〈本文理解〉
出典は隈研吾『小さな建築』。
前書きに「建築家である筆者が2007年にドイツ・フランクフルトでピーナッツ型の茶室を建てるまでの検討の過程を記した文章の一部である」とある。
①②段落。日本には国宝指定を受けている茶室は三つしかない。利休作の待庵、犬山城の中にある如庵、大徳寺龍光院の蜜庵である。三つの国宝はどれも小間(四畳半以下)であり、極めつけの「小さな建築」であるが、どの茶室も客が茶を喫するメインの座敷に附属して、水屋と呼ばれるサービス空間が、ほぼ同じ大きさで用意されている。
③段落。サービス側である主人は水屋口から入って、次に茶道口を通って座敷に入り、炉の前に座る。サービスを受ける側の客は躙り口から座敷に入って、そこで茶という液体を介して主人と対面する。二つの主体が、別々のところから別々の経路をたどり、最終的には一点で交差する、「この二重性こそ茶室空間の、他の空間にはない面白さである」(傍線部(1))。
④段落。利休は茶室をどんどん小さくしていった。しかし、どんなに座敷が小さくなっても、水屋と座敷という二重性が消滅することはない。どんなに「小さな建築」へと縮小しても、客と主人がたどる経路は別々のままで、統合されない。それゆえに「小さく」ても世界に通じている感覚がある。
⑤段落。ここに日本的な空間の秘密がひそんでいると、僕は感じる。主人の空間と使用人の空間というヒエラルキーが西欧の建築を支えていた。主人のための空間は建築の中心を占め、天井も高く、デザインの密度も高い。そのまわりを天井も低く、閉鎖的な使用人の空間が取り囲むという階層的な構成である。中心があって、周縁があるという序列が、それぞれの空間のスケール、デザイン、質にまで投影されたのである。世界とは序列であり、大小であった。
⑥段落。ところが「茶室には、その序列がない」(傍線部(2))。茶室ではしばしば、客のための空間はより狭く、より暗い。サービスのための水屋は、機能性を確保するため、そこまで暗くできない。ヒエラルキーは逆転し、序列は反転する。客と主人の空間は、道教が世界原理の説明に用いた陰陽のダイヤグラ)のごとく、お互いに攻めあい、えぐりあいながら、回転する。
⑦段落。(待庵の「勝手」と名づけられた空間の隅にある竹で吊られた三段棚の緊張感。利休にとって水屋は茶をたてる空間に匹敵する重要性を持っていたと、僕は推測する)。
⑧段落。20世紀の近代建築運動は、空間のヒエラルキーの排除をめざした。政治において、デモクラシーが唱えられ、権力のヒエラルキーが否定されたように、空間においても主空間、従空間というヒエラルキーが否定された。壁という境界のない、透明で連続的な一室空間が追求された。ミース・ファン・デル・ローエは、ヒエラルキーを排除した空間をユニバーサル・スペースと呼んだ。
⑨⑩段落。しかし、1970年代に反動がおきる。アメリカの建築家ルイス・カーンは、そもそも人間という存在は均質なユニバーサル・スペースの中で生きていくことはできないと主張した。空間には中心となるサービスを受ける主人の空間と、脇役のサービスする空間という序列がなければならないと、カーンは主張した。1970年代、ベトナム戦争の敗北で、20世紀アメリカ文明は大きな転換を迎えた。その新しい空気の中で、大きくて均一な空間に変わって、ヒエラルキーのある古典的空間へと、カーンは回帰したのである。
11段落。カーンが行ったことは、一種のアメリカ批判であった。「ミースの唱えたユニバーサル・スペースは、二◯世紀のアメリカ流工業社会に、ぴったりとフィットした」(傍線部(3))。工場でもオフィスでも住宅でも、20世紀アメリカ社会では水平に拡がる大空間が求められてた。その大空間の中を、必要に応じて間仕切るというのが、工業化社会が求めた合理的効率空間であった。その水平に拡がる大空間を積層させていくことで、高密度の効率的都市を作るのが、20世紀流アメリカ文明の本質だった。…
12.13段落。(カーンが1980年代のポストモダニズムと呼ばれる伝統回帰運動を導くに至った経緯について)。
14.15段落。確かに人間は均質な空間の中には生きられない存在なのかもしれない。しかし、だからといってカーンの主張のように、再びギリシャ・ローマ流の古典に戻っていく必要もない。主従という序列に戻る必要はない。その疑問がくすぶり続けて悩んでいるときに、座敷と水屋とがからみあう回転型の構造が、突如として面白く見えはじめたのである。序列でも均質でもなく、回転し続けること、茶碗という小さな器の中の液体を軸として、主人と客という二つの主体が回転し続ける状態が面白いと思った。
