目次
- 〈本文理解〉
- 設問(一)「生きている日本人は、生きているというだけで、霊に対して弱い立場に置かれていたのである」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(二)「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分理解できるのである」(傍線部イ)とあるが、なぜ「十分に理解できる」のか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(三)「戦争によってこの年老いた元日本海軍の兵士たちの人生の時間の、ある部分が止まってしまった」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(四)「その国家がその国家のために命を捧げた兵士を祀るという疑似宗教的行事」(傍線部エ)とあるが、なぜ「疑似宗教的行事」とされるのか、説明せよ。(60字程度)
- 設問(五)「その骨を依り代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけではなく、民衆のなかにもあったとみるべきであろう」(傍線部オ)とあるが、なぜそのように言えるのか、100字以上120字以内で述べよ。
- 設問(六)
〈本文理解〉
出典は小松和彦『神なき時代の民俗学』。本文の形式面に着目しながら、できるだけ本文の言葉だけを手がかりに、内容面の理解を試みる。
①段落。冒頭「民俗宗教において、祟りの信仰は大きな比重を占めている」。日本人は、人生半ばでこの世を去った人びとに対して、共同体のために犠牲になった者に対して、その者を思いやり、その霊を慰めてきた。「慰霊」という行為は、広い意味で、霊に対する生者の心の内部に発生する「後ろめたさ」「負い目」を浄化する行為であった。言いかえれば「生きている日本人は、生きているというだけで、霊に対して弱い立場に置かれていたのである」(傍線部ア)。生きている人は、「霊の目」をつねに無意識のうちに気にし、それが安らかなものになるよう、「慰霊」行為をおこない続ける。それが「祈り祀り」の本質であった。
②段落は筆者のチューク諸島における体験談。そこでは戦後五十年経った今でも、遺骨収集団や慰霊団が日本から訪れる。それを承け、③段落冒頭「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分理解できるものである」(傍線部イ)。
④⑤段落「しかしながら」遺骨収集にまつわる慰霊団の儀礼的行為は、それを目にしたアメリカ人や現地人には異様に映るらしい。間に具体例をはさみ、⑤段落の締め「日本文化のコンテキストに位置づけて解釈できない異文化の人が、その姿を見て奇妙な感じを抱くのは当然のことであろう。そして、この光景に対する「私たち日本人」と「彼ら」との受け取り方の違いに、日本文化の特徴、とりわけ日本人の「霊」への信仰の特徴が示されていると思われる」。
⑥段落「すなわち」この年老いた元日本海軍の兵士たちは、ここで戦死した戦友の霊を「慰めている」のである。物言わぬ「戦友の霊の目」を背負って生きてきた戦友の、死んだ者が可哀想だ、生き残って申し訳ないという「思い」が、慰霊行為を導き出しているのである。ある意味で「戦争によってこの年老いた元日本海軍の兵士たちの人生の時間の、ある部分が止まってしまった」(傍線部ウ)のだろう。そして、その後の人生はこの「霊の目」を安らかにするのを意識し続ける人生であったのだろう。私たちはここに脈々と流れる日本人の民族的な信仰伝統を見いだす。
⑦段落。「ところで」こうした異郷の地で命を落とした者の遺骨を拾って故郷に帰すという習俗は、近代以前の民衆の間に見いだすことはできない。山折哲雄によれば、遺骨収集の儀礼的行為が広く民衆に定着したのは、日中戦争以降のことであるという。(靖国神社/護国神社の例)。これは民族的信仰を変形させて作り出した、近代の軍国主義国家の創造物であった。
⑧段落。「ところが」このような国家行事を生み出し運営していた国家が敗戦によって倒れた。したがって、それによって「その国家がその国家のために命を捧げた兵士を祀るという疑似宗教的行事」(傍線部エ)も廃止されるのが当然であった。しかし、この遺骨収集の儀礼的行為は、わすか二十数年の間に日本人の心性の奥に入り込み、国民的・民衆的な文化に変質しつつあった。いや、民衆の宗教心が戦前の国家が作り出した儀礼行為を自分たちの信仰に組み込んでしまったといった方がわかりやすいかもしれない。
