沖縄を考える【出典】

 

沖縄を考える【講師からのメッセージ】

私が大学進学前に読んでいたら進路変わっただろうな、と思う2冊の本。2冊の本の中から抜粋して読みます。生徒の皆さんや私と同年代ぐらいの沖縄の若者たちの話。

離婚率全国1位、失業率全国1位、貧困率全国1位、などなど。意識して見ようとしないとあまり見えてこない沖縄社会の抱えるしんどい部分。誰もが見たことある風景の一部だけど、見えないものもたくさんある。それぞれの置かれた環境で、みんな必死に生きている。当たり前のことだけど、しんどいことも楽しいことも悲しいこともたくさんある。どれが正しいとか、正しくないとか簡単には言えない。

それでも、現状を知ることはとても大切なことで、知ることによってはじめて私たちは思いを寄せることができると思います。共感して、その人たちの思いを大切にする。人々の声に丁寧に耳を傾けていくことは重要なことだと思っています。GVを卒業して大学に行って、大学を卒業して就職して。沖縄で働く人もそうでない人もいるでしょう。その中で、沖縄社会を少しでも良い方向に進めていくことに何らかの形で関わっていってくれればとも思います。何かを学ぶことがどんなことにつながっていくのか、一緒に考えたいとも思います。

 

沖縄を考える【生徒の感想】

生徒の声⑴
『裸足で逃げる』、簡単に言ったら悲しい感じの本だった。小中高で受験が必要なところにいたから、ヤンキーとかに出会ったことはなかった。だから、本を読んでも実感がなかった。自分が思ったことは、この人たちの性格とか環境は親や家族に大きく左右されている。この人たちが望んでいる形ではないのに、生まれた時点で決まっているのは、不平等な感じがした。それでも、筆者のように関わる人がいることで、変化が訪れていることに希望を感じた。遠い親戚でもいいから関わってあげる力のある人がいれば、環境は変わっていくと思う。

 

生徒の声⑵
喋る中で意見を見つけていきたい。『裸足で逃げる』は読んだ。『ヤンキーと地元』の方はぱらっと読んだ。印象的なのは『裸足で逃げる』の方。この本を読んで、自分は自分のことを恥ずかしいなと思った。親の方針が「確かに小中高とずっと私立で進学することも出来るけど、それだと沖縄に貧しい人たちがいることを実感できない。だから将来どの進路に進むかわからないけれど、小中のうちは地元の学校に行くべきだ」というものだった。地元の学校に通っているうちは、身近にいる人達に対して何かをするのではなくて、そこから逃げ出したいと思っていた自分をはずかしいと思う。『裸足で逃げる』の28ページの「ゆうかはまだ20歳だった。」48ページの「日本語って難しいね、半分もわからなかった。」この2つの部分が特に印象に残った。高校の時に「貧しいことが連鎖していくこと」を聞いたことがあって、そこに自分は何もできないような気がした。

 

生徒の声⑶
小中の時は、ヤンキーの人たちの生活を知らずに生きてきた。二つの本は、ヤンキーの人たちに密着する形で書かれている。目的を持って行動をしているっていう姿があって、そうしていない自分は、なんか目的を持って行動している人たちに対して申し訳ないなと思ってしまう部分、恥ずかしいと思う部分があった。教員を目指しているので、裸足で逃げるの8ページの5行目以降が印象的。「教師には、子どもとその生活について語り合う時間がない。いや、それは正確ではないだろう。子どもと語り合うことがなくても、教師のルーティンは回る。だから、多くの教師は、子供達にその生活を尋ねない」教師は労働基準の時間を超えてしまっているけど、それが理由で生徒の生活について話をする時間が作れないことについて考えることがある。自分が教師になった時に、生徒に何をしてあげられるのかを考えることもある。それから、生まれてくる親の状況によって、その子の人生が少なからず決まってしまうことがある。そのことも前まではあまり考えられなかったことだけど、今はしっかりと考えて、教育の現状に目を向けたいと思った。

 

生徒の声⑷
一度『裸足で逃げる』を読んだことがあって、前に読んだ時は、レイプされた人とか子供を養うためにキャバクラで働く人がいてっていうことを知った。今回は、『ヤンキーと地元』を読んで、インタビュアーの人の性別の違いによる視点の違いが面白かった。親が離婚したから、貧困に近いような状況にいたので、何かしてあげるのではなくて、寄り添うことが重要なんじゃないかなと思う。キツイ状況にある人たちは、誰かが寄り添ってくれることをありがたく感じるんじゃないかと思う。公認心理士の資格をとって、キツイ状況にあるような人たちが行政の制度を利用できるように支援していきたいとも思っている。

