皆様、ごきげんいかがでしょうか。
毎度おなじみ、進路アドバイザーの翁長理紗と申します。
しばらくご無沙汰をいたしておりました。今まで私が何をしていたのかというと、ずっとこのブログの内容について思案していたところでございます。なかなか上手く表現ができず、試行錯誤の連続で今に至ります。結果的にサボってるみたいになってごめんなさい…。
いや、言い訳はよしとして本題です。
最近、我らが代表である大岩先生が、東京大学の現代文の解説をしているのをご存知でしょうか。センター試験を題材とした基礎的な解法も含め、YouTubeやFacebook、ブログにて見られるので是非どうぞ。各予備校がそれぞれの解答例を出していて、比較してみると面白いです。
そんな中で、私もふと思い出すことがありました。実のところ、ずっとそれが書きたかった。
こちらをご覧になっている方々は、ご自身が受験を経験されたときの入試問題を記憶していらっしゃいますでしょうか。私は私自身の大学入試の試験問題を、今でもはっきりと覚えています。受験から10年以上経過しても忘れていない。
そういうわけで今回は、2005年度に出題された慶應義塾大学総合政策学部の入試問題から、小論文についてお話ししてみたいと思います。あ、決して解説とかじゃないです、あくまでもちょっとした思い出話として読んでください。実際の問題は赤本等で振り返ることができるので、詳しいことをお知りになりたい場合はそちらを。
SFC(えっと、Shonan Fujisawa Campusの略称で、環境情報学部と総合政策学部と看護医療学部のことです)に関心のある方のために、まずは具体的な試験の方式について書いておきますね。試験科目は英語と小論文だけです。毎年、SFCの小論文は、いくつかの資料を読んで設問に答えるというシンプルな形式。2005年の場合は、17枚の資料、2つの設問それぞれ800字。試験時間はたっぷり180分。私が受けたのは、総合政策学部の試験です。
2005年にSFCが出題をした小論文のテーマとは何であったか。その主題として選ばれたのは、「国旗及び国歌に関する法律」いわゆる「国旗国歌法」だった。
試験問題の導入部分をまとめると、2005年現在、学校の入学式・卒業式などにおいて、「日の丸」の掲揚・「君が代」の斉唱に関する問題が論議をよんでいるという。1989年に告示された学習指導要領では、入学式・卒業式には国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するようにと書かれている。さらに、1999年になって、いわゆる国旗国歌法が制定され、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とすると定められた。戦争など歴史的経緯のある「日の丸」と「君が代」を国旗・国歌とすることに当時は反対の意見もあったが、それに対し、政府の見解として国旗・国歌の法制化にあたりこれらについて義務付けるようなことは考えていないという趣旨の答弁がなされたりしたということである。
問題を解くための主な資料として与えられたのは、この国旗国歌法に関する大手新聞各社の記事と社説。これらはいずれも、2001年以降に報道されたものである。時代背景として、当時は、卒業式や入学式で起立して君が代を歌わなかった教員が処罰されたことの是非や、日の丸や君が代に対する教育委員会の姿勢、学校教育の現場において教員は公人か私人か、などという論争が盛んであった頃だ。資料の中では、朝日新聞と読売新聞、産経新聞、毎日新聞がそれぞれの見解を示している。一見して分かるが、17の資料においては、何ともいえない熱いバトルが繰り広げられている。知っている人は予め知っている。
