊田一夫の大衆劇「がめつい奴」を観た小林秀雄は、主役の三益愛子だけが人気をさらう理由を解いて次のように述べる。(以下、引用文)。
 
④段落。ここでは、知識人の思考方法という水位ではなく、いわゆる市井人の物欲に突き動かされた生き方がとりあげられており、「合理的に考えること」ではなく「合理的に生きること」が論じられているのだが、小林の場合、「生きる」と「考える」は人間の行為として基本的に一体をなしているのだから、同じ問題を扱っていると言ってよい。画家がモデルを摑んだら得心のいくまで離さないと言われてすぐには合点のいかない者も、「欲の皮のつっぱった人間が金儲けを己に誓う」(傍線部(イ))話ならば、立ちどころにわかる。しかも、小林秀雄は、金銭欲にとらわれその充足の意志と欲望とをもって生きる老婆が、たった一人「人間らしい意識を持つ」と高く評価するのである。
 
⑤段落。では、「人間らしい意識」とは何を意味するのか。この問いに対する答えの手掛かりは、文中にある「偶然」という言葉が示唆している。人間らしい意識をもっているおかげで、この人物だけは「偶然」のとりこにならぬ、という。他の登場人物は「偶然」の出来事に翻弄されているというのに、この金貸し婆さんだけがそれを免れているのはなぜか。小林はその理由を「誓い」という言葉であらわす。要するに、人間が自分としての目標を定めてそれに忠実であろうとするということである。とすると、守銭奴の誓いも、根本的には、人間の意志の関与する余地のない「自然」と人間が作り出さなければ存在しない「歴史」との関係にゆきつく。つまり、自然の非常な合理性にたいする人間の関わり方、あえて言うなら、「自然の合理」に対する人間の態度決定の問題になる。…自然の因果律に従って生起する事象を支配する合理性は、人間には、どうにもとりつきようのないものであるが、人間は、単に「自然」のうちにあるのではなく、言葉によって「歴史」をつくり「歴史」の中に生きていく。そして人間は人間としての存在理由をもつことができる。それが、人間らしい意識をもつということであり、その存在理由を全うする方向にはたらく思考あるいは生き方を、ここで小林は「合理的」といっているのではないだろうか。
 
⑥段落。もう一歩話をすすめるなら、こと人間的観点に立つかぎり、いわゆる科学的合理性に基づいてどこまでも見通し可能の因果関係を適用することは、人間にとって合理どころか、逆に「不合理」なのだ。このことを、小林秀雄は、これも「考へるヒント」中の「常識」という一文で、平たく見事に表現している。例えば、ことの成り行きを先の先まで御存知の神様同士が、つまり客観的条件内における因果関係を完全に読み取る能力を持った者同士が、「人間の一種の無知を条件としてゐる」将棋という遊戯を指すことは、人間の理に合わない。「先手必勝の将棋には何の意味もない」(傍線部(ウ))のである。…
 
⑦段落。人間と自然の出会うところは、同時に「必然」であり「偶然」である。自然の因果律の節目節目は、単に自然現象としてみれば「必然」である。この必然を人間との出会いと言う観点からみて人間はそれを意識の側から偶然と呼びかえることもできるわけだが、それはそのまま小林秀雄の「人間らしい意識」の働きにはならない。
 
⑧段落。「がめつい奴」についての感想文は、だれにでもよくわかる金銭欲という卑近の例をもちいて、じつに大事なことを説いているのだ。偶然が偶然にとどまっているならば、そこには驚きはあっても、それを劇の要因に高めるエネルギーはない。偶然のとりこになっている人々は、わずかに、自然の一要素としての自分を意識しているに過ぎない。…これが「人間らしい意識」になるためには、偶然に驚くのではなく、逆に、これこそは自分に起こるべくして起こった必然であるとして受け止め、そこに自分の「運命」を読み取り、それを全うする誓いをたてる必要がある。つまり、それを道徳の水位でひきうける必要がある。そのときに、ひとは「劇」の主人公になる。ある使命を引き受けた人間が、その使命達成との関連において、偶然を、「事故」としてではなく「事件」として、「出来事」として、認識する。そこにこそ、真の冒険としての「人生」の可能性があらわれる。「小林秀雄の特徴は」(傍線部(エ))、そのような生き方を、とくべつな英雄とか偉人とかの占有とせず、ひたすら金を溜めるといういわば下賎な欲望の追求にまで認め、しかも、「がめつい奴」の場合のように、それこそを積極的に人間として「合理的に生きること」とみなすところにある。金貸しの老婆も、誓いの強度によっては、ギリシャ悲劇の主人公と同等の生の質に達しうる。これは決して大袈裟なはなしではないのである。
 
