〈本文理解〉
出典は内田百閒の短編小説「冥途」。説明の都合上、本文をいくつかのパートに分けておく。
問一「しめやかな団欒を私は羨ましく思う」(傍線部分(1))とあるが、これは「私」のどのような状況を表しているか、述べよ。
内容説明問題(状況説明)。「私」が「しめやかな団欒」を「羨ましく思う」ときの「状況」を問うている。小説の問題の多くは主人公(視点人物)など登場人物の「心情」を問うものだが、それは当然、その心情に至る「状況」の説明と対になるものである。ここでは始めに「羨ましく思う」という心情を示し、そこに至る状況の整理を直接問うているのである。
そこでまず「しめやかな団欒」を具体化すると「隣りの腰掛で面白そうに
/身を寄せて話し合っている
/一連れの客の団欒」(a)ということである。ただ、私にはその「様子も言葉もはっきりしない
(
)」(b)。私は「淋しさに/一人足を竦めてじっとしている
」(c)。ここまでが傍線部に直接つながる状況の整理だが、より広く視野をとった場合、この短編全体を通して私の基調となる心情は「なつかしさ
」であり、隣りの客の声にはそのなつかしさに「悲しみ」を伴わせるものがある(
)(d)、ということが見えてくる。以上より「隣りの腰掛で身を寄せ面白そうに話しあっている一連れの客の声が(a)/私に悲しみを伴うなつかしさを感じさせながらも(d)/その様子や話の内容が分からず(b)/孤独で(c)/もどかしい(b)状況」(→羨ましい)とまとめることができる。
〈GV解答例〉
隣りの腰掛で身を寄せ面白そうに話しあっている一連れの客の声が、私に悲しみを伴うなつかしさを感じさせながらも、その様子や話の内容が分からず、孤独でもどかしい状況。(80)
〈参考 S台解答例〉
一人でめし屋にいる自分の隣席の、自分と関わりのあるらしい人と連れとの穏やかな親密さに羨望と疎外感を覚え、もの悲しい思いを抱えて自席で身を固くしている状況。(77)
〈参考 K塾解答例〉
土手の下の一ぜんめし屋で、隣の連れの中にいる年寄りの声を聞き、たまらなく悲しくなるが、そのわけもわからないまま、ただ一人でじっと身をひそめている状況。(75)
問二「私は、日のあたっている舟の形をした庭石を、まざまざと見るような気がした」(傍線部分(2))とあるが、どうしてか、述べよ。
理由説明問題(心情)。
までのとりとめのない私のイメージが
以降は具体化され、徐々に焦点を結ぶようになる。やがて私はその一連の客の一人が失われた父(の幻影)であることを確信するのだが、その確信を導く場面が
であり、その結部に傍線部は位置している。
は客の一人が蜂を見たのを機に過去のエピソードを話す場面である(なぜか、この話だけ私にははっきり聞き取れ、なつかしさに堪えられなくなるのである)。その客(のちに私が父と確信する人物)の話によると、大きな蜂を入れたビードロの筒(それは蜂の唸りでオルガンの様に鳴る)を自分の子供が執拗にせがむので、腹を立てて縁側へ出た、そこで庭石が日に照っていた、ということである。その話を聞いて私は「日のあたっている舟の形をした庭石をまざまざと見る気がした」のである。続く客の話によると、(ビードロは)石で微塵に毀れて蜂は逃げていった、ということだが、つまり、ビードロは腹を立てたその客によって庭石に打ちつけられ砕かれた、ということだろう。
その断片的な話を聞いて私は、その庭石を、しかも話に出てこないその形も含めて、まざまざと見る気がしたのである。もちろん、そこで私はその客が父であること、そしてその子供が幼少時の自らであることを確信しているのだ。以上より問に対する答えの核は「隣りの客の話に出た庭石が、自らの記憶の中にある庭石と重なったから」である。あとはその記憶の中にある庭石を具体化して「蜂の入ったビードロの筒を父が打ちつけて砕いた/当時の住まいの庭にあった舟の形をした庭石」とし、上と合成して完成となる。
〈GV解答例〉
隣りの客の話に出た庭石は、私の記憶の中にある、蜂の入ったビードロの筒を父が打ちつけて砕いた、当時の住まいの庭にあった舟の形をした庭石と重なるように思われたから。(80)
〈参考 S台解答例〉
不可解ななつかしさのなかで隣りの人の話を聞いていたが、話の内容からその人が自分との過去の思い出を語る父であるように思われ、当時の情景が鮮明に思い起こされたから。(80)
〈参考 K塾解答例〉
気になる人の声がはっきりしてくるにつれ、なつかしさがあふれ、その人物が語る蜂と「子供」の話が、「私」自身の幼児の記憶として鮮明に蘇ってきたから。(72)
問三「私は、その声を、もうさっきに聞いていたのである」(傍線部分(3))とあるが、この一文は、どのような表現効果を持っているか、述べよ。