 

生徒の声⑸
地元があれてて、ヤンキーとかにあまり関わることがなかったと言った前の人達と比べて、身近にあった。中学校の同級生にも子供がいる。自分の友達で子供いる人は男の方で、SNSで「逃げている」っていう話を聞いたことがあって、友達と話題になったりもする。自分は女だから、『裸足で逃げる』の方に感情をうつしやすかった。『ヤンキーと地元』の方では男の人たちの状況も知れた。貧しい家庭に生まれたからっていう場合もあるし、小学校は普通だったのに中学校で連む相手によって変わっていくこともあるから、環境が人を変えていくことを感じた。本で読んだこともあって、違うところで起きているようなものとして感じたけど、よく考えてみると周りにあったことだった。ヤンキーの人たちとかキャバクラで働く人たちとかは、特殊な経験ではあるとは思うけど、かわいそうとはあんまり思えなかった。だけど、身近にいることを利用?してうまく話を聞けたらいいなと思いました。

 

生徒の声⑹
自分は周りにヤンキーとかDVを受けている人とかが周りにいなかったから、具体的に生活の状況とかはあんまりわからなかった。同じ沖縄に住んでいるのに、こういうことが起きていることが想像できなかった。著者の上間さんがゆうかに対して、接しているような支援者の立場に立ったとしたら、自分はこういう風にできるのかな、難しそうとも思った。支援したいという気持ちがただあるだけでは、心に深く傷を持っている人たちに対して、支援していくことはできないかと思った。支援する側も支援される側も同じ人間だし、いつも冷静に話を聞いたりするのは難しいと思う。だから、支援する人は自分の気持ちだけなくて、相手の気持ちも深く考えていく必要がある。自分がこの人たちにすることで、一番大切なことは何か。そういうことをいつも考えながら関わっていくのは難しい。うまく言葉にできないけど、そういう風に思った。

 

生徒の声⑺
『裸足で逃げる』に出てたゆうかと同じような境遇の友達も少なからず、自分の周りにはいた。同じ小学校とかだった。その環境とは違って、中学と高校では私立に通った。そこで知り合った人たちもいる。小中高と、いろんな立場の人の生活を見ていたのもあって、割と冷静に読めた部分もある。感情が高まって話している人がいるのをみたけど、自分はそういう風には感じられなかった。3年前とかなら自分は感じていたと思う。受験勉強とかも含めて、やらないといけないことに追われているからか、いろんな感情を忘れているような気がする。そういう感情を取り戻したいってのもあって、この塾に来た。勉強だったらどこでもできるはず。みんなと同じような純粋な気持ちを、本を読んで感じ取ることがあまりなかった。そういう感情を取り戻したい。

 

生徒の声⑻
『裸足で逃げる』をぱらっと読んだ。出身の地域にはそういう人たちが多かった。そういう人たちを結構見てきたと思う。家庭環境がすごい大きく関係していると思った。友人の見てきた話が重なる。小学校の頃の仲良い友人が中学校の時に違うところに行った。中1は陸上頑張っていたけど、中3の時にあったら金髪になっていた。SNSで情報が回って来たりするのを見ることがあった。「〇〇が逃げている」とか「子供ができた」とか。高1の時に会ったら、その子は子供を連れていた。その子がどうなっているのか今はよくわからないけど、親とともに子どもを育てているらしい。そういう友人がいた。『裸足で逃げる』は女の人メインの話だった。複雑な家庭の女友達がいて、その子は家が嫌いだと言っていた。複雑な家庭環境ってのもあって、自分の血が繋がっている下の子は可愛がるけど、繋がっていない子はかわいがれないと言ってた。中3の時に行くところがなくなって、母の彼氏の家から学校に通っていると聞いた。「やりたいことをやっていいよ」と言われるような環境ではなかったところで育って来た人は「普通の人」が当たり前のように感じていたことを感じてこれなかったのではないか。中学の頃はヤンキーの生徒と先生が仲が良くて、ヤンキーにばっかり目をかけている先生に対して、贔屓と感じることもあった。だけど、目をかける人たちがいないと、ヤンキーの人たちはもっとよくない方向に進んでいってしまうと感じて、先生たちはそういう風に関わっていたのだろうと今は思う。環境を変えたいと思っていても、一人で変えて行くことは難しくて。側で話を聞いたりとか支えになってくれる人がいることはとても大きいと思う。何ができるかはわからないけど、多くの人が知っていることに価値を感じる。一人でも多くの人が現状を知っていることが重要。