16段落。フランクフルトのふくらむ茶室では、この回転の原理をつきつめて、ピーナッツ型平面形状へと到達した。ピーナッツの殻の中に共存する二つの実のように、座敷と水屋とが対等に共存する。人はときに主人を演じ、あるときは客を演じる。役割を決定するのは、偶然であり、時間である。主人と客の二つの空間は微妙にくびれながらもつながっている。一体化しながら別物であり、対等でありながら異質である。回転の原理を導入することによって、さらにお互いの役割を転換させる「時間」というファクターを導入することによって、「小さい建築」が突如として、世界と結びつき、世界を巻き込んで回転を始める。
17段落。日本人はただ小ささをもとめていたわけではなく、ただ世界を縮小していたわけではない。世界の中に回転軸を埋め込み、時間を通じて、自分と世界をつなごうとしていたのである。時間を媒介として、「小さな建築」の中に世界をまるごと取りこもうとしていたのである。
問一「この二重性こそ茶室空間の、他の空間にはない面白さである」とあるが、筆者は茶室のどのような点を「二重性」としてとらえているか、述べよ。
内容説明問題。「この二重性」の指す直前部「二つの主体が(A)/別々のところから別々の経路をたどり(B)/最終的には一点で交差する(C)」を、その前の2文から具体化する。Aについては「主人(A1)/客(A2)」、そのそれぞれが「水屋口→水屋(→座敷)(B1)/躙り口→座敷(B2)」という経路をたどり、茶を介して対面する(C)。「二重性」だから、別個でありながら重なる(D)、というニュアンスを出してまとめる。「主人が(A1)/水屋口から入り事前の準備を行う水屋と(B1)/客が(A2)/躙り口から入り主人と対面する座敷の両者が(B2)/独立しながらも(D)/茶を介した二つの主体の一時の出会いによって交差する点(CD)」となる。
主人が水屋口から入り事前の準備を行う水屋と、客が躙り口から入り主人と対坐する座敷の両者が、独立しながらも、茶を介した二つの主体の一時の出会いにおいて交差する点。(80)
主人が使用する水屋と客が茶を喫する座敷という二つの空間が対等に存在し、主人と客が別々の所から別々の経路をたどって対面することを可能にしている点。(72)
問二「茶室には、その序列がない」とあるが、「その序列」とはどのようなものか、述べよ。
内容説明問題。「その序列」が指す内容は、「日本の茶室」に対する前⑤段落「西欧の建築」の序列である。ただ「西欧の建築」ではまだ不十分で、⑧段落以降の「近代建築/ユニバーサル・スペース」「ポストモダニズム/伝統回帰運動」への展開を踏まえ、「西欧の伝統的な建築」(A)としなければならない。適切なカテゴライズを心がけよう。あとはAの「序列」を⑤段落から説明すればよい。
その「序列」は「主人(B)」と「使用人(C)」との階層関係を「投影」(反映)したものである(D)。Bの空間とCの空間を対比的に捉えれば、B「中心/大きい/天井が高い/デザインの密度が高い」、C「周縁/小さい/天井が低い/(デザインの密度が低い)」となる。Cの「デザインの密度が低い」は本文に明示されない要素だが、BをCとの比較で「デザインの密度が高い」としているわけだから、そう言うことができるのである。以上より、「西欧の伝統的な建築における(A)/建築の中心を占めて大きく高く濃密なデザインの主人の空間と(B)/その周縁の小さく低く希薄なデザインの使用人の空間の(C)/階層差を反映した秩序(D)」となる。
西欧の伝統的な建築における、建築の中心を占めて大きく高く濃密なデザインの主人の空間と、その周縁の小さく低く希薄なデザインの使用人の空間の、階層差を反映した秩序。(80)
西欧の建築の、主人の空間が中心に大きく開放的に設けられ、使用人の空間がその周縁に小さく閉鎖的に設けられるという階層的な秩序。(62)
問三「ミースの唱えたユニバース・スペースは、二〇世紀のアメリカ流工業社会に、ぴったりとフィットした」とあるが、どのようなことか、説明せよ。
