はじめまして、翁長理紗です。
ご縁があって、3月より新しく進路アドバイザーとして働くことになりました。
どうぞ宜しくお願いします!
あいにくお勉強は教えられないのですが、受験に関するお悩みから人生相談、恋バナまで、なかなか他人には話せないようなありとあらゆるアドバイスをさせていただきますので、どうぞ気軽に話しかけてくれたらとっても嬉しいです…
あ、りささんとか、沖縄風に?りーさー?とか呼んでください。
さて、GVメンバーの仲間入りをするにあたり、少し自己紹介をさせていただきたいと思います。
以下、ちょっと長いし妙に熱いし、なんかそれっぽく語っちゃっててこっ恥ずかしいので、覚悟して読むか、面倒ならスルーしてください。
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私は福島生まれ東京育ちの人間で、沖縄で暮らすようになったのはつい3か月前のことです。結婚を機に移住してきたのですが、夫は沖縄出身。彼が受験生のとき、大岩先生にお世話になったとのことで、この度、私も同じく一緒に働かせていただく運びとなりました。
大学受験は、私にとってとても貴重な経験であったと、振り返ってしみじみと感じることがあります。なぜなら、あの頃は物事を学ぶということに対して、最も純粋で、 無我夢中だった時期のひとつだからです。
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、慶應義塾大学大学院政策メディア研究科に進学というと、一見すると華麗なる経歴の持ち主のように思えます。でも、私は勉強が苦手ですし、とりたてて頭が良い訳でもありません。
SFCを志望していらっしゃる生徒さんがどのくらいいるかは分かりませんが、私においては、入試問題が他の大学と違うなぁ、変な大学だなぁと思ったのが受験のきっかけとなりました。単純に面白そうだと感じたのです。
でも、その気持ちが本物になったのは、受験を控えたその年の秋頃だったかと思います。
浪人生だった私は、受験勉強を通じて、丸山眞男や加藤周一、大江健三郎の著書に触れ、戦後日本には思想的にあるねじれが生じているということを知りました。
そこで私は、受験勉強もそこそこに、 当時よく騒がれていた、反戦運動に参加をしたり、教育基本法の改正に反対したデモに参加して渋谷の街を行進してみたり、戦争博物館を訪れて仲間と議論したり、安保闘争について調べてみたり、そういった活動に熱中していました。
でも、どれだけ活動しても、日本の政治が変化することはなかったし、耳を傾けてくれる人もほとんどいなかった。ではどうしようか。もっと世界を知らなければならない。世の中には困っている弱い人々がたくさんいる。社会をもっと良くするために私に出来ることを見つけなければならないと思いました。そのとき初めて、大学、慶応大学、総合政策学部に行きたい、 行かなければならない、と本当の意味で思いました。 これが小さな問題意識の種で、問題解決のための場としてSFCを選んだのはごく自然なことだったと思います。
そのとき、私はとてもワクワクしていました。我を忘れて、夢中でした。すると受験のことなんかすっかり忘れていて、いつの間にか試験に合格していました。
そのときの私は、勉強を勉強だとも、努力を努力だとも思っていなかった。知的好奇心と、それを支える知的忍耐力が私を動かしていました。そのうち、目の前にあった壁なんか、知らない間に乗り越えちゃった。逆説的ですが、受験を忘れたときに初めて受験に受かるという、そういうことがままあるのだろうと思っています。合格する人は、少なからずそういった側面をもっているような気がします。もっというと、たとえもし志望する大学に不合格であっても、そういう人はいずれ必ず夢を叶えます。人生の答えは簡単には出ません。最後まで分からないものです。
受験て、素敵な夢です。大学に行ったら、かつて出会ったことのない優秀な人々にたくさん会える。私はインテリだとか知識人だとか呼ばれる人達の仲間になりたかったし、その必要があると思っていたし、そうして生きることはとても美しいことだと信じています。
受験は辛くて厳しいけれど、頑張ったら絶対に結果が出ると言い切れるものです。学校を出たら、腐るほどある不条理のなかに放り出されます。でも、勉強は違う。本当に理にかなっているので心配しなくても大丈夫です。
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随分と長くなりました。
受験、頑張ってください。
私は心から、皆さんを応援しています。
翁長理紗