設問は、計2問。問1は、学校での国旗・国歌はどのようにあればよいと思いますか。できるだけあなたの体験も交えて、考えを述べてください、というもの。問2が、学校から一歩広げて、日本社会において国旗・国歌はどのようにあればよいと思いますか。あなたの考えを述べてください、というものだった。いずれも、論理的に書かれているのであればどんな立場をとっても構わない。
さて、皆さんはこれにどう答えるか。ちょっと考えてもらっている間に、少し話を反らして余談をいくつか。
大学に入学すると、最初にオリエンテーションが行われる。あるひとりの教授が言った。SFCというと、英語の難易度がよく強調されるのだけれども、君たちが今ここにこうして座っているのは、小論文が書けたからですよ、ということらしい。外国語とかなんとかっていう以前に、日本語でものも考えられないのにどうするんですか、とも言っていた。その言葉を聞いて、私はちょっと喜んだ。現に私が合格したということは、多分だけど、小論文が結構イケてたからなのではないだろうかと思ったからだ。事実、私は帰国子女でもないし、SFCの英語に真っ向から勝負できるほど英語が得意でもなかった。並み居る強豪の中で、英語だけの得点ならば私なんか下の下。とはいってもまあ、英語である程度の合格者を絞ってから小論文を採点するとか、風の噂で耳にしたことがあるのだけれど。まあよく健闘したよね。英語の出来が悪ければ悪いほど、私の小論がイイ感じだったのだと理解しておこう。
それとはまた全く関係のない些細な出来事だが、2005年の入試問題は、文中に誤字があった。普通は試験問題の中身って、開始時間になるまでそこに何が書かれているのかを覗き見ることは許されないし、問題用紙の表紙からわずかに透けて見える文字を懸命に読み取ろうという姑息な手段に走ったりするくらいである。でも、この年、私が教室の机に座っていると、試験監督が部屋に入ってくるなり、問題に一部訂正があるとアナウンスした。そして、黒板に大きく、国旗国家ではなく国旗国歌であると書いた。国歌というところを、国家と誤表記してしまったらしい。国旗国歌。その時点で、受験生は一斉に今年の試験問題のテーマを伺い知ることとなった。
あとは、提示された資料の中に、私の父の友人が書いたであろうものが含まれていたので、こんな巡り合わせがあるものかと、問題を解きながらひとりでニヤニヤしてしまった。キモい受験生。問題を持って家に帰ったらすぐ、パパに教えてあげようと思った。実際、やはり知人の書いた記事があって、父も驚いていた。とはいえ私には、出題者の意図としてきっと、皮肉というか、マスメディアを批判的に捉えて、入試問題という形式を利用していわば断罪でもしているかのように感じられたので、やや複雑な心境ではあった。やんわりと、しかし実のところは強烈に、冷静かつ知的な方法で評価を下されているようだった。世の大人はつべこべ言ってるけどさ、現状を見てどう考えるんだ、ほら論じてみろ、我々はお前らの意見が聞きたいのだと、謙虚なんだか意地悪なんだか、学ぶことへの並々ならぬ探究心だけは確かである。そうやって笑いながら受験で遊んでいる。その遊びで学生を選ぶ。こっちもこっちで、受験で遊べた奴が受かる。そんな気がする。
話を元に戻そう。というか、この流れだと、一体お前は何て書いたんだ、それはそれは立派なことを書いたんだろうねえ、早く教えろよ、なんて声が聞こえてきそうなところです。でも私、正解は知らないですよ。
当然のことながら、私は、たとえば大岩先生のように、分かりやすく筋道を立てて皆さんに問題の解説ができるほどの能力は持ち合わせていないし、最初に断りを入れていた通り、これは問題の解説を意図して書いたものではない。そうそう、単なる思い出話です。
2005年の思い出。かつて受験生であった私。年端もいかない無知も無知な若者が、解答用紙に何を書き記したのか。是非とも皆さんの意見も聞いてみたい。誰彼構わず議論ができるって、これだからネット社会っていいよね!
