早めのバレンタイン♫
朝の7時から、せっせっと作ってくれた
いちご大福が天から届いたw
いや~、この女子力良い奥様になるわ!!
と思いつつ、テンション上がっちゃいましたw
世の中、「男の人の胃袋を掴んでしまえ!!」
と言いますが、いやこれ本当w
大学に進学し、やる事がないのなら、
極めるべきは料理なり!!
女性だけでなく、男性の皆様も、
ぜひぜひオススメです。
という事で、昨日に引き続き、
皆様へのプレゼントはこちら。
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みなさん、こんにちは。今日も東大の要約問題へのアプローチについて解説していきます。今回は2014年の問題を使って、新しい視点をご紹介しようと思います。解いていない人はネタバレになりますので注意。
まず、2013年の解説の時に並べた重要事項を確認しましょう。
⑴筆者が最も言いたいことを捉える
⑵ディスコースマーカーに従って読む
⑶日本語力を駆使して指定字数に詰め込む
⑷指定字数に注目する
⑸段落の数に注目する
⑹言い換えに注目する
⑺文法にも注目する
今日はここに1つ追加します。
⑻筆者に関する情報を見つけ出す
今回の2014年の問題は論説文ではなくエッセ-調の文なので、2013年とは少し捉え方を変える必要があります。具体的に言うと、論説文は形式的に筆者の主張がはっきり示され、かつ言葉を変えるなりして繰り返す傾向にあるのに対し、エッセー調の文はつれづれなるままにという感じで、ややまとまりに欠ける傾向があるということです。また、特に顕著なのは、論説文のほとんどが冒頭で主題を提示するのに対し、エッセーは主題を最後の方に回すことがある、ということです。論説文だけに慣れていると、主題をはっきり読み取れないまま文が終わってしまう、ということになりかねません。そこで今回、特にエッセー調の文章からしっかり主題を捉えるために意識づけしておいてほしいのは、筆者自身の情報をできるだけ本文から読み取ろうとする態度です。筆者の名前、性別、年齢、職業、国籍、趣味、家庭事情などなど、本文から読み取れる情報をできるだけ意識して集め、筆者像とでもいうべきものを作り上げてみるということです。ちょっと考えてみてほしいのですが、試験ではなく、日常の場面で本などを読む場合、その著者の名前なり職業なりは知っていることのほうが多いのではないでしょうか。たとえ知らなくても、ほんのカバーや最終頁などに著者に関する情報が書かれているはずです。芥川賞受賞作家とか、代表作とか。人は、実はそういった情報も含めて本を読むものです。そもそも、自主的に本を読む場合、最低でも本の題名はわかっていますよね。でも、試験では出展として明示されていない限り、題名すらわからないわけです。自分が何についての情報を読もうとしているかわからないで文を読むなんて、おかしいと思いませんか。そう、試験はそういった不自然さが堂々とまかり通っているのです(最近は出展を明示する傾向になってきてはいますが)。そこを意識して、できるだけ自然な状態で文が読めるなら、そのほうが読みやすいとは思いませんか?はい、長くなりました。先へ進みましょう。
では、具体的に2014年の問題を見てみましょう。まずは字数と段落数から。
指定字数は80~100語:3~4文程度でまとめる。
段落数は6:2013年と同じく、複数で一つの意味を持つ段落群を見極める必要がある。
以下、段落ごとに詳細に解説していきます。
まず第1段落では筆者の日常が描かれています。特に主張は見当たりませんが、最終文のnowadays each of those sandstone steps is looking a little worn. は次の段落につながる内容なので重要です。ちなみに、wear – wore – wornという不規則変化と、wearに「すり減らす」の意味があることは重要知識ですね。
第2段落冒頭でもThis wear is the result of a century of people walking up and down from their flats. として、階段のすり減りの話が続きます。flat(s)はapartmentの意味のイギリス英語。東大の文章問題にはしばしばイギリス英語が登場しますので、アメリカ英語とイギリス英語で単語や綴りが異なるものは日ごろから注意しておいたほうがよいでしょう。ここで、筆者がイギリス英語を使う人だとわかりました(ただし、イギリス人とは限りません。カナダやオーストラリアなど、イギリス英語を用いる地域は意外と多いのです)。さて、これが主題かどうかはまだわかりませんが、下線部「このすり減りは人々が1世紀の間上り下りした結果だ」という部分は頭の片隅に置いておくべきでしょう。2013年の問題で書いたとおり、要約の基本型として「AはBである。だからCはDである」(理由型)があるのですから、因果関係を示す表現には敏感になっておいて損はありません。
第3段落冒頭は重要です。まずAs every geologist knows, のところ。「地質学者ならだれもが知っているとおり、」という言い方についてどう思いますか?たとえばある人が「日本人なら誰でも知っていることだけど…」と言ったら、その人も日本人か、そうでなくとも日本人のことをよく知っているように感じませんか。まあ実際に詳しいかはさておき、そういうふうに聞こえる言い方なのは間違いありません。ということは、わざわざこの言い方をしているのだから、この文の筆者は地質学者であるか、そうでなくとも地質学に詳しい人なのかな、と思いませんか。これも筆者に関する情報です。それも重要な情報です。地質学に詳しい人が何か文を書いている。地質学に関する話だろうか、と思うのは自然な流れですから。ちなみに地質学というのは、大雑把にいえば地球に関する学問ですよ。となれば、地球の話になるのかな?とも思えてくるはずです。もちろんこの時点では推測の域を出ませんが、そういう方向性が頭にあるとないとでは、文の流れに自然についていけるかどうかに違いが生まれます。要するに、主題を見つけ、全体の内容を理解するのにかかる時間に違いが出る、ということです。