⑨段落。戦後、独立を回復した新生国家は遺骨収集を開始する。これには、それを政治的に利用しようという政治家などの思惑もあったが、「その骨を依り代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけでなく、民衆のなかにもあったとみるべきであろう」(傍線部オ)。その心性は、近代国家成立以前から存在していた「霊の目」を意識した「後ろめたさ」に由来するものであったのだ。実際、戦没者の慰霊行為と同質の行為を、私たちは日航ジャンボ機の墜落現場や、阪神・淡路大震災の被災地にも見いだすことができるだろう(実例)。
設問(一)「生きている日本人は、生きているというだけで、霊に対して弱い立場に置かれていたのである」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「生きている日本人は/生きているというだけでA/霊に対して弱い立場に置かれていたのであるB」と分けて言い換えればよいが、傍線が「言いかえれば(…のである)」で導かれるので、前文(その前の具体的内容を一般化した文)を参考にする。そこで当然「霊に対する/「後ろめたさ」「負い目」」がBと対応するが、ここから1️⃣「霊」を具体化する必要がある。2️⃣「後ろめたさ」「負い目」のカギカッコの意味を踏まえ、それを外して表現する必要がある。
1️⃣については、傍線前文より前の具体的な記述を使うと長くなるので、①段落冒頭の統括文より「祟りをもつ死者/死者の祟り」とおいた。2️⃣については、一般的な意味で後ろめたさや負い目を抱える要因がないのに「後ろめたさ」「負い目」を感じてしまう、という意味に解して「生きていること(自体)に/過剰な引け目を感じるC」と置いた。これでAもOK。
さらに傍線前文の「「慰霊」という行為は…浄化する行為」の要素も加える必要があると考え「その霊を鎮めるために配慮することを強いられてきた」と置いて、Cにつなげて締めとした。
<GV解答例>
日本人は、死者の祟りに対して、自らが生きていることに過剰な引け目を感じ、その霊を鎮めるため配慮することを強いられてきたということ。(65字)
<参考 S台解答例>
日本人はすべての霊や死者の怨念を恐れる心性を持っていて、生きること自体が常に負い目を伴うものだったということ。(55字)
設問(二)「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分理解できるのである」(傍線部イ)とあるが、なぜ「十分に理解できる」のか、説明せよ。(60字程度)
理由説明問題。「十分に理解できるG」の主体は「私/筆者」である。この問題は「慰霊行動」の属性を説明する問題ではなく、「私」を始点Sとして、それが「慰霊行動を/十分理解できるG」理由を答える問題である。
構造的にも「私にはX」(傍線/③段落)と「アメリカ人や現地人にはY」(④⑤段落)が対比されている。そこでYに対してXには「十分に理解できる」理由は、Xが日本人であり(前提)、⑤段落ラスト2文より「「霊」への信仰に裏付けられた/日本文化のコンテキストに位置づけて解釈できるから」である。それがYには「奇妙(異様)に映る」ということも解答に加え、対比への理解を表現しておく。
<GV解答例>
日本人である筆者には、異文化の人に奇妙にうつる慰霊団の儀礼的な行為も、霊への信仰に基づく日本文化の文脈に位置づけて受け取れるから。(65字)
<参考 S台解答例>
集団で遺骨を収集し祀る儀礼行為が、現在の日本人にとって伝統の信仰と結びついたごく自然なものとなっているから。(54字)
設問(三)「戦争によってこの年老いた元日本海軍の兵士たちの人生の時間の、ある部分が止まってしまった」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「(兵士たちの)人生の時間の、ある部分が止まってしまった」という比喩的な表現を、どう言い換えるかがポイントである。傍線部が「ある意味で」という表現で前文を承けて比喩的に言い換えた部分なので、前文を利用して「戦争によって/戦友を失ったことへの/すまない気持ちを/とどめたまま/戦後を生きてきた」とまとめた。
なお、傍線の直後「そして、その後の人生はこの「霊の目」を安らかにすることを意識し続ける人生であった」という内容は、傍線に付加される内容であり、傍線自体の説明がボケるので、解答には加えない方がよいだろう。
<GV解答例>
