〈本文理解〉

出典は森浩美の小説『家族連写』。

1️⃣ 私が育ったのは北関東にある田舎町だ。昭和四十年代半ば、世はまさに高度経済成長期ではあったが、うちの家計には無縁だった。父は近所の板金工場で働き、休むのは日曜日と、盆暮れの数日間だけ。母は、駅前商店街のうどん屋で、お昼の間だけ配膳をしていた。所謂、貧乏暇なしであったが、それでも慎ましく平穏に暮していたのだ。

だが、私が小学校五年生の新学期を迎えた頃、突然、父が病に倒れ、長期入院を余儀なくされた。少額補償の保険にしか加入していなかったせいで入院代のすべてを賄うことができず、母はうどん屋を辞め、スーパーマーケットで揚げ物を作る惣菜係として一日中働くようになった。それでも今まで通りの生活を維持できるほどの収入は得られず、家計は苦しくなる一方だった。
家に残された妻子の状況は分かっていたのだろう。父を見舞うと、父は私の顔をじっと見つめて「悪いな」とうっすらと涙を浮かべた。無口で愛想がいいとは言えなかった父だが、「そんな姿を見せられては、恨み言も言えなかった」(傍線部(1))。
二学期が始まる頃には、通っていた算盤塾の月謝も滞り、やめざるを得なくなった。ついには給食費を集金日に持って行くことができず、口さがない級友から「給食ドロボー」などと嘲りを受けたこともある。悔しかったが耐えるしかなく、無念の気持ちと一緒にコッペパンに囓りついた。
それから卑屈になった私はクラス内で孤立した。いや、自ら関わり合いを少なくしたのだ。放課後の遊び仲間に加わることさえ避けた。彼等が帰り道に買い食いする様を指をくわえて見ているのが厭だったからだ。

母は「ごめんね」と情けなさそうな顔で私に謝った。「最初は「平気だよ」と答えていたものの、そのうち黙ってそっぽを向くようになっていた」(傍線部(2))。

2️⃣ あれは運動会が終わった頃だったか‥‥。同じクラスの女の子の家が火災に見舞われた。彼女の家は大衆食堂を営んでいて、夜間、隣の家から出火したもらい火で店舗兼自宅が全焼してしまったのだ。

その数日後、私は担任の新井先生に呼ばれた。「松山のところへ、これから見舞金持って行くから、一緒に来い」「え、なんでオレが?」普通は児童会役員や学級委員長がその役目を果たすことになっていたので腑に落ちなかった。「いいから来い」
「放課後、あまり気が進まないまま先生の白いカローラに乗せられ、彼女が身を寄せた親類の家へ向かった」(傍線部(3))。私は少し緊張しながら「全校児童からのお見舞金です」と、彼女の両親に見舞い封筒を手渡した。
その帰り道「しっかり役目を果たしたな」と、先生が褒めてくれた。と、私の腹が鳴った。「なんだ、裕之、腹減ってるのか?」私は恥ずかしさに胃袋の辺りを押さえ「なんでもない」と頭を振った。「何か食べるか?」「いらない」「遠慮するな。見舞いの役目を果たした駄賃代わりだ。何が食べたい?」何度か押し問答をした後、私は「肉まんがいい」と「小さな声で答えた」(波線部A)。
駄菓子屋の店先で、ガラスケースの中で蒸された肉まんを売っていた。店主の老婆が手招きする。だが、日々の小遣いなどない。ばあさんの隙を見て盗んでしまおうか‥‥そんな思いも胸を過ぎったが、結局私は、生唾を飲み込み、その場を立ち去るのだった。

「肉まんか。そりゃあいいな、じゃあ、先生も一緒に食べるとするか」先生は街中を見回しながら「あそこにあるな」と目についた店の前で車を停めた。そこで肉まんを買い、車の中で食べた。「うまいか?」「うん」私は熱々の肉まんにかぶりついた。傍らには今まで見たこともない先生の笑顔があった。