 

生徒の声⑼
どっちもパラ読みはした。小学校の頃は、同じ小学校の半分以上が中学に一緒に行くようなつながりが強いような学校だった。ヤンキーも一定数いた。ヤンキーの人たちとも話す機会は結構あって、一人は男友達で少年院にいったりするような人で、親が小学校の時に離婚していて父にあたる人が高圧的な人だった。そのせいでなのか、その友人は先生にもよく反発はしていたけど、仲間内では気さくな人だった。少年院も居心地がよかったと言っていて、その人にとって自分が居やすい場所があると思った。もう一人のヤンキーの女友達はお父さんにDVを受けていたので彼氏の家に行ったりしていた。なんだかんだ、そういう人たちに話を聞いてって言われることがよくあった。「〇〇は同情とかなしで普通に聞いてくれる。話を聞いてくれて、その中で自分の感情を言葉にしてもらえることもあって、話を聞いてくれてありがたかった。」とその友人は言っていた。保健室の先生がこんなこと言ってた。ヤンキーの子達は保健室によく来るんだけど、どこか一つでもいいから安心ができる場所があったら、過ごしやすいだろうから、そういう場所に学校にはなってほしい。学校づくりとかそういうのを生徒たちから話を聞いたりすることが重要だから、頑張ろうね、っていう話になった。自分は同情とかなしで話を聞くタイプで、かわいそうと思ったことはない。話を聞いていたヤンキーの友人は二人とも強く生きようとしていて、誇りに思うことがあった。そういうのを強く感じた。話を聞くのにもスキルがいるから、著者の人もちゃんと関わって来たんだろうということが読み取れた。私にできることはただ話を聞くことだっていうのが、自分の中でわかっていること。

 

生徒の声⑽
ワイルドスピード沖縄版。作者の行動力は素晴らしい。家庭、仕事場、学校、息苦しい場所から抜け出し、身も心も預けられるところを求めて、暴走する構図は、どの世界でも同じようにあふれた光景であると思った。私たちも息苦しくなれば、友達と外食に行き、カラオケにも行く。ただ、決定的に違うのは教養であろう。対人関係でのIQはヤンキーの方が高いはずだ。リアルに現代社会の複雑に絡んだ問題を露呈した良い内容だ。教育、帰属できる場、人間関係など生活感が薄くなる現代で、自らを持って生を実感しにいくような生活スタイルは、自分んも人生に刺激を与えてくれるようなものを見つけようかなと思った。

 

沖縄を考える【感想共有後の生徒の感想】

感想共有後の生徒の声⑴
最初に読んだ時には聞いたことがあるような話もあったので、冷静に読めた。2つの本に共通するというか、少し似ているな、と思ったのが”成長と暴力”、”負の連鎖”というような言葉です。2冊とも強く生きる、自分の居場所を見つける!という点が印象に残った。 読書会を通じて様々な意見や価値観に触れることができてよかった。周りにヤンキーとかいない人が意外と多くて驚いた。

 

感想共有後の生徒の声⑵
他の人の意見が聞けてよかった。話を聞いている中で昔の自分、今の自分ととても重なる人を見つけて少し安心した。 勉強との兼ね合いもあるけれど、少しずつ社会問題について考えてみたり、身の回りの現状を知ったりして、自分の意見とかを持てるようになりたいと感じた。 とても良い機会だったと思う。

 

感想共有後の生徒の声⑶
みんなこの本を読んで、色々と思うことがあって、何かできることはないかと考えている人もいましたが、実は考えても、みんなの意見を聞いても、「これだ!」と一つに絞れる答えなんてなくて、でもこの本を読んで、この現状を知ったことにはとても大きな意味があると思いました。でも、一つがけ思ったのが、私たちが動く勇気よりも、彼ら、彼女らが変わりたいと一歩を踏み出す勇気の方が必要なんじゃないかということです。簡単なことではないかもしれませんが、彼らのほんの少しの勇気で、上間さんのように、又は違うカタチでも、彼らの勇気を支えたい人たちはきっと力になってくれると思います。綺麗事かもしれませんが、一人でも多くの人が自分のやりたいことを環境のせいで諦めるようなことがなく、挑戦できるようになってほしいです。

