ノーベル賞経済学者スティグリッツ教授は、記事の中で1980年代以降の国際経済の性格を「スペアタイヤのない車」と表現している。それは、短期利益に集中して長期安定性に注意を払わなかったということを意味するが、それから生じる問題点がコロナの感染拡大で浮き彫りになったとしている。氏はここで、行き過ぎた金融自由化とグローバル化としか述べていないが、それをオイルショック以降、先進諸国に促したのは新自由主義と呼ばれる概念である。

 

世界の現代史においては、すでに分厚い新自由主義の経験がある。1973年軍事クーデターによって成立したチリのピノチェト政権は、新自由主義のイデオローグの一人であるミルトン・フリードマンの影響下にあるシカゴ学派の学徒が多数参与し、新自由主義の実験場とされた。70年代2度のオイルショックにより財政悪化が顕在化した先進諸国では、従来の福祉政策の見直しが迫られ新自由主義的な政策が試みられる。中でも、79年にイギリスで成立したサッチャー政権では、サッチャリズムと呼ばれる国営企業の民営化をはじめとする強硬な新自由主義政策が実施された。それらの帰結は、すでに歴史が語ってくれている。 新自由主義は、経済の自由化・効率化を徹底し、その足枷となるケインズ的な福祉政策を縮減することを求める。マーガレット・サッチャーは「社会などというものはない。あるのは個人と家族だけだ」と語ったが、強硬な新自由主義は社会の分断とアトム化を進め、リベラリズムが保とうとしてきた公正さを形骸化させる(正しさよりも損得)。 80年代の日本は、オイルショックを乗り切り世界経済の頂点にまで上り詰めようとしていた。中曽根康弘内閣は、米英と協調して新自由主義的な政策を採用し、国鉄の民営化などを進めたが、企業にも余力があり社会的分配に対して寛容でいられた。

 

しかし、その後バブルが弾け、失われた20年ともされる長期停滞を経験し、現在もその閉塞感から抜けられないでいるようだ。日本人一人当たりの実質所得は1997年がピークである。 日本においては、2000年代初頭の小泉純一郎内閣以降、本格的に新自由主義的な政策が導入され、以降民主党政権(09〜12)も含めて、その方針は一貫している(例.消費税増税と法人税減税)。「規制緩和」や「民間活力の投入」などの掛け声は新自由主義的なものと見ていいが、欧米において新自由主義の熱狂と反省が通過した後で、いかにも周回遅れの感がある。先月成立した菅義偉内閣は、「自助・共助・公助」を政治理念に掲げているが、公助というのは政治の同義表現であるから、実質的に自助と共助が強調されている。つまり、安倍晋三内閣に引き続き今後も強力に新自由主義政策が実行されるとみていいだろう。一方、同じ頃静かに発足した、野党第一党の新・立憲民主党は新自由主義への反対の立場を初めて明確にした。今後、与野党で新自由主義的な政策の是非についての議論が深まり、世論へと波及することを期待したい。(グレイトヴォヤージュ国語・社会科 大岩)