3️⃣ それから数日が経った。ランドセルを背負い、帰り支度をしていると、先生から「裕之、花壇の手入れを手伝ってくれ」と言われた。学校では学年毎に花壇の場所が区切られ、思い思いの種を撒き、苗を植え、係が花の世話をしていた。大概、その係は女子がするものだったので、正直、厭な感じがした。

「さ、来い」有無も言わさぬ調子で言われては従わねばならない。私は渋々、先生の後について校舎前の花壇に行った。「割れたり欠けたりしているレンガを新しいものに代えるぞ」物置小屋から一輪車にレンガを載せて運び、先生の指示通りに入れ替えていく。
作業は校舎の長い影が私たちを覆う頃までかかった。「よーし、これで終わりだ。裕之、ご苦労様だったな。手伝ってくれた駄賃代わりに、また肉まんでも食べるか?」先生は土の付いた軍手を外すと、手の甲で額の汗を拭った。
今度は労働をした実感もあり、何より先日の肉まんの味を思い出した私は「躊躇なく「うん」と返事をした」(波線部B)。「じゃあ、先生が買いに行ってくるから、裕之は道具を片付けて、ここで待ってろ」一輪車やスコップ、ほうきを物置こや小屋に仕舞って待っていると、先生が息を切らしながら走って帰ってきた。私たちは朝礼台の階段に並んで座り、肉まんを齧った。

 

問一「そんな姿を見せられては、恨み言も言えなかった」とあるが、なぜ「恨み言も言えなかった」のか、述べよ。

理由説明問題(心情)。解答構文は「そんな姿(A)から/Bが感じられたから(→恨み言も言えなかった)」となる。Aは傍線部直前から「無口で愛想がいいとはいえない父が/入院先を見舞った私を/じっと見つめ涙を浮かべて詫びる姿」とまとめられる。Bの心情は「悪いな」という父のセリフに集約されるが、これは何に対する心情か。傍線部の2文前「家に残された妻子の状況は分かっていたのだろう」が手がかりになる。ここでの「妻子の状況」とは「父の急な入院で困窮化した妻子の状況」((B1)である。以上より「Aから/B1に対する/父の強い自責の念(B2)が感じられたから」と導くことができる。

〈GV解答例〉

無口で愛想がいいとは言えない父が、入院先を見舞った私をじっと見つめ涙を浮かべて詫びる姿から、父の急な病で生活が困窮した妻子に対する強い自責の念が感じられたから。(80)

〈参考 S台解答例〉

無口で無愛想な父が涙を浮かべてわびる姿から、自分の病気で家族に苦労をかけていることへの申し訳なさや無念の気持ちが伝わってきたから。(65)

〈参考 K塾解答例〉

普段は無口で無愛想な父が、自分の入院で困窮する妻子の苦労を慮り、涙を浮かべ詫びる姿を見て、どれほど心を痛め、家族に申し訳ないと思っているかがわかったから。(77)

問二「最初は『平気だよ』と答えていたものの、そのうち黙ってそっぽを向くようになっていた」とあるが、なぜ「母」にそのような態度を取るようになったのか、述べよ。

理由説明問題(心情)。「最初は『平気だよ』と答えていた」(A)と「そのうち黙ってそっぽを向くようになった」(B)の双方の行為に至る心情(=理由)を答えなければならない。AとBの行為は、生活が困窮化する中で母が「ごめんね」と情けなさそうな顔で私に謝ること(C)に対してのものである(C→A/C→B)。「C→A」に対応する心情は明示されないが、母への気遣いととれ、逆に「最初は」そうする余裕があった(A+)、といえる。

それでは、同じCという状況に対し、私の態度がAからBに転じる過程で何があったのか。それは「二学期が始まる頃」以降の記述と対応する。つまり「生活の困窮が周囲に隠せなくなる中で/私は卑屈になり/仲間との関わりも少なくした」(D)という状況の変化である。これを間に挟むことで、母の態度(C)に対する私の行為はBに変わった。Bを導く私の心情は苛立ちであり、母の「情けない態度」がDの私には、逆に気に触る(逆撫でする)ようになった(B+)のである。

