〈本文理解〉
出典は湯浅博雄「ランボーの詩の翻訳について」。できるだけ「内容」面の補足は加えず、「形式」面に着目して、本文の概略をたどろう。
①②段落、文学作品において「〈意味され、志向されている内容〉は、それを〈意味する仕方、志向する仕方〉、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しない」。「だから」内容のみを抜き出して、これこそ詩人の思想だといえない(読解レベル)。「それゆえ、また」テクストの翻訳者は、意味するかたちの側面をすぐに読み終え、通過し、気づかうことをやめる姿勢をとってはならない(翻訳レベル)。これを傍線部アで「もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度を取ってはならない」と繰り返す。③段落は以上のまとめ。
④⑤⑥段落、自分が読み取った内容を首尾よく自らの母語に翻訳することは「原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によってきわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから目をそらせてしまう」。そうした翻訳による詩は、テクストの翻訳作品というよりも「はるかに翻訳者による日本語作品である」(傍線部イ)こともありえる。それを避けるために、翻訳者は原文の表現形態の面に忠実でなければならない。 ⑦段落で「その点を踏まえて、もう一度考えてみよう」とした上で、翻訳者が表現形態面に含まれる「なにか密かなもの」に気づかうことで、そこに「書き手の(というよりも…テクストの)独特さ、特異な単独性」つまり「ひとが〈個性〉と呼ぶもの」が込められている、とする。
⑧⑨段落、以上を承けて、翻訳者は二つの要請に同時に応えなければならない、と述べる。一つは、内容面を読み取り、達意の日本語にするという課題・任務(p)。もう一つは「そのためにも」かたちの面をあたう限り尊重するという課題・任務(q)。「そういう課題・任務に応えるために」翻訳者は「原文=原語と母語との関わり方を徹底的に考」え、その間の「食い違う志向する仕方」を「自国語(自らの母語)の枠組みや規範を破り」ながら、「調和させよう」と努める(r)。「こうして」(r(→q→p))翻訳者は絶えず「原語と母語とを対話させる」(傍線部ウ)ことになる。それは無限に続く、調和が約束されていても、到達されることのない対話である(=翻訳の苦悩)。⑩段落「もしかしたら」「翻訳という対話は、ある新しい言葉づかい、新しい文体や書き方へ開いている」(傍線部エ)かもしれない。「だからある意味で原文=原作に新たな生命を吹き込」むかもしれない(=翻訳の喜び)。
最終⑪段落、「もっと大きなパースペクティブにおいて見る」と、言語の複数性を引き受けること、他者を受け止め理解し相互に認めること、そのために「翻訳」の可能性を掘り下げていくべきである。翻訳は「自らの母語(いわゆる自国の文化・慣習)と他なる言語(異邦の文化・慣習)とを関係させること、対話させ、競い合わせること」である。「そうだとすれば」「翻訳という営為は、諸々の言語・文化の差異のあいだを媒介し、可能なかぎり横断していく営みである」(傍線部オ)といえる。
〈補足事項①〉
自己言及的な題材である。東京大学が求める国語の学力を示唆しているようでもある。
「翻訳」を、ある内容について書かれた本文について、出題者の意図に沿って「答案」として表現すること、と捉えたとする。ならば、僕らは本文の「形式性」に忠実に従い読み取った内容を、本文の「表現」をできる限り損なわない形で「翻訳」することが求められるのではないか(もちろん、同時に「出題者の意図」を正しく捉えたものでなければならないが)。
〈補足事項②〉
今年(2017年)から2013年までの東大国語第一問の本質的なテーマを、時代を遡り列挙してみる。「近代社会の虚構性とわれわれの生の条件」(2017)「反知性主義/知の共同性について」(2016)「自他の相互規定性と生成する自分」(2015)「人間の本来的分裂性と統合のメカニズム」(2014)「「翻訳」の射程/他者理解・文化創造」(2013)。2017年を除けば「自他関係」がテーマとなっている。例えば、(2013)は(2015)を解くにあたって参考になる。ただし、あくまで本文、その「形式性」「表現」にこだわって読み解いた結果として、こうした理解と「翻訳」がひとまず完了する。
他者の内在的な理解は、自己の思考を深化させる。そして、自己の深化は、新たな他者理解を可能にする。
〈設問解説〉
設問(一)「もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度を取ってはならない」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。(60字程度)
理由説明問題。傍線部の分析から。文末が「~ない」と否定表現で終わる場合、肯定表現に直してみるのが定石。「読み取った」「意味内容・概念」をひっくり返して「読み終わった後まで(→母語への置換に至るまで)」「形態」とした上で「母語への置換に至るまで形態にこだわってはじめて~から」(a)という締めにしたらよい。