 

感想共有後の生徒の声⑷
2冊の本で自分なりに考えさせられることがあった。そして、このような場で他の人の価値観や考えを聞いて、納得することもあり、自分では考えきれなかったことを考える人もいたので、改めて考え直すこともあった。 今回の話題は、自分がこれから学ぶべきことでもあるので、又こういう機会があったら他の人と話を交えながら、自分がどう考えるべきなのか、どう行動したいのかを見つめ直して考えていきたい。

 

感想共有後の生徒の声⑸
2冊の本の一部分を読んだだけで、それぞれから違う意見が出たから面白かった。この本の内容を身近に感じる人、そうではない人からみた感想もあったし、自分の将来の職業との関わりを話している人もいて、様々な視点から自分とは違う考えをしれた。 特に海外でも似たようなことがあったという話は驚いた、沖縄の現状を知っていただけで、それをさらに広く考え、どこの場所であってもDVや複雑な家庭が存在するということを考えたことはなかった。 これからは、これらの本と似た環境の人からも話を聞いてみたいし、逆にヤンキーやDVなどとは無縁の人たちからも話を聞いてみたいと思った。そして、今自分は勉強させてもらえているから、これは特別な経験だと意識した。だから、今自分は何をやりたくて勉強しているのだろうと考えてしまった。 今後は、できるだけやりたいことを明確にするべきだと感じた。

 

感想共有後の生徒の声⑹
2冊の本の一部分を読んだだけで、それぞれから違う意見が出たから面白かった。この本の内容を身近に感じる人、そうではない人からみた感想もあったし、自分の将来の職業との関わりを話している人もいて、様々な視点から自分とは違う考えをしれた。 特に海外でも似たようなことがあったという話は驚いた、沖縄の現状を知っていただけで、それをさらに広く考え、どこの場所であってもDVや複雑な家庭が存在するということを考えたことはなかった。 これからは、これらの本と似た環境の人からも話を聞いてみたいし、逆にヤンキーやDVなどとは無縁の人たちからも話を聞いてみたいと思った。そして、今自分は勉強させてもらえているから、これは特別な経験だと意識した。だから、今自分は何をやりたくて勉強しているのだろうと考えてしまった。 今後は、できるだけやりたいことを明確にするべきだと感じた。

 

感想共有後の生徒の声⑺
「困っている人とか傷ついたりしている人によく「かわいそう」って言葉を使っちゃダメだよ」とだいぶ前にいとこから教えてもらって、確かに自分が困っているときや傷ついているときに、ただ「かわいそう」で済まされたら、もっと悲しくなるとその時は思った。今日の読書会でそれがもっと深まった。困っている人の力になりたいって思っても、自分だけじゃどうしようもできないし、何ができるかもわからない。という思いを持ってて間違いではないんだなと心が軽くなった。人を助けようと思い立ったらすぐ行動に移す人もいるので、自分はそういうことができないし、わからないから将来そういう仕事(福祉等)には向いてないのかな。と今までは思っていた。「福祉に関わりたい」という思いが今日で強くなった。良い支援者になるために、今は何もできなくても、今日の2冊の本以外にも本を読んで、それぞれの人に寄り添えるように自分の周りの子の気持ちも考えられるように想像力を豊かにしていきたい。まずは自分の友達に傷ついたり困っているこの気持ちに寄り添っていけるようにする。

 

感想共有後の生徒の声⑻
言うまでもなく僕にはまだ今日の問題に対して何もできない。考えるにしても知識がないから正しいか否かもわからないけど、そんなぜひは自分の中にあるその時々の材料を精一杯こねくりまわすしかないとも思う。 結局、友達が夜の街で働く女性を小馬鹿にしたり、学校めんどくさいと言っても笑ってみぬふりをし、かつては自分もそうだったと心の中で恥じる他ない。 でも、今日泣きながら自分の心を言葉にして、他人の気持ちを聞いたとき、少し自分の中のもどかしさが報われたように感じた。ごまかしながらも、自分にでいることをいつかは見つけたい。

 

沖縄を考える【読書会を終えて講師感想】

私の働く予備校では今年から既卒生に向けた任意参加の読書会が時間割に組み込まれています。

今週は私の担当でした。先週の担当の方が移民や難民の問題を取り上げていたので、今度はもっと身近なところにある社会の不条理や社会的な課題について考えるきっかけにしたいと思い『裸足で逃げる』と『ヤンキーと地元』の2冊を課題本としました。