以上をまとめると「最初は母を気遣う余裕もあったが(A+)/生活の困窮が隠せなくなる中で卑屈になり、仲間との関わりを少なくした私には(D)/母の情けなさそうな態度が(C)/逆に気に触るようになったから(B+)」となる。

〈GV解答例〉

最初は母を気遣う余裕もあったが、生活の困窮が隠せなくなる中で卑屈になり、仲間との関わりも少なくした私には、母の情けなさそうな態度が逆に気に触るようになったから。(80)

〈参考 S台解答例〉

当初は苦しい家計を支える母を気遣い気丈に振る舞えていたが、貧しさのなかで惨めな思いを味わううちに卑屈になりやるせなさを隠しきれなくなったから。(71)

〈参考 K塾解答例〉

最初は父に代わって懸命に働く母を思いやる余裕もあったが、金がないことで友人との関わりを避けるようになり、卑屈で孤独になった傷心の思いを隠せなくなったから。(77)

問三「放課後、あまり気が進まないまま先生の白いカローラに乗せられ、彼女が身を寄せた親類の家へ向かった」とあるが、なぜ「あまり気が進まな」かったのか、述べよ。

理由説明問題(心情)。傍線部に至る状況を整理しよう。同じクラスの女の子の家とその仕事場がもらい火で全焼し、慣例で見舞金を届けることになり、担任の新井先生の指名で半ば強引に、私はその役目を担うことになった。このことがなぜ「あまり気が進まな」かったのか。もちろん傍線部の2文前より「普通は、児童会役員や学級委員長がその役目を果たすことになっていたので腑に落ちなかった」(A)からである。ただ、これだけでは「気が進まな」い理由としてぼんやりしている。その「役目」の内容に「気が進まな」い理由が内在していると考えるのが筋ではないか。

まず、私はただでさえ生活の困窮から卑屈になり、クラス内で孤立し関わりを少なくしている(B)(←問二)。その私がよりによってである。そして、その「役目」は急な災難で不幸のどん底にあるクラスメイトに見舞金を届けるものである。ただでさえ、気が引けそうな役目ではあるが、私もまさにこの状況にあった(現在も継続している)。訪問先の困惑は自らと重ねてありありと想像できるし、それを鏡に自らを顧ることも辛かった(C)、のである。以上を「B(前提)→A(表層理由)→C(根底理由)」とまとめる。

本文に書かれてないことは解答に書くな、とは悪しき慣習である。我々のコミュニケーションの多くの部分は自明性に支えられている。評論文しかり、随想・小説ならばより顕著になる。みなまで言うのは下等な表現だ。例えば比喩表現があるならば、それは筆者が読者とのイメージの共有を前提にしているのであり、そこに線が引かれるならば、手持ちの言葉で適切に表現するしかないのである。例えば「X→Y→◯→Z」というように、明示されない論理的な空隙があるならば、YとZの両側から導かれる必然を言語化しなければならないのである。本文の言葉を呪文のように繋いだ答案(そんな模範解がなんと多いことか)より、適切さを多少は欠いてもチャレンジした答案の方が知性に優るのは言うまでもない。

〈GV解答例〉

生活の困窮で卑屈になりクラス内で孤立し関わりを少なくしていた私に、普通は児童会役員や学級委員長が果たす困った家庭に見舞金を届ける役割が、半ば強引に新井先生から課されたことが不可解な上、自らと重ねて訪問先の困惑した状況を見るのが辛かったから。(120)

〈参考 S台解答例〉

生徒に厳しい新井先生に同行するのが気づまりで、本来なら児童会役員や学級委員長が務める役になぜ自分が指名されたのかも腑に落ちず、貧しさゆえに学校で孤立している自分が見舞金を届けることに割り切れない思いもあったから。(106)