さて、続きにいきましょう。even a small force, repeated over a large enough stretch of time, can add up to some very large effects indeed. ここは非常にわかりやすいと思います。勉強をコツコツ続けている人なら、勉強にも通じることだな、と思えるでしょうし、スポーツなどもそうでしょう。いわば『塵も積もれば山となる』ですね(まあ、今回はすり減る話なので、できるのは山ではなく谷ですが。筆者も後の方でそう書いていますしね)。
この後の話は、筆者の住むアパートの石の階段の話をして『塵も積もれば~』を具体的に話しているだけなので、さっと読んでおけば十分です。
第4段落も冒頭が重要。When I climb this staircase to my flat, I enjoy the daily reminder that humans are a geological force. 下線部は「人間は地質学的力だということを日々思い出させるもの(=階段)を楽しむ」なので、筆者は日常的に『人間=地質学的力』と考えていることがわかる(しかも楽しんでいるらしい)。ますます、筆者が地質学に強い思い入れのある人物であることが顕著に伺えます。同時に、これは筆者の主張と捉えてよいでしょう。『人間は地質学的力だ』なんて、一般人はなかなか思いつかないアイディアではありませんか。わざわざ文章をしたためるからには、やはりそれなりの理由があって然るべきですから、筆者がこのエッセーを書いたのも、『人間は地質学的力だ』ということを、一般の人々に伝えたかったからなのかなと思えますし、さらに、話の続きが気になってきます。『人間は地質学的力だ。だから何だろう?』というふうに。そうではないですか。だって、ただ『地質学的力だ』とだけ言われても、はあ…?で終わっちゃいますよね。私たち一般人は。だから、私たち一般人が理解できる、何かもう少し一般的な事柄に結び付けていくのではないか、と考えられます。これを要約の骨格としてみる価値はあるでしょう。『人間は地質学的力だ。だから○○だ。』ですね。さあ、続きを読みましょう。
If ten million people were all sent up this staircase one by one, it would take less than eight months for their feet to wear away a centimeter of sandstone. 「もし1,000万人が1人ずつこの階段を上らされたら、8ヵ月足らずで彼らの足が石段を1センチメートルすり減らすだろう。」 ここは先ほどの『塵も積もれば~』と同じことを述べているのでさっと読み流してもいいのですが、同じ文体が繰り返されていくので重要でないとは言い切れません。
第5段落では、いよいよスケールが地球規模になります。予想通りと言えなくもない展開ですね。And then, consider that ten million people is but a small fraction of the seven billion people currently in the world. 「そしてまた、1,000万人でも、現状の世界全体の70億人のごく一部に過ぎないということを考えてみてください。」 文法的な注意としては、be動詞がareでなくisなのはten million peopleをひとかたまりで考えているためです。また、butはonlyと同じ意味の副詞(たったの~でしかない)として用いられています。この文の後のIf you could ~ in a few moments. もまた『塵も積もれば~』の具体例です。その後のA few more repetitions and you’d have an impressive hole. と、Keep going for a few hours, and you could produce a new valley. についても同様です。文法的には、前半部分はいずれもIf節の言い換えになっています。内容的にもそうですが、助動詞の過去形が用いられている点で仮定法が用いられていることがわかります。最後に『谷』が出てきましたね。
今のところ、まだ『人間は地質学的力だ。だから○○だ。』の○○が出てきていません。最終段落に期待しましょう。
第6段落(最終段落)冒頭文を見ましょう。 This might seem like a rather unrealistic thought experiment, but it does highlight, in a rather literal way, the idea of a carbon footprint, which is a measure of the environmental impact of human actions. まず、下線部は強調のdoです。そして、highlightの目的語がin a rather literal wayの後に続いているのを見逃さないこと。carbon footprint(カーボンフットプリント:炭素の足跡)という概念は現代文などでもお目にかかる現代用語なので、背景知識として持っていて損はありません。筆者もwhich以下で少し説明してくれていますが、簡単に言えば、人間の何らかの行為が地球環境に及ぼす影響の強さを足跡で表現しているわけです。その影響力が強いほど足跡は深く、濃く表され、その影響が消えるまでの時間が長いことを示しているのです。大気汚染や水質汚染などがわかりやすい例といえるでしょう。汚染によって灰色になった空が青さを取り戻すまでにどれほどの時間がかかるだろうか、ということです。筆者は、まさにこのカーボンフットプリントのフット(足)と、石の階段をすり減らす力の源である(筆者自身も含めた)人間の足をうまく結びつけたわけです。第3段落で予想したとおり、地球の話(正確には地球環境の話)になりました。こうなれば本文の理解は今のところ完璧と言っていいでしょう。さあ、あと一息です。