それぞれ、「まえがき」「1章」「あとがき」を事前に読んできてもらい、それぞれが感じたことや考えたことを一人一人発表してもらい共有し、生徒からでてきたものに、その都度私の方からコメントを添えていくような形で進めていきました。

沖縄のことがテーマとなっている本で登場してくる人たちも私(27歳)や生徒(18歳〜)と年齢が近く、それぞれの歩んできた人生の中で似たような境遇の人と関わりがあったり、部分的に経験を共有していたり。話題としては重たいし、難しいものでもあるけど、参加生徒がそれぞれの経験と重ね合わせて、自分なりの考えや感想を時間をかけながら、言葉を探しながら話していました。

2冊の本の中にでてくるような境遇の人達に出会ったことがない生徒、友人に似たような境遇の人がいた生徒、自分が近い境遇であった生徒、沖縄では出会わなかったけど留学の時に出会った生徒、立場の違うそれぞれの視点からの感想がでてきました。参加者それぞれが自分と似たことを思う人を発見し共感したり、違う意見の人の話を聞いて驚いたり。解決の難しさに考えるのを今はやめたという生徒、支援していく立場になることを目標として話をする生徒、支援したいとは考えるけどその難しさにどうしていいかわからないという生徒、とにかく1人1人が知っていくことが大切なんだという生徒、感情を抑えきれずに涙しながらこれまでの自分を恥じる生徒。同じものを読んでも、読み手の立場や経験、考えてきたことの違いが、感想の多様性を産み、場を豊かなものにしていたように思います。

自分の中での重要な発見としては、「自分の経験の中にある事柄に対しては豊かに語れるということ」と「同年代の友人たちの言葉は、聞き手の経験や感情と比較しやすく自分のことに引き寄せやすいため、学びの有効な補助線となること」でした。

学びの場において、参加する生徒が主体的に話し、自分の経験や感情を材料に考える。このことが実現されるためには、問題として提起する事柄を身近なものに可能な限り引き寄せ、経験してきたことと重ね合わせ、その重なりの中に「問題と関わりのある自分」を発見させることが重要なのだと認識しました。私とは関係ない「どこか遠くに存在していること」ではなくて、私とどこかで重なる「自分にも関係のあること」として、問題を捉えられるように設計する。自分の経験と比較しながら、自分の感じたことを思い出しながら考えることによって事柄を具体的に理解する。そして、そこから押し広げ、地域のこと、沖縄のこと、アジアのこと、世界のこと、それぞれのレベルでの問題に対して、自らの経験と感情を材料にしながら、理解しようとしていく。そのような学びの設計ができれば、具体的な「私」の経験と今世界で起きていることがうまく接続される。そして、身近な事柄に対して関わり方を変容させていくことができるのだと感じました。

生徒へのコメントで多く語ったことは「具体的な人を知る」ことの大切さです。私の持つ共感する力は考える対象が抽象的になればなるほど弱まり、大雑把に人を理解したり、カテゴリーによって安易にイメージを作り上げてしまうように思います。そうするのではなく、その場にいる具体的な人たちの声を聞き、その人たちの喜びや悲しみ、怒り、苦しみに向き合うこと、これこそがこれから様々に人と関わって社会をつくりあげていくことの基礎になるのだと伝えました。

受験勉強の中では、普段の生活の中にある「知」と離れてしまい、「自分とあまり関係ないものを試験の点数をあげるために頭に叩きこむこと」を、生徒に「学ぶこと」だと思わせてしまうことが多々あります。何かを学ぶということは、自分の経験や感情を手がかりにしながら、それらを先人の蓄積の中で理解したり、自分の理解の仕方を他のものと比較したりしながら、触れる世界をもっともっと豊かなものにするものであってほしいと思います。

自分がこれまで見てきた世界を改めて見つめ直し、その意味を問い直す。自分の経験や自分の感情を言葉にしていく。語る言葉を作り上げていく中で自分なりの世界の捉え方を作り直す。そして、その過程で新たな自分と世界との関係性が作り直される。本を読んだり、誰かの話を聞いたりして、学びを深めていく過程はそのようなものであると考えています。

彼ら彼女らの予備校での日々の学びの中に、「生きる」という営みとそのまま重なるようにして「学ぶ」という営みがあるのだと思えるような瞬間を多くつくっていきたいと思いました。