〈参考 K塾解答例〉

本来なら悲惨な目に遭った級友の家に見舞金を持って行くのは、児童会役員や学級委員長が果たすべき役目であるはずなのに、そうした役目を、家に金がないため級友とも距離ができている自分が果たすことに納得がいかず、複雑な思いもあったから。(113)

問四 A「小さな声で答えた」から、B「躊躇なく『うん』と返事をした」への「私」の心情の変化について、説明せよ。

心情説明問題(変化)。A地点の心情(2️⃣)、B地点の心情(3️⃣)、それぞれの心情をもたらした状況、そしてAからBへの変化の契機(C)を適切に表現しなければならない。まずAの心情は、波線部の少し前「(腹減っているのか、と新井先生に問われ)私は恥ずかしさに胃袋の辺りを押さえ「なんでもない」と頭を振った」が手がかりになる。その後、何度かの押し問答を経て「肉まんがいい」と小さい声で答えた(波線部)のだが、そこにある基本的な心情は「恥ずかしさ」である。私は困窮した家庭の状況で卑屈になり、級友が帰り道に買い食いする様を見るのが厭なこともあって、それとの関わりを減らしていた(1️⃣)。これは波線部の直後の記述、肉まんを買うことができずに生唾を飲み込み立ち去った、という内容とも響き合う。「何が食べたい?」と問われて、喉から手が出るほど所望した肉まんだが、しかしそれを素直に表現するには内面を見透かされるようで抵抗がある。そこからくる「恥ずかしさ」が声を小さくしたのである。

次にBの心情だが、これは直前の「今回は労働をした実感もあり、何より先日の肉まんの味を思い出した」から導かれるものである。この「労働」も、先の見舞金の役目と同じく、新井先生から半ば強引に依頼されたものであったが、今回は帰宅時間を伸ばして日が沈む直前までの長い労働だった。それと、何より先日食べた肉まんの味を子供心に思い出したことが、「肉まんでも食べるか?」という問いに対する返事を自然で素直なものにしたのである。

ただ、その場の状況の違いだけで、AとBとの心情の違いを説明できるだろうか。そこには、私と新井先生との関係性の変化が決定的に作用しているのである。Aのあと、私は新井先生の車の中で肉まんを食べた。「傍らには今まで見たこともない先生の笑顔があった」(2️⃣)。この記述は、私視点の小説において、新井先生に対して芽生えた私の強い信頼感を象徴的に表している。この信頼からくる安心感(C)が、AからBへの心情の変化を可能にしたのだ。「内面を見透かされることへの抵抗と肉まんを所望することへの恥ずかしさ(A)→新井先生に対する安心感(C)→労働の実感と肉まんの味の想起/好意の素直な受容(B)」とまとめる。

〈GV解答例〉

Aでは、困窮した状況で卑屈になっている自分の内面を見透かされることに抵抗があり、念願の肉まんを所望するにも恥ずかしさを感じていた。しかし、そんな私を笑顔で見守る新井先生に安心感を覚え、Bでは、長い労働の実感で報酬を受け取ることが自然に思え、何より肉まんの味を子供心に思い出したことから、先生の好意を素直に受け止められた。(160)

〈参考 S台解答例〉

Aでは、気が進まなかった見舞いの役目を果たしただけでおごってもらうことに引け目があり、貧しさゆえに食べたくても我慢していた肉まんを遠慮がちに頼んだが、Bでは、先生を手伝って懸命に仕事をしたいという実感もあり、先日一緒に肉まんを食べた時のおいしさと先生への親しみを思って、その好意をこだわりなく受け入れている。(154)

〈参考 K塾解答例〉

見舞い金を渡す役目を果たした「私」は、それだけのことで先生にご馳走してもらういわれはないと思いつつも、食べたくて仕方なかった肉まんをねだってしまったことをうしろめたく思った。花壇の手入れを手伝った「私」は、先生に頼まれた仕事をやり遂げた手ごたえのなか、肉まんのおいしさを思い出しつつ、先生の心遣いを素直に受け入れている。(160)