次に構成に着目。傍線部アは前文の言い換えであり、その文は「それゆえまた…次のような姿勢を避けるべきだろう」(②段落冒頭文)に「つまり」で続く。よって「それゆえまた」の承ける内容が理由となるが、①段落の最後の文が「だから」で始まっており「それゆえまた」と並列であることに気づくならば、「だから」の前文を承けるということになる。そこから「(文学作品において)内容と表現形態は一体化している」とまとめ、aと併せて「内容と形態の一体化」→「形態へのこだわり」→「(結局)内容も伝達できる」とする。
<GV解答例>
文学作品の内容は表現形態と一体であるため、翻訳者が母語への置換に至るまで原文の形態にこだわって初めて、内容の伝達も可能になるから。(65字)
<参考 S台解答例>
文学作品の表現内容は独立したものではなく表現形態と一体化して働いているため、後者を踏まえてこそ原文の翻訳が可能だから。(59字)
<参考 K塾解答例>
文学作品の内容は、その表現形態と切り離せないため、内容の翻訳に際して、原文に固有な表現の機微に配慮すべきだから。(56字)
設問(二)「はるかに翻訳者による日本語作品である」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。傍線部自体は「翻訳者による日本語作品」を一般化して「翻訳者の母語による創作」ぐらいでよかろう。次に、傍線部を一文に伸ばし、主語を一般化して示す。前④段落に戻り「内容の伝達に集中/形態を軽視した翻訳」とする。
さらに、直前の「テクストの翻訳作品であるというよりも」から、翻訳作品になりえていない点を示したい。前④段落で、内容の伝達に集中することで「表現の仕方によって…告げようとしているなにかを…気づかうことから目をそら」す恐れがある、としている点に注目する。その「なにか」とは、同一意味段落の⑦段落より「(…テクストの)独特さ、特異な単独性」すなわち「通常ひとが〈個性〉と呼ぶもの」であることが分かる。つまり、内容の伝達に集中する翻訳は、形態の中に潜む原作者の〈個性〉を伝えきれず、自らの創作のような代物になるのである。
<GV解答例>
内容の伝達に集中し原文の形態を軽視した翻訳は、テクストに潜む特異な単独性を見過ごし、翻訳者の母語の枠内での創作に陥るということ。(64字)
<参考 S台解答例>
読み取った表現内容を母語に置き換えたつもりの翻訳は、書き手独自の表現形態を無視した翻訳者の勝手な創作にすぎないということ。(61字)
<参考 K塾解答例>
翻訳者が、原文の特異な表現形態を軽視し、日本語の枠組みで内容を了解し記しただけの、原文を離れた創作と化しているということ。(61字)
設問(三)「原語と母語とを対話させる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。傍線部を含む一文は「こうして」ではじまり、前⑧段落を承けるので、ここをまとめる(a)。また「対話」なら双方向でなければならないし、⑨段落よりそれは調和を目指して無限に続くものである。
aについては〈本文理解〉でも検討したように「原語と母語との関わりを徹底的に考える」→「両者の志向は食い違う」→「母語の規範を変えながら調和を生み出そうとする」というところだが、こうした試みは「原文の〈かたち〉の面…をあたう限り尊重」し、その内容を「達意な日本語にする」という任務のためだった。この理解から「双方向性」を表現し「原語との齟齬を埋めようと母語の規範を変える」(原語母語)、「母語の規範を変えることで原文の形態を捉え返す」(母語原語)とした。これが(理論上は)無限に続くのである。
<GV解答例>
原語と母語の関係を徹底的に考え、その表現上の齟齬を、母語の規範を変換し原文形態を捉え返す作業の往復により、乗りこえようとすること。(65字)
<参考 S台解答例>
原語を翻訳するとき内容と不可分な表現形態の違いに直面し、原語と食い違う母語との間に調和した表現を模索して苦悩すること。(59字)
<参考 K塾解答例>
原文の表現形態を尊重しつつ母語に取り入れる過程で、それとは齟齬をきたす母語の表現の規範を変容させてでも、両者を調和させようとすること。(67字)
設問(四)「翻訳という対話は、ある新しい言葉づかい、新しい文体や書き方へと開かれている」(傍線部エ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。
理由説明問題。「翻訳という対話」を始点(S)、「新しい言葉づかい…へと開かれている」を着地点(G)に定め、その間の論理的飛躍を埋める(R)。Sについては、(三)で説明したものなので簡潔に「翻訳における原語と母語の緊密な往復」とした。それがG(新しい言葉づかい…)に繋がる要素として「母語の規範の変換」→「母語における表現可能性の拡大」では、安易すぎなのではないか。第一、これでは(三)と設問を分けた意味がないではないか。