戦争によって戦友を失ったことへのすまない気持ちをとどめたまま、慰霊行事に参加する元日本海軍の兵士たちは戦後を生きてきたということ。(65字)
<参考 S台解答例>
自分たちが生き残った申し訳なさから、死んだ戦友の慰霊だけをひたすら思い続けて、その後の人生を生きてきたということ。(55字)
設問(四)「その国家がその国家のために命を捧げた兵士を祀るという疑似宗教的行事」(傍線部エ)とあるが、なぜ「疑似宗教的行事」とされるのか、説明せよ。(60字程度)
理由説明問題。傍線部は⑧段落の逆接前の譲歩部にあるので、前⑦段落を解答根拠にする。「国家が国家のために命を捧げた兵士を祀る行事S」が「疑似宗教的行事G」であること示す理由Rを述べる。Sが漠然としているので明確化し「異郷で落命した者の遺骨を収集する行為」。それが「疑似宗教的」である、つまり「宗教に近いがR1/宗教と違うR2」点を答える。
ズバリ⑦段落最後の「これは民族的信仰を変形させて作り出したR1/近代の軍国主義国家の創造物であったR2」を答えの核とする。これに、こうした行為が「近代以前にはなかった/日中戦争開戦以降に定着したA(ない・ある変換)」ことを加える。Aは山折哲雄の説だが、筆者も同意しているので解答根拠に使用してもよいだろう。
<GV解答例>
異郷で落命した者の遺骨を収集し祀る行為は、日中戦争開始後に定着した、民族的信仰を変形した近代軍国主義国家による創造物であったから。(65字)
<参考 S台解答例>
近代の軍国主義国家が、いかにも民衆の信仰心に根ざしているように装って作り出した、国家的儀礼にすぎなかったから。(55字)
設問(五)「その骨を依り代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけではなく、民衆のなかにもあったとみるべきであろう」(傍線部オ)とあるが、なぜそのように言えるのか、100字以上120字以内で述べよ。
理由説明型要約問題。基本的な手順は
1⃣´ 傍線部自体の端的な理由を示す。(解答の足場)
2⃣「足場」につながる論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
3⃣ 必要な要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)
1️⃣´ 傍線部は簡略化して「その骨を依り代にして霊を迎えたい「思い」は/国家だけでなく/民衆のなかにもあった」 。主語を段落の主題にあわせて「遺骨収集を通した慰霊行為S」が「国家の都合G1」だけでなく「民衆の「思い」からも生まれたG2」理由を述べる。G2メインで、G1はサブだが触れておく必要がある。
G2を導く端的な理由は前⑧段落末文より、Sは「民衆の宗教心が/戦前の国家が作り出した儀礼行為を/自分たちの信仰に組み込んでしまった」ものだから(R)、となる。
2️⃣ 次にRの根本理由を考える必要がある。一つは「民衆の宗教心と戦前の国家による儀礼行為との親和性(=組み込まれる前提)A」について触れる。もう一つは、本文末文「実際」以降の実例でRの説得力を高める。解答の構文は
「遺骨収集を通した慰霊行為は/(国家の都合だけでなくG1)/戦後もそうした行為が一般に見られるように/相互の親和性を基盤にA/民衆の宗教心がB/戦前の軍国主義国家の儀礼行為を/取り込んだものだから」。
3️⃣ 残りの配慮点は、上述のAとBを具体化することと、G1に着地する要素を足すことだろう。Bについては①段落より「死者の祟りを畏れ祀る日本古来の民俗信仰B´」とした。
G1については、問四で考察した論理、つまり「近代軍国主義国家がB´を変形して遺骨収集の儀礼行為を始めた」という内容を、解答の前半に足す。これによりB´と国家の儀礼行為との親和性Aを示したことにもなるだろう。
<GV解答例>
遺骨収集を通した慰霊行為は、元来近代軍国主義国家が死者の祟りを畏れ祀る日本古来の民俗信仰を利用して創造したものであったが、戦後もそうした遺骨収集が一般に見られるように、逆に民衆の信仰心が軍国主義的創造物を取り込み継続したものだといえるから。(120字)
<参考 S台解答例>
たとえ戦時中および戦後の日本国家の政治的意図で主導されたとしても、怨霊の祟りを恐れる習俗を持つ日本人にとって、遺骨収集という異郷で横死した人々の霊を呼び戻す儀礼行為は霊を鎮め浄化したい民衆の気持ちに合致し、自然な行為として根付いていたから。(120字)
設問(六)
a. 未練 b. 停泊 c. 託宣 d. 墜落 d. 被災