表現意図説明問題。「その声を、もうさっきに聞いていた」という表現から、直観的に感じ取らねばならないのは私の気が動転していることと、この場面自体が現実離れした幻想的なものであるということだ。当たり前のことだが、作者は自らの表現意図はこうであるなどということを小説の中で記述したりはしない。賢明な読者はその表現意図を感じ取らねばならないし、その上で解答者はその感じ取った内容を筆者と同じメタ視点に立ち、整理して示さなければならない。それについて体のいいマニュアルなど成り立つわけがないのである。
場面(状況)を整理しよう。
の客の話を承け、私はその話の主が失われた父であることを確信する。それで「お父様」と声をかけるのだが、その声は通じず一連れは外へ出て、すでにそのあたりには居なくなっていた。それを探す私に、連れが立つ時「そろそろまた行こうか(→土手の上=冥土に戻る?)」と云った父らしい声が浮かんできた。それに続くのが傍線部である(
)。以上より「場面→表現(傍線部の抽象化)→意図(効果)」の順に整理すると「亡き父の声と確信させる人物に出会い/なつかしくもその姿がはっきり見えず/私の前から去っていく場面で/物事の時間的な前後が混乱する様子を描くことで/私の気の動転と現実離れした場の雰囲気を醸し出す効果」とまとめられる。
〈GV解答例〉
亡き父の声と確信させる人物に出会い、なつかしくもその姿がはっきりと見えず、私の前から去っていく場面で、物事の時間的な前後が混乱する様子を描くことで、私の気の動転と現実離れした場の雰囲気を醸し出す効果。(100)
〈参考 S台解答例〉
父の声が時間的な遅れをもって「私」の耳に浮かび上がってくるさまを描くことで、父と「私」がそれぞれに身を置く世界が異質なものとして隔てられていることを示しながら、全体が夢の中の話のように描かれた物語の幻想性を強めている。(109)
〈参考 K塾解答例〉
すぐ隣にいるのに、「私」の声は向こうに通じず、父の声は時間差で聞こえてくるという、「私」と父たちとの間の不思議な隔たりを表すとともに、この小説がリアルな世界ではなく、「私」の心象によって構築されていることを示す効果。(108)
問四「私はその影を眺めながら、長い間泣いていた」(傍線部分(4))とあるが、どうしてか、説明せよ。
理由説明問題(心情)。土手の上に流れている薄白い明かりの方へ父を見送った後(
)、私は涙のこぼれ落ちる目を伏せた。土手の端にカンテラの光りで映る自分の影を認める。それに続くのが傍線部。長い間泣いてから、私は土手を後にし、暗い畑の道へ戻っていく(
)。注意すべきなのは、
までの場面で亡き父に出会い、声が届かず、父を見失なうことで涙を流しているうちに、
の冒頭で私は幻想(夢)から覚め、我に立ち戻っているということだ。つまり傍線部の「長い間泣いていた」というのは、正気に戻り、改めて、泣いたということである。それは一つに夢の余韻で父を失った悲しさが続いていること(a)、そしてもう一つ、そうした自分を省み、失った父を今も心のどこかに求める自己の孤独を思い(→その姿がカンテラの光りで土手に映るのである)、改めて涙したのである(b)。
以上の2段階を2文に分けて説明する。「私は幻想の中で亡き父と確信させる人物に出会いながら/父は私に気づくことなく/また私にはっきりと姿を見せることなく立ち去っていった(a)。そこに取り残され涙するうちに我に返り/失った父を今も求めている自分の孤独な姿を思い/改めて悲しさが増したから(b)」、私は長い間泣いていたのである。
〈GV解答例〉
私は幻想の中で亡き父と確信させる人物に出会いながら、父は私に気づくことなく、また私にはっきりと姿を見せることなく立ち去っていった。そこに取り残され涙するうちに我に返り、失った父を今も求めている自分の孤独な姿を思い、改めて悲しさが増したから。(120)
〈参考 S台解答例〉
人なつかしい思いで孤独に過ごしていためし屋で、隣りの一団の中に父を見いだしたと思ったが、呼びかける自分の声は届かず、去っていく一団を追うこともできぬまま、父の存在が遠く失われていくのを感じ、一人残された自分の影を見ながら、父との再会は願ってもかなわなくなっていることを思わされ、こみあげる孤独感と寂寥感をこらえることができなかったから。
(168)
〈参考 K塾解答例〉
人なつかしさが身に沁むような孤独な思いでいたところ、はしなくも父に再会したと思ったが、連れと語り合う父の声は聞こえるものの、「私」が泣きながら呼びかけた声は父に通じず、そのまま別れ別れになり、一人取り残されたことで、さびしさがいっそう胸に迫ってきたから。(127)