(三)が⑧⑨段落で答えたのならば、(四)はあくまで⑩段落を中心に答える設問のはずだ。そして⑨段落の終わりで「無限の対話のうちに…翻訳の喜びと苦悩が表裏一体で存している」としているが、(三)の無限ループに「苦悩」が見られるとしたら「もしかしたら」で始まる傍線部エ、さらに⑩段落は「喜び(その可能性)」を反映したものではなかろうか。
その理解で、傍線部エの直後が「だからある意味で原文=原作に新たな生命を吹き込み…」となっているところに注目したい(細かいところだが⑧段落で「原文=原語」だったのが、ここでは「原文=原作」になっている)。つまり「新しい言葉づかい…」は母語のみならず、原語にも跳ね返るのではないか(ここでも「対話=双方向」を踏まえる)。そうでなければ「だから…原文=原作に…」とはならないだろう。
もう一つ、この方向性の正しさを傍証するのが⑦段落で「書き手の(というより…テクストの)独特さ、特異な単独性」としている部分だ。テクストと言い換えている点から、独特さは、書き手に「帰属」するものではなくて、読み手に「開かれている」ということだろう。以上より翻訳という対話は、母語と原語双方の表現可能性を開きうるのである。
<GV解答例>
翻訳における原語と母語の緊密な往復は、母語の規範の変換に伴う、母語と原語双方の新たな表現の発見の可能性をはらみながら展開するから。(65字)
<参考 S台解答例>
母語と衝突する原語の表現形態を取り込むことで、既成の枠組みや規範を破る新たな言語表現を創造する可能性が生まれてくるから。(60字)
<参考 K塾解答例>
原語の表現をできるだけ忠実に母語に反映させようとすると、母語の既成の枠組みにはおさまりきらない表現を生み出す可能性がもたらされるから。(67字)
設問(五)「翻訳という営為は、諸々の言語・文化の差異のあいだを媒介し、可能なかぎり横断していく営みである」(傍線部オ)とあるが、なぜそういえるのか、本文全体の趣旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。
「理由説明型」要約問題である。東大の場合、傍線は基本、本文の結論部に引いてあるので、「内容説明型」も含めて、結論までの論旨で傍線部につながる要素を加えて解答を作る。基本的な手順は、
´傍線部自体の端的な理由をまとめる。(解答の足場)
「足場」につながる必要な論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
必要な小要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)
となる。
´翻訳という営為をS(始点)、言語・文化の差異のあいだを媒介し横断する営みG(着地点)とし、その論理的飛躍(翻訳文化の横断)を埋める。傍線部の直前が「そうだとすれば」で、その指す内容の主語が「翻訳」になっている。これより「翻訳がAだとすれば、その営為は異文化間の相互理解にもつながりうるから(→文化の横断)」(仮)という足場ができる。
Aについては、最終⑪段落が「もっと大きなパースペクティブで見ると」から始まっていることに着目し、⑪段落の内容から「翻訳」を広義に捉えなおす必要がある。すると、ここには「翻訳」についての三つの次元、つまり(1)狭義の翻訳(言語レベル)、(2)広義の翻訳(他者理解レベル)、(3)異文化理解(集合レベル)、が抽出できる。このうち(3)については、解答の後半部と対応する。
この理解から、先ほどの「足場」を発展させると「翻訳がBにより他者を理解する営み(x1,x2…)だとすれば、そうした営みは異文化間の相互理解(y1,y2…)にもつながりうるから」(仮)(x∽y)となる。
Bは「狭義の翻訳」で「他者理解」につながるようにまとめる。繰り返し述べられていることだが、特に⑧⑩段落より「原文の表現形態へのこだわり」(x1)→「母語の規範の変換」「母語の表現可能性の拡大」(x2)→「原文の形態の捉え返し(による他者理解)」を繰り込む。
これとあわせて後半にも「他文化の内在的理解」(y1)「自文化の活性化」(y2)を繰り込んで最終解答とする。
<GV解答例>
翻訳が、他言語の表現形態をたどり、母語の規範を変換しながら、その表現可能性を開いて他者を深く理解する営みだとすれば、そうした他者への実践は、異文化との交流の中で相互に、自文化を活性化しながら他文化を内在的に理解するあり方につながりうるから。(120字)
<参考 S台解答例>
文学作品の翻訳は、内容と形態が一体化しているため、他者の言語の表現形態を自己の母語に取り込むことを要請されることで、逆に新たな言語表現の可能性を生み、異なる諸々の言語・文化の複数性を引き受けて相互の理解と交通を試みることになるから。(116字)
<参考 K塾解答例>
翻訳は、原文のもつ独自性を尊重するなかで、言語間の表現形態の異質さに直面し、両者の調和に向けて母語の枠組みを解体しつつ新しい表現を試みるが、その終わりなき営みは、文化間の齟齬を引き受けつつ相互理解の新たな地平を切り開く態度に通じているから。(120字)
設問(六)
a.首尾 b.逐語 c.摩擦 d.促 e.示唆
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