 

〈設問解説〉問一 (漢字の書き取り)

(1)光景 (2)上演 (3)充足 (4)翻弄 (5)偉人

 

問二「標本になった蝶」(傍線部(ア))とはどのようなことをたとえているか。本文の内容に即して25字以内で説明せよ。

 
内容説明問題。比喩の表す内容を説明する問題は、予備校式の解答法の限界を示す領域である。というのも比喩がどのような事柄を例えているかなど、すべて明示されるわけがないからである。比喩と事柄の対応は、文章がどのレベルの読者を想定しているかにもよるが、原則として同じ言語圏・文化圏にある筆者と読者一般との間で共有されていることが前提となる。本問のように比喩の表すところの内容を聞いている場合、本文の文脈を参考にしながら、明示されていない、つまり自明とされている内容を、自力で言語化する必要があるのである。
そこで、本文に明示されている部分からは「言葉の両義性・多義性/そこにこそ、言葉の命の源がある/(標本になった蝶のように)固定」という箇所を参照する。それに加えて「標本となった/蝶」という比喩自体のもつニュアンスを抽出すると、「命を奪い/固定化して/示す」ということになる。以上を合わせて「多義性を/命脈とする/言葉の意味を/固定化して/表すこと」と解答できる。
 
 
〈GV解答例〉
多義性を命脈とする言葉の意味を固定化して表すこと。(25)
 
〈参考 S台解答例〉
言葉の意味が明確に定義され、多義性が失われること。(25)
 
〈参考 K塾解答例〉
文脈から切断された言葉が多義性という命を失うこと。(25)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
言葉が文脈に依らずに定義づけられ、固定化した状態。(25)
 
〈参考 T進解答例〉
言葉の意味が文脈から離れ一意に定義されていること。(25)
 
 

問三「欲の皮のつっぱった人間が金儲けを己れに誓う」(傍線部(イ))とはどのようなことか。本文の内容に即して30字以内で説明せよ。

 
内容説明問題。ポイントは二つ。まずは「欲の皮のつっぱった/人間」。「欲の皮のつっぱった」は簡潔に「強欲な」と言い換えれば足りるが、ここで「人間」というのは「知識人/画家」タイプと区別された「市井人」ということである。よって、傍線部の主語を「強欲な/市井人(が)」と決定する。
もう一つは「金儲けを己れに誓う」が象徴する内容。これについては、「誓い」について説明した⑤段落前半より、「(「誓い」とは)人間が自分としての目標を定めてそれに忠実であろうとするということである」を参照する。これより傍線部の後半を「どんな状況でも/金儲けを規範として/生きる(こと)」と決定し、先述の主語と合わせて解答とする。
 
 
〈GV解答例〉
強欲な市井人が、どんな状況でも金儲けを規範として生きること。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
自分の欲望の充足を目標を定め、その意志に忠実に生きること。(29)
 
〈参考 K塾解答例〉
金銭欲にとらわれた者がその充足を存在理由として追求すること。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
強欲な人間が金儲けを人生の目標にし、それに忠実に生きること。(30)
 
〈参考 T進解答例〉
自身の欲望の達成を追求する、人間らしい意識を持っていること。(30)
 
 

問四「先手必勝の将棋には何の意味もない」(傍線部(ウ))とあるが、このたとえによって筆者はどのようなことを言おうとしているか。たとえの内容を明確にしながら60字以内で説明せよ。

 
内容説明問題。たとえによって言おうとしていること(抽象)を問うているが、一方で「たとえの内容」自体を明確にすることも求めている。言おうとしていることについては、前の抽象部に戻り「人間的観点に立つかぎり/いわゆる科学的合理性に基づいてどこまでも見通し可能の因果関係を適用することは/逆に「不合理」なのだ」(⑥)を根拠とする。字数の制限上、簡潔化して「(人間の指す将棋では)科学的合理性は不合理だということ」とする。
 