続く文では、When it comes to our carbon footprints, the entire planet is the staircase. ということで、階段をすり減らす足がカーボンフットプリントであるなら、階段が地球に見立てられるのはある種当然ですね。そして次の2つの文はとても重要です。Our individual contribution ― the energy we consume, the waste we produce ― may seem insignificant, hardly something that is going to affect the planet. But when you multiply by seven billion, the small environmental impact of any one person becomes a very weighty footsteps indeed. 下線を施したmayとbutは、セットで登場することで譲歩+逆接の意味を表します。この形は何といっても筆者の主張をはっきりさせるという点で絶対見逃してはいけないもの。「一人一人の影響は…大したことないように思えるかもしれないが、70億倍されたらとても重たい一歩になる」 この言い回しは、これまで何度となく登場した『塵も積もれば~』の言い換えと同じものです。同じことを(言葉を変えて)繰り返すだけでなく、譲歩+逆接の形をも駆使して、筆者は『塵も積もれば~』と言いたいのです。これは要約に入れないわけにはいかないでしょう。
そして最後に、It’s not surprising that Earth is as worn down as my old staircase. 「地球が私の(アパートの)古い階段と同じくらいすり減っているのは驚くべきことではない(当然のことだ)。」と述べています。これはまさに探していた要約のパーツだとは思いませんか。さあ、この2つを入れてみましょう。
「人間は地質学的力だ。だから、1人の影響は小さくても、70億倍されたら影響力はとても大きい。地球が筆者のアパートの階段のようにすり減っているのは当然のことだ。」(80字)
最低限の字数は満たしましたが、始まりが唐突な気がしますよね。いきなり『人間は地質学的力だ』といわれても困惑します。本文に戻り、どの時点で筆者が『人間は地質学的力だ』と言ったかを確認しましょう。第4段落冒頭文ですね。When I climb this staircase to my flat, 「私の(アパートの)部屋までこの階段を上るとき」に思い出すと言っています。第1段落最終文ではlooking a little wornと言っている点も考慮してまとめると、
「人の往来によってすり減った石の階段は、人間は地質学的力だということを思い出させる。だから、1人の影響は小さくても、70億倍されたら影響力はとても大きい。地球が筆者のアパートの階段のようにすり減っているのは当然のことだ。」(114字)
少し字数オーバーしています。下線部の言葉をもう少しまとめてみましょう。また、カーボンフットプリントという言葉は、それ自体は長い上に主題と直接的なつながりはない(フットつながりというある種のこじつけのみ)ですが、環境問題と切っても切れない関係にあるので、『環境』という言葉もどこかに入れておくべきでしょう。
【解答例】
「人の往来によってすり減った石の階段は、人間は地質学的力だということを示唆する。1人の影響は小さくても、70億人が地球に与える影響は甚大だ。地球環境が石段のように劣化するのは当然のことだ。」(93字)
以上で答案は完成です。段落ごとにまとめるのが簡単な要約の方法なのですが、やはりエッセー調のためか、やや段落間の行き来が見られますね。大きく分けると、「人の往来によってすり減った石の階段は、」(1~4段落)、「人間は地質学的力だということを示唆する。」(4段落)、「1人の影響は小さくても、70億人が地球に与える影響は甚大だ」(5~6段落)、「地球環境が石段のように劣化するのは当然のことだ。」(6段落)となります。言い忘れましたが、要約は決して好き勝手な順番でまとめてはダメです。たとえば、「地球環境を劣化させる地質学的力は人間である。これは往来によって我々の足が石の階段をすり減らすのと同じだ。」のようにまとめると、趣旨は概ね同じですが、言葉の順序が筆者の文と反対です。これは要約とは言えません。要約者に許されるのは筆者の書いた言葉の順序を尊重し、論理の流れのとおりに簡潔にまとめることのみであって、好き勝手に切り貼りしてはいけません。
さて、今回取り上げたテーマ「筆者に関する情報を見つけ出す」は、別に今回のようなエッセー調の文にのみ有効と言うわけではなく、あえて強調したかっただけで、別に特別な知識などではありません。冒頭でも述べましたが、普通何かを読む時にはあるはずの情報が試験では欠落しているかもしれない、ということに気づいてほしかったのです。今回の問題は、筆者が地質学に詳しい人なのかな?と思えるだけでだいぶ要約の形が見える、という意味で、講義に使いやすい問題でしたね(イギリス英語は特に関係ありませんでしたね)。今後読解をしていくにあたり、まず出展を確認するなど、筆者に関する情報を探すように注意するようになれば、今日の授業の理解は完璧です。
以上、英語科増井でした。
このシリーズが本になる日も近いはず!!という事で、2日間に渡る、「東大英語 要約・解説」でした。
GVコンシェルジュ
金城