私が解答として書いたこと。それは無謀で、馬鹿馬鹿しい理想かもしれなかった。でも、正直で、純粋な夢だ。大学に入って、たくさん勉強をしたはずなのに、私はあのときよりも的確に自らの意思を表現することができない。考えれば考えるほど、難しくなっていく。小賢しい御託を並べては消す。そして、結局はあの頃に抱いた夢へと戻る。いくら考えてみても、私は未だそれ以上の答えを出せていない。
日の丸と君が代という存在は、徹底して平和のためのものであるべきだ。もしそうであれば、間違いなく、私は誇りを持って国旗を見上げ、国歌を歌うことができる。たとえば甲子園の球児だって、オリンピックの選手だってきっとそうだろう。学校という教育の場においても、日本社会においても、日の丸と君が代が平和の象徴として存在するとき、過去に経験した戦争の歴史は必ず意味を持つ。唯一の被爆国である日本、世界的にも稀有な平和憲法を持つ日本。日本が平和の国として世界をリードし、牽引していく。日本を平和国家として立国する。平和大国日本、なんて呼ばれたら、どんなに素敵だろう。世界が尊敬の念を持って日本を見つめる。幸いなことに、現在は世界中が網の目のように繋がれている。したがって、全世界の人間が発言し、ときに喧嘩したりしながら、考えを共有して、連帯することが可能である。世界はひとつだ。
日本は美しい国、という言葉を聞いたことがある。万人がキラキラと輝ける国だ。皆が皆、生き生きとして、思う通りに夢を叶えられたら、たしかに素晴らしい。でも、その夢が自分自身にのみ向いたものであるとしたならば、単に自分で頑張ればいい。それぞれ頑張ってね、もし頑張れなかったらそれは君の責任ね。頑張れ、頑張れ、自己責任、自己責任。だけど、そんな社会ってどこか虚しい。そんな社会に対して誇りを持つのは難しい。
本当に美しいのは、困っている人がいたらどうしたのと言って声を掛けられる人だ。弱い人の手を引いて歩くことのできる人だ。彼らの声に耳を傾け、胸を痛め、考え、行動できる人だ。強くて優しい人だ。もしそんな人間で溢れたら、日本という国は、真に美しくあり得ると私は考える。日本は、本当の意味でキラキラと輝く。活力に満ちた、優しくて強い国になれる。そして、もし人間が本当に優しくあれたら、戦争は起こらない。人間は、どこまで優しくなれるのだろう。
私が書いたこと、もちろん異論があるだろうし、ツッコミどころなんて満載ですよね。でも、私がこんなこと書いて合格しちゃったことだけは事実。
世の中には色々な思想を持った人がいる。でも、結局は母国を愛したい。愛しているからなんだかんだ言って争ったりする。でも、目指す先は実は同じなのではないかと思うときがある。なんていうか、日本ってマジ凄いよねって言われたくて頑張っているだけみたいだ。日本マジ凄いよね状態になるためにはどうしたらいいか、私は私なりに、思いの丈を答案にぶつけた。それが私の政策だった。
でも、ここからが肝心。その政策を実現するために何が必要なのかを自分の頭で考えろ。ありったけの材料を集めたら、実現可能な政策として打ち出せ。総合政策ってそういうことだ。当たり前のようだけど、難しい。だから、大学に入って、学生も教授も日々学ぶ。試験に受かるというと簡単なのだけれど、合格するということが、これからSFCで行われる議論の輪に加わるための許可証を渡されたという意味であるとするならば、私は心の底から嬉しく思った。許可証って言っても、入場券くらいのものなのだけれど、とりあえず資格を与えられたということ自体が嬉しかったのだ。そしてまた、この年、この時期に、この問題を提示してくるSFCは、改めて凄いなあと思った。この議題は今に通じている。SFCは10年前から未来を見通していたことになる。
私が住む沖縄県には、慰霊の日と呼ばれる特別な一日がある。その日は休日になる。昼の12時に黙祷をする。72年前の今日、沖縄戦という歴史。私は、目を瞑り手を合わせながら、私自身の、当事者意識の欠如を恥じた。あんなに、あんなに考えてきたはずなのに。私はただの傍観者だ。だって、沖縄に慰霊の日があるんじゃない。日本の慰霊の日だ。私にとっての慰霊の日だ。
2005年の思い出は、私にずっと課題を突きつけている。
私の合格体験記とは、平和への祈りの証である。
…ていうか今ふと思ったけど、こんな長いブログ、もし読んでくれた方がいるなら本当に気丈な人ですよね。5000字くらいありますよ。私的に、書くのにとても勇気の要る内容だったので、情熱だけはこもっていますけど。
いつもありがとうございます。今後ともどうそよろしく。
沖縄 那覇市の大学受験予備校グレイトヴォヤージュ
翁長理紗