それでは、なぜ将棋において、科学的合理性が不合理となるのか。そのアイロニーの理由を、「たとえの内容」を明確にしながら説明することになる。まずは⑥段落の記述より、科学的合理性が完全な見通しの可能性を条件としているのに対し、将棋は人間の無知(→見通しの不可能性)を条件としていること(a)。その上で「先手必勝」の含意するところはどういうことか。語義的な意味で言うと「先手が局面を支配する」ということだが、ここでは見通しの立てられない人間にとって「先手の指し手が常に後手の指し手を左右する」(b)ということになるだろう。よって、完全な見通しの可能性を前提とした科学的合理性を将棋に当てはめると、逆に不合理な結果を招くことになる、のである。以上より「未来の予見が不可能な人間が指す将棋では(a)/先手の指し手が常に後手の指し手を左右するので(b)/科学的合理性は不合理だということ」と解答できる。
 
 
〈GV解答例〉
未来の予見が不可能な人間が指す将棋では、先手の指し手が常に後手の指し手を左右するので、科学的合理性は不合理だということ。(60)
 
〈参考 S台解答例〉
科学的合理性により事象の因果関係を完全に見通せるなら、そこに人間の意志の関与する余地はなく存在理由も失われるということ。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
科学的合理性に基づいて行き先が見通し可能とされるなかでは、人間は自らの存在理由をもって生きることができないということ。(59)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
物事の成り行きを完全に見通すことは、展開の分かりきった試合と同様に無益で、人間らしい生と相反する不合理に陥るということ。(60)
 
〈参考 T進解答例〉
客観的条件内の因果関係を読み切る者同士の将棋は無意味であるように、科学的合理性は人間にとって不合理でさえあるということ。(60)
 
 

問五 筆者は「小林秀雄の特徴は」(傍線部(エ))から始まる一文を「それこそを積極的に人間として『合理的に生きること』とみなすところにある」とまとめている。ここに言う「『合理的に生きること』」を筆者はどのようなことと捉えているか。本文全体の内容を踏まえて90字以内で説明せよ。

 
内容説明問題(主旨)。「それこそを〜『合理的に生きること』とみなす」だから「それ」の指す内容が直接的な解答の根拠となる。そして「それ」は一文の前半「そういう生き方」を承けるので、「がめつい奴」の老婆に象徴される「生き方」を⑧段落前半、加えてその前提となる⑦段落より具体化すればよい。
 
ポイントは二つ。一つは「人間は自然の必然(因果律)を偶然と呼びかえる(⑦)→それを今度は自分にとっての必然(運命)として受け止める(⑧ ※運命愛(ニーチェ))」という循環(A)。もう一つは「人間は自己の運命を全うする「誓い」をたてる=道徳の水位でひきうける」ということ(B)。Bについては問三で「老婆」に即して考察した内容と重なる(⑤段落前半)。ちょうどその箇所に続く⑤段落後半で、実はもう一つ、考慮すべき箇所がある。「人間は自然のうちにあるのではなく/言葉によって「歴史」をつくり/「歴史」の中に生きていく」という箇所だ。これを先の、Aと重ねて考えるならば、「自然の必然(因果律)を一度偶然に読みかえた人間は/今度は言葉によって別の必然(※実存レベルの運命)として受けとめる(→B)」と導くことができる。以上より「自然の因果律がもたらす必然を人間の側で偶然と読みかえるにとどまらず(⑦)/その事態を自分にとっての必然の運命として(⑧)/言葉で受け止めた上で(⑤後)(A)//その運命を生き抜くための規範を立てそれに従うこと(⑤前・⑧)(B)」と解答できる。
 
 
〈GV解答例〉
自然の因果律がもたらす必然を人間の側で偶然と読みかえるにとどまらず、その事態を自分にとっての必然の運命として言葉で受け止めた上で、その運命を生き抜くための規範を立てそれに従うこと。(90)
 
〈参考 S台解答例〉
自然界の偶然の事象に翻弄されず、それを自らの生に必然の出来事として言葉によって受け止めたうえで、人生の使命を明確に認識し、それを達成すべく意志を持って自身の生を主体的に生きること。(90)
 
〈参考 K塾解答例〉
自然の合理性により支配から自立し、偶然を必然と受け止めつつ言葉で「歴史」をつくりながら、それを運命として、自らの存在理由の達成をかけ未来にたちむかう人生の主人公として生きること。(89)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
自然の因果律の中にいながら自らの使命を認識し、自身に到来する偶然をもその使命の達成にとって不可避の運命と捉え、先行き不明な中でも自分の意志を貫いて生きるという人間の本質的な生き方。(90)
 
〈参考 T進解答例〉
自己の環境を必然性があるものとして捉えて、その中で欲望や目標を達成することを自己の生存理由として設定し、それを主体的に全うするために言葉によって思考し生きていくということ。(86)