2025年、新年を無事に迎え、つつがなく過ごせていることに感謝しなければならないかもしれません。グレイトヴォヤージュ代表の大岩です。

 私たちは激動の時代を生きています。長いスパンで見ると、ジェンダーの不平等も多くの面で改善が見られます。今まで声を上げられなかった人たちが当然の権利を主張できるようになり、それに共感を示す人も増えているでしょう。一方でその反動が激しく現れることもあります。差別やデマ、ウソや不正も横行しています。分断を煽る言説も絶えません。環境破壊は進み、愚かな戦争は今も弱い立場の人たちの生命を脅かしています。

 私たちは社会の成熟に見合った価値に転換できてないのかもしれません。競争至上主義、コスパ思考、今だけココだけ自分だけ、ではなく、思いやりと分かち合い、想像力を広げ、社会の紐帯を強くすること、そうした価値を社会に根付かせることも、沖縄の社会に根ざす企業、教育機関としての使命だと考えています。

「東に病気の子どもあれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもよいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば 行ってつまらないからやめろと言い」

 (宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」より)

〈「よりしろ」として〉

 

 GVでは毎年12月の段階で、多くの生徒が総合型選抜または学校推薦型選抜の入試で合格を勝ち取っています。この後、共通テストのスコアを必要とする推薦型の入試もありますが、それも含めてGV生は沖縄の塾・予備校では質量ともに圧倒的な成果を出してくれます。

 現在、国公立大学では4分の1近く、私立大学に至っては6割近くが推薦型の定員で占められていますから、予備校としては従来型の入試に加えて、当然推薦型の対策に力を入れなければならない。しかも、どうせ推薦でチャレンジするのなら、生徒がもともと第一志望として想定していた大学相当か、それ以上のレベルを目指さないとあまり意味がない。しかし、いざその対策を、となるならば、今まで専門的な教科を教えてきただけの講師では太刀打ちできないわけですね。講師は、ありとあらゆる学問分野やその後の進路に通じてなければならず、その上で生徒一人一人のありとあらゆる個性や夢に照準を当てて、生徒の内側からそれが発展するのを引き出し、魅力的かつ実現可能な形に落とし込まなければならないからです。それをどうやってるのか隠すつもりはないのですが、でもマニュアル化したところで次の入試には通用しない。結局、講師自身が社会について、人間について考察を積み重ね、自己の人間力を成長させるしかないのです。

 20年近くのキャリアのほとんどを、その黎明期から推薦入試の指導に携わり、おそらく沖縄で一番多くの生徒の書類作成に関わってきた大岩はそう思っていました。しかし、今、GVでは、僕のほとんど預かり知らぬところで、スマートなシステムの中で多くの生徒を対象にした推薦対策が起動しているのですね(笑)。もちろん、その根底には講師一人一人の自己研鑽とそれらの集積、それを支える情熱とガッツがあることは疑いようのないことですが。

 そんな僕にも、少しだけ推薦対策の仕事が回ってくることがあります。一人、今年度の生徒にご登場を願いましょうか。彼女は米国への留学から帰ってすぐ、第一志望への合格を目指してマンツーで対策を始めました。彼女は、ご家族の温かいサポートのもと、豊かな経験の中で自由な感性を育んできました。それでも、その体験を自身で言語化するのは困難を極めました。僕は、毎回、日々欠くことのないトピックを持ちかけ、彼女と自由に議論します。それは一見、本題と関係のないことですが、ふとしたことで彼女の現在と過去、世界とココを一本の糸で結んでいくスリリングな瞬間があるのです。そうしながら彼女の中で体験したことが熟成し、カラフルに色づくのをじっと待ち、途中受験の「失敗」もありましたがあまり気にも留めず(笑)、最後には見事、第一志望合格という花を咲かせました。

 これについて最後に二つ。一つは、彼女にとって第一志望の合格は一番の成果ではない、ということです。彼女は留学での体験、これまで生きてきたこと、これから生きることの「意味」を見出し、それが大学入学後の人生Journeyを大きく変えるだろう、ということです。もう一つは、僕の語りはもはや僕の語りではない、ということです。僕は、キャリアの中で推薦・一般も含めて、数知れない多くの生徒と印象に残る交わりをしてきました。たまに意識して過去のエピソードを語ることもありますが、ほとんどは意識することなく、そうした交流の中で自然と培ったものを話しているのですね。だから、「よりしろ」みたいなものなのです。著作権フリーでお願いしますね。Bon Voyage!

(2025年正月 グレイトヴォヤージュ代表 大岩光昭)