内容説明問題。「ミースの唱えたユニバーサル・スペース」(Aと「二◯世紀のアメリカ流工業社会」(B)を類比的に説明し、「ぴったりとフィットした」という関係性(C)を明確化する。⑧〜13段落はミースに代表される近代建築運動(モダニズム)とカーンを契機とするポストモダニズムを対比的に説明しているパートである。そのうち、⑧11(12)段落が前者、つまりABに関連する記述となる。
まずAは⑧段落より「二◯世紀の近代建築運動は/空間のヒエラルキーの排除と/空間の均質化をめざした//その中でミースらにより/壁のない透明で連続的な一室空間(x)=ユニバーサル・スペースが追求された」と具体化できる。次にBは11段落より「二◯世紀アメリカでは/水平に拡がる大空間を(x)/間仕切り/積層して/合理的(or高密度の)効率空間を求めた」と具体化できる。ここでAとBの関係を考えると、xの重なりを手がかりにして、AはBの需要に適うものだった(C)、ということができる。
以上より、「階層性を排し空間の均質化を進める二◯世紀の近代芸術運動の中で/その代表者ミースの唱えた壁のない透明で連続的な一室空間のあり方は(A)/水平の大空間を間仕切り積層して合理的効率空間を目指す/同時代のアメリカ流工業社会の(B)/需要に適うものだったということ(C)」とまとめられる。
階層性を排し空間の均質化を進める二◯世紀の近代建築運動の中で、その代表者ミースの唱えた壁のない透明で連続な一室空間のあり方は、水平の大空間を間仕切り積層して合理的効率空間を目指す、同時代のアメリカ流工業社会の需要に適うものだったということ。(120)
ミースが提唱した、西欧的空間の伝統的ヒエラルキーを排した境界のない均質で連続的な空間は、水平に広がる大空間を必要に応じて間仕切る合理的空間を積層させて高密度の効率的都市をつくる二◯世紀アメリカ流工業社会文明のあり方に適合するものだったということ。(123)
問四 筆者がピーナッツ型の茶室を建てた背後にある考えについて、この文章での検討の過程を踏まえて説明せよ。
内容説明問題(主旨)。「この文章での検討の過程を踏まえて」という条件だが、第2パート(⑧〜13)の内容を承けた最終パート(14〜17)の始めで検討過程が要約されている。ここで筆者は、「確かに人間は均質な空間の中には生きられない存在なのかもしれない。しかし、だからといってカーンの主張のように、再びギリシャ・ローマ流の古典に戻っていく必要もない」(14段)とし、近代建築運動(A)でもなく、ポストモダニズム(B)でもない、第3の道を模索する。そして「その疑問がくすぶり続けて悩んでいるときに、座敷と水屋とがからみあう回転型の構造が、突如として面白く見えはじめたのである」(15段)とし、前書きにある「ピーナッツ型の茶室」(C)を着想するのである。もちろん、その着想にヒントを与えたのが、第1パート(①〜⑦)にある日本の伝統的な茶室(D)なのであった。
Aについては⑤⑧(11)段落を参照し「近代建築は/主従の階層性を反映した西欧の伝統建築(⑤)/を排して均質な大空間(ユニバーサル・スペース)を目指した(⑧)」とする。そのAを、Bの潮流を導いたカーンは「そもそも人間という存在は均質なユニバーサル・スペースの中で生きていくことはできない」(⑨)と否定したのである。Bについては⑨⑩段落を参照し、Aからつなげて「〜が/それを非人間的だとしてポストモダニズムの反動(階層的空間への回帰)が生まれた」とする。その両者の「均質/序列」(15)という陥穽を避けるため、Dを参考にして筆者はCを構想したのである。
Cについては16段落を参照し「対等な主客が/固有の場を持ちながらも/繋がりを保ち/両者が茶を軸として/時間を経て/偶然に/反転し/世界を巻き込み/回転する茶室を/構想した」とし、上記の内容からつなげて仕上げとした。
近代建築は主従の階層性を反映した西欧の伝統建築を排して均質な大空間を目指したが、それを非人間的だとしてポストモダニズムの反動が生まれた。双方の陥穽を避けるため筆者は、日本の伝統的茶室を参考に、対等な主客が固有の場を持ちながらも繋がりを保ち、両者が茶を軸として時間を経て偶然に反転し、世界を巻き込み回転する茶室を構想した。(160)
主人と客との空間的序列や役割がたえず反転する茶室のあり方に、合理性に偏した近代の均質空間とも空間を階層化する西欧の伝統的空間とも異なる可能性を見いだし、一体でありつつ別物であり、対等でありつつ異質であるような要素が絡み合い反転し続ける世界の原理を凝縮して体現する日本の伝統空間の現代的意義を示そうとする考え。(154)